歌姫
大神官がコンコン、と扉を叩いて視線を集める。
「宜しいでしょうか? クヴァシルが見えております」
見れば、ヴァナアイランドのヴァン神族であるクヴァシルが、王室の入口で待ちあぐねていた。
「ああ、すまんな。クヴァシル、遠慮せずとも良い、こちらへ」
「し、しし、失礼します……な、なにか雰囲気的に入って良いのか、判断できなかったので……すみません」
「それはこちらこそ失礼をした。どうぞ、そこへかけ給え」
「は、ははは、はい。では、お言葉に甘えて……。そ、それで、本日は、どの様なご要件で? すみません」
一人掛けのソファに腰を掛けたクヴァシルは、確かにノートと同じ翠がかったスカイブルーの瞳をしており、その背には大きな翼を持っている。
「ふむ。ノート?」
「ふぁ? ……イキナリナマエヲヨブナンテ、ビックリスルッショヤ、コノヤロー!!」
「バカノート! お前の為にわざわざ来てくれたんだぞ? クヴァシルさんは」
「そ、そなの?」
「クヴァシルさん、失礼しました。俺が失礼して代弁しますがよろしいでしょうか?」
「は、はい、何でしょう?」
「ありがとうございます。先ず、このノートの目を見てください」
俺はノートの頭にぽん、と手を置くと、クヴァシルさんはノートの顔をじっと見た。
「な、なるほど。ヴァン神族の瞳、ですね? し、しかし、それが何か?」
「はい。見ての通り、この子の母親は、おそらくヴァン神族で、少なくとも半分はその血を引いております。
そしてこの子は、生まれも育ちも帝都教会だと聞いております。聖女になるべく育てられたのだと。
しかし、その出生には謎が多く、何の記録もありません。つまり、このノートの母親はどこからか連れて来られたヴァン神族の女性ではないかと、憶測が立ちます。
そこで、同じヴァン神族のクヴァシルさんなら、何か情報をお持ちでないかと、大神官様にお目通しをお願いしておりました」
クヴァシルさんはずっとオドオドしてはいるが、わりと神妙な面持ちで話を聞いてくれている。今一度ノートの顔をしっかりと見て、口を……開いた。
「し、失礼ですが、あ、あの、貴方の母親のお名前を伺っても、よ、よろしいでしょうか? すみません」
「ノート、母ちゃんの名前、何てんだ?」
「ん? お母さんはネル。んとね? 確か、ネルトゥスって名前だったけど?」
「ネルトゥス!? ね、ねねね、ネルトゥス・マール・エトランジェ!?」
ノートは首を傾げて、頭にハテナを並べる。
「ネルトゥス……マ゙?」
「ね、ネルトゥス・マール・エトランジェ。ゔ、ヴァン神族の稀代の
「ディーヴァ……ノート、お前、パンツの歌以外に何か歌えるのか?」
「ううん。お母さんにもっとお歌を教えて欲しいって言ったら、あなたは歌わなくていいって言われたよ?」
「ノートは別に下手じゃなかったよな? 何で教えてくれなかったんだろ?」
「何で?って聞いたらお母さん、何も言わずに少し悲しい顔してた……」
ノートが表情を少し曇らせる。
「あ、あな、あなたの年格好を見るからに、ディーヴァが居なくなった年と、ち、近そうですね……もしかすると、もしかします。し、ししし、しかし、か、仮に、でぃ、ディーヴァの娘だとして、に、人間の血と混血になった者は、ヴ、ヴァナアイランドへ入ることは、で、出来ませんが……? じゅ、純粋な神族のみしか、た、立ち入ることは、ゆ、許されないのです。すみません」
どのみちヴァナアイランドへは行けなさそうだな。ノートが落ち込んでなきゃいいが……。
しかし、ノートが仮にディーヴァの娘だとしても、ヴァン神族の血統だとしても、結局ノートはノートだ。ヴァナアイランドへ行ったとて、何か変わるわけでもないなら、無理に行くこともない。それよりしなければならない事が目の前にあるし、何より時間がない!!
