「よく寝ているね」

 アクシアが窓から助手席をしげしげと覗き込んでいる。


「ああ、すまねえお嬢。今日は朝から寝覚めが悪いみたいでな」

「構わないさ、そういう日もある」

 後部座席に乗り込んだアクシアのドアを閉め、俺は運転席に回った。


 彼女はあらかじめ炙っておいた葉巻をトレイから手に取っている。

「少し待たせてしまったかな。彼との会話はつまらなかっただろう?」


 サイドウィンドウの向こうに、走っていくコウガの白いクーペが見えた。

「待ったと言えるほど話し込んでた訳じゃねえが……言われてみれば確かにつまらなかったかもな」

「こらこら。君は正直だね」

 アクシアはくすくすと笑った。マフィアのトップとはいえ、こういう笑顔は歳相応に可愛らしい。


 俺は車のアクセルを入れ、コウガの車を追うように敷地を進む。

「ひとつ聞いていいか、お嬢」

「いいよ、何だい?」

 アクシアは細く煙を吐いた。


「顧問と一緒にいた奴なんだが……」

「ん? ……ああ、ギルのことかな」

「ギル。何者なんだ?」

「普段はコウガのボディガードをしているけれど……そういうことを聞きたい訳ではなさそうだね」

 アクシアは特に隠す風でもなく、続けた。

「ありていに言えば、汚れ仕事ウェットワーク要員だよ。わたし達のような組織が生き残っていくためには、どうしても暴力を行使しなくてはならない局面が出て来る。ギルは、そうした暴力のひとつだね」

「今日も暴力の行使ってもんが必要なのか?」


 アクシアは笑って首を振った。

「いや、今日はそんな血生臭いことはしない。サインした契約書を取り交わすだけだよ。ただ、そういう土壇場どたんばでごねられたりすることもあるんだ。すでにすべての交渉は完了しているにも関わらず、ね。界隈かいわいでロングマン家の力を知らない者はいないから、話がくつがえることはないけれど……まあ、ギルみたいなのがいてくれた方が、相手のサインがスムーズに進んだりする」

 そういうものだろうか。

 ギルが漂わせているあの剣呑けんのんな雰囲気そのものが示威行為になっているということだろう。

 しばらくステアリングを動かしていた俺は、思い切って一番気になっている点を問う。


「ギルは竜人じゃねえのか?」


 アクシアはひとつ煙を吐き出すと、ことも無げに答えた。

「そうだよ」


「……!」

 どこか既視感のあるギルの整った顔立ち。それはやはり戦場で見た竜人のものだったのだ。

 直感でそう思ったものの、やはりそれはにわかには信じられないことだ。

 

「そんなことありえるのかよ。いくらあんたがアクシア・ロングマンだからって、あの竜人が人につき従うことなんて……」

 竜人は、人類を攻め滅ぼした支配者なのだ。


「もちろん、普通の竜人ではないさ。ギルは、竜人としての権利をすべて剥奪されている」

「……え?」

「どうやら、かの地にも――」

 アクシアは黒い手袋に包まれた細い指を上に向けた。

 この星の遥か上空に浮かぶ竜宮のことを指しているのだろう。

「法律があって、罪人がいるらしい。ギルは懲役刑のような刑に服していて、人間のために働くことを強いられているんだよ」


「だからって、相手は竜人だろう。刑に嫌気が差して暴れられでもしたら、誰にも止められねえ」

「いみじくも刑罰だからね、もちろんそんな自由は許されないさ。ギルの頭部には小型爆弾が仕込まれている。その行動は常に監視されていて、刑務上の規則を破ればその爆弾が脳内を爆破する。いくら竜人でも抗えないということらしい」


「危なっかしいことには変わりねえと思うが……それでよくお嬢は受け入れたな」

「竜人の力を利用できるのだから、役に立つことも多いよ。それにユーリ、勘違いしてはいけない――」

 アクシアは皮肉な笑みを浮かべた。

「竜人の申し入れに対する拒否権をこちらは有していないんだ。いくらロングマン家と言えどもね」

「……“首輪"……か」

「……」

 俺がそう言うと、アクシアは笑みを浮かべたまま薄く煙を吐いた。


 ギルの頭部に爆弾が仕込まれているとして、それを実際に爆破するかどうかは竜人側のさじ加減ひとつだ。

 人類側の有力者に対する圧力としての意味合いも強いのだろう。

 監視の対象は、ギル自身と――恐らくはロングマン家なのだ。


 車はやがて竜門近くの賭博委員会本部へと到着した。

 駐車場には、すでにコウガの白いクーペが停まっている。


「さてと。ドアは自分でやるから、きみは座ってていいよ」

 そう言って下車する気配を見せるアクシアを、俺は呼び止めた。

「その前にお嬢、頼みがある」

「ん? ……珍しいね、言ってごらん」


 俺はステアリングを握って正面を見据えたまま言う。

「ククを、俺に譲ってくれねえか」


「……」

 アクシアは眠っているククの方に一度目を走らせ、あっさりと応じた。

「いいよ。もちろん、それなりの対価は必要だけれど。きみに用意できるのかな」

「……それは、少し待って欲しい」

「そう。金融は我が家の家業だからね、余人に融通してきみの申し出を無碍にする理由はないさ。とはいえ利息を含めた返済のあてが無ければそもそも成り立たない話だよ?」

 葉巻をくわえて俺の答えを待つアクシア。

 

「俺は〈ドラゴンゲート〉に出る。その賞金を使う」


 アクシアは少し意表を突かれたように黙ったが、やがて口を開いた。

「断る」


「お嬢……」

「客観的に見て、きみの身体で〈ドラゴンゲート〉を勝ち抜けるはずがない。わたしときみの仲でもさすがに無理な話だね」

 アクシアは小さく顎を横に振る。

「信頼だよ、きみ。きみの言葉を信頼するに足る何かが無ければ、到底受けられる話じゃないさ」


「そうだな……悪かった」

 俺はステアリングを握り締める。

 アクシアは煙草の煙を吐いた。

「気にしてないよ。何を企んでいるかと思えば、随分かわいいものだ。少し安心したよ」

「……」

「ユーリ、何がきみを駆り立てているのかよく分からないけれど、無闇にマフィアに借りを作るものじゃない。そういう刹那的な行動を取る若者を見ていると、夏の終わりに地べたでもがく蝉を見ているようで少し憂鬱になるね」

 後部座席から俺の頭に軽く触れ、アクシアは車を降りて行った。


 もがきもするだろう。

 ただでさえ俺の両脚は動かない。刹那たりとも、頭の中まで動きを止める訳にはいかないのだ。


「ユーリ、〈ドラゴンゲート〉に出るの?」

 助手席からククののんびりとした声が届いた。

「起きてたのか。どこから聞いてやがった」

「最後の部分だけ。ククもアクシアの言う通りだと思うよ、車椅子でどうやって闘うの?」


 強化外骨格を使うことさえできれば――。

「……そこは考えがある」


「そっか」

 ククはフロントガラスごしに竜門を見上げた。空は雲が重く垂れこめ、その頂上を隠してしまいそうだ。

「ならククも応援してあげる。ユーリならきっとやれるよ」

「ふん……気休めくらいにはなるかもな」

「ククも最後まで見届けてあげたいなあ」

「〈ドラゴンゲート〉の観戦は自由だ。応援すると言うからにはしっかり見届けろよ」


 ククはため息のように笑った。

「へへ、ククには無理なんだよ。ユーリも分かってるくせに」

「……」

 俺は答えず、車のギアをバックに入れた。



つづく

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