目薬の涙を海に落としてさ、あたしたちたぶん無敵だったよ。
瀬尾あゆみ
第1話
卒業だった。
なんの実感も湧かないままの卒業。高校生ってなんだったんだろう。なんだか明日も会えるような気がしながら、もう二度と会わないであろう人たちにじゃあね、さよなら、うっかりまたねを言ってしまいそうになって、あわてて連絡してねにすりかえた。連絡なんか来ない。あたらしい生活を始めれば、わたしはみんなにとって思い出の中に生きる人になる。頭ではわかっていたのに、どうしてかそれがくやしくて、あんなにたくさん一緒に笑ったのもぜんぶ過去になるんだなと思うとさみしくて、あーあ、これが卒業なんだ。すこし洟をすすった。花粉症のせいだよ。
教室を出て、なんとなくあつまった五人で横並びに歩いて、みんな好き勝手に話をした。しっちゃかめっちゃかだった。途中で会話が混ざってわけがわからなくなって、おおげさに笑った。学校から一歩出てしまえば卒業という概念にとらわれているのはわたしたちだけで、通りすがりのひとたちはいつもとおなじ春に生きていた。春はやわらかさで首をしめられるみたいな感覚がして苦手だけれど、今日はいい春だった。そう思いたかっただけかもしれない。
そつぎょーしちゃったね、うん、そつぎょーだね。何かの呪文みたいに同じ会話をくりかえしながら、気がついたら海に着いていた。
春の海は、まるかった。なんの角も棘もなくて、ざぱーん、というよりはちゃぷーん、という波だ。近くの神社に植えられたたくさんの御神木のせいで、やたらと目がかゆい。同じ原因かはわからないけど、みんな目が真っ赤で、そのままこわれたおもちゃみたいなテンションできゃあきゃあ言いながら波に走っていった。足の遅いわたしはそれを追いかけながら、みんなの最後の制服姿をちゃんと焼きつけておこうとした。でもどうしても視界がぼやけてしまって、わたしの中の最後の制服の記憶は、青と砂色を背景にして紺色のかたまりが四つ走っていく、ぼんやりとした景色になった。やっと追いついて、ローファーがきれいに並んでいる砂浜にそっと五足目を脱いだ。後ろで遊んでいるみんなの声を聞きながら並んだローファーを眺めていたら、目のかゆみが我慢できなくなって、ポケットにあった目薬をさした。
足先だけ海に浸かったらしっかり冷たくて、安心した。温度までまるかったらどうしようと思っていたから。ひざまで浸かって海水をかけあっているみんなを見たらもっとほっとしてしまって、どうしていいかわからなくて、さっきさした目薬がまた逆流して戻ってきた。ぽろぽろ、涙みたいな目薬を海にこぼしながら、ちゃぷちゃぷと海を進んだ。
なんで泣いてるの、笑いながらだれかに聞かれて、違うよ目薬だよと意地を張った。泣いたらほんとうにそつぎょーを受け入れることになる気がして、わたしにはまだその覚悟がないから、これはまだ目薬だ。ふうん、と大して興味もなさそうに頷く声音はいつもと変わらなかった。
なんとなくあつまったみんなは、いつもなんとなく一緒に笑っているひとたちだった。わたしも含めてみんな、あんまり高校生らしい高校生ではなかったけれど、いまだけはそれっぽいかもしれないと思った。でもぜんぶが思い出になる、さみしいし、過去形って残酷だ。目薬と海がまざった足元の水をすくってまた落とす、無意味なことをくりかえしてみる。気づいたらみんな一緒に、同じことをしていた。刹那、なぜだろう、強くなれる気がして、過去形にも耐えられるかもしれないと思ってしまって、ほんものの涙があふれた。みんなもぐすぐす泣いていた。でもだれもなにも話さないまま同じ動作をくりかえしたり、その場に立ちつくしてどこか遠くを眺めていたり、水面をぴたぴたたたいてみたりしていた。
暗くなってきて、みんなようやく海を出て、ローファーを履いた。でも帰るにはやっぱり名残惜しくて、海岸をずっと歩き続ける。すぶずぶ、一歩ごとにローファーが少し埋まって、また持ち上げる。会おうね、遊ぼうね、約束だよ、もちろん。まだみんな何になるか決まってなくて、来年どこに住んでいるのかすらわからない人もいて、なんて無責任だろうと思いながら、わたしもうん、もちろんと返した。また涙のかたまりがこみあげてきて、むりやり飲み込んだ。覚悟はできた気がしたのだけれど、それでもまだ、思い出にはしたくなかった。
まるい海、涙みたいな目薬、足を埋めた砂、潤んだ星、すべて、現実だ。
目薬の涙を海に落としてさ、あたしたちたぶん無敵だったよ。 瀬尾あゆみ @sesese_ayu
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