花は根に人は記憶に
望凪
第1話
車窓からの景色というものが好きだった。
列車のスピードによって次々と変わりゆく眺め。自然や街の風景を窓という額縁が切り取り、紙芝居でも見ているみたいに移り変わっていく。
例え広々としたのどかな緑の平原であっても、一つとして同じ眺めはない。
ぼうと全体を見ながら、時には一本の木に、すれ違っていく一台の車に想いを馳せる。
そういう時間が好きだし、旅の醍醐味の一つだと思う。
ただし、今に限ってはそうとも限らなかった。
「はぁ……」
無意識にため息が出てしまう。
これで何回目かわからない。ダメだと思いつつも、最早癖の如くついつい出てしまうのだ。
けれど許して欲しい。隣の席には誰もいないし、何より一週間前に起こった事が事なのだから。
早い話が、彼氏に振られてしまった。
学生時代から七年も付き合ってきたのに。齢二十六にして、まさか独り身になるとは思わなかった。
それも理由が私以外に魅力的な人がいたから、そっちに行くというお粗末な話で。今でさえ泣きそうな所を、必死に堪えているだけでも上出来なのではないか。
といった具合で、言ってしまえばこれは傷心旅行である。
振られようが振られまいが、人生はどうしようもなく続く。何にせよ前を向いて歩かなければいけないなら、潔く諦めて、さっさと忘れてしまった方がいい。
今回のは、そのための儀式みたいなものだ。
ちなみに連れはいない。友だちと予定が合わなくて、泣く泣く一人旅を決行した次第だった。
……とまあ、そういう理由があって、景色を楽しめるような心境ではないのだった。
どれだけ集中したとしても、一週間前のことがフラッシュバックして、胸がズキズキと痛くなる。
何が良くなかったんだろうとか、どうしてこうなったんだろうとか、要らないことを考えては気が滅入ってしまう。
「……いけないいけない」
こんな暗い気持ちを吹き飛ばすのが今回の趣旨なんだし。風景がダメなら他のことで気を紛らわせればいい。
そういえば、暇つぶしに二、三冊くらい本を買ったんだった。それでも読んでいよう。
携帯用のバッグから文庫本を一冊取り出して、広げる。とにかく読むことに集中して、食い入るように没頭した。
幸いと、車内の居心地は悪くなかった。
列車であるにも関わらず、揺れが全くない。車輪が回転する音や、汽笛の音も全く聞こえない。列車の中というよりは、風景だけが移り変わる建物の一室に近い。
もちろん、これには理由がある。
従来の蒸気機関車をベースにしながら、魔法工学の様々なエッセンスを導入しているらしい。魔法によって、客車内の振動軽減と防音を可能にしているのだ。巷では魔法特急なんて呼ばれていたりする。
とはいっても、私もあまり詳しいわけでは無い。
魔法というのは、一般的には旧時代の遺物だった。千年前は当たり前だったみたいだが、科学技術の隆盛で今はそちらに取って代わられている。
少なくとも私の国の庶民にはまず馴染みがなく、どこか胡散臭いというのが常識だ。実際、私も同じように思っている。
考古学として研究する人たちは居ても、実際にそれを扱える人は居なかった。
……ある特別な例を除いては。
「海だ」
本に読み耽っていると、いつの間にか視界に飛び込んでくるような青が見えた。水平線がどこまでも続いていて、澄み渡る青空と溶けそうになっていた。
進行方向はその海側へ。岸辺に差し掛かろうが迷いなく列車は突き進んでいく。
橋などない。ただ海の上に、線路が浮かんでいるだけ。
海へと突っ込んでも、列車は沈むことなく走り続けていた。何の支えもなく真っ直ぐに連なる線路の上を、当たり前の如く疾走する。水しぶきすら立たないその様は、傍から見れば、滑空しているように見えるかもしれない。
これもまた魔法の力だ。
魔法は不可能を可能にする力、奇跡の御業なんて言われたりするけれど、こういうのを目の当たりにすると本当にそうなのでは、と思ってしまう。
原理が分からないけれど、車内は全く変化がない。列車は危なげなく走行している。
そのせいか、不思議と不安は湧かなかった。
――――これから向かう先は、魔法の国。
世界で唯一、埃に埋もれた魔法を復興し、科学に見劣りしない技術として確立した国家。大陸から遠く離れた島国でありながら、世界の列強国が無視できない存在。
そしてこの国にはもう一つ、特徴的な別の呼び名がある。
人呼んで、“最も浮気をしない国”。或いは、“離婚をしない国”。
どちらかといえば、私が惹かれたのはそっちの響きだった。
今回の傷心旅行は、もちろん観光がメインになるけれど、一応もう一つ、目的がある。
それが、この国に移住できるかどうか。
「もう、あんな思いはしたくない」
私は、彼のことが本当に好きだった。心から愛していた。
それなのにフられた。
もうイヤだ。こんなふうに苦しみたくない。私という存在が雑紙みたいに引き裂かれるような、あんな思いは二度と味わいたくない。
今後出会いがあるかどうかはともかくとして、次に好きだと思える人ができたなら、同じ轍は踏みたくない。
何を以て浮気しない国なのかは分からないけれど、もし本当にそうなら、私にとってはある種の理想の場所だと言える。
その確認も含めて、一体どういう場所なのかを見ておく必要がある。
風景が一面真っ青になってから、およそ一時間ほど。列車の先に、大きな島が見えてくる。
幻想と夢に満ち溢れた地へと、私は足を踏み入れる。
◇
「きれい……」
下車して広がる風景を見るなり、そんな感想が漏れた。
魔法の国、その首都にして主要都市。
白を貴重とした町並み。至るところに緑が茂っていて、様々な花々が咲き誇っていた。まるで一枚のキャンバスに草花を散らしたかのような光景だった。
奥にはこれまた白い岩壁が特徴的な山がそびえ立っていて、そしてそれや街を分断するかのように大きな河川が流れている。
河の岸には木造の帆船や蒸気船が混在しながら、所狭しと並んでいる。
一言で言うなら、清廉な港町。観光地の景観としては、文句のつけようもない。
さて、観光する前に宿を取っておかないと。
幸いにも駅の近くにはホテルがいくつか立ち並んでいた。
