去り留まる恋(1)
1898年6月、ジョンズ・ホプキンス大学の食堂で、ヴィクターは新聞を食い入るように見つめていた。
数度紙面を読み返して一旦テーブルの上に置き、また取り上げ、目で文字を追う。
記事はデンバーで開催された万国婦人連合大会を報じていた。そして日本代表のミス・ツダのスピーチも。
「ーー女子教育が広まり、真に対等の資格で男性のよき協力者となる時代が来るでしょう」
あの日ウッズホールの廊下で聞いたウメの言葉が耳に蘇る。煉瓦造りの空間に静かに熱く響いた、モーガン博士に応える真剣で直向きな声。
最もふさわしい言葉を選ぼうと常に探す姿勢。彼女はいつも英語を使って意志を伝えることに自覚的だった。
より厳しく、より何度も問う者が、一層深く遠くを見られる。生物の実験に限った話ではない。
半年前に結婚し、数か月後父になる予定のヴィクターは結婚指輪を右手の指でなぞりながら呟く。
「ウメ、君はますます活躍しているんだな。……ミス・ツダか。君が未婚だからといって何を動揺しているのだろう。恩師のモーガン博士はともかく、愚かで心の狭い学友のことなど、君の記憶に残っているかも分からないのに」
ヴィクターは祖母の傍らに座っていた。
危篤の報を受け実家へ駆け付けたが、既に祖母の意識は無く、一両日が山だと医師から聞かされていた。
毎年クリスマスは家族と一緒に晩餐を共にしていたが、祖父の死後口数少ない祖母とは疎遠になっていた。長年来の使用人がいるので日常生活に支障はなかった筈だが。
瞼を閉じ心なしか縮んだ祖母の姿を見つめる。考えてみれば肉親かつ祖母、という存在ではない一女性としての彼女について殆ど何も知らない。
することが何もない、というのはどうしようもなく気詰まりだ。
自分の子どもの頃から時が止まっているような、重厚な絨毯、色あせたカーテン、胡桃材の額縁に入った小川と牧童の風景画をぼんやり眺めるうち、いつの間にかうとうとしていたらしい。他者の気配を感じてはっと目を開く。
祖母は柔らかく無邪気に微笑んでいた。その眼は傍の孫ではなく、遠い彼方を見ている。
「ああ会えるのね、やっと。エドガー……」
それは死んだ父や祖父、大叔父や曾祖父、誰の名でもなかった。
それきり彼女は息を引き取った。
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