名にし負はば(1)
コツコツコツ、カツン!
廊下を歩いていたヴィクターは一瞬足を止め、それから歩調を速めた。少し先のホールに黒髪を結い上げた小柄な女性の姿を認めたのだ。
論文を読んでからずっと、ミス・ツダにこれまでの非礼を詫び、友として受け容れてくれるよう許しを請いたかった。しかし常に非ず気後れしてしまい、果たせていなかったのだ。
もうすぐ夏が終わり、彼女はブリンマーに戻ってしまうだろう。
その前に今日こそ、と意気込んだ若者に天は微笑まなかった。
モーガン博士が部屋から現れ、ミス・ツダに話しかける。
「本当に来年帰国するのかね?ブリンマーが奨学金を出すから、残って研究を続けるよう言ってくれているのに」
「はい、モーガン博士。皆さまのご厚意には感謝の念に堪えません。右も左も分からずに来た子どもの頃とは違い、此度は一大決心でアメリカへ参りましたので、私の学問を認めていただけることは本当に報われた想いです。研究は楽しく、心が揺れました。それも紛うことなき私の本心です」
ミス・ツダは一瞬俯く。それから面を上げ、凛とした眼差しで師を見上げる。
「けれど私は、日本に戻り女子の大学を創る夢を実現したいのです。私は子どもの頃、政府に国費留学生として送り出してもらいました。十年もの間、何千ドルにも及ぶ大金をかけて。日本の、特に女性の為に役立ち、恩返しをしなければならないと考えています……今はまだ、己が置かれている状況を自覚し、更なる教育を望む女性が少なくとも」
「そうか……それが君の志か。私も率直に言って残念だし、我らが学部長はきっと立腹するだろうが」
「自分の意思を通すことを望むならば、周りの全ての人に満足いただくことは不可能ですから」
「そうだな」
頭一つ分以上身長差がある師弟は静かに語りあう。
一方、廊下の角を曲がったところで、ヴィクターは壁に背をもたせかけていた。
シャツの胸を皺になるほどきつく掴む。
「日本へ帰るって……?もう会えなくなるのか……⁉」
「なんでこんなに僕は……。ああそうか、今頃気付くなんて。僕は貴女を……」
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