成長

 アルマンド・シグルズ・ベオウルフ、それが私の名前だ。

 

 かつては、剣で名を馳せた事もある。〜のアルマンドとか言う二つ名や、どこぞの名匠が打ったと云われる名剣も所持していた。

 その頃の私は、帝国とは敵対していて、長い戦闘の末に、野垂れ死にそうになっていたところ、ヘレン様に助けられたのだ。私は剣を捨てて、町人に紛れる事で、生き延びた。

 しかし、剣しか知らなかった私は、社会不適合者として一般社会から追放されたのだ。

 そこからは、ただ生きる為に、その日暮らしを余儀なくされて、食うや食わずの生活をしていた。


 ルカと出逢うまでは。


 ルカを息子として育てる事にした私は、まず、乳母を探さなければならなかった。

 私は貧民窟スラムを出て、帝国のもうひとつの闇、不夜城歓楽街へと足を運んだ。

 その昔、懇意にしていた数少ない伝手を使って、娼婦の乳母を充てがってもらった。歓楽街の娼婦の殆どは、妊娠したら墮胎するのが定石だが、中には生んで育てる者も居ないわけではなかった。そうして生まれた子らは、乳母によって育てられ、男なら養子に、女なら禿かむろ候補にしたと言う。

 私は高級娼館の用心棒を引き受けて、その稼ぎを全てルカの養育費へと当てた。


 ルカが乳離れをすると、すぐに歓楽街を出る予定だったが、娼館では教育を受ける事が出来たので、ルカが読み書きが出来るようになるまでは、留まることにした。


 ルカは中性的な美貌を持ち、娼婦の女たちにとても人気があった。中には、気の遠くなるような大金をチラつかせて、ルカを高級男娼に育てようとする女将たちの動きもあったが、私はもちろん、ルカのファンとも呼べるお姉様方からの働きかけもあって、我々は歓楽街を出ることにした。


「ルカ! 困ったことがあったら、何時でも私たちを頼んなよ!?」

「女に困ったらいつでも遊びに来るといいわ。 朝まで付き合ってあげる♡」

「あら、あんたなんかより、ルカは私の方が良いわよね?」

「なんですって!?」


「姉さん!!」


 錚々そうそうたる遊女たちの視線が、瞬時にしてルカに集まる。

 ルカは涙目になって、彼女たちを一人づつ、一人づつ、ゆっくりと見回し。いっぱいいっぱいになった気持ちを、思いのままに吐き出した。


「たいへん、お世話になりました!!」


 ルカは、上体を真っ直ぐにして、前方へがばっと倒し、綺麗なお辞儀をしてみせた。


 彼女たち口元や目元をハンカチで抑えて、ルカを囲んで、別れを惜しみ、我々が見えなくなるまで手を振っていた。


──この時、ルカは十歳



 私は、ルカを独りでも生きていけるようにしなければならない。


 この世界で、独りで、生きる。


 つまり、強さが必要だ。


 彼に教えられる私の強さなど、剣の他にはなかった。


 帝都から少し離れた場所にあるミズガル湖のほとりに、帝都教会の教皇が統治しているサン・マグダラ大聖堂の街『マグタラ』


 この場所を選んだのには理由がある。第一に、剣を教えるのに適している。次に、食うに困らない。この二点だ。


 私は彼に必要最低限の生活術と、剣術を教え込むことになる。


「ルカ……」

「なあに、父ちゃん?」

「今日から私のことは父ちゃんと呼ぶな」

「じゃあ、何て呼べば良いの?」

「師匠、もしくは先生。そう呼びなさい」

「ししょう?」

「そうだ」

「わかったよ、父ちゃん!」


──びしっ! 木の枝で叩く


「わ、痛っ!! 何すんのさ、父ちゃん!?」


──びしっ! 木の枝で叩く


「私はもう、お前の父ちゃんではない! 師匠と呼べ! そう言ったであろう?」

「むぅ……わかった、ししょう! これでいい!?」

「うむ、それでいい」


 かくして剣の修行は始まった。

 しかし、剣の修行と言っても、彼はまだ剣を振れるほどに身体が出来ていない。なので。


「ししょう!? これ、いつまでやれば良いんですか!?」

 

 ルカは私を背負って山を走っている。

 

「一生やってろ」

「そんなぁ!?」


──びしっ! 木の枝で叩く


「痛っ!?」

「口答えは許さん」

「くそう! やってやる!!」

「あの山を越えたら腕立て千回、次の山を超えたら腹筋千回、その次の山を超えたらスクワット千回。これをワンセットだ」

「くっ……ころ……、はい、ししょう!!」


 ルカは、私に口答えをすることもなくなり、どんな鍛錬も素直に受け入れた。


「師匠! 師匠の分も持って帰りました!!」

「おお、今日は礼拝の日か。よくやった、飯にしよう」


「師匠! 先日、帝都と隣国で戦が終わったので、行ってまいりました!」

「そうか、明日は街に出よう」


「師匠! 今日はコレしか無いって、すまなさそうに店主が渡してくれました!」

「そうか、下ごしらえが必要だな」


「師匠! 今日のハコモノです!」

「でかした! 今晩はご馳走だ」


 生活術の方も滞りなく教えている。ルカは筋がいい。この先も食うには困らないだろう。もちろん、サバイバル術も教えている。


──そして、ルカは成人だ



 私はルカに、少しずつ剣術を教え始めた。


「師匠、これ、いつまでやればいいんですか?」


 ルカは木刀を持って素振りをしている。剣を身体の中心で持ち、脚運びはすり足で、身体の重心の移動を意識して一気に踏み込み、切っ先のその奥へ素早く振り抜く。それの繰り返しだ。