一番安そうなを見繕って、チェックインを済ませる。手続きはものの数分で終わり、すぐに部屋へと向かった。
こじんまりとした部屋には、トイレとお風呂、あとベッドが一つ置かれているくらいだった。
簡素だが、清潔感のあるシーツはシワひとつなく整えられており、部屋全体も清掃が行き届いている。
価格にしてはとても満足の行く内容だ。
衣服等を詰め込んでいるスーツケースだけを部屋に残して、鍵をかけて外に出る。
早速観光に移ろう。
さっきの河川沿いがメインストリートのようなので、まずはそこから。
端っこからでは果てが見えないほど何処までも建物が続いている。三、四階建ての石造りの建物で、例に漏れず壁面は真っ白だ。
近くで見てみると、どうやら塗装しているわけではなく、白いレンガのようなものを積み上げて作っているらしい。材質は分からないが、石灰に近いように思う。
いずれも一階がお店になっており、二階以降は等間隔に窓が並んでいることから、恐らく住居なのではないかと思う。
活気は想像以上にあった。現地人が主だが、私と同じく、外国からの観光客もそれなりに見て取れる。
お店は種々様々だ。生鮮食品や料理、服や装飾品、日用品から薬まで、多岐にわたる。
どれも目を惹かれるが、それよりももっと気になることがあった。
道行く人々……恐らく現地人……に、共通する事柄ある。
「みんな、お花を付けてる……」
そう。男女問わず、ほぼ全ての人々が、花をあしらった装飾品を付けている。指輪や髪飾りが主で、花は人によって様々だ。バラ、マーガレット、カスミソウ、キンモクセイ、カーネーション、ガーベラなど。子どもには見られず、大人に共通している。
街の至る所に花が咲いているし、花と親しい文化が根付いているんだろうか。
どれも精巧な出来で、遠目から見ていてもうっとりする。
「……あれ?」
気のせいだろうか。
漆のような黒い長髪が綺麗な女性。優美で、同性の私でも脇目にみてしまうような人、その薬指に白い花の指輪を付けていた。確か、東洋の国のサクラという花だったか。
その花びらが、地面にヒラリと落ちたような気がした。まるで本物の花弁のように、舞うようにして落ちたのだ。
てっきり金属か何かで出来ているものかと思っていたけれど、そういうわけじゃ無いのだろうか。魔法の国の技術力、それは未知数のものだから、何があっても不思議ではないのかもしれないけれど。
まあ、いいや。
まずは装飾品を一通り見てみたい。どこか良さげな工芸屋さんを見繕って――――――それを遮るように、くぅと音がなった。
「あ…………」
そういえば、もうお昼だった。
お店を回る前に、まず腹ごしらえといこう。
歩いて程なく、雰囲気が良さそうなカフェテリアを見つけた。
早速中へと入ってみる。
ウッド調の内装で、ツル状の植物がカーテンのように店内に生い茂っている。緑が店内を侵食しているようにも見えるが、移動やテーブルの使用には邪魔にならないよう調整されており、しっかりと太陽光を取り入れるだけの調光も考慮されている。
カウンターで注文を済ませて、適当に隅の方の席に座る。
海辺ということもあってそれなりに風が強かったのだが、吹き抜けの壁にツルのカーテンが生い茂っていることで、程よいそよ風へと変化させている。
間もない内に注文した品がやって来る。
若い女の子の店員さんで、テーブルに私が頼んだサンドイッチとアイスコーヒーを置いてくれた。
「ありがとう」
「いえ!お食事をお楽しみ下さい!」
ハッキリとした受け答え。ハツラツとした調子は十代の瑞々しさを感じさせた。きっとバイトか何かなのだろう。
そういえばこの娘も花の髪飾りを付けている。小ぶりで水色の花弁を持つそれは、確かワスレナグサだっただろうか。
ちょうどいい。気になっていたことを尋ねてみよう。
「すみません。この国では花をあしらった装飾品を付けるのが流行りなんですか?」
そう質問すると、キョトンとした顔をして、すぐにああ、と納得したように頷いた。
「これ、実は装飾品ではないんです」
「え?」
「見てみてください」
どういうことなのかと訝しんでいると、店員さんが屈んで、花の葉の部分をめくって見せた。つまり、その根本の部分が明らかになった。
そして、その非現実的な光景に、体温が急に冷え込むのを感じた。
「……え?」
有り体に言えば、女性の頭から花が生えていた。
金具のようなものは見えない。髪の中に埋もれているようにも思われない。極めてごく自然に、さも当たり前であるかのように、植物と人体が癒着していた。
一体何がどうなっているのか。少なくとも、現代の科学技術ではあり得ない。
一瞬夢かとも思ったけれど、ほっぺたをつねったら痛覚は正常に働いてしまった。
「これは、一体……」
恐る恐る尋ねると、店員さんはすっくと立ち上がる。
「想種ってご存知ないですか?」
「ソウシュ……?」
聞き慣れない単語に思わず問い返す。
「もしかしてこの国特有の物だったりするのかな。想種っていうのは、魔力が込められた植物の種のことです。それを飲み込むと、すぐに身体の指定した部位に花が咲くんです」
「…………」
呆気に取られる。
魔法というのはそんなことも可能なのか。
「なぜ、そんなことを?」
仮に魔法が文字通りファンタジーな産物だとして、わざわざそんなことをする理由ってなんなんだろう。見栄え以外の利点があるのだろうか。
「それは……まあ、この国の、昔からの文化だから……ですかね?」
「はぁ。文化……?」
思ったよりも曖昧な回答だった。
異国の文化というのは得てして珍妙に思えてしまうものだけど、ここまで異質なのは初めてだ。
「はい。これは古くからの慣習なんですが、結婚する時、夫婦はお互いに想種を贈り合うんです。贈られた種を口にして、お互いに花が咲くことを確認する――――それが結婚式のメインイベントだったり」
母国ではウェディングリングを交換するのが当たり前だが、こっちはその代わりに魔法で出来た種を贈り合うということ……だろうか。
不可解な点は沢山あるけれど、一先ずの概要は把握した。
……ん?ということ、つまり?
