俺は、そこで目を覚ました。

 自室のベッドの上で寝ている。

 ブラインドから差し込む朝陽に向かって、俺は大きく息を吐いた。


「……」

 腕を突いて半身を起こすと、顔にかかる髪をかき上げる。


 あれから三年。

 当時のことは、定期的に夢で見る。

 だから遭遇した竜人の顔立ちまで、今もなお記憶は鮮明だった。


 俺は、補給基地の跡地で意識を失ったまま発見されたらしい。

 意識を取り戻したのは十日後と後で聞いたが、その頃には人類の敗北という形で竜人との戦争は終結していた。


 以来――この世界は竜人の支配下にある。


「おはよう、ユーリ」

 部屋の入口から声が届く。


 そちらに目を向けると、ククがドアに背を預けて立っていた。

「うなされていたねえ……またあの夢でしょう、大丈夫?」


「どうということもねえよ……とっくに慣れてる」

 そう応じてから、俺は眉間にしわを寄せた。

「また勝手に起き出しやがったな。おとなしく寝てろっつってるだろ」


「朝は朝ごはんを作らなきゃだからねえ」

「別に朝飯くらい、俺でも用意できるんだよ」

 俺はベッドから車椅子の座面へと腰を移動させる。

 竜人の攻撃によって受けた傷がもとで、俺の両脚は動かなくなっていた。


 亜麻あま色のショートヘアを揺らしてククは気だるげな笑みを浮かべる。

「へへ。朝ごはんくらい、ククに作らせてよねえ」

 そう言って、俺の車椅子を押した。


 ククは、いわゆるメイドアンドロイドだ。

 今はモノトーンのメイド服に身を包んでいるククだが、彼女はもともと“スパルトイ”――あるいは“竜牙兵”と呼ばれる局地制圧用人型兵器だった。


 小さな的で高機動と高火力を実現させていた竜人に対抗するために、決戦兵器として戦線に大量投入された。


 性能面では竜人に匹敵する能力を有していたという。だが前例のない兵器だったため、その力を充分に発揮するには人類側で運用の練度が足りていなかった。

 戦況を覆すまでには至らず、そのまま終戦を迎えている。


 戦後、行き場を失った竜牙兵は民間に払い下げられた。

 人型なので、復興の人手不足を補うためにそれなりに必要とされているらしい。

 俺のような傷痍しょうい軍人のサポートも、そのうちのひとつだった。


 とはいえ、もとは兵器。メイドアンドロイドとして有能かと言えば、それはいなだ。


 洗面台まで車椅子を運び、顔を洗うを使う俺の長髪をククがブロウする。戦場から戻って来てから切っていないので、俺の髪は背中辺りまで伸びていた。


 しばらく黙ってブロウしていたククの首が、ふいにかくんと項垂うなだれた。俺の髪が後ろに引っ張られ、ドライヤーの送風口が頭皮に直に圧し当てられる。

「痛、熱あああッ?」


 俺の悲鳴にククが驚いて顔をあげる。

「わ、びっくりしたあ」

「こっちの台詞だがッ? 俺の髪を焼き切る気か!」

「へへ、ドライヤーの音って何か眠気誘うんだよう。ついつい寝ちゃうよねえ?」

「知らねえ、何がついついだ! だから勝手に起き出すなっつってんだよ」


 一事が万事この調子なので、近頃の俺はほとんど自分のことは自分でできるようになっていた。

 ククのお陰といえばお陰なのかも知れない。


 ひと悶着あったが、彼女がリボンで俺の髪を襟足あたりで縛れば身支度は完了だ。

 車椅子はダイニングまで運ばれる。


 食卓にはベーコンエッグとトーストが並べられていた。

 卵もベーコンもやや火が入り過ぎて端がかりかりになっている。


 普通のメイドアンドロイドならばもう少し綺麗に焼くのだろうが、俺が文句を言わずに食べるのでククもこれ以上工夫する気は無いらしい。

 もうこの焼き加減にも慣れてしまった。


 トーストの上にベーコンエッグをまるごと載せると、ケチャップとマスタードをかけてかぶりつく。


「今日はアクシアに呼ばれてるんだっけ?」

 コーヒーの入ったカップを置きながらククが尋ねた。

「ああ、賭博委員会の会合があるんだと。済んだらそのままジムに行く」

「いつものリハビリだね。精が出るねえ」

「まあな」

 ククの言葉を聞き流しながら、トーストの残りを口に入れた。


 アクシア――アクシア・ロングマン。

 ロングマン家の現当主にして、俺の雇い主にあたる人物の名だ。

 俺は専属運転手としての仕事を与えられていた。


 俺の自宅には車庫が併設されていて、黒塗りの大型セダンが納まっている。

 セダンの所有者は無論、アクシアだ。

 車椅子のまま運転できるようハンドコントロールに改造されたうえで、仕事道具として俺に用意されたものだった。


 ロングマン家は戦後復興や傷痍軍人援助に力を入れており、俺はその恩恵に預かっているという訳だ。


 朝食の後、ククは俺を車椅子ごと運転席に運び込んだ。

 ククが助手席に乗り込んだのを確認し、俺はエンジンをかける。彼女は俺のサポートとして仕事に同行することになっているのだ。とはいえ、車が動き出せば特にやることがないので、基本的には横で寝ている。


 滑るようななめらかな動きで、俺の運転するセダンは車庫を後にした。


 俺の自宅は街外れの倉庫街の一角にある。

 しばらく車を走らせると、道の左側に高い塀がどこまでも続く区画に行き当たった。この塀に囲まれた部分がすべてロングマン家の敷地だ。


 ロングマン家は、この地域の最有力者――平たく言えば、マフィアだ。


 竜人との戦争によって崩壊した人の社会。

 混乱のなか一定の形で秩序をもたらしたのは、金と力を有する者達だ。


 ロングマン家も戦前から充分な資産と暴力を有し、それを行使することのできる組織だった。


 竜人側もそうした地域の有力者達の権利を認めることで、荒廃した社会秩序の維持管理に利用しているようだ。


 言うまでもなく、マフィアは犯罪組織だ。

 しかし法執行機関すら機能不全となっている現在となっては、合法・非合法の区別もあまり意味をなさない。 


 両脚の感覚を失った元兵士の俺を救ったのは、アクシア・ロングマンだ。

 俺にとってはその事実がすべてだった。


 かたわらに黒スーツの歩哨ほしょうが立つ重厚な鉄門が開き、俺達が乗るセダンを招き入れた。

 前庭をしばらく走った先に車寄せがあるので、俺はそこに車を横付けにする。

 ククが降りて後部座席のドアを開けると、それを見計らったようなタイミングで玄関のドアが開いた。


 大勢の黒服がドアの両脇に立ち並ぶ。

 その中央を突っ切って悠然とこちらに歩いて来る若い女性。

 決して大柄ではないし、居並ぶ黒服達と比べればむしろ小柄だが、周囲を圧するような威厳に満ちている。


 タイトな黒いスカートスーツの上に肩掛けした黒いコートが歩みに合わせて裾を広げる。


 黒いつば広のキャペリンを被り、丸型のサングラスをかけているが、美麗な面差しは遠目から見てもよく目立った。


 その強烈な存在感を放つ彼女こそがロングマン家当主、アクシア・ロングマンその人だった。



つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る