人間記念日

千桐加蓮

人間記念日

 ある日から、俺以外の人間が自分についての記憶を無くしていた。


 高校生になって初めての終業式の日からだったと思う。父は自分は勤め先を忘れたと言い始め、母は自分ついての記憶をほとんど無くしていた。


 そして、俺は俺で、この世界の有様に混乱していた。


 だが、一日経てば全てが元通りになるこの現象。困惑している人は他にもいないのだろうかと、インターネット上で呟いてみたところ、案外近くに同じことを思っている人がいたのである。

 


「可笑しな現象だね」

 スラリとしたモデル体型の若い男は、口だけ笑って俺の顔を見ている。

白刃しらば先輩、俺のこと疑ってるんですか?」

おんくんが疑い深いから、そう思うだけだよ」


 白刃真夜しらばしんやは、マルチに活動している芸能人の男である。去年の今頃は、アニメ映画の主人公の声優を務め、インタビューに追われていた。ヒット作となった今でも、バライティー番組に出演したり、映画やドラマの役を持っている。


 白刃先輩のことは、中高と同じ学校。四つ歳が離れているということもあり、それしか共通点がない。俺が一方的に知っているだけだと思っていた。


「俺のこと元々知ってたって話、嘘ですよね?」

 白刃先輩は悪戯な笑みを浮かべ、俺が通っている学校の校舎の中に入る。

 俺もそのあとに続く。


 沈黙の中、白刃先輩は、図書室の中に入っていった。

 あたりは日が暮れて、夜というよりは深夜に近い時間帯である。廊下からは満月の月が見えている。

「嘘じゃないよ」

 白刃先輩は、カウンターにあるパソコンを立ち上げて、インターネットに繋げながらようやく口を開いた。そして、有名な検索サイトで『白刃真夜 手紙』と入力する。

 すると、白刃先輩のページがヒットした。

 白刃先輩は、一番上に表示されている記事を見る。  

 今より三年ほど前の記事だった。俺が中学二年生の時のものである。そこには、ファンレターの思い出について丁寧に書かれていた。

「今でも恩くんの手紙持ってるんだよ、ずっと前から応援してくれていたからね」

 白刃先輩は嬉しそうに語り始めた。

「俺にはこんなファンレター送った覚え無いです」

 素直になれないが、鮮明に覚えている。先輩に憧れて、今日みたいに手紙を送ったこともあった。もちろん、返事は来なかったが。


 話を元に戻すと白刃先輩が言い、辺りの空気は重くのしかかっているように感じ始めた。

「今まで、研究したもの、偉人たちが築いてきたものはどうなるんだろうね」

 俺は怖くなって身震いをする。自分はずっとこの可笑しな現象に晒されながら生きていかなければいけないのかと不安になったのだ。

「診断してくれる医者も記憶がないのだから、診断しようがない。でも、みんな次の日には元通りっていうのも引っかかる。記憶がない時のことを覚えていない」

 白刃先輩は漫画に出てくる頭脳戦を楽しむかのごとく、顎に手を当てながら物思いに耽っていた。


「どうやって、この現象を防いだらいいんですか」


 白刃先輩は、俺を見た。


 そして、冷たく微笑んだ。


「人間記念日だね」


 俺は白刃先輩の顔から目を背け、『人間記念日』とは何かを尋ねる。

「全人類が記憶喪失になる日だよ。人間の誕生日、つまり、全人類がその日に何をするか思い出す」

「なんで、その日が何度もあるんですか?」

「さあ? なんでだろうね。誰かがその日を指定したんだろうね」

 俺は首を傾げる。

「でもさ、逆に考えたらラッキーだよね。みんな一斉に思い出すんだから。自分の記憶がないって気付いたらパニックになるだろうけど」

 確かにそうかもしれない。

「でも、恩くんが地球外生命体だなんてね」

 俺はクスッと笑う。


 俺は、どうやら地球人ではなく、別の惑星の生き物らしい。


 人間と姿、形がそっくりのため、今まで疑うことも、考えたことすらなかった。


「この現象が起きてからですよ。俺、地球人じゃないんですね」

「自覚なかったの? 僕たちは人間じゃないからこの現象に巻き込まれなかったんだよ」

 俺はそっと笑った。



 白刃先輩は、自分、先輩の両親も地球人ではないことを、初めてちゃんと話した時に教えてもらった。

 その際、俺の血縁関係についての話も、白刃先輩のお父さんから話を聞くことができた。

「地球調査員の不義の子どもだろう。もしくは、調査員が持ち込んだ子どもだとか」

 あまり、実例を聞くことはないらしい。

 そのため、今でも俺の実の両親はわかっていない。少なくとも、地球人に育てられた宇宙人であることは確かだと言う。

 実際、俺は『こうのとりのゆりかご』に届けられた赤ちゃんである。一緒に暮らしているのは育て親だ。

 