「あなたはもう結婚してるってこと?」
店員さんに尋ねる。
見た感じ、見た目は十代後半くらいにしか見えない。その若さで結婚しているというのは、ちょっと珍しい。母国でも例がないわけではないが、数は少ない。
すると、店員さんは頬を赤らめながら、
「い、いえ!わ、わたしはまだ結婚してないです!」
そう訂正した。
「で、でも。その頭に花が咲いているということは、さっきの話からすればそういうことなのでは……?」
「ああ、いえ。最近だと、カップルくらいの段階でも贈り合うことがあるんです。いわゆる流行っていうやつで……」
恥ずかしそうにしながらも、丁寧に解説してくれる。
なんか初々しくて可愛いなぁ。私にもこんな時期があったっけ―—————って、そんな風に思うのは、着々とおばさんに近づいている証拠なのか。
「でも、おかげで彼との仲は順調で。彼、女好きな所があったんですけど、想種を贈り合ってからは、私のことだけを見てくれてるんです」
「……そ、そうなんだ?」
どういうことだろう。どうにも脈絡を得ない。
考え込んでいると、店員さんは気にすることなく話を進める。
「あ、もし想種について気になるようでしたら、花屋に行ってみてはどうでしょう。おすすめの所があるので、良ければ教えますよ」
「え。……うーん」
確かに見栄えはいいけれど、その実情は正直に言っておぞましい。人から植物が生えているというのは、なんかこう、言葉にはし辛い嫌悪感がある。
でもまあ、特に予定がある訳でもない。これも何かの縁だ。
「じゃあ、お願いしようかな」
店員さんが胸ポケットからメモ帳らしきものを取り出すと、ペンですらすらと何かを書き記していく。
そしてその一頁を破ってこちらに渡してくれた。
「これ、そのお店までの地図です。雑で申し訳ないんですけど……」
見てみると、ここからそのお店までのルートが詳細に描写されていた。この短時間で書いたにしては大したものだ。
「どうもありがとう」
お礼の言葉と共にチップを手渡す。
店員さんは渡された金額を見るなり、目を丸くして、慌てて渡されたチップをこちらに突き出した。
「こ、こんなに頂くわけには……!」
「いや、丁寧なサービスだったよ?これはほんの気持ち」
旅先というのもあって財布の紐が緩かった。あとは、店員さんが彼氏と幸せになって欲しいという願いも込めて。
「ええ。彼氏さんとお幸せにね」
「は、はい!」
照れくさそうにはにかみながら、店員さんは戻っていった。
それを尻目に、テーブルにあるサンドイッチを手に取る。
パンにはレタスと白身魚が挟まれている。味付けとしてチリソースが、アクセントして香草が散りばめられている。
さっきの衝撃的な事実のせいで混乱しているけれど、とりあえず一口かじってみる。
「ん、おいしい」
素材の一つ一つはそれほど主張していないのに、それぞれが上手く噛み合って、口の中で一つの味わいとして広がる。素朴でいながら新鮮さを忘れない……そんな味だった。
カフェを後にすると、件の花屋へと向かうことにした。
メインストリートからそれて、小路へと入っていく。
脇にそれても、道の清潔さは変わらなかった。
白いレンガの道。時に天蓋を覆うほどの緑。清涼感のある水路。自然と調和した街という形容が、この都市には似合うだろう。
人通りは流石にメインストリートほどではない。まばらではあるが、時折すれ違う人くらいはいる。
先の人たちと同じく、身体のどこかに花を咲かせて。
「…………」
現実離れした話とはいえ、実際の物を見せられてしまうと信じるしかなくなる。
そしてだからこそ、見る目が変わってしまう。困惑と恐怖の眼差しを向けざるを得ない。
確かに、害はないのかもしれない。
けれど、想種なんてそんな得体のしれないものを口に入れる気になんて、私にはなれない。
どういう仕組みかは分からないけれど、やっていることは自分を苗床にして花を育てているようなものだ。或いは寄生させていると言うべきか。
人体から生えるものが意思を持たない植物だからまだ良いとしても、じゃあ例えば動物でも同じように構わないとこの国の人は思うのだろうか。極端な例かもしれないけれど、程度の差だと私は思う。
そもそも、慣習としてそうだからといって、何の疑問も持たずそんなことをするだろうか。
特に害はないようだから、仕組みは分からないけれど私もやる、とそう言っているようなものだ。それでは、適当に処置したら治ったからこれで問題ないだろうと医者に言われて、素直に納得するのと同じである。
この慣習を、この状況を当たり前だと思っている人々に、私は恐怖を覚える。
けれど、ただ聞きかじった情報だけでそういう風に人を見るのもよろしくない。
それに、事情はどうあれ、この国の夫婦や恋人たちが幸せそうなのは確かだった。まだここに来て数時間程度だけれど、みんながみんな笑っていた。この国のファーストインプレッションとして忘れることができない。
入り組んだ路地を貰った地図の通りに進んでいくと、不自然に人が集まっている場所を見つけた。
居るかどうかという疎ら具合だった路地に、人が数人行き交いしていた。
近寄ってみると、小さいながらも花で溢れて華やかなお店がそこにはあった。ここが例の場所らしい。
「普通の花屋だ……」
見せ先に陳列された花々は、特に奇妙な様子はなかった。
見たことがない物もあるが、その様相は母国の花屋とそう変わらない。いたってまともな、どこにでもありそうなお店だった。
中も変わらず花で溢れている。色、花弁の形、大きさから、様々な花々が一堂に会して、目を奪われてしまう。
客は女性がほとんどだった。それも若い人しかおらず、どこか浮足立っているように見える。まるでこれから着るウェディングドレスを選んでいる時みたいな。
「でしたら、こちらがよろしいかとー」
花を眺めていたら、そんな声が聞こえた。
そちらを向いてみると、二人の女性が紫陽花の前で会話をしていた。
「アジサイかぁ……。ちょっと地味な気もするけど」
一方は吊り眉の気の強そうな女性だった。化粧も濃く、真っ赤なスカートといい、とにかく派手だった。
私の第一印象としては良くも悪くも情熱的な人のように見えた。
「いえいえー。お似合いだと思いますよ―」
もう一方は、なんかヘンな格好をした人だった。多分店員さんなのだろうけど、股下まで伸びるダボダボのシャツに、下は何もなしで、上から白衣を羽織っている。栗色の長髪はボサボサの跳ねまくり、野暮ったい丸メガネまでかけて、まるでどこかのマッドサイエンティストのような見た目だった。
ある意味、対照的とも言える。二人が並んでいる所を見ると、どうしてこのような組み合わせが成り立つのだろうかという食い合わせの悪さを感じる。
「アジサイは土壌の酸性度合いで色が変わるんですねぇ。そこからついた花言葉は移り気、嫉妬。更に転じて、強い愛情、独占欲……などなど。旦那さんに、私だけを愛して欲しいという願望があるということなので、これ以上の物はないと思いますがー」
間延びした喋り方でアジサイの解説がなされる。
贈り物の花の話をしているのだろうか。……それとも。
「けど、そう都合よく行くかな。移り気っていう意味も込められてるなら、そっちが強く出ちゃうってこともあるんじゃ」
出る……とは?なにが?
