第四話
終焉神オリュゲス。
それは唯一、ほかの神々と道を違えた災厄の神。
全てのものに終わりを与え、己の望みのためならば星さえも砕き、海をも干からびさせ、神や人間を手にかけては血を滴らせる、最悪の存在。
現在までに、幾千、幾万もの生命が塵と消えた。
それは神とて、例外ではない。
◇ ◇ ◇
――それは神話であり現実の話。
創造神プロティアによって人間が生み出されてから数世紀経った頃。
人間界は、大きな変革期を迎えていた。
いたるところで発生する戦争――即ち殺し合い。
魔法や武器を扱えるようになった人間は、世界各地で領土の支配をめぐって戦争をしていた。
それは人間の本質であるが故、起こるべくして起こったことなのだが、犠牲者があまりにも多かった。
「神の力を借りる」神力魔法が使われたからだ。
人間という同じ種族同士、血で血を洗い、強者のみが生き残る世界――。
それは混沌と言うにふさわしく、プロティアが望んだ世界の在り方ではなかった。
そこでプロティアは、人間と土地を分割して国を興し、それを神が治めるという「神国」制度をつくろうとした。
「神国」の支配・統治は神が直接行うのではなく、神みずからが選んだ、魔法に長けた「代神官」によってなされる。
文字通り神の代わりである「代神官」が存在することで、その下にいる国民は国に従わざるを得なくなる。国への反抗はつまり、神への反抗だからだ。
神が間接的に国を治めることで争いをなくそうとしたプロティアの試みは、他の神々にも認められ、やがて平和が実現し――
――一瞬にして崩壊した。
確かにプロティアの試みは間違っていなかった。神が人間界を治めることが、唯一の方法だった。そうすることで、「神国」――ひいては人間界の安寧が維持されるはずだった。
――だがそれは、あくまでも神が正しい場合だ。
神が治める国といえども、その神が歪んでいれば代神官も歪み、神国全体が暴走を始める。
唯一、終焉神だけ、神としての在り方が根本的に違った。
終焉神は、あらゆるものに終わりを与え世界の秩序を守る存在。
オリュゲスには、神の統治に基づく人間界の平和など必要なかった。
争いが起こり、弱者が消え去り、強者のみが生き残る。それが自然の摂理であり、オリュゲスの望む世界。
民もろとも汚されたオリュゲスの神国は、魔の国と化した。
大地は乾き、空は黒い雲で覆われ、ただ戦争だけが続いた。
そうして生き残ったのが――オリュゲスの手で生み出された人ならざる存在、怪物。
もはや人間など、見る影も無かった。
神国全土を支配したオリュゲスの配下は、自国内での争いと支配で満足することなく、その手を他国へと向け侵略を始めた。
争いの末にある「滅び」を与え、全てを手に入れるために。
同時に、神界でもオリュゲスによる反乱が起こっていた。他の神々を排除し、世界を真に我が物とするために。
神が死ぬことはない。だが、消滅することはある。
それが現実となるのは、信仰が失われたとき――或いは神によって殺されたとき。
終焉神の力は恐ろしい脅威だった。怪物とよばれる絶対的な信者を大量に抱え、次々と他の神々の信者たる人間を消していくからだ。
オリュゲスは、目に映る全てのものと争い――手中に収めた。
神界戦争「ブレイズ」は、世界を支配するべく戦うオリュゲスと怪物に対し、世界を守るべく抗うプロティアらの全面戦争。
神々は、序盤こそ互角に戦っていたが、オリュゲスの無尽蔵な魔力と、超常的な力をもつ怪物に圧され防戦一方となった。
オリュゲスは立ちはだかる全ての神を打ち倒していったが、それらの神は皆、消滅の間際に自らを封印して人間界へと流れた。
