エピローグ:花に巡り会う
「今、何と!?」
「建物を接収しようとしたら上手くいかなかったと……」
「違う、その前だ!学校の名前は何と言った⁉」
「たしか、ツダ・カレッジ……」
ヴィクターは日本駐留を終え、帰国した息子と電話で会話していた。
語勢に戸惑っている子供の声で我に返り、受話器を強く握りしめているのに気づく。深く息を吸い、呼吸を落ち着かせる。
「女子大学だと言ったな。交渉相手の日本人も女性だったのか?」
「ええ、そうです。校長のミス・ホシノ。少女と見間違えるほど小柄な女性ですが、どうしてどうして‼ブリンマー留学の経歴があり英語が達者、肝が据わっていて我々に怖じず容易に退かない。相当なタフ・ネゴシェイターでしたよ」
どこか愉快そうな声で電話の向こうの末の子は答える。
「そうか……教えてくれてありがとう。ツダ・カレッジの接収は中止になったんだな?」
「はい」
ヴィクターは電話を切った。受話機の上に手を置いたまま、しばらく立ち尽くす。
それからゆっくりした足取りで窓辺に向かった。月光に照らされる夜の海を眺める。
「ウメ。ああ、君の声が聞こえる。あの時モーガン博士に、日本の女性に恩返ししたいと言っていたな。ブリンマーに留学した小柄でタフ・ネゴシェイターな女性校長か……」
「やっぱり暖炉の火は心が落ち着くわ。セントラルヒーティングは効率的だけど」
祖父譲りの緑の眼を輝かせ、少女はコーヒーカップに唇を寄せる。
「そうそう、お祖父様にこの話をしたかったの!」
「なんだい?アリス」
ヴィクターは孫娘に優しく微笑む。
ブリンマーに秋入学したばかりの彼女はクリスマス休暇で祖父の家を訪れていた。
子どもの頃からの話相手、背の高い老人にアリスは弾む声で語りだす。
「休暇の前に学長先生が素敵なお話を聞かせてくださったの。昔、戦争より前、卒業生の人がね、ブリンマーを訪れて当時の学長、ケアリイ・トーマス先生にこう語ったんですって!!」
「『私はブリンマーで習ったことはみんな忘れてしまいましたが、あなたが毎朝、チャペルに立ってお話なさった言葉の中で、わたしたちにこうおっしゃったことだけは決して忘れません。あなたはこうおっしゃったのですよーー女性の力を信じなさいーーと』」
部屋に静寂が訪れる。薪が爆ぜるパチパチという音だけが響いた。
「お祖父様、どうしたの?どこか苦しい⁉なぜ泣いているの?」
ヴィクターは狼狽える孫娘の頭に優しく片方の手を置き、もう一方の手で目を覆う。
「はは……そうか。あの時代を生きた君とミス・ケアリイ・トーマス。今を生きる私のアリス。願う声は途絶えない。静かに谺し続けるんだ。『女性の力を信じなさい』か……」
「ウメ。花の名の人。そう、君は、君の魂はきっと何度も咲くんだな。どれほど時が経とうとも、季節が巡る度に新たに開く花のように。私は君に繰り返し出会えるんだ」
八十近い銀髪の老人は静かに涙を零す。
「アリス。私の宝物。聞いてくれるかい?」
「この年寄りがまだ若かったころ、海の近く、ウッズホールで出会った気高い花のような人のことを。気骨ある伴侶と共に異国に毅然と咲く、大輪の花のような人のことを」
ウッズホールで花に出会う 楢原由紀子 @ynarahara
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