ちょっと気になるから花を眺めるフリをして聞いてみよう。
「それは、まぁ。可能性としてゼロではないですけどー」
「じゃあもっと別の――――」
「いえ」
お客の言葉を遮るように丸メガネの女性は否定する。さっきとは打って変わって、ゾッとするような冷たい声色で。
「お客さんが本当にその人に愛してほしいと願うなら、そんなことには絶対になりません。想種とはつまり、想いを魔力として物体に込め、種という形に凝縮させた呪い。強い想いさえあれば、自ずとそういう性質が引き出される。――――――それとも、貴方には自信がありませんか?」
「想種……!」
思わず小さく声に出てしまう。
けれど、そうか。今していたのは、花ではなく想種の話だったのか。
煽るような店員さんの言葉に、お客の女性の顔がかーっと赤くなる。
「ふざけないで!自信がないですって?そんなの誰よりもあるに決まってるじゃない!彼のことは、この世で一番私が愛しているんだから!」
殴りつけるように、女性は怒声を放った。その勢いは落雷にも似て、店内をシンとさせるのには十分だった。
傍から見ているだけでも萎縮してしまうような圧。それを目の当たりにしながら、丸メガネの店員はひょうひょうとした態度を崩さなかった。
「ですよねぇ。その気持ちがあれば全く問題ありません。必ず、円満な夫婦関係が築けますよー」
「あ……」
毒気を抜かれたように、派手な女性は短く声を漏らす。今度は羞恥心で顔を赤くして、俯いて手のひらで顔を覆ってしまう。
気の強さは見た通りだけれど、こういうちょっと乙女っぽい所も、きっと彼女の魅力なのだろう。
「じゃあ、アジサイで……」
指の隙間から目だけを覗かせて、派手な女性は店員にそう告げた。
「はーい。お買い上げありがとうございますー」
何事もなかったかのような、緩い声色。それで店内の空気が元に戻った。
店員さんは目の前にあった鉢植えを手に持った。何も植わっていない小さな鉢植えに、指でつまんだ何かをのせて、土の中に入るように軽く混ぜる。
そしてそれを薄い布の袋に詰めて、派手な女性に手渡す。
「どうぞー。これからの結婚生活、どうぞお幸せにー」
「……ええ。上手くいったら、報告に来ます」
複雑な表情をしながらも、派手な女性は鉢植えの入った袋を受け取る。代金を受け渡すと、ズカズカと店を出ていった。
「…………」
チラっと見えてしまった。
派手な女性が店を出るときの表情を。店員さんから背を向けた瞬間、口元を綻ばせたのを私は見逃さなかった。あの時の表情を何かに例えるなら、まさに恋する乙女のソレだった。
きっと先の女性は、結婚の時に交換する想種を選んでいたのだろう。というより、ここを訪れる殆どの人が、なのかもしれない。
想種というのは不気味だ。けど、そこに込める想いというのは、私の国のソレと大して変わらないのかもしれない……そんなことを思った。
ともあれ、質問してみよう。ここのお店を教えてくれた娘の言う通り、想種を取り扱っているお店のようだし。ならきっと、それについても詳しいだろう。
「あの」
さっきの店員さんに声を掛ける。
先ほど貰ったお金をレジスターに戻しつつ、紙幣や硬貨の整理をしようとしている所のようだった。
「はいー?」
「一つお聞きしたいことがあるんですけど」
「どうぞー」
チラと一度だけこちらを向いた後、すぐにレジスターの方に視線が戻る。作業しながら聞く、ということだろうか。
「想種っていうのは、何なんですか」
「んー?……あー、外国から来た方ですかー」
さして興味もなさげにそう言う。カチン、と音を立てて小銭入れを締めると、こちらに振り向いた。
「想種に興味がお有りで?」
「ええ、まあ」
そう言うと、何やらこちらをじーっと見つめてきた。半目の大きな瞳に捉えられて、なぜか私も目が離せなかった。……まるで、こちらの素性を不躾にまさぐられているかのような錯覚がして、背中の辺りがゾワリとした。
「……なるほどー。最近、ショッキングな出来事でもありました?例えば、好きな人にフられるとかー」
「えっ」
な、なんでそれを。
自分ですら触れない心というものを、目の前の見ず知らずの人間に鷲掴みされたかのような気分に陥った。
「図星ですかぁ」
愉快そうに口角を上げる丸メガネの女性。……その態度が少し癪に触った。
「教えますよー。きっと貴方も気に入ると思うので」
「い、一体なんなんですか。え、エスパーとか?」
「ん、あはは。まあ、似たようなもんですー。商売柄、そーいうの、分かっちゃうもんで」
「…………」
恋愛とか興味なさそうな見た目してるのに……と思ったが、なんとか喉元で留めた。人は見かけによらない。
「……で、想種ってなんなんですか」
少しつっけんどんに尋ねる。熱を持った頬がこそばゆくて、それを誤魔化したかった。
「どれくらいの認識なんですー?」
今度はカウンターに座って、何やら紙を取り出してペンを奔らせる。
どうも、この店の売り上げをまとめているようだが、それ以上は分からない。
……というか、さっきから対応が雑じゃないだろうか。怒るほどではないけれど、あまり良い気持ちはしない。
「ええと……。なんか、魔力?を込めた種で、飲み込むことで身体のどこかに花が咲く。婚姻時に夫婦間で贈り合う慣習がある……って感じですかね」
「あー。まー、大体あってます」
棒読みに近い声のトーン。本当に合っているのか疑わしく思えてしまう。
「アタシから話せるのは、想種の仕組みです。文化的、歴史的にも根が深いもんですけど、そーいうのは詳しくないし、興味もないんで」