その神々は、存在の完全消失は逃れたものの、封印された状態では魔法も使えず、そこから動くこともできない仮死状態となった。
――故に現在、世界のどこかにある封印を解かない限り、その神の力を借りることはできないのだ。
現在、怪物と人間の衝突は各地で起きている。
人間が一方的に討たれずにいられるのは、「使徒」リザイアと「人界防衛軍ティアヴィーレ」の存在があってこそだ。
「使徒」リザイアは、神でありながら人間という、神界と人間界をつなぐ存在。
使徒であるために二つの世界を自由に行き来でき、神界の情報――つまり「神話」と呼ばれる神界での出来事――を正しく人間に伝える役割をもつ。
オリュゲスとその支配下にある怪物の反乱が起こったとき、人間界に降り立っていたリザイアは、そのまま残って人類と共に戦うことを選んだ。
そのリザイアは現在、人界防衛軍ティアヴィーレα部隊と行動を共にし最前線で戦っている。
プロティアの遺志を継ぐべくその名前の一部をとって名付けられた「人界防衛軍ティアヴィーレ」は、怪物の脅威から人々を守る世界規模の軍で、全員が魔法師だ。
ティアヴィーレは、α、β、γ、δ……といった二十四の部隊からなる。
それぞれの部隊は三十余名で構成されており、どの部隊でも必ず、特異魔法師がリーダーとして立てられている。
彼らは人類の希望として、今も人間界のどこかで戦っている――のだが。
――レイトには関係のないことだ。
この街「エイリス」は戦場やオリュゲスの神国から離れているし、今まで一度も、怪物の襲来を知らせる警報の音を聞いたことがないからだ。
「……ねえレイト。もう諦めて、ティアヴィーレが来るのを待たない?」
「それ見つかるのいつになるんだよ……! まだ日が高いから、俺たちが迷子になったなんてだれもわかんないんだ!」
「じゃあ、まだまだ進み続けちゃうってこと……?」
「ああ、もちろん。一時間も歩けばどっかに着くだろ」
そう言って、うっそうとした深い森を進む足を速めるレイト。
「やだやだヤダヤダヤダ…………」
ぶつくさと零しながらも、リアはついて来る。
置いて行かれるのが怖いのだろうか――と、当たり前のことに今更気付く。
得体の知れない雑草やらツタやらコケやらが、レイトの行く手を阻む。辺りは緑一色で、肌にまとわりつく暑さが鬱陶しい。
「なあリア、こんな暑さを吹き飛ばしてくれる便利な魔法があったり……」
「ありません! 熱いのは私もなの我慢して!」
ピシャリ、と。こちらは何とも冷たいことか。
「このまま進むのはいいけど、この暑さだけは何とかしたいというもの……」
などと呟いて、ぬかるむ地面を見つめていた顔を、何気なく上げると。
眼前に、エメラルドグリーンの色彩を放つ巨大な湖が、唐突に現れた。
「……え…………?」
「わぁっ、湖……! すごい、きれい!」
オアシスに出会ったかのように、心底嬉しそうな声を上げて、リアがタタタと目の前の湖に走っていく。
だが、湖を見つめたままのレイトの思考は、興奮など一切なく完全に冷え切っていた。
――ベティル大森林に、こんなに大きな湖があったのか? しかも、かなり鮮やかで遠くからでも目立つ……。
もしかしてここは、何か危険なものがあって人が近づかない場所なんじゃないか?
ばっ、と辺りを見渡す。視界に入るのは、容赦なく照り付ける太陽、凹凸の激しい地面、風に揺られる草花。
穴の開いた倒木、灰色に枯れたツタ、岩に刻まれた巨大な爪痕。
…………爪痕?
――おかしい。それは人間につくれるものではない!
