第15話 都心のカフェテリアのテラス(2)

 そこで、理系の物理と地歴公民の暗記と、どっちが怖いか考えようと思った。それで、三年生になる前に物理の教科書を読み直してみた。

 うん。

 一ページに暗記しないといけないことが五つとかもっととかあって、しかもその教科書がすごく分厚い科目よりは、やっぱりこっちのほうが、いい。そして、選択する以上、もっと積極的な気もちで選択しよう。と思った。

 瑠璃るりなら……。

 いや。

 自信を持って理系を選んで、瑠璃に、どうだ、と言ってやりたかった。

 瑠璃だって、学年五十位に入っていたかどうかという成績で、いっしょに宿題をやっていたときに

「ああ、わからない。ああ、これわからない」

と、ほんとに頭をかきむしっていたこともあるのだ。あんなきれいな髪なのに、その髪をばさばさばさっとやって。

 そんなときの瑠璃は本気でくやしそうだった。

 そんなのだからこそ、瑠璃は文系も理系も楽しく勉強したかったのだ。

 その瑠璃には、文系も理系もかったるいから後ろ向きに選択するしかないというそのころの未融みゆの気もちなんか、ほんとうに理解できなかったのだろう。

 つまり、そんなところで未融が冗談を出すなんて思っていなかった。

 いま、未融はその瑠璃の気もちが理解できるところまで来た。

 それは怒るよね、と思った。

 一途で、自己主張が強くて、敵を作ることをいとわない瑠璃……。

 未融は、理系に切り替えてからの成績もトップクラスではなかったけれど、文系のままでいてあの苦手な暗記科目と挌闘している自分を想像すると、ぞっとした。

 数学IIIという、自分がいま何をどうやっているのかイメージできないけどともかく式にしたがって何かを解いている、という科目をやっているうちに、物理もよくわかるようになった。地学は、理系では沼間ぬま先生ではなかったけれど、楽しそうに教えてくれる男の先生で、理解もできたし、やっぱり好きな科目だった。

 高校三年生で、平井ひらい高校から二時間以上かけて見学に来たこの立徳りっとくかん大学で、宇宙地球科学の研究室に長い時間居座ってそこの先生や学生とおしゃべりをした。最後のほうは、そこの大学生と同じように、後から来た高校生のために下のコンビニにコーヒーの買い出しに行ったりしていた。

 未融は自分でわかってもいない宇宙膨張の加速の話をした。

 いや、未融にとって、宇宙膨張の加速とは「もう瑠璃には会えない」ということで、それだけで十分にわかったことになっていたのだ。

 そうすると、その教室の先生から「うん、よく知ってるね!」とおだてられ、最後にはその先生から「ぜひうちの研究室に来てほしい」と言われた。

 先生は冗談で言ったのだろうけど、その冗談を真に受けて、言われたとおり、未融は推薦で立徳館大学の理学部に入学した。

 都会での独り暮らしを始めて一年が過ぎた。

 二年生だ。

 そして、大学というところは、二年生になると、もう卒業後の進路というのを考えないといけなくなる。

 大学院は、少なくとも修士課程までは行くつもりだ。

 でも、昔の文系の大学しか知らず、大学院になんか行ったら就職がかえって不利になると信じこんでいる両親をどう説得するかが問題だ。

 ここまで来て、そろそろ瑠璃とお別れしてもいいのかな、と、ふと、思った。

 いつまでも、高校時代の友だち、二度と会えない友だちの視線を気にしていてもしようがない。

 沼間先生は、地球上にいるかぎりまた会える、と言ってくれた。

 でも、宇宙膨張が加速して、もう会えなくなったのだ。そう思おう。

 あのとき、なんとなくしかわかっていなかった宇宙膨張の理論も、いまでは「フリードマン方程式」というのを紙に書けるくらいには理解している。

 式の意味まできちんと理解しているかというと、そこはつっこまないでほしいのだけど。

 でも、フリードマン方程式はどうであったとしても、宇宙の曲率のおかげで、瑠璃とはもう会えない。

 ふと、あの瑠璃のふしぎな色の目を思い出した。あの目ならば、どんな望遠鏡より遠くまで未融の姿をとらえられるかも知れない。でも……。

 そんなことを考えていたので、未融は自分がいま取っている行動を意識していなかった。

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