別の客の会計をこなしながらそんなことを言う。
「想種っていうのは、一言で言うなら呪いの種ですねー。人間の身体に寄生して、人間から栄養を奪って生存する。そしてその花が持つ花言葉を、その人に反映させるんすねー」
「…………は?」
いきなり何を言ってるんだこの人は。
花言葉を反映させる?そんな、本当に魔法みたいなことが、現実で罷り通ってもいいのか。
「でも、栄養っていうのは物理的な物じゃない。タンパク質とかビタミンとか、そういうのを横取りするんじゃあないんですねー」
かなり重要なワードだったのだが、メガネの店員さんは気にせず解説を進める。そしてペンの滑る手は澱みない。
取り敢えず聞くだけ聞いてみよう。質問は後からすればいい。
「簡単に言えば、人の感情……要は精神活動ですねー。嬉しいとか、楽しいとか、腹が立つとか、悲しいとか、そーいうのを栄養にしてるんですー」
荒唐無稽……だとは当然思うが、とりあえず置いておこう。この人の言っている理屈を解釈することに専念してみよう。
「でも、人体も吸われてばかりじゃない。精神活動もエネルギーが必要なんで、それが取られてばっかじゃいずれ廃人ですし。なんで、取られた分は想種が芽吹いて成長した花、想花から奪い返すことになるんですー」
「ソウカ……その想花っていうのが、この国の人が皆、身体に花をつけてるやつの名前ですか」
「ええ、その通りー。で、想花ってのはとある呪い……ていうより強い想念が結晶になったものなんで、そっから取れるものって言ったら、その想念しかないもんで。自然と、その想念に準じた精神になってしまうって寸法ですー」
人も想花も、お互いに精神的なエネルギーをやり取りする共生関係にある。想花はそれを自分の生きる糧として得て、人はそれを呪いとして受け入れる。
「その想念っていうのは?」
「想種にも色々種類があって、それぞれに込められた呪いも違う。その呪いっていうのが、つまりは花言葉なんですー」
花言葉を反映させるっていうのはそういうことか。種類によって、込められた花言葉……つまり呪いが人に作用する。
「そういえば、さっきのお客さんとも、アジサイの花言葉がどうとか言ってましたね」
「そーそー。アジサイで言うなら、移り気とか、そーいう邪な感情を好むんですねぇ」
興が乗ってきたのか、丸メガネの店員の口角が徐々に上がっていく。
「けど、アジサイ=移り気かって言われると、またそーでもなくて。大体、花言葉っていうのは一つの花に複数の意味が込められてるもんで。アジサイで言うなら、嫉妬とか独占欲とか、そっちの方に偏る可能性だってあるってワケです」
ああ、少しわかってきた。
さっきこの人と派手な女性とで少し揉めていたのは、そういう理由だったんだ。
相反する意味を持つ花を育てる場合、ミスが生じれば望む結果とは真逆の性質を持ってしまうということ。そうなれば、本末転倒になる。
「そこがちょいと難儀なとこでしてね。その指向性を確実に定めるためには、その人が自ら育てなきゃならんないんです」
「育てる、ですか」
「想種の素となる種があって、それを普通の植物と同じ要領で成長させる。水をやって、日光を浴びせて……といった風にですねー。ただし一点だけ違うのは、想いを一生懸命込めないといけないこと。想い人のことを考えながら育てることで、少しずつその想いは蓄積されていく。んで、育てた花から採れた種っていうのが、正真正銘の想種ってワケです」
「想種とは、育てた人の想いの結晶ってところですか」
「まあ、そんな感じですー」
なるほど。細かい所を突っ込むと疑問は尽きないが、大まかには把握できた。
呪いの種。それを贈り物にするということは、つまりは、自分の気持ちをそのまま相手に渡すのと同義だ。
そういう風に表現するなら、ロマンチックだとは思う。
けれども、私は喉が干上がるような苛立ちを感じていた。
「種を飲んで、想花が咲いて。その花言葉に縛られた精神構造になって……。そのあとは?」
「というと?」
「ずっと、そのままですか。その呪いに縛れたまま、死ぬまで生きていくってことですか?……例えば、一途に愛するなんて花言葉があったら、その人のことをずっと愛し続ける、みたいな」
「おー。その通りですー」
興味なさげに返答する。こちらには全く振り向くことなく、紙とにらめっこをしながら。
「だから夫婦で贈り合うんですか」
「そうですねー」
「浮気をしない国、なんて聞きましたけど。その理由って、もしかして想種のせいですか」
「そう呼ばれてるかどうかは知りませんけど―。まあ、ご想像の通りですー」
なるほど。それは浮気しないわけだ。
婚姻時に想種を贈り合う。お互いにお互いを呪いで縛り付け、変わることを許さない。
「その夫婦にあるのは、本当に真の愛情なんでしょうか」
愛情というのは、得難いからこそ大切で、尊いものなんじゃないか。
人間の気持ちなんてものは、簡単に揺れ動く。それが時に人間関係を拗らせ、悲劇を生むことだってある。
二人の人間の、お互いの想いの熱量が、等価で重なり合うことなんてまずあり得ない。大抵はどっちかが強くて、どっちかが弱いんだ。
でも。だからこそ。
それが重なり合う瞬間こそ、何よりも代えがたいんじゃないか。特別で、その人しかいないって思わせるんじゃないのか。
他人の未来を、多かれ少なかれ恣意的に捻じ曲げてしまうのは、果たして本当に好きだと言えるのだろうか。そうすることを心のどこかで望んでいても、実際にそうしてしまうのは違うんじゃないのか。
