第3話 黒魔術の魔導書


「どうかしましたか……?」

「魔導書の封印が解かれた過程がどうであれ、貴様のせいであることに変わりはないと判断しただけだ」

「ええ!? だから事故って言ったじゃないですか! 魔導書の封印を解いたのはボクの意思じゃなく操られたって兄さんも納得していたでしょ!」

「黙れ、兄さんと呼ぶな」

「ごめんなさい……」


 兄さんと呼んだだけで視線がさらに鋭くなる。

 心の底から嫌そうな表情をしている。

 兄妹の初めての邂逅だというのに、すごく冷たい人だ。


「あの魔導書は本来、一般生徒に知られてはならない禁忌そのものだ。学院長の指示で中身の解析を慎重に進めていたのだが俺の想像よりも遥かに禍々しい代物でな、解析が難航していた」


 一般生徒に知られてはならない禁忌?

 学院長からの指示?


 サラッととんでもないことを言ったような気がしたけど、話を折ると怒られそうなので黙って聞くことにした。


「薬剤学会の活動を並行していたので随分と時間がかかってしまったが、つい最近ようやくあの魔導書が何なのかを導き出すことに成功した。貴様は”黒魔術”というものを知っているか?」


 ”黒魔術”という単語にひっくり返りそうになった。

 知らない人間が果たしてこの世にいるのだろうか、と思われるほど忌み嫌われている魔術。


 何度でも言うけどボクは魔術の知識が浅い、そんなボクでも知っているヤバいものなのだ。


「分かりやすい反応で有り難い。”黒魔術”は魔術協会において使用を許されていない最も危険な力だ。その要因となったのは二千年前、一度人類史が滅びかけたあの事件にある」


 ロベリア兄さんは深刻そうな顔を作り、話を続けた。


「空から飛来した謎の物質が世界中に蔓延して、それを取り込んでしまった人間は突如と凶暴化、他者を襲い喰らう化け物へと変貌した。当時、まだ魔術というものが発展していなかった人類はなす術がなく六割滅ぼされてしまった。だが、我々がこうして普通に暮らせているのは”魔族”のおかげだ」


 魔族。

 耳長族エルフ小人族ドワーフ獣人族ビーストなどボクたち人族とは異なる種族の者たちをそう呼ぶ。


「人類は不思議な力を持つ彼らを恐れていたが、逆にその力によって救われる結果となった。人類を脅かしていた謎の物質は魔族たちの手で地下深く封印され、それがキッカケで人類は魔族と友好関係を築き魔術を発展させていった。これがどうして黒魔術と結びつくのか、もう薄々察しているだろう?」

「えっと……謎の物質こそ黒魔術だからですか?」

「厳密に言うと”黒魔術”を構成する”黒魔力”というものだ」


 あ、そうか。

 魔術は魔力で構成されているし、普通に考えたら黒魔術も一緒か。


「あれから二千年たったが謎の物質”黒魔力”による事件が完全に途絶えたわけではない。世界を巻き込んだ悲惨な歴史を知ってなお、”黒魔力”を悪用しようとする連中は絶えなかった。そのたび、魔術協会に根絶やしにされてきたが。人の探究心は底を知らない。五百年前、黒魔力の回収に成功して魔導書に埋め込んだ男がいた」


 ロベリア兄さんが言おうとしている事が分かって嫌な汗が流れる。

 え、じゃ、つまりあの魔導書は――――



「どうやら俺が解析していた魔導書は、その男が残した”黒魔術の魔導書”らしい」

「ギャアアアアアアアアアアア!!!」


 堪えきれず猫のように飛び跳ねて、その勢いで家の玄関にめがけて全速力で走る。

 ヤバいことに巻き込まれてしまった。


 来るべきじゃなかった、関わるべきじゃなかった。

 もう、この家に近づかないようにしなければ。


「待て、奇声を上げながら逃げようとするな」


 フワリと体が浮いて、前に進めなくなる。

 ロベリア兄さんの魔術だ、ズルいぞチクショー!!


「当たり前じゃないですか! そんな危険なものが関わっているなら、こんな所に来ていませんよ! だから離してください! このまま逃げさせてください!」

「あの魔導書が何なのかを知らずに俺に預けた学院長と、興味本位で解析していた俺に責任がある」

「だったら……」

「だが、こうなってしまったのは貴様が許可なく俺の家に入ってきたからだ。事故だとはいえ魔法陣の結界を解除したのは貴様だ。どうやってやったのかは後々実験するとして、このまま何事もなく自身の責任から逃げられると思うなよ?」


 ロベリア兄さんの怖い顔が鼻の先まで迫ってきて、息を飲んでしまう。

 自覚はないけど結界を解いてしまったのはボクだ、そのせいで黒魔術の魔導書が解放されてしまった。

 学院の皆を危険にさらしてしまったのかもしれないのだ。


 冷静になって考えてみると、ボクってかなり最低じゃないか?

