第6話 大団円

 ゆずはには、今仕事場で、三すくみの状態にあっら。

「三つ巴」

 というような関係が、学生時代の部活で感じたことがあった。

 ソフトボールをやっていたのだが、三人、そのポジションに候補がいて、、その三人が、レギュラーを争っていた。

 その三人は、実力が拮抗しているからと言って、

「それぞれのレベルが一緒だというわけではない」

 というのだ、。

 ゆずはは、バッティングがよかった。後の二人はそれぞれに、脚が早く、もう一人は、守備がうまかった。

 結局、レギュラーに選ばれたのは、

「守備がうまい選手だった」

 というのは、このチームは、

「元々、打撃のチーム」

 と言われていたので、打撃で売ろうとしても、すでに遅いというわけである。

 守備に難点があり、ポジションとしては、セカンドだったこともあって、

「守備がうまい選手というのは、フィールディングもうまいし、何よりの、セカンドというところは、結構、カバーに走りまわることが多かったりする。

 だから、守備がうまい選手をセカンドにおいて、打順としては、2番くらいを打たせるくらいがよかったのだ。

 二番を打っていると、犠打が多くなってくる。そういう意味で、

「守備のうまい選手は、小細工もできる」

 という感覚から、レギュラーとなった。

 ゆずはの場合は、

「代打の切り札」

 ということで、

「いいところで、ピンチヒッターとして出ていく」

 というポジションがあった。

 もちろん、足の速い選手も、代走として起用されることも多い。

 しかも、脚が速い選手は、、

「器用なところがあるので、マルチプレイヤーだ」

 ということで、正直、どこでも守れるのだ。

 そういう意味で、代打にゆずはが出た後のポジションを、足の速い選手に守ってもらうというような形であった。

 それを思うと、

「今年のレギュラーは、これでいく」

 と監督から聞かされた時、さすがに、レギュラーが取れなかったことはショックだった。

 しかし、足の速い選手は、別にショックというわけでもなく、最初から分かっていたかのようだった。

「私は気にもしていないわよ。だって、分かっていたことですもん。だから、最初から、こうなってもいいように、脚を生かしたやり方で自分をアピールしようと思い、どこでも守れるように、守備に関しては、かなり練習したわよ。内野用も、外野用も、グローブ買ったりしたもん」

 というのだった。

 監督も、

「今年のチームは、いいところ多い。それぞれがそれぞれで、弱いところを補えるようなチームです。それだけに、チーム全体が、底上げされていて、レギュラーでなくとも、それぞれい力を発揮できるところが必ずあるから、皆、そう思って、しっかり練習をしてください」

 ということを言っていた。

 そのせいもあって、実際に、試合によっては、レギュラーですべて、先発メンバーを固めるということはしなかった。だから、ゆずはも、スタメンで試合に出ることもあり、

「大量リードをしている時、レギュラーが、守備固めに出てくる」

 ということも、十分にあったのだ。

 もっとも、その大量リードのきっかけを作ったのは、ゆずはのバットであり、前半で、勝負は決まっていたのだった。

 そんな三人は、

「三つ巴でもあり、三すくみの関係でもあった」

 というのは、

「それぞれに、一長一短あることで、誰かが誰かに強いという関係で、それがキチンと、三すくみを形成していて、お互いに自分を主張できなかった」

 というのだ。

 下手に自分を強く見せると、いつの間にか、自分の長所を消されてしまう。

 そんな関係が強かったのだ。

 というのも、

「三すくみというのは、自分が先に動いてしまうと、結局最後は、自分が食われてしまう」

 ということになる。

 つまり、一人勝ちをするのは、最後に自分を食った方になるので、当然先に動いた方が、負けだというのだ。

 これは、戦争などでもあることで、それを利用した作戦も取られることがある。

 つまり、動いてもいないのに、動いたふりをすることで、自分を狙っているやつが動き出す。

 なぜなら、自分が動いたことで、自分にやられる前に、こちらを狙っているやつを食ってしまおうと、動くからである。

 当然、こっちを狙っているやつは、やられる前にこっちを攻撃しようとしてくるのだが、それが作戦であり、こっちが動かなかったら、最初に動くのは、こっちをやっつけようとしてくるやつになるのだ。