……私だって、彼と別れてしまったことはすごく悲しい。
やり直せるならやり直したいって、考えないと言えば嘘になる。
でも実際にそんなことはしない。
彼のことが本当に好きだから、彼のことを尊重している。彼が私との未来でなく、他の人との未来を選び取ったというのなら、私はそれでいいと納得する。
それこそが、本当にその人のことを好いているということではないのだろうか。
店員さんはつまらなさそうにこちらを見て、すぐに視線を戻す。自分のメガネを取ると、白衣のポケットから取り出したメガネ拭きでレンズを拭きだした。
「さあ。そーいう哲学じみた話はどーでもいいのでー」
汚れを取ったメガネをかけ直す。こちらを見ないまま、店員さんは口を開いた。
「でも、夫婦の仲がずっと続くっていうのは良いことなのでは。浮気なんてない方が良い。……利己的だとしても、誰しもがそう望んでると、アタシは思うんスけどね」
「…………」
その言葉は、どこか実感を伴っているように聞こえた。さっきのような適当な態度とも、想種について解説してる時とも、違っているように思った。
どこか、彼女らしからぬ硬さが声から伝わった。
「ま、必要ないとおっしゃるなら買わなければいいですー。アタシはお客さんの需要に応えるだけですからー」
「……そうですか」
私がそう言うと、話は終わりだとばかりに店員さんは立ち上がって、私の横を通り過ぎようとした。
「ちょっと!」
それを私が呼び止めた。
彼女は緩慢とした動作でこちらに振り向く。
「何も買わないとは言ってないんですが。……適当で構いませんので見繕ってもらえませんか」
別に想種自体に興味はないけれど、ここまで話をしてくれたのに何も買わずに帰るなんて真似はできない。
それに、未だに不気味ではあるが、浮気をしない国の記念としてはこれ以上ない代物だと思う。
「そうですかー、わかりました」
間延びした返事で店員さんは了承した。
聞かせてくれと言われたので十分ほど私の身の上の話をすると、これがいいと言って、とある種子を手渡してきた。
指定された料金を渡すついでに、一つ尋ねてみる。
「ちなみにこれ、何の花なんです?」
「知らない方が宜しいかとー。それに使う気はないのではー?」
単なる興味本位だったのだが、知らないほうが良いというのはどういうことだろう。
……まあ、適当で良いと言ったのはこっちだったし、引き下がる理由もない。
「わかりました。色々、ありがとうございます」
「いえいえ~。お買い上げありがとうございますー」
会釈だけして、店を後にする。
店から少し離れて、今一度振り向く。
花屋の賑わいは変わらず、お店を出ていくお客は揃いも揃って笑顔だった。まるで、これから幸福な未来が訪れると占い師に言われて、まんまと信じ込んでしまったみたいに。
事実を知ると、途端に滑稽に思えてくる。
どれだけ取り繕っても、想種によって約束された愛なんてものは、ひどく歪んでいる。お互いのエゴを押し付けあっているだけだ。
本当の愛情というのは、時にぶつかりあいながらも、二人で大事に育んでいくものだからだ。そういう情を二人で共有できる関係こそ、私の憧れる恋愛だ。
だから、私は想種になんて頼らない。
そう改めて心に誓って、バッグの中へと想種を入れた。
「よし!観光しよう!」
太陽は中天に差し掛かって少し傾いたくらい。今日という時間はまだまだ終わりではない。
切り替えて、この旅行を全力で楽しもう。
◆
シン、と静まり返る夜だった。
日中、燦々と降り注いでいた太陽は鳴りを潜めている。いや、分厚くかかった雲は月明りすら地上へ届くことを許さない。
今日の仕事を終えたアタシは、一人書斎に籠っていた。
机を小ぶりなランタンが照らして、それを頼りに研究書を読み進める。
アタシにとっては、この時間こそが至福……もとい本業だった。
植物魔法学の研究者。それこそがアタシの本来の仕事だ。
昼間は花屋を営んでいるが、それは日銭の稼ぎが主で、別に楽しいからとか、そーいう前向きな気持ちで始めたものではない。……始めたきっかけは、ただの未練だ。
「……あー。肩こる……」
本を閉じると、ランタンを持って立ち上がる。うんと伸びをしてから、部屋の隅へと歩いていく。
書斎の窓側は、植木鉢に植わった花で埋め尽くされていた。ここにあるのはアタシが育てたものだけど、商品としてのものじゃない。あくまで研究用だ。
その一番左端。そこにパンジーの花があった。
しかし、通常のソレとは少し異なる。茎が異様に太く、そこからまるで樹木のように細い茎が枝分かれして、レースのような葉と真っ赤な花が無数に付いていた。
その背丈は、ちょうど成人女性くらいだった。
「真の愛情、かぁ……」
昼間、外国のお客の一人に言われたことだ。
なぜだか、その言葉が頭の隅に居座って、離れてくれなかった。
正直、そういった類の話はよく分からないし、あまり興味もなかった。
幼いころから魔法の勉強や植物の観察が好きで、大人になってからもそれは変わらなかった。
ずっとそれに没頭していたし、周りからは奇異の目で見られてきた。だから人と関わることなんてなかったし、誰かを好きになることもなかった。
……ただ一人を除いては。
それは単なる片想いで、報われたものではなかった。……少なくとも、アタシはそうは思わなかった。
それは炎のような激情で、毒のようにアタシを蝕んで、取り返しのつかないくらい肥大していった。
自分でも抱えきれなくなった感情は、誰かを害することでしか救われない。
