「……ユーリ君」

 視線を上げると、コウガが俺の方を見ていた。

「その竜玉を渡してもらいましょうか。君が持っていても何の意味もない。私達こそが有効活用できるのです――さあ」

 片手を差し出しながら、相手はこちらへ一歩踏み出した。


 奪われる訳にはいかない。

 俺は腕だけを使って何とか距離を取ろうとするが、大して動けるはずもない。

「……」

 車椅子は壊れている。

 竜玉で竜骨を起動させることができれば、この場を切り抜けることもできるだろう。

 だが、どうやって――。


 そこでふと、コウガがその歩みを止めた。


「……貸してくれ」

 かすれた声に目を向けると、いつの間にかイゴールがいて、こちらに手を伸ばしていた。


「……よろしい、イゴール君。その竜玉を受け取ってこちらへ。械骨かいこつの実用化が君の夢なのでしょう? 素直に従っていればこの先痛い目に遭うこともなく、私達の援助を受けることができますよ」


 コウガの声が聞こえていないかのように、イゴールは繰り返した。

「……貸してくれ、ユーリ」

「……」

 傷ついた彼の手と顔とを見比べ、俺は黙って竜玉を手渡す。


 覚束ない足取りでイゴールは俺の背後へと回ると、車椅子の腰部にあるモジュールを操作し始めた。

「イゴール君……何を」

 その様子を苛立ちを隠さずにコウガがただすが、彼は答えない。


「許して欲しいとは、言わない……けどユーリ、あんた達のことを売って後悔したのは本当なんだ」

 背中越しにイゴールの声を聞く。

「……別に、何とも思っちゃいねえ。単純に無力だったんだよ……俺も、お前も。自分の無力を噛みしめてるとな、目の前の選択肢が全部歪んで見えてくる。訳が分からなくなるんだよ」

「それでもあんたは、そうやって立ち上がって闘おうとしてる。僕と初めて会った時に語ってた冗談みたいな話を、今もまだ諦めちゃいない」

「ふん……俺はその時から訳が分からなくなってるってだけだ」


 視界の先で炎上し続けるコウガの車が、鈍いきしみ音を立てた。

 竜人のくせに、遅い目覚めだ。


「……まだか、イゴール」

 モジュールのカバーを閉じる音が俺の催促に応えた。

「これで竜骨としては、動く。だが――」

「ならもうそれでいい。下がってろイゴール、ククを頼む」

 俺は身を起こして地べたに腰を置き、両腕が使えるように上半身だけ起こした。


「……分かった」

 イゴールは倒れたククの片腕を肩に回すと、引き起こしながら後ろによろよろと下がっていく。

「もう、あんたの好きにしろ」


 イゴールの声を背後に聞きながら、俺はポケットからマウスピースを取り出し、口の中に押し込んだ。

「……何を考えているんですか? まさか、君は」

 コウガの声に困惑が混じり始める。


「……その、まさかだよ」

 俺は両腕の辺りに伸びる竜骨のトリガーレバーを強く握りしめた。


「ふ……ッ」

 先ほどギルは軽々とトリガーを引いてみせたが、竜骨のトリガーは固定されているかのように重く硬く、びくともしなかった。

「ッぐ……うううううう……ッ」

 マウスピースを噛みしめ、両腕に力を集中させる。

 集中を切らしてはいけない。何のためにこれまで身体を鍛えてきたのか。


「うううううう……ッ」

 マウスピースの端から唾液が垂れた。力を込めた両目に血液が流入しているのだろう、視界が暗く狭くなっていく。


 両腕の感覚はすでに無い。

 自分の筋肉が自分の骨や筋を痛めてしまうかもしれない。だが今ここで力を緩めれば、もう二度と竜骨をまとうことなんてできなくなるような気がした。


「ぐうううう……ッ!」

 動け。動けよ。

 散々、俺から奪ったんだろうが――。

「ぅうううううううううッ!」


 闘う力のひとつくらい、よこしてみせろ。

「うううううああああああッ!」


 ――がちん。


 トリガーが動き、同時に俺はマウスピースを噛み砕く。

 竜骨全体に、青く筋状の光が奔った。


 竜骨の、起動だ。


 腰から背筋に沿って一瞬で竜骨が展開する。まるで身体の中心に杭を打ち込まれたような激痛に襲われた。

「があああッ!」

 四肢にも外骨格が伸展し、感覚を失った両脚を無理矢理に引き起こす。

 外骨格を中心に強化筋繊維が全身を包み、締め上げる。

 鉄の棒を無理矢理巻き付けられているかのようだ。

「あああ、ぐ……ぐううううあああああッ!」


 巨大な獣の咆哮に似た凄まじい起動音と、俺の絶叫が混ざる。

「あああああああああああああああああああッ!」

 その時、稲光とともに雷がすぐ近くに落ち、周囲の空気を轟然と震わせた。


 背骨を中心に全身を囲む強化外骨格が広がる。

 恐竜の骨格標本のような独特のシルエットが、青い光を受けた雨飛沫に浮かび上がった。


 辺りに雷鳴が残響する。


「……」

 竜骨から噴き上がる蒸気がリボンを飛ばし、俺の長い髪を逆立たせた。

 俺は全身を震わせるように荒い呼吸を繰り返している。


 全身が軋み音を立てていた。

 気を抜けばその瞬間に強化筋繊維で全身が砕かれそうだ。


 それでも、俺は――。

 竜骨によって強化された自らの両脚で、しっかりと地を踏みしめて立っている。


 この目線の高さ――三年ぶりだ。


 低い笑い声とともに、呆れたようなイゴールの声が届いた。

「は、はは、まさか本当に……竜骨を動かすなんてな……」


「竜骨を? ……馬鹿な」

 コウガが呆然とこちらを見つめている。

「ありえません……人間が、しかも両脚の自由を失っている君が……!」


 燃えて金属塊と化したクーペが、その時跳ね上がるように宙を飛び、音を立てて地面に落ちた。

 その奥から、竜骨を展開させたギルがゆっくりと歩み出て来る。


 頭上で雷鳴が轟いた。


 コウガは軽く首を振ってギルに呼びかける。

「いえ、たまさか起動できたとして、竜人の兵器をまともに扱えるはずがありません。ギル、あの竜玉のエネルギーを無駄に消費してしまう前にユーリ君を黙らせなさい」


「……」

 ギルは無言で俺の前で正対し、足を止めた。


 どう見える。

 お前のその爬虫類じみた細い瞳に、俺の姿はどう見えている。


「……よもや、我らのほかに竜骨を目覚めさせる者がおろうとはな」

 炎を背に、再びギルの竜骨が禍々しい爪牙を広げる。 

 雷が竜人の影を作った。


「我らは……竜骨をまといし者をすべて戦士とみなす。ひとたび戦士同士がまみえれば、そこは戦場。戦場にあるは命のやりとりのみ。たとえうぬら人間ごときかそけき存在であったとて、それは変わらぬ――」

 相手が身を沈めたのを見て、俺も身構える。

 ――来る。


「いたずらに竜骨を目覚めさせたおのが愚かさを悔いて、死ね」


 ギルの爆発的な移動が、ベールのように降りしきる雨を切り裂く。

 次の瞬間には俺の目前に迫り、竜骨の爪を振り下ろした。



つづく

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