剣聖
帝国の空に暗雲が立ち込めて、ごう、と風が吹き砂埃を巻き上げ、通りを往く人の脚を速める。
正門に男がひとり現れた。
門番の制止をものともせずに、振り切る。当然門番は追いかけ、捕縛しようとするも、するり、するり、と避けて、一歩、また一歩と、その歩みを止めない。
男が正門を抜けて、王城まで
構わず、男は進む。
騎士団は、地竜の殻皮で作られた真白な鎧を身にまとい、アダマンタイト合金を用い、匠の技により打ち出された業物を手にしている。背には純白のマント。その全てに帝国の紋章『ドラゴンクロス』の意匠が施されている。
「おい止まれ!」
「止まらねば斬る!」
男は止まらない。
「くそっ!」
体躯の良い騎士が三人。男を囲み捕縛を試みる。一同にして掴みかかる。が、掴みかかった手が、空を斬る。
「どこだ!?」
男は歩みを止めていない。
「なんなんだ、くそっ!」
「構わん! 斬りつけろ!」
三人の騎士は、男の背後から斬りかかる。
何度も、何度も、何度も斬りかかるが、一撃も当たらない。
次第に王城が近づく。
城門には更に七人の帝国騎士が並んでいる。男が城門に差しかかった時、一斉に槍が突き付けられた。
「止まれ! これ以上の侵入は許さん!」
きん、と音と共に七本の槍の穂先が落ちた。
「なっ!?」
「剣を抜け!」
七騎士は槍を捨てて、剣に持ち替えた。が。
きん、と音と共に剣身が落ちた。
「なんだ!?」
男は無手だ。つまり、何も武器を持っていない。その尋常ならざる異常さを感じ取った、騎士の一人が城内へと走った。
男の足は止まらない。
カンカンカン、城門の中で、敵襲を知らせる警鐘が鳴らされ、ガシャン、と大きな音を立てて城門は閉ざされた。
男が城門の前に立つと、一同息を呑んだ。まさか、この堅牢な城門までが突破されることはあるまい、と、誰もが思った。
男が城門へ手を当てた。
しばしの沈黙。
ドン、と、城門の縁から土煙が上がる。
男が城門をそっと押すと、城内へと倒れてゆき、ドドン、と大きな音を立てて道は開かれた。
七人の騎士は声も出ない。
門の中は大広間となっており、騎士団が総員配置されつつある。警鐘は鳴り止まず、城内から次々と人が集められている。
男はふう、と息を吐く。
──うおおおおおおおおおお!!
騎士団員が雄叫びをあげた。地鳴りのように城内を震撼させ、男に襲いかかる、その時。
「待てい!」
たった一言。言葉で男への襲撃を制した男が、大広間の一番奥、王城の入口に立っている。
「副団長!?」
帝国騎士団副団長ウォルフ・ヴァン・グラード、またの名を白狼。それが彼の名前だ。
ウォルフの前方、左右に割かれて、人垣が作られ、一条の道が作られた。ウォルフと男の間に障害物はない。
構わず男は歩き出した。
刹那。
「動くな!」
ウォルフの一喝が、その場の空気を止める。
男は何事も無かったかのように、すたすたと歩を進めている。
見ると、男の背後から騎士団が襲いかかろうとしていた。
「死にたくなければ、動くんじゃない」
がらん、と男の背後にいた者たちの胴から下の鎧が落ちた。斬られた箇所は肌が露出していて、綺麗に見えた肌に一筋の紅い線が現れ、たらり、と鮮血が流れ始めた。
その場に居た者たちの背中に、ぬるりとした冷たい汗が流れる。
「いいか、誰も手を出すな! 俺はこの騎士団を壊滅させたくはない!
もう一度言う、手を出すな!」
言葉の後。騎士団は後退り、大広間から人がはけていく。
ウォルフは、少し前に出て剣を構えた。額にはいくつもの汗が光って見える。彼の側に居た者は、白狼と呼ばれた男が焦燥に駆られる様子に、驚きを隠せないでいる。
「剣聖、アルマンド様……ですね?」
「ウォルフ……そこをどけ」
ウォルフは首を横に振る。
「お前に、私を止めることなど出来まい」
「ここにはどうして……?」
「私の大切な弟子を迎えに来た」
「弟子……失礼ですが、アルマンド様は師弟関係を嫌っていたと聞いております」
「左様。しかし、ここにいるであろう? ルカ、と言う私の弟子が」
「あの
「
「しかし、そのルカと言う者は、ヴェロニカ様がお連れになられた
「……ヴェロニカめ」
「しかし、アルマンド様とは言え、すぐに解放するわけに参りません。これは天帝様の命令ですので」
「はっ、誰が天帝の命令を聞くのだ? この私に言っているのか?」
「力尽くでも、と、仰るのですか!?」
「……そうだ」
「そこを何とか、数日お待ちいただけませんか!? 必ず解放いたしますので!!」
「くどい!」
ウォルフは口を閉ざした。汗が滝のように流れているが、それを拭う様子はない。
ウォルフは決断しなければならない。眼の前の男と一戦交えるか、ルカと呼ばれる少年を解放するか。
その間にも、アルマンドは歩を進めている。
帝国騎士団である以上、天帝の命令は絶対だ。とは言え、眼の前の老人は覇国のアルマンド。国を一人で落とせる剣聖様だ。現に今、帝国はその危機に晒されている。
ウォルフは……。
剣を捨て、膝を折り、両手を地につけて、頭を下げた。
「ウォルフ様!?」
突然の副団長の行動に戸惑う騎士団員。しかし、そんな騎士団員の気持ちを他所に、ウォルフは言葉を紡ぐ。