気が付いた時には、アタシの呪いを彼女に押し付けていた。アタシのエゴが、彼女の未来を閉ざしてしまった。
その瞬間の愛おしそうな微笑みは、今でも脳裏に焼き付いて消えない。
「…………」
アタシに、愛情なんてものは分からない。
想種というものがありながら、他人と同じ気持ちを育んでいくことが出来ない。
興味なんて無かったのに、ある日突然憧れて、恋に落ちて、願って、喪って。元に戻っても、ソレはずっとアタシの中で燻ったまま。
変ってしまったアタシは、今までどうやって息をしていたのか、分からなくなってしまった。
愛を知らず、恋しか出来ないアタシには、もうどうしようもない。
アタシに出来るのは、ただ願うことだけ。アタシは奇跡に縋ることすら出来なかったけど、きっと他の人はそうじゃない。
なら、その奇跡を奇跡のままにしておけるように。ずっと、末永く、永遠に続くように。
楽しくもない。嬉しくもない。ただ自戒するように、アタシは呪いの種を作り続ける。
「おやすみー」
花にそう告げる。
別れるのが惜しい。自分の部屋だからいつでも会えるのに、ほんの少し離れるだけで心臓がきゅっと握りしめられるような気持ちになる。
彼女には、こんな想いをして欲しくないな。
外からのお客さん。大切な人にフられてしまって、傷心の様子だった。
恋を恋のまま終わらせないように。次の恋を見つけて、それが愛という奇跡に変わることを、そして息絶えるまで続くことを、切に願う。
アタシは踵を返すと、書斎を出て、扉を閉めた。
◆
二泊三日の旅。
魔法の国、その様々な場所を訪れた。
この国でしか見られないような自然の風景、工芸品や服飾品、食べ物など、一通りは味わったように思う。
新鮮な経験が高揚感を生み、過ぎる時間を忘れさせてくれた。
こうして帰り支度を済ませている今、充実した時間だったと心から思う。
荷物をまとめて、受付にお礼を告げて宿を出る。
空は相変わらずの快晴。どこまでも清く白い町並みを照らして、眩しく見えるほどだ。
今から魔法列車を待って、それで母国へ戻ることになる。
駅は相変わらず人でごった返していた。私のように外国から来た人もいれば、この国の人間も沢山いる。
身体のどこかに花を咲かせて、幸せそうに笑っている。
とある男女が目に止まる。ちょうど私と同じくらいの年齢の女性と、それより少し若い男性の二人。仲睦まじげにお互いを見つめて、お互いの花の花弁に口づけを交わした。
幸せそうに。変わることのない愛を食むように。
「…………ッ」
思わず目を伏せる。
そんな姿を見せないで欲しい。
フラッシュバックする。彼との幸せな思い出が。今はそうでないのだと、痛いほどに認識してしまう。
ブンブンと頭を振る。嫌な考えを振り払うように。
これじゃあ、何のための旅だったのか分からない。彼との思い出を、もう思い出さないようにって主旨だったのに。
考えないように。考えないように。
そう心の中で何度も唱えながら、列車へと乗り込む。列車の一番前の車両、空いている席に腰を掛けた。自分以外にこの車両に乗客はいない。
しばらくして、音もたてず列車は駅を出た。
列車の振動も、車輪の走る音も、風を切る音もしない。窓から見えるのは茫洋な水たまりだけで、これといった変化もない。
まるで、この空間だけ時間を止められたみたいだ。
「…………」
忘れられないまでも、無心で居られたら良かった。これだけ静かだと、意識は自ずと自分の中へと向かうしかない。
どれだけ考えないように努めた所で、そうしている時点で意識はしている。まるで呪いのように、絶望と未練は私の頭から離れてはくれない。
そういえば、魔法の国の人々は、みんな幸せそうだったな。
街の人も、初日に会ったカフェの店員さんも、花屋の人たちも。少なくとも、私のようにほの暗い感情を飲み込んでいるような人は見なかった。
旅は終わる。これから母国に戻り、帰路につく。そうして明日からまた、いつもの日常が始まる。
……彼の居ない、普通だった日常に。
「あ…………」
隣には誰もいない。
こんな時、彼が居てくれたら、何も言わずとも手をぎゅって握ってくれるのに。私のそばに居てくれると諭すように、柔らかな微笑みを向けてくれるのに。
……彼が居てくれればよかった。
この旅で、色んな所を訪れた。山、谷、河、海、街、どれも見事な絶景で、見る度に疲れで淀んでいた心が洗われるようだった。
そしてその度に、ここに彼が居ればいいのにと思ってしまった。
どれだけ他のことに心を奪われようと、心の片隅に彼は居る。未練は杭のように深々と刺さって抜けてはくれない。
一度彼のことを考えてしまうと、思いが溢れ出て止まらない。とても忘れるどころじゃない。
どうして彼はここに居ないんだろう。どうして私のそばから離れてしまったんだろう。今までずっと一緒に居たのに。私のことを好きって言ってくれたのに。何度も、何度も、何度も、何度も、数えるのも億劫になるくらい言ってくれて、でもその一つずつを私は鮮明に覚えていて、言われるたびに愛しさが増していって、彼しかいないと思えて。
どうして、私を置いて行ったの。私はこんなに好きなのに。なんで、私がこんなにも苦しまなくちゃいけないの。
ジクジクと脳を蝕むように痛んで、今すぐにでも声を上げてしまいたい。この苦しみから一刻も早く解放されたい。
息苦しくて、辛くて、悲しくて、許せなくて、憎くて、憎くて憎くて憎くて許せなくて。いっそ、殺してしまいたくなるほどに、私は彼を想っているのに。
「イヤだ……」
ひとりでに出た声は震えて、掠れていた。
……そうだ。イヤだ。
