第五話
行きに通った道をそのまま辿ると、十分ほどで街が見えてきた。
ようやく安全な場所にたどり着いた、という安堵の思いで、ホッと一息ついた――のだが。
「ねえ、なんだか街が騒がしくない?」
「え? ……そうか?」
そう言われて耳を澄ますと、風の流れるサアァァという音の中に、小さくだがガヤガヤと喧騒が聞こえた気がした。
「今日って、お祭りかなんかあったっけ?」
「……いや、そんなことは聞いてない。もしかしたら、誰か国の人間でも来……」
――そんなことを呟いた、刹那。
青かったはずの空が、一瞬にして死の灰色へと変わった。
リイイィィィイイイィィィィィィ――――――――――――――。
同時に、生まれてこのかた鳴っているのを見たことない警報が、甲高い声で啼く。
「なッッ……!?」
街への怪物に襲来を告げるその警報が、無機質に鳴り響く。
――どういうことだ!!
なぜ、いま警報が? 森に現れたアイツが街まで来たというのか!? ……いや、そんなはずがない。森の中を走っている間、何度も周りを確認したが追ってくる影はなかった。あんな巨体で、隠れて音を消しながら飛行するなんてどの龍にも無理だ。あの怪物が来たということは、絶対にない。
――それならば、考えられるのは一つなんじゃないか?
頭では分かっていても信じることができない、最悪のシナリオが一つある。
『召喚』だ。
終焉神オリュゲス自らによる、配下たる怪物の召喚。
だとしたら、なぜエイリスが? 特段栄えているわけでも、軍事拠点となっているわけでもないこのエイリスが、なぜ……?
混乱しきった思考で、足を止めていると。
…………キュアアァァァァアアアッッッ!!!
――ピュロオオオォォォォォオオオッッッ!!!
今度は確かに、耳へと届いた怪物の声。
「レイトっ、大変だよ! このままだと街が……」
「……ああ。俺たちも急いで戻るぞ!」
何が何やら分からないが、今やるべきことは一つだ、と心の何処かにいるもう一人のレイトが叫んでいる。
怪物から逃げ惑っているであろう家族や街の人々を、どこかに逃さなくてはならない。
今度はリアと並ぶ形になって、街へと続く道を走り出した。
エイリスを襲った、怪物の同時多発的な出没。
なぜそれが現実となったのか。いや、そもそもこれは終焉神が望んだことなのか?
何も分からない。
――いったい、何が起きている?
街の入口であることを示す、白亜のアーチをくぐる。
すぐそこの広場は、まさに混沌としていた。
四方八方へ、何かから逃れるように走り回る数百もの人々。バチバチと燃えさかる、木造家屋から出た炎。そして、茜の空に登ってゆく黒煙。
あちこちで上がる悲鳴、叫び声――断末魔?
とにかく、今は状況を把握しなければ……!
そう思ったレイトは、すぐそばで蹲っている男を見つけ、駆け寄って肩を掴んだ。
「おい、どうなってるんだ!! なんで怪物が街に!? ティアヴィーレは何をしてるんだ!?」
冷静になれずまくし立てると、男がガバっと顔を上げた。
まだ若さの残る、二十四、五歳の男だった。
彼にも妻と娘がいるのだろうが、そこに父親の威厳や風格といったものは一切なく、ただ明確に、恐怖だけが刻まれていた。
男は震える唇をゆっくりと開けた。
「わ、わからないんだ何も! ただ商店街で買い物をしていたら、警報がなって……いきなり、かっ、怪物が現れたんだ……!! ――そしたら、そしたら……」
「なんだ、はやく言え!!」
男は、その先を言葉にすることさえ恐ろしい、といった表情をしながらも、おそるおそる続けた。
「そしたら、ひ、ひとが、灰に――――」
「…………おい、どうした?」
男はそこで、ピタッと不自然に言葉を終わらせた。
その目はレイトを見ておらず、通りに敷き詰められたタイルに向けられていたが、光がなく何も見ていないようでもあった。
と、思ったら、いきなり立ち上がり。
狂ったように叫び始めた。
「いいイイぃいい痛い痛い痛いィィイイイイ――!!!」
「はっ?」
レイトとリアが、呆然に目を見開く。
「いたいィィイ、くるしいイイイイィ!!! なぜ、なぜなぜなぜ私もなのだぁぁッッ!!! 神よプロティアよ、なぜ私までッッッ!!」
何かに取り憑かれたかのように、男はなおも大声で喚く。
「いやだァァ、死にたくないッッッ!! 死にたくないぞぉぉオオオ!!! ああああくるしいいいッッ!! だれか、だれでもいいッッ!! 助けてくれぇぇええええ――――!!!!」
そこで男は、口を開いたまま言葉を止め、動きをも止めた。
すると、頭がギギギと鈍く動き、エイリスに覆いかぶさる焼けた空に向いた。
――途端。
固まっている男を、黒々とした霧が包みこんだ。
「なっ、なんだ、これっ!?」
突如として発生した「それ」に驚き、二人はバッと飛び退って距離を取る。
その霧は生き物のようにグネグネと動いて、男の肌を湿っぽく撫でていた。
それだけだったら、ただ驚愕を誘うだけの出来事だった。
だが、次に起こった現象は、二人の畏怖という感情で満たした。
――黒い霧に包まれた男が、頭の方から灰となり、散っていった。
「は……は…………!?」
冷たく乾いた、ひと際強い風が吹いた。
数秒後、眼の前にはもう何もなかった。
その光景に、レイトは息を呑む。
ちらりと後ろを見ると、リアは口に両手を当て、男が立っていた場所から目を離せずに硬直していた。
二人のそのような反応は、至極当然のものだろう。
たった今まで叫び喚いていた男の存在が、一瞬にして消失したのだから。
その現象を錯覚、幻と否定できる知識が、レイトにはない。
男が消滅した瞬間が、幾度となく脳内で再生され、やがて理解を拒否された。
湖から出現したあの龍のように、異形の怪物であれば受け入れられたのだ。
怪物という存在は、「使徒」リザイアによってどの国にも伝えられ、また「ティアヴィーレ」が働くことで、全国民の常識となったからだ。
だがいま眼前で起こったことは、あまりにも超常的で世界の掟を逸脱しており、受け入れることなどできようはずもない。
訳の分からないことを目にしてフリーズした思考と四肢。
しかしそれらが再び動き出すのに、長い時間は要さなかった。
「レ、レイトっ……」
隣でリアが、か細い声を上げた。
異様な光景と死への恐怖に、母親を失った小鳥のように震えていた。
そこでレイトの肚は決まった。
……助け出す。
できる限り多くの命を、持てる力――魔法は使えないけれど――すべてを使って守る。
リアのために。
リアの愛する者のために。
「……リア、家行くぞ!」
「え……あ、うん!」
そして二人は、無秩序な人の流れのなかを「龍宿」に向かって走り出した。
――その先で、絶望が待っているとも知らずに。
世界は、この手で壊すから。―神なき世界を生きる者― 夕白颯汰 @KutsuzawaSota
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