その日、ベッドで目を覚ました俺は横たわったまま自分の部屋を見渡した。


 今日はククの姿が無い。

 寝ていろと言っても朝になれば起きてくるのが常なので、珍しいといえば珍しい。


 ククの躯体くたいにとっては決まった時間に起動するより、一定の周期で休息と活動を繰り返す方が内部エネルギーの無駄な消費が抑えられる。また、自力で起動するより持ち主の手動操作によって起動する方がエネルギーの節約になる。


 つまりククは俺に起こされるまで寝ているべきということになるのだ。

 そんなメイドが一般的だとは思えないが。


 俺は車椅子に身体を移すと洗面台に向かい、自分で身支度を整えた。長い髪をリボンでまとめる。

 ダイニングでは、テーブルに突っ伏すような形でククが寝ていた。どうせ寝るならベッドを使えばいいものを――。


 彼女を横目にキッチンに車椅子を転がした俺は、椅子の高さを調節して朝食作りを始めた。

 いつもと同じ、ベーコンエッグとトーストだ。

 フライパンで焼くだけの工程だが、正直、ククよりも俺の方が仕上がりは良い。


 焼き上がったトーストとベーコンエッグをダイニングテーブルに運び、俺はひとりで食べ始めた。

 視界の先では、相変わらずテーブルに突っ伏して動かないククがいる。


 何口かトーストをかじった後、俺はククに呼びかけた。

「クク、そろそろ起きろ。今日もアクシアの所へ車を回す」

 ククが動く気配はない。

「クク――」

 音声認識まで眠っているのか。


 トーストを置き、車椅子をククの横に動かした。躯体の眉間には、起動用の光センサーがある。

 俺はセンサーに手をかざした。

「おい……」

 何も反応を示さないククの姿に、俺はじわりと背中に嫌な汗を感じる。


 もう一度声をかけようと口を開いたその時、ククが身じろぎしてゆっくりと顔をあげた。

 長いまつ毛に縁取られたまぶたが持ち上がり、瞳の奥に灯る青い光が見える。


「……あれ? おはよう、ユーリ。起きてたんだ」

 ククは大きく伸びをしながらのんびりと言った。


「……」

 俺はひとつ息を吐いて、車椅子を食べかけの朝食の前に戻す。

「寝るならベッドで寝ろ」


 そう言った後で、自分の鼓動が異様に速くなっていたことに気付いた。知らずに緊張をしていたようだ。

 もう一度大きく息を吐き、トーストを手に取る。


「あ! ユーリ自分で朝ごはん用意してる! もう、それはククの仕事だって言ってるでしょう」

「うるせえな、お前は寝てればいいんだよ」

「そんなこと言わないでやらせてよう」

 ククは唇を尖らせ、ぺちぺちとテーブルを手で叩いた。

「ククはもう、それくらいしかユーリにしてあげられないんだからさあ」


「……ふん」

 俺はトーストをかじる。

 お前こそ、そんなことを言うな。


「いいからコーヒーを淹れてくれ」

「はいはあい」


 食後のコーヒーを飲み終えた俺とククはアクシア邸へと車を走らせた。

 歩哨の立つ門と広い前庭を抜け、いつも通り車寄せにセダンを寄せに行く。


 走っている間にククは眠ってしまったので、俺は火を点けた葉巻をトレイに置くと、運転席から降りて後部座席のドアを開けてアクシアを待った。


 そこで俺は玄関の脇に立つほっそりとした影に気付く。

 黒づくめの格好をしているが、他の黒服のようにスーツではなくロングコートを着ていた。

 黒髪を長く伸ばして、コートのフードを被っているので、顔の半分以上が隠れている。

 それでも端正な顔立ちをしていることは分かった。


 会うのは初めてだ。

 だが、妙な既視感がある。あの不気味なほどに整った顔立ちは、まさか――。


「おはよう、ユーリ君」

「……!」

 不意に横から声をかけられて、俺はぎくりとして振り返った。

「……失礼、驚かせてしまいましたか。安心してください、こう見えて私もファミリーの端くれですよ」

 微かな笑みを浮かべてそこに立っていた男も、やはり黒服ではなかった。

 ライトグレーのスリーピーススーツを着こなす、落ち着いた中年だ。


「……いくら末端の俺でも、あんたの顔ぐらいは知ってる。逆にあんたはよく俺の名前を知ってたな」


 コウガ・サラシノ。

 ファミリーの端くれどころかこの男はロングマン家の法務顧問、組織の幹部クラスだ。


「お嬢の専属運転手は車椅子の帰還兵……特徴的ですからね、その気が無くても覚えてしまうものです」

 細い縁の眼鏡を、軽く指で押さえる。


 ふと彼の目が、助手席で眠りこけているククの方に向いた。

「これは竜牙兵……そうか、そういえば組織の資産台帳に一体だけ記帳されていましたね。君のサポートとして貸与されたものでしたか。まだしっかりと機能しているのでしょうか?」

「まあな。この通りよく寝ているが」


「ふむ……ではそろそろですか」

「……」

 何気ない様子で口にしたコウガの言葉に、俺は苛立ちを覚える。


「ロングマン家は強大な組織ですが、それゆえに資金は血液のように澱みなく流れていなくては立ち行きません。遊ばせている資産をもつような余裕はないので、活動停止したならばすぐに組織に返却してくださいね。竜牙兵として機能せずとも、使い道はいくらでもあります。私に連絡をくれれば、回収の手筈も整えましょう」


「分かってる」

 俺は短く応じた。アクシアはまだだろうか。この会話を早く切り上げたい。


「なに、終戦直後と違って今はより安価で性能の良いモデルも出始めているのです。メイドアンドロイドならいっそ更新してしまった方が君の生活も楽になることでしょう」

「組織のお陰で、今は不便に感じることも減ったんでな。話だけありがたく受け取っておくよ」

 俺は言葉を継いだ。

「ところでお嬢は?」


「ああ、彼女ならもうじき――」

 コウガの言葉が終わらないうちから、玄関の大扉が開いて両脇に黒服の集団が立ち並んだ。黒服の行列に紛れ、先ほどまで立っていたロングコートの姿が見えなくなる。


 タイトな黒いスカートスーツの上に肩掛けした黒いコートと黒いキャペリン、丸サングラスといういつもの格好で、アクシアがこちらに歩いてくる。


 その様子を眺めながらコウガは言った。

「今日は委員会で協定の契約書を交わす予定です。私も同行させてもらいますよ」

「この車に乗るのか?」

「まさか。お嬢がその車に自分以外を乗せたがらないのを知っているでしょう? 自分の車を運転して行きますよ。ではまた」

 コウガは近寄って来るアクシアに目顔で挨拶を残すと、背を向けて歩み去った。


 その行く手に、いつの間に移動したのか、先ほどのロングコートが立っている。そのまま影のようにコウガの後に続いて行く様子が見えた。



つづく

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