 厄介な事態になったのに、その事実から目を逸らして逃げようとしている。


「ボクは……どうすればいいんですか?」


 涙と鼻水を垂らしながら、泣きそうな声でロベリア兄さんに訊いた。

 グショグショになったボクの顔を見てロベリア兄さんは若干引いていたが、冷静に話してくれた。


「魔術学院は外部からの脅威を警戒して、常に広範囲の強力な結界を三重に張っている。魔導書が学院の外に出るのはまず不可能だと考えて良い。捜索の範囲が学院内で収まるのは好都合だが、そうなると何処かで必ず魔導書による被害が発生するだろう」

「そんな……」

「そうなる前に俺達で一刻も早く魔導書を見つけ出し、封印するしかない」


 黒魔術の魔導書を封印する。

 学院トップの秀才だけあって簡単に言ってくれる。

 落ちこぼれの道まっしぐらのボクとは能力も考え方も天と地の差だ。


「それなら学長に協力してもらいましょうよ、あの人も一応関係者だし……」

「却下だ。奴にはまだ魔導書あれが黒魔術に関するものだと報告していない。協力を要請してみろ。贔屓めに見られている俺は軽い処分で済むが貴様の場合はそうはいかない。退学はまず避けられないだろうな」

「うっ……確かにそれは困ります」


 貴族が退学処分とか笑えない。

 父さんは優しい人だから許してくれるかもしれないけど、退学者というレッテルは一生だ。

 世間に馬鹿にされたまま生きていくことになる。


「災いはときに兆候もなく起きるものだ。我々はただ知恵を絞って手探りで降りかかる逆境を乗り越えていくしかない。それこそが人類の諦めの悪さであり叡智である」

「兄さん……」

「呼ぶな、自分に言い聞かせただけだ」


 励ましてくれていたかと思ったら自分に対してかい!

 確かに頭は良いけど、どこかズレているなボクの兄さんは。

 ていうか見た目も考え方も似ていない、本当に兄妹なのでしょうか父さん?


「それで、貴様はどうする? 責任を放り投げて逃げるか? それとも残るか?」

「……っ」


 本音をいうと怖い。

 きっとボクが想像しているよりもずっと大きなものと戦うことになるかもしれない。

 だけど、だけど。


「逃げない……ボクは逃げません……!」


 ボクのせいで誰かが傷付くところなんて見たくない。

 責任から逃れるように耳を押さえ両目を瞑って、いつか訪れる災いに見舞われるまで、知らないフリをして過ごしたくない。


「ロベリア兄さ……先輩と一緒に戦います! だから、どうかボクに魔術を教えてください! お願いします!」

「そうか―――」



 家の外に放り出された。

 受け身を取らなかったら首が折れるか脳震盪を起こすところだった。


「ちょっ、ロベリア先輩!? なんでゴミみたいに捨てるんですか!?」

「黒魔術の魔導書のせいで壁を直さなければならなくなった。邪魔だから、貴様はもう帰れ。シッシッ」


 だからって覚悟を決めた直後に捨てることはないでしょ。

 まったく、やっぱりどこかズレてるよこの人。


 魔術師とは性格がネジ曲がっている人の集まりだと、結界魔術のことについて話していたクラスメイトが言っていたのを思い出す。

 ロベリア兄さんは当てはまるっちゃ当てはまるな。


「もう、粗粗しいひとだなぁ……」


 まだ新しい制服についてしまった土や枯れ葉をはらい、来た道を早歩きで帰る。

 こっちはこれでも女子なのに、なんてひどい扱いなのだろうか。


 学院の先輩たちがどうしてあの人を怖がっていたのか理解したような気がする。

 他人への配慮が絶望的にできない人間なんだ。


「おい、待て」


 後ろから扉が開く音が聞こえて、立ち止まる。

 だけど苛々しているので腰に手を当て頬を膨らせたまま、扉から顔をのぞかせるロベリア兄さんを見つめる。


「まだ名前を聞いていなかったな。これから一緒にやっていく仲だ、一応聞いてやろう」


 名前を知らない? 父さん手紙にボクの名前を書いてなかった感じ?

 仕方ない、ずっと上から目線なのが引っかかるけど名乗らないのは学んできた礼儀作法に反する。


「リアムと申します、リアム・クロウリー」


 ぶっきらぼうに答えると、ロベリア兄さんは小さく「そうか」と呟いてからゆっくりと近づいてきた。


「俺も改めて名乗るとしよう。ロベリア・クロウリーだ、不本意だがこれからよろしく頼む。妹よ……」

「えっ……?」


 体が固まって、顔が熱くなっていく。

 照れている、初めて会った人に妹だと認められて照れている……。


「え、ええ。こ、こちらこそ……! またお逢いしましょ!」


 無意識に唇が釣り上がっていくのを感じ、ニヤ顔を見られたくないので全速力でその場から逃げ出してしまった。


(恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい!)


 校舎までの距離、数キロメートル。

 一度も休むことなく一直線に走り抜いたのだった。

 次の日、クラスメイトほぼ全員から冷たい視線を向けられるハメになった。




 この出来事が、魔術学院を大きく揺るがす事件になるとはボクはまだ知る由もなかった。


 多くの出会いと別れを繰り返し、ときには助け助けられ、悠々自適な魔術学院生活を送るボクたちの元に、その災いは突如と降りかかった。


 しかし、それはまだ先の未来の話である———

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傲慢な魔術師との悠々自適な魔術学院生活 灰色の鼠 @Abaraki123

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