 俺はため息をつく。 

 このおかしな現象に悩まされて、早四ヶ月が過ぎようとしていた。

 最初の方は、自分は宇宙人であるという話や、記憶喪失になりつつある身近な人たちに戸惑いを感じていたけれど、すっかり慣れてしまった自分がいた。

 白刃先輩は、俺を見る。ふっと柔らかく笑っていた。俺は、その綺麗な顔を改めて見て鼓動が高まる。

 しかし、次の瞬間。白刃先輩の表情が大きく変わる。

「宇宙人たちは、地球を守るために人間記念日を増やすらしい。記憶喪失にさせて、全人類が人間記念日を当たり前の現象にさせるってさ」

 そう言った時の顔は、映画やドラマの中でしか見たことのない悪者の顔だった。

「それで、白刃先輩は地球人を辞めるわけですか?」

 俺は気持ちの整理をしながら尋ねる。

「恩くんだって人間じゃないでしょ?」

「ファンが、俺しかいなくなりますよ?」

 俺の問いには答えず、白刃先輩は席に座りなおしてまたパソコンを開き始めた。

「本来、人間記念日は何千年に一回で、明日がその日」

 白刃先輩はパソコンのキーボードに手を置く。そして、カチャカチャと打ち始めた。

 俺は『地球』という文字を打ち込んで検索してみる。すると、でるわでるわ様々な記事やネットの記事があった。地球に関する問題は数え切れぬほどあるらしい。

「地球に住んでいる住民は、人間だけじゃないんだよ。地球温暖化とか環境問題とかあるでしょ? 地球人だけが地球に関わっているわけじゃなくて、他の宇宙人も関わってるんだよ」

 俺は思わず息を漏らした。自分が知らなかった真実が次々に出てきて驚いてしまうのだ。

「地球の気候を安定させるためにはどうすればいいのか、っていう宇宙人の研究の中でね、ひとつの案として人間記念日というものが出てきたんだ。宇宙には、色んな惑星があって、地球よりも発展した技術があるらしい。その技術を使って人間を思うがままにしている」

 俺は、なんとも言えない顔で白刀先輩を見た。

「このまま、ずっと続くんだよ」

 白刃先輩は、パソコンの電源を切る。

「地球人全員の記憶を、宇宙人が管理しているなんて、宇宙人に支配されてるようなものじゃないですか?」

 俺は息を切らしながら、白刃先輩に尋ねる。

「恩くんは人間じゃない。人間記念日も関係無いよね?」

「人間記念日が、人間が滅ぶきっかけになってもいいんですか?」

「地球のためだと思えばいいんじゃない?」

「白刃先輩は、人間に支えられてここまで人気になったんじゃないんですか? 人間が人間じゃなくなってもいいんですか?」

「じゃあ、恩くんはどうするっていうの?」

 白刃先輩は、だんだんと俺を挑発した。俺は奥歯を噛み締める。そして、こう言った。

「俺が宇宙人だってこと、それで、宇宙人が人間を滅ぶようにしてるってみんなに言います」

白刃先輩は俺の目を見て笑う。

「どうやって証明するつもり?」

 確かにそうであった。自分が人間だと証明できるものは何一つないのである。

 でも、もし俺が本当に人間じゃないとしたら、この現象が起きてから初めて記憶を持っている存在ということになるのだ。

「俺は、傍観者になれ……と?」

「そう。傍観者になるんだ」

 白刃先輩は、また悪戯な笑みを浮かべていた。俺は、そんな白刀先輩を睨みつける。

「僕を憧れている目ではないね」

白刃先輩は、俺の肩に手を置いた。

 ただ黙って白刃先輩を見つめることしかできないでいた。そんな俺の不安な心を察したのか、白刃先輩はさらに続けた。

「明日になればわかるよ」


 図書室の壁掛け時計を見る。零時になった。


「おめでとう」

 白刃先輩の言葉が耳に入る。

「今日は地球人類の誕生日だよ」

 俺は思わず立ち上がった。椅子が後ろに倒れて大きな音を立てる。

「人間は、悪くないです」

「でも、人間がいなくても地球は生きていられる。隕石や彗星が当たったりしない限りね」

 白刃先輩は俺の目をしっかり見て言った。俺は力尽きたように微笑した。

「人間のために、俺たちにできることは何ですか?」

 白刃先輩も同じような、でも少し諦め切ったようにも見える表情で俺を見ている。

「ただ、想い、祈る。それだけだよ」

 白刃先輩が囁くように言った。その声は低くて心地よかったけれど、それはどこか冷たく感じたのだ。


 憧れた先輩はそこにはいなかった。目の前にいるのは、上手い理論のような言葉を使って、人間を惑わしているようにしか見えなかったのだ。

「俺は、白刃先輩みたいにはなれないです」

「そう? 僕は恩くんのこと好きだよ?」

「でも……俺は、人間のために何かしたいです」

「まあ、あとは人間次第だよ。僕たち、宇宙人は人間記念日が続く日々の中で、人間の団結力があるのか、行動を改めたりするのか……」


 俺は、これから本当の人間の強さや魅力を知ることになるのだろう。そんなことをぼんやりと考えた。


 静寂な夜が明けてほしい。俺は白刃先輩を見た。白刃先輩は、窓の外に向かって祈っているようだった。

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