 こっちにばかり集中してしまっているので、自分を狙っているやつに対しての意識は、少しなくなっている。それが狙い目で、自分が動かないことで、自分の天敵を、もう一方が攻撃して、やっつけてくれる。

 そうなると、天敵はいなくなり、自分の、

「餌」

 しか残っていないのだ。

 これが、自分が動かなくとも、動いたふりをすることで、戦場に動きをもたらし、自分の一人勝ちを狙うのだ。

 もし、それができないとなると、

「永遠の均衡が続き、人生を、均衡のまま終わらせることになる」

 ということであった。

 ゆずはは、そんな中において、自分たち三人が、

「三すくみの関係ではないか?」

 ということは、ウスウス感じてはいたが、自分たちが、どの位置にいるのかというのは分からない。

 一つ言えることは、

「自分は、ヘビにもカエルにも、ナメクジにもなれる」

 ということであった。

 ゆずはは、

「自分がヘビだ」

 ということになると、

「カエルと、ナメクジ」

 のどちらが、可愛そうなのだろうか?

 と考えた、

 いくら、

「自然の摂理」

 だと言っても、この関係は、実に気の毒なもので、

「無残で冷酷な運命だ」

 と考えるのだった。

 そう考えると、ナメクジもカエルも、同じくらいに気の毒だと思うと、その気の毒な思いは、自分にもあると思うのだ。

 それが均衡であり、

「三すくみの、三すくみたるゆえん」

 であった。

 しかし、自分がこの均衡を破り、しかも、自分が助かるためには、どうすればいいのかということになると、前述の、

「動いたふりをして、相手を欺く」

 という方法しかないのだ。

 となると、

「カエルとナメクジ」

 それぞれに、均等に可哀そうなフラグを立てるということになるのか、それとも、

「どちらかが可愛そうだ」

 と考えるかということだが、ゆずはとしては、

「確かに助かりたいという一心ではあるが、欺いた直接の相手が、いくら騙されとはいえ、動いてしまったことで訪れた悲惨な運命だ」

 ということを考えると、

「かわいそうなのは、ナメクジなんだ」

 と考える。

 もちろん、いくら、こちらの作戦がよかったとはいえ、動いてはいけない状況で動いてしまったのは、ナメクジだったのだ。

 本来なら、カエルの動きもしっかり見なければいけないものを、少しでも注意を逸らしてしまうと、一気に襲ってくるということを、本当の三匹による、

「三すくみ」

 であれば、

「動いてはいけない」

 ということを、本能が教えてくれるはずだからだ。

 だが、本能というほどのことがない場合は、さすがに動いてしまうだろう。

 それだけ、

「命の危険」

 というものほど、切羽詰まったものはない。

 ということになるのだろう。

 それを考えると、

「本当の三すくみによる、永遠の均衡というのは、命の危険を孕んだ。そして、本能というものを持った動物でなければ、保つことはできない」

 ということになるだろう。

 つまり、

「いくら、三すくみの均衡状態になったとしても、それぞれに、緊張感も違えば、性格も違っている。そうなると、おのずと動く者が誰なのか、最初から決まっていて、その通りになるという理屈が、歴史というものではないだろうか?」

 つまり、歴史のミステリーと言われるような

「本能寺の変」

 であったり、

「乙巳の変」

 さらには、

「坂本龍馬暗殺事件」

 などという謎のある事件だって、実は冷静に考えれば、分かるというものではないだろうか?

 これは、三すくみのような関係を想像し、誰かが動くつもりで動かなかったから、事件として動いてしまい、

「自分だけが悪者になった」

 ということではないだろうか?

