7
「ひどい天気ですね。中に入れてもらえますか?」
逆光の影のなか、相手の眼鏡ばかりが白く光を照り返している。
「……」
俺の返事を待たず、コウガは玄関に足を踏み入れて傘を閉じた。
「ああ、気遣いは無用です。回収に来ただけなので、すぐに帰りますよ。例の竜牙兵はどこでしょうか」
「……何のことだ」
「君のサポート用に貸与していた
「頼んでねえ。そもそもククは――」
「もう動かない。
コウガの後ろから、黒づくめの細長い影が入ってくる。
黒コートのフードを目深に下げているが、その異様な
ギル――顧問のボディガードだ。
コートから滴る雨粒が床に水溜りを作る。
そこで担いでいたものを無造作に床に投げ置いた。
同時に聞こえたうめき声に目を見張ると、ギルに担がれていたのは人だった。
特徴的なスキンヘッドですぐに分かった。彼は全身ずぶ濡れで、全身に傷や痣を作っていた。
「イゴール……!」
床に倒れたまま目だけがこちらを向く。
「……すまない、ユーリ……」
「お前、どうして」
「……僕は……〈カドモス〉だ」
イゴールはうわ言のようにそう言った。
「カドモス……? 何だそれは、何を言ってやがる」
「僕は、あんたの竜牙兵のことをサラシノ顧問に報告しなきゃならなかった。でもつい、ためらった。あの竜牙兵は、ククは――」
口から血の混じった唾液が垂れる。
「あんたの大切なものだものな。大切なものを奪われるのは誰だって嫌だものな。だからためらった。土壇場で半端なことをしてしまった。これは、その報いだ」
「お前、ククのことを……喋ったのか」
俺は血と雨に
「すまない……僕は最初からあんたの味方でも何でもない。全部自分のためだ。竜玉があれば、
イゴールの腹部をギルが無造作に蹴り上げる。
ゴムボールのように飛んだイゴールは反対側の壁にぶつかって床にずり落ちた。
「……イゴール」
コートのフードをかぶったギルの顔は暗く隠れている。
「ああ、ありました。ここに置いていたようですね。来てくださいギル、こちらです」
リビングに入り込んでいたコウガの声に呼ばれて、ギルは俺に
「ま、待て」
俺は慌てて車椅子のリムを押した。
リビングでは、すでにギルがククの躯体を片手で肩に担ぎ上げているところだった。
「待て! ククは俺の――」
「俺の――何ですか?」
落ち着いた様子で俺の声に応じるコウガに、俺は懸命に訴えた。
「いや……聞いてくれ、ククについてはお嬢に交渉している最中なんだ。条件さえ合えば譲ってくれることになっている」
コウガは軽くうなずいた。
「ええ。で、その条件が合わないまま今に至ったのでしょう。さもなくば法務顧問の私が知らないはずがない。それともユーリ君。まさか君はロングマン家の資産を不当に
「違う。だが――おい!」
ずかずかと出口に向かって歩くギルを必死に追いかける。
「行くな!」
ドアのところでようやく追いついた。
ギルの空いた手を引く。
「とにかく待てよ、勝手に――」
言い終わる前に、俺は空中に浮いていた。視界が一瞬で回転し、直後、家の前の地面に車椅子ごと叩きつけられる。
車椅子と一緒に地べたに横倒しになった俺の目の前を、壊れた車輪が転がっていく。
ギルによって、片手で放り投げられたのだ。
「無茶をしてはいけません。ギルは竜人ですよ」
傘を開いて、コウガが外に出て来た。
何だ、この違和感は。
確かにククの所有権はロングマン家にある。俺には返却する義務もある。
ククの機能停止を黙秘しようとしたのは事実だが、なぜここまで性急に乱暴に、しかも法務顧問のコウガが動いているのか。
何かおかしい。
激しい雨と地べたの水溜まりに濡れながら俺はコウガを見上げた。
「……何を……考えてやがるんだ」
「ふむ?」
「……あんた、ロングマン家として動いてるんじゃねえな」
コウガは黙って傘の下にいる。
「〈カドモス〉って、何だ」
相手はため息をつくと、転がった車椅子の車輪を拾った。
「やめておきなさい、ユーリ君。君には過ぎた考えです」
「何だと」
俺の目の前にしゃがみこんで、車輪を置く。
「運転手としてお嬢と距離が近いゆえに、何か勘違いをしていませんか? ほら、自分の姿を見てみなさい。いかにも無力でしょう。この車輪が無ければ、君はそうして泥水に塗れたまま、ここで雨に打たれ続けるしかない」
「……」
「何も知らずとも、君はこの先もロングマン家の運転手としての職を続けることができますし、メイドアンドロイドのような生活の補助を受けることだってできます。一方の私はロングマン家の幹部で、だからこそ見えることもできることもある。それだけですよ。ありふれた立場の違いというもので、それでいいじゃないですか」
コウガの冷めた目が、俺を見下ろす。
「あの竜牙兵にこだわる理由なんてどこにあるのですか?」
俺はコウガの目を見返しながら、口を開いた。
「知らねえ、理由なんかねえんだよ。俺にはククが必要なんだ。それで充分だろうがよ……!」
「……話になりませんね。君は今、少し動揺しているようだ。日を改めて、また話をしましょう。きっと良い妥協点を見つけることができますよ」
コウガは立ち上がると、ヘッドライトの方に歩いて行く。
車の横には、ククを担いだギルの姿がある。
「待て……」
また奪われるのか。
まだ奪い足りないのか。
もう奪ってくれるな。
「待ちやがれ……」
頼むから。
「……ククを返せ……!」
俺の全身を降りしきる雨粒が包み込む。
その時、雨音の向こうにククの声が聞こえた気がした。
「……やれやれ、おちおち眠ってもいられないねえ」
クーペに乗り込もうとしていたコウガも、ギルも、動きを止めている。
気のせいではない。
ギルに担がれたククの両目に、青い光が宿っていた。
つづく
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