「クヴァシルさん、ありがとうございました。ノートの母ちゃんが歌姫だって判っただけでも良かったです。な、ノート?」
「……でも、お母さん、歌姫?とか言う凄い人だったのに、誰も探してくれなかったの?たった一人で、私を産んで、育てて、捨てられて……お母さん、可哀想……。
私が居なくなった時は、ルカが来てくれた。お母さんは、お母さんは……誰か探してくれてたの?」
「……それは……」
ノートはとても悲しそうな顔つきだ。その顔を見て、口籠るクヴァシルさんは、視線を泳がせている。
「す、すすす、すみません、すみません! およ、およそ一年ほどで捜索は打ち切られたと、き、記憶しております。すみません」
「そ。ならいい。ヴァナアイランドなんて行かないから、ルカ、行こう?」
「あ、ああ……」
「す、すみ、すみ、すみませんでした!」
「いえ、お呼びしたのはこちらですので、失礼をお許しください」
「い、いえ。た、ただ……ネルトゥスさんの歌は、私も聴いた事がございますが、それはそれはお美しいお声でございました。い、今でも、こ、この耳に当時の残響が、せ、鮮明に聴こえるようでございます。すみません」
「ん。お母さんのパンツの歌は最高だった。ありがと」
「ぱ……い、いえ、どうかお気をつけて」
そう言うと、クヴァシルさんは深く頭を下げた。とても控えめで、謙虚な人だ。悪い人ではないので、ノートも責めるような事はしない。
「それでは、猊下。俺たちはもう行きます」
「待て」
教皇が踵を返した俺たちを呼び止める。
「歩いて行く事もないだろう。お前たちは帝国の王族の服を着ておるのだ。今や我が国は帝国の占領下。我らが誇る騎竜に乗って征けば良かろう」
「父上! このような者に騎竜など──」
「──黙れクリストファー! 我らは敗戦国なのだ。それも帝国のな? その帝国を討ち滅ぼしに征くと言うのだぞ? 騎竜くらいくれてやろうではないか。いや、騎竜とて、今や帝国の了承なくては出せぬのだ。連れてゆくが良かろう」
「……いいのか?」
「ああ。クリストファー!」
「……はい、父上」
「案内してやってくれ」
「……ちっ。わかりましたよ……けど、そもそも騎竜に乗れるんですかね?」
「それは騎竜が決める事だ。騎竜が拒否すれば、諦めてもらうほかはない」
「そう、ですね。わかりました、案内しましょう!」
「ああ、クリストファーさん、お願いします」
クリストファーは、返事もせずに背中を向けて歩き始めた。
「ルカ!」
皇妃さまが呼び止める。
「はい……?」
ツカツカと俺に歩み寄って来る。近い!?
──ガバッ!「ルカ……」
皇妃さまが俺を抱きしめる。
「あの……?」
「ごめんなさいね……もう少しこうしてて良いかしら?」
「母上!?」
「クリストファー、今だけは許してちょうだい。ヘレンの息子がここに居て、帝国へ征くと言うのです」
「俺、ちゃんと帰って来ますよ?」
グイグイとノートが間に入り込んで来る。
「あら、ノートちゃん、ごめんなさいね? ルカを借りているわ?」
「ちゃんと返してくれるなら良い」
「ノートちゃん……」
皇妃まはノートの目線まで腰を下ろし、まじまじと眺めた後、ノートも抱きしめた。
「はうあっ!?」
「ノートちゃん、ルカを頼みます……あなただけが頼りです」
「わ、わかった!」
「うふふ。ルカは良い
「えへへ〜。良かったね、ルカ?」
「そ……、そうだな?」
俺とノートは皇妃さまに優しく抱きしめられて、皇妃さまはぼそっと囁かれ、にこり、と美しい笑顔を残して教皇のもとへと戻った。
「おい、何ボーっとしてやがる。行くぞ!?」
「あ、ああ。すまない」
ノートが顔を赤くして燻っているので、俺は彼女の手を引いて王室を後にした。
皇妃さまは俺たちにこう言ったのだ。
『見事アスガルドを返還出来た暁には、貴方たちのお披露目と盛大な婚儀を行いましょう』と。
俺は正直なところ、どうでも良かったが、ノートはまんざらでもないみたいだ。
やれやれ……。
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