「この通り! このウォルフに免じて、この場を収めてもらえませんか!? この命と引き換えでも構いません!」
「副団長!?」
「お前らは黙ってろ!!」
アルマンドはウォルフの前で足を止めた。
「お前の命がどれほどのものだと言うのだ?」
「それは……」
「私にしてみれば、虫けらほどの価値もないのぉ」
「く……」
「命をかける、とは」
ウォルフに目もくれず、アルマンドは歩み始めた。
「どう言うことなのか」
「アルマンド……様?」
アルマンドは城の入口、漆黒鉄で出来たドラゴンクロスの紋章が入った扉の前に立った。
「見せてやろう!」
ギン。
アルマンドは、扉のドラゴンクロスを真っ二つに斬り崩した。帝国に敵意あり、その意思表示を体現して見せたのだ。
「なっ!?」
「貴様とは覚悟が違う」
ウォルフは呆気にとられて、言葉にならない言葉を、口の中で呟いていた。
しかし。
「ほほう……覚悟だと?」
半分に斬られた扉の向こうの声に、アルマンドは聞き覚えがあった。
ポツリ、ポツリ、雨粒が落ちる。
アルマンドは扉の向こうから現れた、声の主へ胡乱な目を向ける。
「ピサロ大臣、か」
「久しいの、アルマンド。お主が帝国を裏切って、逃亡して以来になるか? ククク……」
「ふん、私はヘレン様に恩義を返す為に、忠告をしたまでだ。正直なところ、帝国など壊滅したとて何とも思わん」
ピサロと呼ばれた男は、手枷をはめた
「ルカ……」
「父ちゃん!? どうしてここに……」
「よし、生きていたならい良い。息災のようだな!」
「父ちゃん!」
アルマンドは、にっ、と笑い、腕をだらり、棒立ちになった。
「ピサロ大臣、そいつを……ルカを、返していただきたい。引いてはこの身、煮るなり焼くなりして欲しい!」
ピサロは表情を変えない。至極冷たい視線をアルマンドへ向ける。
「この
「ああ、私の愛弟子だ。頼む!」
「そうか……」
ピサロがパチン、、指を鳴らす。
スッ、と黒いローブの男が、アルマンドの背後に現れる。
「ぐぼっ!」
アルマンドの口から血が溢れ出る。
「父ちゃん!?」
「さあ、ルカを解放してくれ、頼む……」
「ククク……、誰がお前の願いを聞くと言った?」
「……きさっ、ぐばっ!」
更に大量の血を吐き出す。よろり、重心が傾く。
「ルカ……にげ、ろ!」
「父ちゃんも、一緒に!」
「おい、ルカ、私は、師匠だろ? 弟子は、言うことを……聞け?」
「……」
「返事は、……?」
「は、……はい」
ピサロが、嗤う。
「ククク……。逃げる? どうやって?」
「ふふ、お前に、教えて、やる義理は……かはっ!」
更なる吐血。そして胸元から血が滲み始める。
しかし、アルマンドは、にやり、と嗤い、続けた。
「……ないだろう?」
ざあ、雨は烈しく地面を叩きつけて、ごうっ、と風は横に薙いだ。
ピサロは目を細める。
ばちばちっ、とルカの身体に光が弾け。
「ゔぁ゙……あ゙ぁ゙……あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」咆哮。
「何だ!?」
ぶわっ、と、
ばきっ、弾け飛ぶ手枷。
ガラン、と落ちた手枷に、ピサロはハッとして、ルカが居ない事を知ると同時に。
その場の空気が、ばんっ、雨風と共に爆ぜた。
爆風の後、黒いローブの男は自分の目を疑う。ナイフはおろか、アルマンドの姿がなくなり、ぽたり、血が落ち、力無く崩れた。
「逃げたぞ!」ぼたり。
「追え!」ぼたり。
「く、なん……」ぼたり。
「だっ……」どさり。
ピサロの四肢が、ひとつ、またひとつ、と落ちて、そこに積み重なった。
残った騎士団は二人の行方を追うべく、散開した。
帝国中に警鐘が鳴らされ、騒然と二人の行方を探したが、この後、帝都で二人を見たものは居ない。
帝都から離れた森の奥。
鬼が現れた。
鬼は、ばちばち、と火花を蒔き散らし、額の角から閃光を放つ。
ぶわり、と逆立っていた髪の毛が、光の消失とともに収束してゆく。
どさっ。鬼が膝から崩れ落ち、その手に抱えるものに視線を落とした。
「父ちゃん!?」
返事はない。
「俺、父ちゃんを助けるために聖剣を借りに行っただけなんだ! なのに! なのに、こんな……」
ぼたぼたと、大粒の涙がアルマンドの顔に落ちる。
ふっ、アルマンドは静かに笑った。
「そうか、ルカ……お前は師匠想いの良い弟子、だ」
「父ちゃん、もう喋るな!」
「聖剣はな……天帝ではなく、お前のモノだ。お前……」
ごふ、口から血が抜き出す。
「私の自慢の……息子……だ……」
アルマンドの手が、力なく、ルカの頬に触れ。
眼を閉じ。
落ちた。
「父ちゃん、父ちゃん!?」
ルカは、何度も呼んだが、アルマンドは、笑顔だけを残し、二度と目を開けることはなかった。
「うわあああああああああぁぁ……」
降り続く雨はルカに、容赦なく現実を叩きつけ、哀しみの淀みへと沈めていった。
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挿絵:ルカ
https://kakuyomu.jp/users/dark-unknown/news/16818093079191616696
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