忌子

     『忌子』


──聖典


 手に持つ者の願いを叶えると言う。教会の信者は増え続け、お布施で新しい教会が次々に建てられてゆく。


 歴代の教皇はその力に溺れ、その名声に溺れ、酒池肉林に溺れた。

 何もせずとも、金が入り、旨い物が食え、何人もの女性をはべらせた。

 教会が裏で手引して、帝国に流れた多くの捕虜が奴隷商へと渡り、売り払われた。男は闘技場へ行き、剣闘士になって生命を散らし、女は歓楽街へ行き、遊女となってその身を擦り減らせた。


 

 帝都から少し離れたミズガル湖のほとりに、サン・マグダラ大聖堂と呼ばれる、帝都教会の総本山があり、教皇が統治する街、マグダラの街が広がっている。


 そんなサン・マグダラ大聖堂の星読の塔、その最上階に忌子いむこの間がある。


 忌子いむことは、成人して、禊と洗礼を経て聖女になるべく、俗世間からの干渉を断ち、教皇のもと修行を積んだ者の事を言う。


 忌子いむこの間は外から鍵をかけられていて、その姿を見る者は、ごく一部に限られている。

 そのひとり、マリア・クラレンスは忌子の世話係として、忌子『ノート』の身の回りの世話を長年任されている。


 しかし、この忌子、クセが強く一筋縄ではいかない。部屋はそれなりに広いのだが、その片隅に自分のスペースを作り、そこに収まっている。基本的にそこから動くことはない。無理に動かそうとすれば、怖がって、泣いてわめくのだ。

 そして、少しでも嫌なことがあると、すぐに死のうとするからたちが悪い。マリア以外の世話係は、彼女の世話に疲れて、その殆どが辞めてしまったほどだ。しかしマリアとて例外と言うわけではない。疲れている。


「はあ……」


 天蓋の付いたベッドの上で、本を読みながら寝そべっていたマリアが、ため息をついた。


「ねえ?」

「……」


 忌子のノートは、ベッドとタンスの間の隙間で、三角座りをしている。


「ねえってば!?」

「……ハイ」

「そろそろご飯食べ終えてくれない?」

「……モウ、イイデス」

「こちとら、あんたが全部食べてくんなきゃ、仕事が終わんないのよね!?」

「……スミマセン、モウカタヅケテクダサイ」

「あのねえ? いつも言ってるけど、食べた後のあんたの体重、記録しなきゃいけないんだかんね?」

「……ソンナコトモウサレマシテモ……」

「あと、トマトとニンジンだけでしょ? いい加減その偏食なんとかなんないの?」

「……モウシニタイ」

「あ~、それ言っちゃう? 言っちゃうの!?」

「……トマトトニンジンタベナキャナラナイナラ、シニタイデス」

「あんたねえ? スラムの人たちなんか腐ったもんでも食べてるんだよ? 贅沢だと思わない? 仮にも、仮にもだよ? あんた聖職者でしょ!?いい大人なんでしょ?」

「……ダッテ……グスン」

「ほらほら、泣いたって誰も手伝ってなんかくれないんだかんね?」


 すっく、とノートは立ち上がる。


 だだっ、と駆け、ばんっ、と窓を開け放ち、とん、と足をかけた!


 がしかし、ぐっ、と仰け反る。


「おっと! そうはいきませんよ〜」


 ノートの白いワンピースの裾を、わしっと捕まえられている。


「はっ、はなせ! 死んでやる! トマト食べるくらいなら! 死んでやる! ニンジンあげるから! 放して!」

「ほら、放してやるから、死ねるもんなら死んでごらん?」


 ぱっ、とスカートの裾を放す。


 ごちん、何かに頭をぶつけるノート。


「ちくしょー! ひきょーだぞ!?」

「どっちが卑怯なんだか? ほら、諦めて食べてくださいな。少しは手伝ってあげるからさ?」

「……ホント?」

「うん、ほんとほんと」

「ジャア……ガンバッテミル」


 よしよし、とマリアはノートの頭を撫でた。


 二人はテーブルに戻り、ノートは食器の前に、マリアはその隣に座った。

 マリアは自分でも少し食べながら、ノートの口にも運んであげて、どんどん食べさせてゆく。なんだかんだと言って、面倒見が良いのだ。ノートは涙をちょちょ切らせながら、もぐもぐもぐもぐと、口を動かしている。


