第2話 魔法陣の結界
「―――誰の差し金だ? 魔導傭兵団か? いや……俺の結界を容易く破いたからな。随分と手慣れている、神聖国の連中だな?」
瞼を開けると、逆さまの男がこちらを覗き込んでいた。
いや、実際に逆さまになっているのはボクの方だった。
縄で天井に吊るされているのではなく、なんらかの魔術で体を浮かされていた。
目の前で意味の分からないことを訊いてくる男は、世界中にいる女性の理想を詰め込んだようなイケメンだった。
怖い顔で睨みつけられるが、燃えるような真っ赤な双眸を向けられ胸がドキドキしていた。
男の肩まで届く銀色の髪に見惚れそうになり、思わず目を背けてしまう。
ボクじゃなかったら卒倒している。
「ふん、目を背けるということは図星か……ここで貴様を処分するとしよう」
男は立ち上がって人を殺せるくらいの魔力を手に込める。
逆さまで動けなくなっているボクに標準を定めて、
「待って! 待って! ストップ! 何を勘違いなさっているのか存じ上げませんが! とりあえずボクは無実なので殺さないでください!」
この上なく慌てた様子で命乞いしてしまう。
男は魔力を抑え、さらに怖い顔で詰め寄ってきた。
「その校章の色……新入生なのか?」
「あ、え、ええ! そうです! 実は、この森で薬剤学会で活動をしている兄を探しておりまして! 教員から貰った情報でこの家にたどり着いて……その」
「兄だと?」
よく見れば、この男も魔術学院の生徒なのか制服を着ている。
校章の色は、三期生か。
ん、三期生で森の奥にいる……もしや。
まだ警戒をしてきているので、刺激をしないように声量を抑えながら男に質問を試みる。
「もしかして貴方の名前……”ロベリア”だったりしません?」
「……」
「父から手紙は、届いてたりしませんでしたか……?」
話が通じたのか、男は逆さまになったボクの体を床に下ろしてくれた。
ところが彼に気遣いというものが欠如しているのか、浮いている状態で魔術を解かれたせいで、頭から床に落下してしまう。
「痛たたっ……」
受け身を取らなかったら、首が折れるか脳震盪を起こしていたところだった。
だけど男の反応からして認めたくないけど、この人がボクの兄で間違いないようだ。
「父さんからの手紙ならとっくに届いている……」
兄さんは深い溜息を吐いてから、床に描かれた魔法陣を見つめる。
そこに置いてあったはずの、ボクを飲み込もうとした禍々しい本は無くなっていた。
あの魔法陣が何なのか、あの本が何だったのか一つも分からないけど。
ボクがあの本に近づいたことで魔法陣を踏んでしまい、そのせいで本が消えてしまった。
大事な本だったのか、兄さんは神妙な表情で魔法陣を見つめ続けていた。
「あのっ……わざとじゃないんです。この部屋を通りかかったときに、体が勝手に動いて……それで」
「いちいち説明されずとも分かっている。貴様は思考を魔導書に操られ、魔法陣の”封印結界”を解かされただけ」
魔法陣が結界なのは初めて知ったし、あの本が魔導書……?
魔術の知識に疎いボクでも魔導書が何なのかぐらいは知っている。
魔術全盛期の時代の魔術師が書き残したとされる最も貴重な魔術道具の一種。
歴史書や古い文献を読み漁った学者たちによると魔導書10冊存在しており、現在になっても4冊しか発見されてないらしい。
こちらに振り返った兄の顔は、本当に納得していない様子だった。
怒っているわけではなさそうだけど、なんか怖い。
「だが魔導書を封じていた”封印結界”は新入生に解かれるほどヤワな作りではない。貴様、何をした……?」
「え? 魔法陣を踏んだだけですが……」
「真面目に話せ。俺は自身の能力を目当てに近づいてくる阿呆の次に、冗談を話す馬鹿が大っ嫌いだ」
「冗談じゃありませんよ! 本当に魔法陣を踏んだだけで耳元に何かが割れるような音が聞こえてああなったんです!」
”結界魔術”とは指定した範囲を魔力による壁で囲み、外部と内部を隔離する魔術。
主に物理的なものによる攻撃から身を守る”
さらに四期生に上がると”封印結界”の解除方法も学ぶらしい。
これらを身につけるか身に付けないかで魔術師としての将来が大きく左右され、結界魔術を完璧にマスターした者は一人前の魔術師として認められるとクラスメイトが話していたのを思い出す。
「新入生の貴様がこの俺の封印結界を解いた、それも短時間で。通常では有り得ないことだ」
プライドがお高い人なのは見た目からして伝わってくる。
入学から首席を約束された秀才の封印結界を、新入生のちんちくりんに解除されるなんて前代未聞だろう。
だけどコッチからしたら結界なんて見たことも触ったこともない。
ボクが魔法陣を踏むと同時に結界の効力が切れたとしか思えない。
「父さんの手紙には、デキの悪い妹に魔術を指南するようにと書かれていた。父さんと貴様の話を聞く限り、結界を偶然解いたのは嘘ではなさそうだな」
兄さんは魔導書の消えた現場である部屋から退室、暖炉のある居間の窓の前に立ち止まった。
さっきまでカーテンを閉めていたはずの窓なのだが何かに壊されたかのように穴が空いていた。
開口部だけではなく壁も派手に破壊されている。
「魔導書はここから逃れたか……」
兄さんはバツの悪そうな顔で近くの椅子に座って腕と足を組んだ。
「ひとまず貴様を信じることにしよう。そうしないと話がいつまで経っても整理できないからな」
プライドの塊かと思っていたけど、意外とあっさり信じてくれた。
ここまでの経緯を整理しよう。
父さんの指示で魔術を上達するために、学院の森で”薬剤学会”の活動をしている兄ロベリアの元へ行く。
↓
”薬剤学会”の拠点である家に入るが、そこに誰もいないにも関わらず勝手に入ってしまう。
↓
魔導書が魔法陣の結界で封印されている部屋にたどり着き、魔導書に操られて結界を解いてしまう。
↓
魔導書から放たれている瘴気に飲み込まれそうになったが、駆けつけた兄ロベリアに助けられる。
↓
魔術において最も貴重とされる魔術道具の魔導書を盗もとしたと疑われるが、それが勘違いだというボクの証言を信じて現在に至る。
ここでボクの疑問。
・どうして魔導書を持っているのか。
・どうして禍々しい魔導書なのか。
・どうして何もない部屋で封印していたのか。
兄ロベリアの疑問。
・何故、森に張り巡らせていた”感知結界”にボクが反応しなかったのか。
・何故、魔導書を封印していた強力な結界をボクは簡単に解除できたのか。
・逃げた魔導書は何処に行ってしまったのか。
こんな感じで情報を整理して、ボクへの疑いが完全に晴れたと思った矢先にまたロベリア兄さんに睨まれてしまう。
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