第8話 帰り道(5)
体育で競歩というのをやったことがある。
この競技では
だから、瑠璃がその競歩のペースで歩けば、未融は追いつけないはずだ。
でも、瑠璃と未融の間隔は、縮まることもなかったかわりに、開くこともなかった。
瑠璃は何度も後ろを振り返り、未融がついて来ていることを確かめると、歩くペースを上げた。歩幅も制服のスカートのプリーツが許すかぎり伸ばした。
どこかで振り切られるだろう、と未融は思った。
でも、未融はふしぎとその瑠璃について行くことができた。
瑠璃が歯を食いしばっているのが、その頬の線からわかった。
頬には汗が垂れていた。その頬は、まっ赤になっているはずなのに、つるつるのピンクっぽさを失わず、雑木林を抜けたあとの空の明るさをせいいっぱい反射している。
きれいさの次元が違う。
おんなじ歳の女の子なのに。
未融の足が鈍った。
ついて行ける。まだ体力には歩きを速くする余裕がある。
でも、そう感じたとたん、未融の足は、前に進む速さを失った。
瑠璃はどんどん前に行く。
雑木林を抜けて橋を渡ったあたりで振り向く。
未融が遅れたのに気づいていないかな、と思ったら、瑠璃の青い目は、まだ橋のこちら側にいる未融を
瑠璃は足を止めた。
しばらく、ぶるぶる震えながら、そして肩で息をしながら、未融をにらみ据えている。
未融ももう追いつこうとしない。しかも、足を止めたとたん、未融のなかから息があふれてきて、激しい息が止められなくなった。どんな楽器を打ってもそんなに速く打てないくらいの心臓の音も耳を打つ。
瑠璃も同じだったのだろう。しばらく何も言わない。
それでも、少しでも長く息を保てるようになったところで、瑠璃は叫んだ。
というより、わめいた。
「あんたがわたしに留学してほしいって思ってるって思ったから、がんばったのにぃ!」
では、未融は瑠璃の留学を望んでいなかった?
あのときの気もちは冗談だった。雰囲気も冗談だった。
でも、じゃあ、瑠璃はどうすればいいかを時間をかけて考えたとしても、結論は同じだ。
英語もできる。自己表現もちゃんとできる。意見をはっきり言う。そんな瑠璃は、英語圏にちゃんと留学するべきだ。系列の高校全部を代表して、留学するべきだ。
でも、そのことはもう言ったし、体力の劣る未融はまだまとまったことばを出せる状態に戻らない。
「ばかあーっ!」
もう一言、大声でわめくと、瑠璃は走り出した。
瑠璃が橋の向こうの信号に引っかかったのが見えた。
そこの道路は、車通りが多いうえに、車が速度を上げたまま走り抜ける。
危なくて信号無視なんかできない。それに、もともと、瑠璃は信号無視なんかしない。車が来ないとわかっていても信号を守るような子だ。
だから、いま未融が走れば、瑠璃に追いつくことができる。
でも、未融は走らなかった。
「ばか」と言われてまで瑠璃に追いつく必要はない。
けど、ほんとうは、足がだるくて、もう前に進まないのだ。その自分の体の状態を納得するために、追いつかなくていい、と無理にでも思い続けている。
それは自分でもわかった。
信号が青に変わる前に、瑠璃はちらっと振り返った。
未融がついて来ていないのがわかると、瑠璃は、走るのはやめて、もとの早足で歩いて横断歩道を渡っていった。
それが、未融の高校時代、未融が瑠璃とことばをかわした最後だった。
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