「一生やってろ」

「はい、喜んで!」


 聞き分けも良くなった。彼は非常に筋がいい。それでこそ教え甲斐があるというものだ。


「師匠、そろそろ型を教えてください」

「ルカよ」

「はい師匠!」

「剣は形ではない、心だ」

「心!?」

「そうだ」


 私は右手の人差し指を立て、ルカの動きを制す。


「見ていろルカ。これが剣というものだ」


 私はひとつ息を吐く。


 ひゅっ、と息を吸い、止める。おもむろに、右脚を引く。人差し指をそのままに、右手を薙ぐ。ぴたり、と止める。

 ふっ、と息を吐く、止め、重心を前に移動させて、右脚を一歩、前へ踏み込み、右腕を突き出す。

 ふうっ、と更に吐き、止める。左脚を擦り寄せて、右手を胸に当て、手刀を作り、腰を落とし、足元に突き立てた。かに見えたが、元の立ち姿に戻っている。

 残りの息を全て吐き切り、暫しの静寂。


 そして力を抜いて姿勢を解いた。


「今のはどう言った型なのですか?」

「言ったであろう? これは型などではない、心なのだ」


──ドドンッズズズゥン……ファ……


「なっ!?」


 ルカの後ろの木が真横に切断され、その横にあったはずの岩が砕け散り、跡形もなくなった。かと思えば、足元にあった朽ちた丸太から葉が伸びた。


「師匠!? 意味が解りません!! 教えてください!!」

「動に入る前から心を静める『前心』

 動に入れば、力まず、気をゆるめず、技が静の時でも心は静止せず、激しく動いている時でも心は平静を保ち、気迫のある動を演ずる『通心』

 気持ちを充実させ、少しの雑念も残さず終了する『残心』

 それが剣の心だ」

「これが心……? だとしても、今の動きと事象とが繋がりません! 指一本ですよね!? それに、最後の葉っぱがにょきっと伸びるの、何なんです!?」

「……もうひとつ。剣は人を斬るものに非ず」

「では、何を斬るのです?」

「そもそも、剣を斬る道具にしか考えておらぬのが間違いなのだ」

「師匠、剣とは!?」


 ……眩しいのお。見開いた瞳が、活き活きとしておる。まるで、若い頃の自分を……いや、こんなにキラキラしていた覚えはない、な。


「剣とはの……げほっげほっ……」

「師匠!? 大丈夫ですか!?」

「心配いらん。いつもの咳だ」


 私は袖に着いた血をルカに見えないように隠した。


「剣とは人を斬るに非ず、人を活かすものなり。

 世の中には『聖剣』と呼ばれる業物わざものがあるが、あれはまさにそれだ。人を殺める道具ではないのだよ、剣は」

「人を、活かす……」

「そうだ。私がお前に教えているのは、そういった剣だ」

「解りました、師匠!!」

「わははははは! まだ解らぬであろう!?」

「はい! 全然解りません!」

「わははははは!」


 ルカは良い。


 実に素直で淀みがない。すぐにでも私など追い越してゆくのだろう。しかし……


 時間がない!


「ルカよ」

「はい、師匠?」

「もし、私が死んだら──」

「──師匠!? そんな不吉なことを言わないでくれ!」

「私が死んだら、お前はお前の人生を、好きに生きるが良い」

「俺は……師匠がいなければ……」

「ふふ……。いい加減、親離れせんか、もう成人だろう?」

「いくつになっても師匠は俺の父ちゃんだ! 家族だ!」

「人と言うのは、いつか別れと言うものが来るもんだ。お前はまだ若いからわからんだろうが、私はその時のためにお前を育ててきたのだ」

「父ちゃん、そんな悲しいこと、言うなよ……まだ生きてるだろ?」

「そう、だな。しかしルカよ。人は死ぬ」

「嫌だ!」

「人は死ぬのだ」

「……」

「……しかしなあ、ルカよ」

「……うん」

「本当に人が死ぬのは、いつだと思う?」

「……息を、しなくなった時?」

「違うな?」

「じゃあ、いつなの?」

「名前……その者の名前を、誰にも口にされなくなった時、だ」

「じゃあ、じっちゃんは俺が死ぬまで死なねぇな!?」

「ははっ、そう、かもな?」


 私も耄碌もうろくしたな。ここに来て、この世に未練が出来るとは……。

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