名にし負はば(2)

 初夏、ミス・ツダの帰国を控え、ウッズホール臨海生物学実験所ではガーデンパーティーが開かれていた。

視界に入る海は陽光に輝き、船と海鳥を誘う。

ミス・ツダは大柄な教師や学生たちに囲まれ、一層少女めいて見えた。


 ヴィクターは意を決して彼女に近づく。

「ミス・ツダ。貴女のカエルの卵の論文を読みました。私のこれまでの敬意に欠け、礼を失した態度をお許しください。貴女は素晴らしい研究者だ」

ミス・ツダはぱちぱちと目を瞬く。それから花が咲いたように朗らかに笑った。

「とても嬉しいですわ、ミスター・ブリッジス!私の研究を認めて下さって光栄です。そしてわざわざお詫びしてくださって!とても勇気のいる事でしょうに」


 ヴィクターはその笑顔に目が釘付けになり、絶句した。ようやく掠れる喉をふりしぼり、請う。

「貴女をファーストネームで呼ぶお許しを。間もなく日本へ帰国されると伺ったので、今日だけは」

「ええ、勿論。私の名前は『ウメ』と言います。初春に咲く日本の花の名ですよ」

ウメは再び微笑む。

「そうですか、貴女の名前は花の……」

ヴィクターは呆然と呟く。


 「ウメ、お手にふれても?」

「え、ええ」

途端に若干ウメの腰が引けたのを見逃さず、ヴィクターは苦笑した。子どもの頃家庭教師にたたき込まれた流れるような動作で腰を折る。

驚くほど小さく華奢な手を、自身の大きな手でそっと支え、唇を近づけて触れず、低い声で囁く。

「ウメ、花のように凛と咲く、美しい女性ひと。あなたをもっと早く知ろうとしなかった私は度し難く……愚かだ。非礼を許してくれてありがとう。どうか日本でその尊い志が実りますように」


 二人の周囲がざわついた。

いつも異性に不愛想なヴィクターの、貴婦人に対するような恭しい態度。

これまで誰も目にしたことがない光景が眼前で展開されれば、無理からぬ反応ではあった。

モーガン博士は実験動物が逸脱した反応を示したときに見せる表情で、片眉を大きく上げた。


 ウメが頬を上気させてヴィクターの後ろ姿を見送る中、友人のアルフレッドが興奮して彼を追う。

「お前一体全体どうしたんだ!あんな殊勝な姿初めて見たぞ⁉ミス・ツダを敬遠してたんじゃなかったのか?」

ヴィクターは振り返り、鋭い眼光で友を睨む。それからふっと目を伏せ、ため息をつく。

「ただ僕が莫迦なだけだ。彼女がこの国を去る直前になるまで、何も判っていなかった」

「ん?お前ひょっとして……」

「その続きを口にしたらぶん殴る」

「げ……」

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