「はいっ! 終わり! 良く頑張りました〜♪」

「……エヘヘ、エライ?アタシエライ?モウトマトタベナクテモイ~イ?」

「それじゃあ、片付けて来るね〜♪」

「無視かっ!?」


 バタン、マリアは構わず行ってしまった。ガチャリ、と悲しい音が聞こえた。


 部屋にひとり。わがままも言えない。死ぬことも出来ない。マリアが居なくなると、ノートは独りぽっちだ。ノートがグズって食事を食べないのには理由わけがあった。


 マリアに部屋にいて欲しいからだ。


 マリアに迷惑をかけていることは解っている。だけどやらずにはいられない。独りは淋しいし、それだけで泣きそうになるからだ。


 そして。


 今夜はついに洗礼の儀が執り行われる。来月予定されていた洗礼の儀を急遽前倒しにしたために、本日、ノートは聖女になるべく、禊を受けなければならない。

 禊とは、穢れを落とす事。穢れとは、欲そのものだ。全ての執着から解放されてこそ、無となり、聖なる加護を受けることが許される。と、言うものらしい。

 ただ、近年は穢れを落とし切れず、聖女になれない、と言う事が続いているらしい。原因は不明だが、教皇が聖女の代行を務める事で、教会の運営は成り立っているのだとか。


 ノートはいつもの位置に戻り、三角座りをする。


 コチ、コチ、時を刻む音だけが部屋を支配する。


 時の流れとゆう、強大な力からは逃れられないことを、ノートは知っている。


 この不可逆的な不条理を、ただ、受け入れるほかないのだ。


 ノートは、それに抗うことを考えたことはない。されど、受け入れ難い、そんな現実が容赦なく迫っていた。


「……やだなあ。聖女になんか、なりたくないなあ……夜までに風邪引かないかなあ?」


 独り言ちる。


「聖女になったら、たくさんの人と会わなきゃなんないよね……やだなあ。私も禊に失敗しないかなあ?」


 ガチャガチャと鍵を開ける音、その後、ガチャリと扉が開いた。


 ノートは更に縮こまる。


「ノートちゃん、起きてる?」


 とても侍女とは思えない、フランクな言葉をかけて、部屋に入って来たのはマリアだ。


「マリア……アタシ、カゼヒイタ。ミソギ、ムリ」

「ノートちゃん。夜まで少し、一緒に居てあげるから、お話しようね」

「う、うん……」

「お? 少し元気出た?」

「ちょっと……」

「そっか。ノートは聖女になりたくないの?」

「うん」

「じゃあ、ここから逃げたい?」

「うん」

「……そっか。わかった」

「出して、くれるの?」

「出して、あげられるかどうかは、わかんない。だけど、チャンスをあげるよ」

「……と、申されますと?」

「あたしさあ、あんたの世話が終わったらココ辞めるつもりなんだ?」

「え? なして?」

「教会って、思ってた感じと違ったから?」

「……?」

「あたしの家、仕立て屋さんなんだけどさ、朝から晩までチクチクチクチク裁縫してさ、大した儲けになんないの。大口の仕事が入ったってさ、ただ忙しくなるだけで、全然休めないから、嫌になっちゃってさ、気がついたら家、飛び出しちゃった……」

「……そうなの?」

「うん。でもね? 教会に来て、毎日決められた事やって、規則正しい生活おくれて、自分の時間ができたけど……」

「……うん」

「全然楽しくないの」

「そうなの?」

「うん。ここの人って、ただ黙々と仕事しているだけでさ、目的だとか、喜びなんて微塵もないのよね?」

「へぇ……?」

「忙しくてもさ、目標があって、楽しかった家の職場の方が良かった。みんなで頑張ってさ、やり遂げる達成感、連帯感。しんどくっても、眠たくっても、毎日が充実してたんだね、きっと」

「へぇ……それはそれで、ヤ、かな?」

「あははははははは! ノートちゃんはブレないね? 好きだよ、ノートちゃんのそうゆうとこ!」


 マリアはすっくと立ち上がり、にこりと笑う。


「ノートちゃん、後悔だけはしないようにね!」

「……人生、生まれたこと自体後悔ですが、なにか?」

「わははははははは! あたし、ノートちゃん好きだったよ。良いことあるように、私も祈ってあげるから、頑張ってね!」

「わかった。頑張って、全力で現実逃避します!」

「うん! それで良い!」


 マリアはノートの手を取って、しっかりと握手して、ぶんぶんと大きく振った。


「いたい、いたい」

「んじゃ!」


 マリアは、その一言を最後に部屋を出て行った。


 ガチャリ……。と、ドアを閉める音だけがした。


 つまり、逃げるならお好きにどうぞ。そうゆうことなのだろう。


 ノートは、じっ、とドアを見る。


 コチ、コチ、コチ、コチ、時計の音は無情にも、部屋を支配し続けた。



────────────────

挿絵:ノート&マリア

https://kakuyomu.jp/users/dark-unknown/news/16818093080766901522

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