6
その日の朝、目を覚ますと部屋の中はまだ暗かった。
大雨が降っているらしい。
雨粒が窓ガラスを叩く音がする。
今日は運転手としての仕事は無い。雨天では少し
部屋にククはいなかったので自分で身支度を整えてダイニングに向かった。
「……あいつ……また無理をしたな」
テーブルにはすでに朝食が並べられていた。
いつものトーストと端の焦げたベーコンエッグにコーヒー。
だがそれらを用意したと思われるククの姿が見当たらない。コーヒーからは湯気が立っているので、作ったばかりのようだが。
不審に思いながらテーブルに近づいた俺は、そこで息を飲んだ。
テーブルの下に、崩れるように倒れ伏しているククの姿があった。
「!」
もどかしい思いでリムを押し、ククの傍らに車椅子を寄せる。
「クク!」
椅子に座ったままでは手が届かない。俺は座面から滑り降り、這いつくばりながらククの額のセンサーに手をかざす。
何も反応しない。
竜牙兵のうなじ部分には緊急用の圧力センサーがある。俺はうなじのくぼみ辺りを指で押し込んだ。
やはり、何の反応もなかった。
窓を打つ雨音が、薄暗い部屋を満たす。
「……」
床にへたりこんだまま、俺は浅い息を吐いた。こみかみの辺りに血管の脈動を感じる。
とうとうこの日が来た。
ひとつふたつ、みっつと俺は床を拳で叩いた。
「ぐ……」
短いうめき声が出たが、それだけだ。
ずっと覚悟をしていた。
だからそれだけで済んだ。耐えることができている。
この日の来ることが分かっていたからこそ、俺は備えてきたはずだ。
やるべきことを考え続けてきたはずだ。
動け。
俺は苦労してククを引き上げながら車椅子に戻り、彼女の躯体をリビングのソファに横たえた。
ダイニングテーブルに戻った俺は、端の焦げたベーコンエッグをトーストに載せてかぶりついた。
絶え間ない雨音がノイズのようだった。
動け。
気付けば冷め切っていたコーヒーをひと口で飲み干すと、俺は雨の中、いつものジムに向かった。
イゴールに会うためだ。
ジムに到着して、それほど待たない間に彼はやってきた。
「ひどい雨だな。駐車場から建物に入るまでの間にずぶ濡れだ」
自分のスキンヘッドをタオルで拭いながら、やはり雨に濡れたままの俺に言う。
「今日はあんたひとりか。また眠らせてるのか知らないが、傘くらいメイドに頼んだらどうだ?」
俺はイゴールを見上げ、口を開く。
「ククはもう動かねえ」
「……寿命が来たのか」
タオルを使う手を止め、イゴールは続けた。
「何と言うか、大事に使ってきたあんたからすればショックだろうが――」
俺はイゴールの言葉を制して言った。
「もう一度、お前に頼む。この竜骨を、〈ドラゴンゲート〉で使えるように整備して欲しい」
「いい加減にしてくれ、僕は魔法使いじゃない。竜玉がない竜骨なんか、どうしようもないだろうが」
絞り出すように答える。
「……竜玉なら、ある」
「は?」
「
竜牙兵の活動源は竜玉だ。
「……」
「竜牙兵を動かすにはエネルギー不足でも、竜骨を動かすことなら十分にできるはずだ」
イゴールは呆気に取られた様子のまま口を動かす。
「そりゃ、竜牙兵と比べれば強化外骨格に必要な出力は格段に少ない。あんたの言う通りだろうが……ひょっとしてユーリ、最初からそのつもりだったのか」
「〈ドラゴンゲート〉まで、ククの寿命が保つとは思えなかった。だから、あいつが動かなくなった後を前提に考えてただけだ」
俺は淡々とそう告げた。
「それで? 竜玉があれば竜骨を動かすことができるんだよな」
「ま、待て、そもそもあの竜牙兵はお前のものじゃなくてロングマン家のものだ。その竜玉を勝手に使ってもいいのか?」
「お嬢にククを譲ってくれるように頼んだ。対価を払える保証が条件らしい」
「……断られたってことか?」
「今はその保証を示すことができねえってだけだ。〈ドラゴンゲート〉を勝ち抜いて、その賞金できっちり対価ってヤツを支払えば文句はねえだろう」
「あんた……ロングマン家を出し抜くつもりなのか」
「俺がククを休ませようとして、まともに仕事をさせてないことはお嬢も知ってる。あいつが動かなくなったことにもしばらくは気付かれねえと思う」
イゴールは頭に手をやった。
「……言っておくがな、竜骨が起動したところであんたには扱えない。竜人なみの身体強度が無ければ、竜骨の強大な出力の反動で全身がばらばらになるんだ」
俺はにらむように相手の顔を見つめた。
「お前に頼みたいのはメンテナンスだけだ。その他のことは気にするな」
「……」
イゴールは頭に手を当てたままその場をうろうろしていたが、やがて言った。
「例の竜牙兵はユーリの家にあるのか?」
「ああ」
「ならあんたは先に帰っててくれ。僕は後からそっちに行く」
「引き受けてくれるんだな」
「……どうなっても知らないからな」
外の雨は強くなっている。遠く雷鳴が聞こえた。
*
日が暮れても雨は続いている。
俺はイゴールの到着を自宅で待っていた。
あの男なりに支度が必要なのだろうか、それにしても遅い。
俺はソファに横たわるククを見下ろした。
ククの竜玉を俺の竜骨に移し替えることができたとして、どれだけの時間稼働させることができるのかは未知数だ。
とにかく〈ドラゴンゲート〉を勝ち抜く間だけでも保ってくれればいい。
〈ドラゴンゲート〉の報酬で竜人に竜玉のエネルギーを再充填させて、ククに戻すことができれば、彼女はまた目を覚ますはずだ。
一度活動を停止した竜牙兵を再起動させた前例は無い。もしかしたら記憶が初期化されて、俺のことを忘れているかも知れない。
それならそれでまあ、いい。いちから付き合いを始めればいいのだ。
今度はもう少し長く一緒に過ごせるはずだ。ついでにベーコンエッグの焼き方も直してもらおう。
薄暗い部屋に呼び鈴の音が響いた。
俺はそこで部屋の灯りを点け忘れていたことに気付いたが、そのまま玄関に出向いた。
「遅かったな、イゴール――」
ドアを開けた先に立っていたのは、イゴールではなかった。
「こんばんは、ユーリ君」
ライトグレーのスーツを着こなした人影が、雨傘を差して逆光に立っている。
エンジンをかけたまま停まる白いクーペが、背後からヘッドライトをこちらに投げかけていた。
「……顧問」
コウガが、微かな笑みを浮かべてそこにいた。
つづく
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