9
「……ユーリ君」
視線を上げると、コウガが俺の方を見ていた。
「その竜玉を渡してもらいましょうか。君が持っていても何の意味もない。私達こそが有効活用できるのです――さあ」
片手を差し出しながら、相手はこちらへ一歩踏み出した。
奪われる訳にはいかない。
俺は腕だけを使って何とか距離を取ろうとするが、大して動けるはずもない。
「……」
車椅子は壊れている。
竜玉で竜骨を起動させることができれば、この場を切り抜けることもできるだろう。
だが、どうやって――。
そこでふと、コウガがその歩みを止めた。
「……貸してくれ」
かすれた声に目を向けると、いつの間にかイゴールがいて、こちらに手を伸ばしていた。
「……よろしい、イゴール君。その竜玉を受け取ってこちらへ。
コウガの声が聞こえていないかのように、イゴールは繰り返した。
「……貸してくれ、ユーリ」
「……」
傷ついた彼の手と顔とを見比べ、俺は黙って竜玉を手渡す。
覚束ない足取りでイゴールは俺の背後へと回ると、車椅子の腰部にあるモジュールを操作し始めた。
「イゴール君……何を」
その様子を苛立ちを隠さずにコウガが
「許して欲しいとは、言わない……けどユーリ、あんた達のことを売って後悔したのは本当なんだ」
背中越しにイゴールの声を聞く。
「……別に、何とも思っちゃいねえ。単純に無力だったんだよ……俺も、お前も。自分の無力を噛みしめてるとな、目の前の選択肢が全部歪んで見えてくる。訳が分からなくなるんだよ」
「それでもあんたは、そうやって立ち上がって闘おうとしてる。僕と初めて会った時に語ってた冗談みたいな話を、今もまだ諦めちゃいない」
「ふん……俺はその時から訳が分からなくなってるってだけだ」
視界の先で炎上し続けるコウガの車が、鈍い
竜人のくせに、遅い目覚めだ。
「……まだか、イゴール」
モジュールのカバーを閉じる音が俺の催促に応えた。
「これで竜骨としては、動く。だが――」
「ならもうそれでいい。下がってろイゴール、ククを頼む」
俺は身を起こして地べたに腰を置き、両腕が使えるように上半身だけ起こした。
「……分かった」
イゴールは倒れたククの片腕を肩に回すと、引き起こしながら後ろによろよろと下がっていく。
「もう、あんたの好きにしろ」
イゴールの声を背後に聞きながら、俺はポケットからマウスピースを取り出し、口の中に押し込んだ。
「……何を考えているんですか? まさか、君は」
コウガの声に困惑が混じり始める。
「……その、まさかだよ」
俺は両腕の辺りに伸びる竜骨のトリガーレバーを強く握りしめた。
「ふ……ッ」
先ほどギルは軽々とトリガーを引いてみせたが、竜骨のトリガーは固定されているかのように重く硬く、びくともしなかった。
「ッぐ……うううううう……ッ」
マウスピースを噛みしめ、両腕に力を集中させる。
集中を切らしてはいけない。何のためにこれまで身体を鍛えてきたのか。
「うううううう……ッ」
マウスピースの端から唾液が垂れた。力を込めた両目に血液が流入しているのだろう、視界が暗く狭くなっていく。
両腕の感覚はすでに無い。
自分の筋肉が自分の骨や筋を痛めてしまうかもしれない。だが今ここで力を緩めれば、もう二度と竜骨をまとうことなんてできなくなるような気がした。
「ぐうううう……ッ!」
動け。動けよ。
散々、俺から奪ったんだろうが――。
「ぅうううううううううッ!」
闘う力のひとつくらい、よこしてみせろ。
「うううううああああああッ!」
――がちん。
トリガーが動き、同時に俺はマウスピースを噛み砕く。
竜骨全体に、青く筋状の光が奔った。
竜骨の、起動だ。
腰から背筋に沿って一瞬で竜骨が展開する。まるで身体の中心に杭を打ち込まれたような激痛に襲われた。
「があああッ!」
四肢にも外骨格が伸展し、感覚を失った両脚を無理矢理に引き起こす。
外骨格を中心に強化筋繊維が全身を包み、締め上げる。
鉄の棒を無理矢理巻き付けられているかのようだ。
「あああ、ぐ……ぐううううあああああッ!」
巨大な獣の咆哮に似た凄まじい起動音と、俺の絶叫が混ざる。
「あああああああああああああああああああッ!」
その時、稲光とともに雷がすぐ近くに落ち、周囲の空気を轟然と震わせた。
背骨を中心に全身を囲む強化外骨格が広がる。
恐竜の骨格標本のような独特のシルエットが、青い光を受けた雨飛沫に浮かび上がった。
辺りに雷鳴が残響する。
「……」
竜骨から噴き上がる蒸気がリボンを飛ばし、俺の長い髪を逆立たせた。
俺は全身を震わせるように荒い呼吸を繰り返している。
全身が軋み音を立てていた。
気を抜けばその瞬間に強化筋繊維で全身が砕かれそうだ。
それでも、俺は――。
竜骨によって強化された自らの両脚で、しっかりと地を踏みしめて立っている。
この目線の高さ――三年ぶりだ。
低い笑い声とともに、呆れたようなイゴールの声が届いた。
「は、はは、まさか本当に……竜骨を動かすなんてな……」
「竜骨を? ……馬鹿な」
コウガが呆然とこちらを見つめている。
「ありえません……人間が、しかも両脚の自由を失っている君が……!」
燃えて金属塊と化したクーペが、その時跳ね上がるように宙を飛び、音を立てて地面に落ちた。
その奥から、竜骨を展開させたギルがゆっくりと歩み出て来る。
頭上で雷鳴が轟いた。
コウガは軽く首を振ってギルに呼びかける。
「いえ、たまさか起動できたとして、竜人の兵器をまともに扱えるはずがありません。ギル、あの竜玉のエネルギーを無駄に消費してしまう前にユーリ君を黙らせなさい」
「……」
ギルは無言で俺の前で正対し、足を止めた。
どう見える。
お前のその爬虫類じみた細い瞳に、俺の姿はどう見えている。
「……よもや、我らのほかに竜骨を目覚めさせる者がおろうとはな」
炎を背に、再びギルの竜骨が禍々しい爪牙を広げる。
雷が竜人の影を作った。
「我らは……竜骨をまといし者をすべて戦士とみなす。ひとたび戦士同士が
相手が身を沈めたのを見て、俺も身構える。
――来る。
「いたずらに竜骨を目覚めさせたおのが愚かさを悔いて、死ね」
ギルの爆発的な移動が、ベールのように降りしきる雨を切り裂く。
次の瞬間には俺の目前に迫り、竜骨の爪を振り下ろした。
つづく
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