忘れたい訳じゃない。彼のいない生活に戻りたい訳でもない。心機一転なんて、次の恋だなんて、まるで考えたくない。
どれだけ苦しくても、辛くても。この気持ちを消したいとは思わない。解放されたいとは思っても、それが本心からの願いじゃない。
「好き……すき…………すき、なのっ……!」
溢れる。必死にせき止めていた想いが。目頭にたまっていた雫が、何度も頬を伝って零れ落ちる。
私は、彼が好きだ。どうしようもなく、大好きなんだ。
そばに居ようが居まいが、この気持ちは変わらない。これがポジティブなものであろうとネガティブなものであろうと、この心にあるものこそが、彼への愛の証明なのだから。
二度とは無いと思える。本当に奇跡だと思った。
だからこそ、捨てがたい。いや、捨てたくない。
「ハハ、は…………」
……なんて滑稽なんだろう。自分で自身のことが可笑しくなる。
耐えがたいのに、楽になりたくない。矛盾したこの想いを良しとしている。
やっと気づいた。私はどうも、狂ってしまっていたらしい。
もう、止まれない。何度も目をそらしたって、私の心からは離れてくれないんだから。
叶わない夢。成就するハズのない願い。だから、この胸の内に抱えたものは、抱え続けるか捨てるしかなかった。
けれど。
「…………」
バッグの底から、あるものを取り出す。
初日に来た時に購入した物。小さな紙袋に納められているそれを、中から取り出す。
手の平に、明るい茶色の小さな粒が落ちる。極小のソレは、何の変哲もない植物の種だ。
どのような種類かまでは分からない。これを選んでくれた花屋の店員さんが教えてくれなかったからだ。
けど、なんだっていい。
この種は普通とは違う。相手を縛るための呪い。私の愛情を余すことなく伝えてくれる、まさに魔法そのものだ。
そういうものであるというだけで、一向に構わない。
……もちろん、百パーセント信じたわけじゃない。
想種の効力が実際のものかどうか、半信半疑であることに変わりはない。むしろ、嘘である方がいい。
私は決めた。
この想種を、彼に飲み込ませる。どんな手段を使ったとしても。
これが、私自身すら食い破ろうとする恋心への、せめてもの抵抗だ。私から離れてしまった彼への、ほんの僅かばかりの復讐だ。
耐えることも割り切ることも出来ないなら、こうするしかない。
「ふふ……」
そう思うと、途端に楽しくなってきた。
まずはどうやって会う約束を取り付けようか。どうやって想種を飲ませようか。彼とのことを考えるだけで、胸が弾む。
そして、今になってやっと、彼らの気持ちがよく分かった。
魔法の国の人々。呪いで人の未来を歪める彼らを、私は受け入れがたく思った。そんな恣意的な愛情は、本当の愛じゃないって。
でも、それは単なる強がりだった。
そんなもの、この現実にありはしない。人の心なんて、すぐに移ろっていく。どうしようもなく腐っていく。
愛なんてものは、賞味期限の早い生ものと変わらない。
浮気はよくない。誰もが永遠の愛を望んでいる。現実ではあり得なかったとしても、それは紛れもなく理想で、人が望むありふれた願いだ。
そして、そのための手段がある。
なら、例え間違っていたとしても、手を伸ばさざるを得ない。そうせずにはいられないのが、愛というものだから。
……行きとは全然大違いだ。
平然を装ってはいても、内心では荒れ狂う海のような心を抑えつけるので精いっぱいだった。なんとかネガティブな気持ちを振り切ろうと、無理やり明るくしていた。
でも、今は心から楽しい。自分でもゾッとする程に、楽しくて楽しくてしょうがない。
こんなものは、きっと愛情なんかじゃない。そんな綺麗なものでは断じてない。私の憧れたものでは決してない。
間違っていればこそ。独りよがりだからこそ。
私の苦しみと憎しみを、そのまま彼に伝えたい。今でもこれだけ貴方を思っているんだと、そう届けたい。
手紙を認めるように、貴方に呪いを贈るのだ。
魔法特急は澱みなく線路を奔る。彼の元へと進み行く。
そして一ヶ月後、私は彼に再開した。
◆
―――某日。とある部屋にて。
その部屋はもぬけの殻だった。
アパートの一室で、きれいに整頓されていながらそれなりに生活感を伺わせる。だが、その主だけが居なかった。
開けっ放しになったカーテンは窓から差し込む月の光を遮らない。今夜はやけに月明かりが眩くて、照明のついていない部屋を淡く浮かび上がらせていた。
他に明かりらしい明かりといえば、付けっぱなしのテレビくらいのものだった。
”昨夜未明、A市のマンションで死体が発見されました。亡くなったのは二十六歳の男性と、同じく女性の二人で――――――”
車の音一つ聞こえない静かな夜で、尚の事ニュースの音声が部屋に響いていた。
”発見当時、部屋の中は奇妙な有り様で、壁面を覆うほど植物が茂っており、死体を中心に無数の白い花を咲かせていたそうです”
耳を疑うような情報が、淡々と読み上げられている。
少なくとも、この部屋でそれを聞いている人は誰も居ない。
……いや、人ではない生き物なら、一つだけが聞いていたかもしれない。
”その植物は隣国の輸入品で、人の精気を吸う寄生植物だそうです。死因は共に衰弱死、現場の状態から女性側の犯行ではないかと警察は見ています”
デスクの隅には植木鉢が一つ。白い球形の花が、ひっそりと咲いていた。
花は根に人は記憶に 望凪 @motinagi17
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