「リアッ!! 今すぐそこから離れろ!!!」
「え?」
あらん限りの声で叫んだのと同時に。二つの出来事が起こった。
一つ。
太陽が消え、空が色を失った。
レイトは、その現象を本で読んだことがある。
それは――怪物が現れたサイン。
二つ。
――響いた。
「グオオオアアアアアァァァッッッッ!!!!!!!」
耳をつんざく、おぞましい雄叫び。
ビシャアアッッッ!! と大きすぎる水音をたてながら、「なにか」が湖から現れる。
ソイツは、天にも届きそうな異形――怪物だった。
その圧倒的な図体だけでなく、五感で伝わってくる全てが逃げろとレイトに言っている。
突如として現れたソイツは、龍に近い頭をしていた。
だが、頭から延びる胴体があまりにも長い。二十メートルにも迫ろうかというその胴体は、あたりに生えている木などとは比べ物にならないほど太い。
全体を覆う表皮はことごとく黒で、湖の蒼が毒々しく見えてくる。
最も恐ろしいのは、その眼。てらてらと不気味に光る赤い眼はしっかりとレイトを捉えており、殺意がひしひしと伝わってきて今にも倒れ込みそうになる。
大きすぎる恐怖と、逃げなければという生存本能とで硬直していたレイトを再び動かしたのは、前を行っていた少女のか細い声だった。
「……あ…………え……?」
リアは、自分の目の前で起こっていることを理解できていない、
故に、動けない。
地面にぺたりと座ってしまったリアに、長い爪を伴ったソイツの手が迫る。
「リアあああっっっ!!!!」
気づけばレイトは、一切の恐怖をかなぐり捨て走り出していた。
許婚を、幼馴染を守るために――愛する少女を守るために。
怪物との距離、約十メートル。
どこから湧いてくるのか分からないその力で一気に距離を詰め、狂気の爪がリアに触れる直前――。
投げる。
「イ・グレイティ!!!!」
レイトの手から飛んでいくそれが、空中で爆ぜ、辺りを真っ白に染めた。
閃光弾――。雷魔法が簡易化され転写された、魔法を使えない者のための武器。
その光を食らわぬように目を閉じる一瞬、レイトは魔法を使えない自分を強く、強く恨む。
怪物に背を向けて間に飛び込み、動けずにいるリアをしっかりと抱く。間髪を入れず、生い茂る木々の中に隠れようと走る。
ジッッッ!! という布の裂ける音が、顔からわずか五センチのところで鳴った。
大きく破れた肩口から覗くレイトの肌には細い線が入っており、遅れて赤い血が流れる。
痛みは――ない!!
「ギィイイイアアアッッッ!!!!」
背後から、けたたましい怒りの声が響く。
そこに込められたものは、住処を侵されたことへの憤りなのか、人間そのものへの憤りなのか、とんと見当はつかない。
レイトの脳内にあるのは、右足を出し左足を出すという単純な命令のみ。
左胸のあたりで、心臓が早鐘を打っている。
追いつかれて、食われてしまわないだろうか。この森もろとも燃やされてしまわないだろうか、と果てることなき恐怖が四肢を駆け巡る一方で、命に代えてまでリアを守らなくてはならないという絶対の決意が魂を支配し、体を突き動かす。
両腕に抱く少女の震えを布越しにかすかに感じ、だが体温ははっきりと感じながら、レイトは緑の迷宮を、奥へ奥へと進んでいった。
どれくらい走っていただろう。
気がつくと、木々はなくなり視界は開け、太陽の白い光が砂の地面に射していた。
「……やっと、出られた、よ……リア…………」
肩で息をしながら、切れ切れの言葉をなんとか紡ぐ。
「……あ…………レイト」
抱かれていた少女は、今ようやく恐怖から解放されたようだ。瞳が濡れているのが分かる。
リアは腕から降り、目尻を拭って――レイトの胸に飛び込んだ。
「レイト、レイト、レイト……!!!!」
リアの体は、レイトが覆いかぶされるほどに小さく、彼女が――そしてレイト自身が人間であるということを強く感じさせた。
一度、ぎゅうっと抱きしめる。リアの耳元で、
「……リア、こうしちゃいられない。怪物がべティル大森林に現れたって、街のみんなに伝えにいかなきゃ」
リアはまだ、そのままにしていたそうだったが、
「…………そう、だね」
頷き合い、二人は街へと駆け出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます