第四話 ツイ廃ヒキニート、脱走する。

 目を開け、誰も居ない部屋をぐるりと見渡し、大きく息を吸って起き上がった。

体調はまだ回復しておらず、ひどい頭痛でもう一度ベッドに倒れ込んだ。

今度大きくため息をついてベッドに沈み込んだ。


「煌さん、ですか...」


 独り言をつぶやいたと同時に、部屋の扉を開けて煌さんが入ってきた。

手にはおかゆの入った小さめの土鍋があり、私の近くにあった机の上にそれを置いた。

彼は部屋の照明をつけて、私に言った。


「かれこれ、十五時間以上は眠っているが、大丈夫か?」


「頭は痛いですが、もう少し眠っていれば良くなると思います」


すぐに煌さんがハッとして私に言った。


「超能力で治せたりってしないのか?」


 実を言うと、それはできないことはない。だが、そうしてしまえば、エネルギーを一気に消費して数年間は眠ったままになってしまうのだ。

私は彼にそれを伝え、謝った。


 彼は良いよと言ってくれたが、私はどうも申し訳なく思ってしまい、彼が部屋から出ていくまで押し黙ったままだった。


「はぁ...」


 私が大きくため息を付き、脈打つような頭痛に顔を歪めていると、煌さんもう一度部屋の中に入ってきて、私に粉薬を差し出した。


「ほら、これ飲みなよ。結構強い薬だから、多分すぐに良くなると思うよ」


 私はその薬を受け取って、飲んだ。

苦かったので直ぐに水で全部流し込んで、ぼーっとしていると、すぐに副作用で眠くなってきた。

そのまま眠気に身を任せて私は深い眠りについたのだった。


 ◆


「神夜ちゃんはどうだった?」


 看病疲れしてソファにぐったりと寝転ぶ僕の額に、冷たいアイスを置いて葵は言った。僕はアイスを取って蓋を開けて立ち上がり、キッチンにスプーンを取りに行った。


「まあ、今のところは大丈夫じゃないかな。ただの風邪だろうし、風邪薬も飲ませておいたから、明日の朝にはすっかり良くなってるだろうさ。それで、葵。お前は一体いつまで僕の家に居るつもりだ?家族に連絡していたとしても、こんなに長いこと居たら、葵の親に変な解釈をされるかもしれないだろ?」


僕がそう言ってアイスを口にすると、葵は僕にずいと近寄ってきて言った。


「じゃあ煌くんは、私じゃ嫌なの?」


 葵はわざとらしく顔をとろんとさせて僕を見つめていた。

次第に僕のほうが恥ずかしくなってきて目をそらすと、彼女は笑った。僕はすかさず葵に訂正するように言った。


「良いか?僕は葵に発情したとかそんなんじゃないんだ。ただ、葵の顔が、その、何て言うか...ちょっとエッチな気がして...」


 段々と言葉選びに迷い、戸惑う僕を横目に、葵は棒アイスを取り出して食べ始めた。

暫く二人共何も言わずに時間だけが流れていったが、急に葵がハッとして言った。


「あ、当たったよ!煌くん、ほら見てこれ!」


 葵は昔に戻ったかのように甲高い声で僕にアイスの棒を見せた。

そこには『当たり』の三文字が書かれていた。

僕はどう反応すればよいか分からず、一瞬たじろいでしまった。

その瞬間に、さらなる反応をもとめて、葵がもう一歩、僕に近づき、肩の触れ合うほど近くに来た。


 葵も直ぐに自分のやっていることにハッとして離れようとしたが、運悪く、そのタイミングで神夜が一階に降りてきた。


「あ!神夜!これは、その、違うんだ。決してそう意味じゃないから!」


「わかってます!!」


 過去一大きい声を出して、神夜はもう一度に階へと走り去っていった。

悪いことをしてしまったと思い、神夜のもとへ行こうとすると、葵が僕の服の裾を掴んで制止した。


「まだ、今は行かないほうが良いと思う。一旦私は帰るから、また神夜ちゃんが降りてきたら、早く帰ってくるようにだけ言っておいてね。じゃ、私は帰るね」


 僕は彼女の背中を見送ったが、何故かその時の彼女の背中はとても小さく見えてたまらなかった。


 それから、一人になって暫く経ち、僕はやることがなくなって取り敢えず自室に戻っていつも通りPCゲームを起動した。チャット欄を見ると、見慣れない名前のメッセージが一通。名前は...神夜?

急いで中身を確認してみると、そこには、ただ一言、こう書かれていた。


『さよなら。どうかお幸せに』


 僕は急いでPCの電源を落とし、神夜のいた部屋へと向かい、扉を思い切り開けた。


「神夜!」


 僕が呼びかけても、一切返事はない。窓だけが開いていて、裸足で外に飛び出したのだろう。幸い、落ちた瞬間に死んだということはなさそうで、そのまま今も逃げているようだ。


 僕は急いで靴を履いて夕方の住宅街を走った。近所のペットショップにも、コンビニにも、コインランドリーにも、銭湯にも、どこに聞いても神夜を見たという人は現れなかった。


 僕は暫く考えた後、葵に電話をして、一緒に探してもらうことにした。


 取り敢えず近くの公園で待ち合わせて、僕は公園のブランコに座って葵の到着を待っていた。

五時を知らせるチャイムが鳴り響き、遊んでいた子どもたちが一斉に帰り始める。

そして、子どもたちと入れ違うようにして葵が公園に入ってきた。


「神夜は、帰っていないんだね?」


 僕が聞くと、葵はコクリと頷いた。

夏のおかげでまだ少し明るいが、じきに暗くなる。そうなれば見つけるのは難しくなるだろう。


 僕は葵と短く言葉をかわした後、二手に分かれて創作を開始した。

手当たり次第に探しても意味がないと思った僕は、神夜が行きそうなところに目星をつけ、そこを探すことにした。

しかしここで問題発生。ツイ廃ヒキニートの行くところってどこだ?

