9/9 終着点

*終着点



 Lにとっては不幸なことに、S市の海岸線には高い岬や断崖のようなものはない。どこまでも砂浜と防風林が続いている。道路は、海を隔てて防風林のこちら側にある。海が見えるのも時々だけだった。


(わたしはこのまま死ねないのかな)


 とLは思う。決断が付かないわけではない、死ぬに足る場所が見つけられない、その焦燥感だけがあった。(自分は「Kの昇天」の主人公のように砂浜で死ぬことが出来るだろうか。それほど自分は徹底しているだろうか……)Lは訝った。


(このまま自動車がガス欠を起こす場所まで走っていって、そこで海に飛び込むというのは?)


 だんだんに、Lの脳裏には荒唐無稽な考えが渦巻きだす。死ぬ前にガソリンは満タンにしておこう、と考えて、Lは一度ガソリンスタンドに立ち寄った。スタッフが笑顔で迎えてくれる。そして、Lは仏頂面。これではまるでコメディーだ、と思わないこともない。


 結局、S市の港のそばで自動車を止めることにした。


(ここから、海に入っていけば良い。溺死は出来なくても、凍死ということなら出来るかもしれない。じゃあ、わたしは夜まで待つんだろうか……)


 結末はすぐそばまで迫っていた。Lの友人たちが、Lの父親が、この後生きてLに会うことはないだろう。Lはそのことを確信していた。では、どうして自分は死ねるのだろうか。どうして、死ぬということが分かっているのだろうか。砂丘のような砂浜を、Lは海に向かって歩いていく……それは昨夜の彷徨の続きのようにも感じられた。不思議なことに、眠さやだるさは一切感じなかった。


 見慣れた花である浜昼顔の開花時期はもっと後で、砂浜には浜豌豆の花だけが小さく咲いていた。


(そうだ、こんな時期に海に来たことはなかったのだったっけ……)


 冬の海の色は青というのには程遠くて、グレーの混じったターコイズのような色をしていた。それは、空が曇り空であるのも関係していたかもしれない。が、そうでなかったとしても、その日の海の色は濃い藍色のように見えたのではないだろうか。Lは、死出の旅というものにここが本当にふさわしいのか、疑問に思った。


 左手を見渡すと、S市の港があり、停泊中の船やクレーンなどが見えた。右手には、ずっと砂だけが続いている。


 と、その時だった。Lは自分の背中がうずくのを感じた。「かゆい」というよりも「痛い」という感覚がする。身体は中から火照って、熱さにたまらない気持ちになる。Lは急いでコートを脱いだ。Lはその場にしゃがみこんでしまう。


 背中のうずきはだんだんと強くなっていく。セーターの後ろが盛り上がるのを、Lは感じた。それが何なのか、Lには分かるような気がする。


(待っていたのは、死ではなかったのだ!)


 と、Lは直感する。そして、セーターの縫い目を突き破って、最初の羽根が現れた。それは、まさしく天使に生えているような翼だった。――「Kの昇天」? 「ベロニカは死ぬことにした」? ……生ぬるい。それは死よりも激しい苦痛だった。


(わたしは羽化してしまう)


 と、Lは思う。赤ん坊が産道を貫いてこの世界に現れてくるように、Lの背中からは翼が生えていた。それは、Lの身体を中空に持ち上げられそうなほどに、大きくなっていく。


(わたしを待っていたのは、「死」ではなかった……)


 ――Lは再び思う。


 常人にはとても耐えられそうにない苦痛の後で、Lは完全に羽化していた。その翼をはばたかせると、身体が地面から20~30cmは浮き上がる。そうして羽ばたきを繰り返すごとに、Lの身体はだんだんに地面を離れていく。


 恍惚感など微塵もない、それは新しい「生」だった。


(わたしは天使になったのだろうか、悪魔になったのだろうか?)


 今のLに、それを確かめる術はなかった。ただ、羽ばたいて上空へ行くにつれて、S市の街並みが小さく見えた。友人や知人たち、父親の影がそこに透けて見えるような気がした……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Lの昇天 白石多江 @tae_392465

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