 奇しくも、同じ時代にあった、

「川中島の合戦」

 その第四次の戦いの時、武田信玄の軍師であった、山本勘助が考案したといわれる、

「キツツキ作戦」

 というのがあった。

 これは、

「木の穴をくちばしでつつくことで、反対側に出てきた虫を取って食べる」

 というものである。

 謙信は、見破ったと言われるが、とにかく、山を下りて、信玄の前に現れた時は、全軍が、別動隊のいない信玄の前に現れたのだから、

「作戦は失敗だった」

 と言える。

 しかし、戦が長引いている間に、別動隊が、今度は後ろから迫ってきたことで、今度は、自分たちが、

「挟み撃ち」

 にされることで、不利になって、逃げだすことになったのだ。

 結果、引き分けということになるのだが、これは、

「1対1」では成立しない」

 という戦いであった。

 だから、歴史においての黒幕は、基本的に、

「三すくみの関係を作り出し、作り出したその中で、いかに自分の存在を目立たないところに置くか?」

 ということである。

 下手をすれば、

「暗殺された人間と、直接関係がない」

 と目されている人が暗躍していたとすれば、それこそ、

「完全犯罪だ」

 ということになるのではないだろうか?

 それを考えると、三すくみの関係さえ作っておけば、あとは、勝手に動いてくれて、主犯である自分たちは表に出ることはない。

 ということである。

 それでまんまと、殺したい相手は死んでくれ、しかも、殺した相手を、ゆっくりと始末すれば、完全犯罪となる。

 本能寺の変もそう考えると、やはり、一番有力な、

「容疑者」

 は、

「羽柴秀吉」

 ということになるのだろう。

 秀吉は、最後には天下を取った。

 そして何よりも、光秀を一気に倒したではないか。

 結果論で考えれば、

「あまりにも都合がよすぎる」

 と言ってもいいだろう。

 秀吉が直接信長を殺してしまうと、家臣団から総スカンを食らうのはわかり切ったこと。そうなると、誰かをけしかけ、殺させ、そして、そいつを自分で討ち取ることで、天下の取れるし、何といっても、殺させたことでの、

「口封じ」

 もできるということだ。

 皆、

「どうして、こんな簡単なことに気付かないのだろうか?」

 ということである。

 歴史であろうが、ミステリーであろうが、とにかく、動機という意味で一番あからさまに怪しいのは、

「それによって、一番得をする人間ではないか?」

 そう思って。秀吉の行動を見ていくと、

「怪しい以外の何者でもないだろう」

 何といっても、

「秀吉が信長を殺そう」

 という意識があったかどうかである。

 というよりも、

「秀吉の天敵が信長であった」

 とすれば、

「秀吉は光秀に強く、光秀は、信長に強かった」

 といえるかも知れない。

 しかし、信長の方が光秀よりも、位は上、何と言っても主君だからだ、光秀が、そこまでの関係を分かっていたかどうかわからないが、信長は恐れるがあまり、時々理不尽な態度を取っていたのかも知れない。

 そう考えると、光秀に信長を襲わせることは、光秀が三すくみに気付いていないとすれば容易なこと、まず、信長を殺させることで、目の上のたん瘤を葬り去り、そして、

「主君の仇」

 という大義名分をもって、堂々と天下を狙うことができる。

 そう考えるのが、一番理に適っているのであり、電光石火のごとくの作戦が取れたということなのだろう。

 ゆずはも、自分が今会社で三すくみを感じていて、そのうちの一人が、

「三すくみの中にいる」

 ということも分かっておらず、もう一人は、

「三すくみというものそのものを理解していない」

 というほどだったので、実に作戦を立てるにはやりやすい。

 ソフトボールをしていた時のような、三人が三人を生かせるというような立場ではないのだ。

 社会人になる、

「食うか食われるか?」

 という

「弱肉強食」

 の時代。

 問題は、

「まわりに知られることなく、自分の正当性から、この三すくみの関係を壊して、一人勝ちをできるかどうか?」

 ということになるのだ。

 それを考えると、

「誰が一番得をするか?」

 ということが三すくみにもたらす問題の出発点であると、考えるのであった……。


                 (  完  )

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