2
俺はケースから葉巻を取り出すと、先端をカットしてライターで炙っておく。
後部座席に落ち着いたアクシアに、俺は葉巻を手渡した。
アクシアはゆったりと葉巻をくゆらせて、
「……いつも時間通りだね、ユーリ。とても良いことだ」
後部ドアを閉めたククが助手席に戻って来た後、俺は車のアクセルを入れる。
「それが俺の仕事だからな。当たり前のことだ」
車は静かにロングマン家の敷地を抜けていった。
「そうだね。けれど法律や常識が通用しないわたし達の世界では、その当たり前のことが何より重要だ。時間を守り、約束を守り、契約を守る。その積み重ねが信頼というものだよ、きみ」
アクシアは葉巻を口にして少し言葉を切る。
「そう、信頼――信頼が重要なんだね。そしてわたしの運転手を続けることができているということは、きみはわたしの信頼を勝ち得ているということだ。誇っていいことだよ」
ステアリングを握りながら、俺はバックミラーで後部座席を見やった。帽子のつばに隠れて、アクシアの表情は読めない。
「わたしの信頼を損ねてはいけないよ、ユーリ」
帽子の影から穏やかな声が続いた。
アクシアは日頃から
今のも単純な世間話なのだろう。
俺は小さく唾を飲み込んで、答えた。
「……俺がお嬢を裏切るはずがねえよ」
「そうだね。そうに決まっているさ」
笑みを含んだ口元から、煙がふわりと漏れた。
車は大通りに入って目的地へと進む。
中心街を外れれば復興はまだ行き届かず、辺りは
建物の再建も進まず、瓦礫が地面を覆ったままの場所もある。
がらんと開けた視界の先に、ひと際目立つ建造物が建設途中にあった。
円柱型の外見は、巨大な塔と表現するのがふさわしい。
そこがアクシアの指定した目的地だった。
「また大きくなってるねえ。これどこまで上に伸びるのかな」
珍しく起きているククが助手席から塔を見上げて言った。
「おおまかに言ってアリーナが九層重なったような構造の建造物だ。今はその九層目の建築中だから、これ以上は伸びないよ。じきに完成だね」
と、アクシアが答える。
それでもとてつもない高さだ。一層あたりが数十メートル近くあるのだ。
「“竜門”――」
それが、その塔の名だった。
「竜人主導の戦後復興の要、統合型リゾート区画建造計画の中核だよ」
人類の支配者となった竜人は、その高度な知識と技術力を戦争で荒廃した世界の修復に惜しみなく注いでいた。
竜門、その頂上のさらにはるか上空。
雲の少ない青空に、蜃気楼のように白々と見える円い影がある。
通称“竜宮”。
それは侵略者達の言わば機動要塞で、今も彼らの本拠地として静止軌道高度上に浮かぶ巨大建造物だ。
俺達を頭の上から抑えつける、竜人支配の象徴だった。
俺の口から思わず溜息が漏れる。
「竜人はいったい何を考えてんだろうな。復興だと? 俺達の世界を破壊した張本人だろうに……」
「相手は竜人だ、推し量っても栓のないことだよ。子どもが積み上げた積み木をふいに壊してまた新たに積み始める……案外、その程度の感覚だったりしてね」
「そいつは……あまり気持ちのいい想像じゃねえな、お嬢」
「ふふ、そうだね。けれど神に近い
「神、か」
圧倒的な力を前にして、竜人を無闇に神格化する者もいない訳ではない。合理主義者のアクシアが彼らと同じだとは思えないので、ある種の皮肉だろう。
竜門の横にある委員会事務所の前に車を向ける。竜門ほどではないが、それでも立派な新築のビルだった。
「それじゃあ、迎えは十七時で頼むよ」
車を降りながらアクシアは言った。
「了解」
「ユーリ」
外から呼ばれて俺はもう一度アクシアの方を見た。
「わたしに、何か隠していないだろうね?」
「……いいや。別に何も隠してなんかねえよ」
「そう」
アクシアは笑顔で紫煙を吐いて、こちらに背を向けた。
建物の中に彼女の姿が消えるのを黙って見送る。
「……」
「ユーリ。この後は、ジム?」
「あ? ああ」
ククの声に、俺は我に返ったようにギアを入れた。
軍病院のリハビリセンターを兼ねていたので、そのジムは戦後かなり早い段階で業務を再開していた。
安静期が過ぎて車椅子生活を始めた頃から、俺はこの場所に足しげく通っている。
ベンチに仰向けになった俺は、うめき声をもらしながらバーベルを上に持ち上げた。
マウスピースを噛み締め、バーベルを胸の近くまで下ろす。
あと一回――うめき声がうなり声に変わるのを感じながら、俺は重量を持ち上げて静止させた。
そのままバーベルをゆっくりとラックにかけると、負荷の重さにベンチ全体が揺れる。
「……」
大きく息をついて、俺は身を起こした。
「精が出るなあ、ユーリ」
イゴールが、呆れたような声でククと同じようなことを俺に言う。
イゴール・タレント。
スキンヘッドが特徴的な細長い体型の若い男だ。ジムよりも裏路地が似合いそうな外見をしているが、
「あんたのトレーニング、もうリハビリでも何でもないだろ。現役の軍人でも使わないような負荷だぞ、いったい何を目指してるんだ」
「そいつはもう伝えたはずだ。お前に声をかけた、一番最初にな」
と、俺はマウスピースを外した。
「
イゴールは近くの空いたベンチに腰を下ろす。
械骨――戦時中、軍で開発が進められていた強化外骨格の呼称だ。
竜人のまとう竜骨からヒントを得た兵器で、兵士の身体能力増強を目指していた。
とはいえ、そもそも竜人の身体能力は人類のそれを大きく上回る。
“械骨”で“人類”の身体能力を増強したところで、“竜骨”で増強された“竜人”の身体能力には遠く及ばないのだ。
その差を埋めようと械骨の出力を上げれば、今度は兵士の身体が壊れる。
結局、兵器としての械骨の開発計画は白紙に戻された。
代わりに実現したのがククのような竜牙兵――ということになる。
一方で、械骨のコンセプト自体は肉体的重労働を強いられる現場などで活用が期待されている。
戦後も非戦闘分野における実用化に向けた研究開発は続いているのだった。
イゴールは俺の車椅子のメンテとフィッティングを担当してくれる技師だが、戦時中の械骨開発初期から強化外骨格に携わるエンジニアでもあった。
「……まだ開発途上だよ。実用段階に入っても、個人に行き渡るようになるのはさらにずっと先だ」
「そうじゃねえ――」
俺は汗を拭いつつ、かたわらに置いてあった自分の車椅子を顎で示す。
黒光りするフレームの車椅子。
腰の辺りにあるモジュールボックスなど、車椅子にしては余計な部品が目立つ。
座面も車輪も、どこか取って付けたように浮いて見えた。
「
つづく
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