第一、まだ風邪も完全には治っていないはずだ。なら、高架下とか、暗いところに隠れているのか?いや、神夜に限ってそれはないか。


 じゃあ...あそこか。


 ◆


 高架下に隠れて数時間。外の日はすっかり落ちて、点滅している街灯の光だけが私を照らした。


 勢い余って家を飛び出したが、正直、これからどこに行こうかなんて皆目見当もついていない。もう一度葵の家に戻って引きこもってもバツが悪い。


 あんな事を書いて飛び出してきたのだ。煌さんも必死に探してしまうだろう。

悪いことをしたと今は思う。


 じかし、あの時の私は、何故か心の底から不快感と孤独感を覚えたのだ。

そういうことではないと、分かってはいても悲しくなってしまう自分がいた。これは独占欲というものだろうか。もう、考えたくもない感情の在り処に、この数時間、ずっと悩んでいる。


 取り敢えず私は高架下から這い出て、外を歩いた。

誰にも見つからないように、できるだけ街灯のない、路地裏を歩き続けた。


グゥ...


お腹が空いた。

そういえば最後に食べたのは煌さんのおかゆだったっけ。

もう丸一日何も食べていないことになるのかな。


「はぁ...お腹すいたな」


 そう呟いた途端、私の鼻を、懐かしい匂いが通り過ぎた。

ハッとしてその方向を向いてみると、ほんの数日前に食べたばかりのラーメン屋があった。

こんな所まで来てしまったのかという少しの罪悪感と、空腹をどうしても見たいという思いが、私の中で渦巻いた。


 結局、空腹には勝てずに、店内に入ることにした。

暖簾をくぐり、扉を開けると、久々の店内の景色が目に飛び込んできた。


「お!やっぱりここに来たんだな、神夜。探したぞ」


 私は一体全体何が起こっているのかさっぱり分からなかった。


「え?なんで煌さんが此処に?」


 取り敢えず反射的に浮かんだ言葉を吐き出して、私はその場に立ち尽くした。

煌さんはニヤリ笑って言った。


「神夜なら此処に来るかもって思ったんだ。ただの直感さ」


 私は彼の顔を見ているだけで、罪悪感がこみ上げ、今にも潰されてしまいそうだった。

だんだん過呼吸になってきて、私は一歩、後ろに下がった。


なにか、柔らかいものが背中に当たり、驚いて後ろを見た。


「やっと見つけたよ。神夜ちゃん。さ、食べよ!」


いつの間にか背後に来ていた葵に手を取られ、私はなすすべもなくそのまま葵と煌さんに挟まれるようにして座った。


「今回は僕が払うから、好きなの頼んでくれて構わない。無銭飲食は無しだぞ」


 煌さんは私にそう言って財布を出した。

私が急いで首をふると、煌さんはあいも変わらず優しく、宥めるように言った。


「食べなきゃ体力はつかないだろ?話はそれからでも良いんだ」


私は拳を握りしめて叫んだ。


「なんで、なんでそんなに優しくするんですか!!他人なんですよ!?ほんの数日前にあったばかりなんですよ!?それなのに、それなのにぃ...」


私の目からは、気づけば大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちていた。

そして、何も言えなくなった私の肩を叩き、煌さんは小さくため息をついて言った。


「...大切な友達だと思ってるからに決まってるだろ?そりゃあ、確かに会ってまだ数日だけど、お前もお前なりに苦労して外に出て、それで僕と会ったわけなんだから、その努力は報われるべきじゃないか?まあ、僕に友達が少なすぎるってのもちょっとはあるんだけどさ」


 なんで人間はこうも優しいんだろう。普通、見捨てるじゃない。私の親でさえ、私が帰ってきた瞬間から、もう見捨てたのに。

『罪人の帰る場所はない』

って言って、私を罵ったのに。

何度冤罪だと叫んでも、誰も聞き入れなかった。

証拠なんて一つもなかった。ただ、向こうの地位が高くて、彼らの感情に振り回されただけだって、誰も私に説明さえさせてくれなかったのに。

どうして、この人たちは、悪い、弱い私をこんなにも救おうとするの?


「それはね、神夜ちゃん。私たちが人間として生きているからなの。生物学的には違う生き物でも、人間は共感し、共に生きることができる。たとえそれが、ドラゴンでも、月の人類でも、心を通じ合わせようって頑張る。それが人間なの」


途中から漏れていた声を聞いた葵が、私にそう言った。


煌さんは私に一枚の食券を出して言った。


「まあ、そういうことだ。葵に言いたいことを言われたのは癪だけど、僕も同じ思いだ。あと、そろそろ席につかないと店長に怒られるから、早く行くぞ」


ニヤッと笑う煌さんに私は涙を拭って言った。


「全く、人類は不思議なものですね。後、葵さん。煌さんは私がもらいますからね!」


葵はぎょっとしたが、すぐに笑って言った。


「はいはい、恋敵が居てこそ青春ってものね」


私は煌さんから食券を受け取り、あの日と同じように煌さんの隣りに座ってラーメンを啜り始めた。


 二〇二四年七月、富士山の頂上に、まだ煙は登っていない。


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最後まで読んでくれてありがとうございました。

一旦終了ですが、気が乗ったらもう一度書き足します。

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