【『都心大震災』発生から10日目】~死裂葬夜~

 志崎斑しざきまだらは、『死裂一門』と呼ばれる国家の汚れ仕事を担う暗殺稼業の一族として産まれた。


 才能に恵まれた彼は、一族に伝わる血液操作の秘術を会得し、「次世代のエース」として親族からの期待を一身に背負っていた。


 ――分家ではあるものの、宗家にだって負けない。隙あらば宗家の当主の座を簒奪してやろう。自分こそが最強の死裂だ。


 そんな野心にあふれた想いを抱く彼は、十五歳の頃に、年に一度だけ宗家の本宅で行われる宴にて、余興として当主と一戦交えることとなった。


 築二百年以上とも言われる由緒正しき木造建築である本宅の庭にて、一族に取り囲まれる中、志崎は当主と対峙する。


 当時の当主の年齢は十歳。身長は一四〇センチ足らずで、手足も細い。

 一族の風習により髪が地につくほど伸ばしっぱなしなため、一見少女にも見える。

 当主のためにあしらわれた特製の和装でも丈が合わず、裾も袖も余っていて、どうしても頼りない印象だ。


 いくら才能がある者でも、第二次性徴期前ではたかが知れる。

 自身の実力を示す好機だと考えた。不可抗力に見せかけて、当主をノックアウトすれば、問題にはならない。当主より自分の方が優れていることを証明しようと、勢い勇んでいた。


 しかし勝負の結果は惨敗。

 当主に傷一つつけることも出来ずに、徹底的に打ちのめされた。

 十歳とは思えぬ腕力で骨を折り、脚力で背後をとり、冷徹なまでに蹂躙する。


 最も驚愕すべきは、一族同士での本気の戦いは初めてだったというのに、志崎を首絞めで落としたことだ。


 『死裂』の血液操作も、絞め技や関節技には無力。

 傷ならば深手でも血の力で回復できるが、血液の遮断や関節への攻撃には意味が無い。

 戦い始めてからものの数分でその事実を看破した当主は、志崎の首を絞め上げて意識を絶った。


 相手の弱点を一瞬で見抜く洞察力に、幼くして完成された血液操作の妙技。

 まさに『死崎一門』の権化とも言うべき男。


 そんなトラウマの相手――死裂葬夜と都心タワーの階段上で遭遇した。


 フード付きの黒装束に、焦げ茶色の髪と、真紅の瞳。


 その容姿を眼にするだけで、ドクンと心臓が大きく跳ね、冷や汗が滲む。

 かつて完膚なきまでに倒された記憶トラウマに苛まれ、目眩がしてしまった。


「千載一遇の……好機」


 ――復讐するチャンスじゃないか。

 そう自分に言い聞かせて、平静を保っていく。


 志崎は当主に敗れて以来、再戦のために努力を続けた末に、教団の秘術で関節を自在に外せるようになった。

 死裂の弱点とも言うべき関節技は、今の志崎には通用しない。


 ――今の自分なら当主だって殺せる。

 そんな想いを胸に秘めたまま、志崎は当主に向かって抱きつくフリをする。


 直接戦ったこともある仲だ。

 親類として近寄れば、油断も誘えるはず。


「葬夜さま……! あの、私、地下に閉じ込め――」


 言い切る前に、志崎の全身から血が吹き出た。

 何が起きたか理解できない志崎の視界に、赤色の線が浮かび上がった。


 それは、博士探偵開発の鋼鉄のワイヤー。

 切れ味は鋭く、勢いよく触れれば志崎のように大量の出血をするのも無理は無い。


「……急に飛び出してきて誰だよ、お前は」


 酷く興味なさげな眼を向ける死崎葬夜。

 ひと目で自分のことを覚えていないと察した志崎は、一矢報いようと身体に抱きついた。


 ヘビのごとくヌルリと素早く首へと手を回し、そのまま首を絞め上げようとする。


 死崎葬夜は慌てず、志崎に反撃すべく、手を伸ばした。

 その選択に志崎は心の中でニヤリとし、関節を外す態勢を整える。

 死崎葬夜がどの関節を極めようとしても対応できるよう、心構えをした。


 だが、その努力は虚しく散ることとなった。

 死崎葬夜の手が狙ったのは関節ではなく、自分の首を絞めんとする腕。

 志崎の腕を両手で掴むと、根野菜でも折るような気軽さで、簡単にへし折ったのだ。


「ぎあああああああああっ!? ア、アンタ、いきなり何をォ……!?」


 たまらず拘束を解いて絶叫しようとした志崎の首を、死崎葬夜が片手で絞め上げる。


「誰かは知らないが、襲ってきたってことは『夜明けの明星会』の信者だな? ちょうどいいから、少し尋問させてもらおうか」


 万力のごとき握力で苦悶の声も漏らせない。

 握力のみで骨をへし折る剛力が首を襲う恐怖に、志崎は震えた。


 血液操作による身体強化で逃れようとも考えたが、初撃で全身に傷を与えられているせいで、今血圧を上げれば全身から血が噴き出て死んでしまう。


 万事休す。八方塞がりだ。


「爆弾の位置を教えろ……教えないなら、身体に訊くことになる」


「ひィッ」


 真紅の眼に睨みつけられ、咄嗟に歯の裏に仕込んであった薬を飲んだ。

 途端に全身が熱くなって、胸が苦しくなり、視界が真っ赤となっていく。


 意識がゆっくりと死に呑まれる中、それでも志崎は安堵した。


 ――眼の前の怪物からやっと逃げ出せる。

 そんな絶望的な安心感で、胸が満たされているのだった。

 

     ◆


 息絶えた志崎をぞんざいに階段の踊り場へ捨て置き、血まみれの死崎葬夜――もとい鬼畜探偵が階段を降りてくる。


 群青寺は混乱している思考を必死に巡らせて、対応策を考えた。

 ――幸い鬼畜探偵にこちらを警戒する素振りは無い。そもそも俺が『夜明けの明星会』側の人間だと気付ける材料は無いはずだ。ここは焦って逃げようとしたり、不意打ちをしようとしたりするより、普段通りに接する方が良いだろう。


「葬夜……いや鬼畜探偵、アンタが来てくれて助かったよ。博士探偵から命じられて、この場に来てくれたのか?」


「ああ、爆弾処理のためにな。お前はずいぶんとボロボロだし、栄養失調も引き起こしているようだが……何があったんだ? 連絡がつかないから博士探偵が心配してたぞ」


「ハハハッ……大地震に巻き込まれて、ちょっと一週間ばかし地下に閉じ込められてたんだよ。今やっと脱出して、助けを呼ぼうと思っていたところなんだよ」


「なら……どうして階段を上がろうとしてるんだ?」


 鬼畜探偵の真紅の瞳がめつけてきた。

 背筋にゾワッと悪寒が走るものの、群青寺は慌てず、自然に答える。


「地下で一緒に閉じ込められていた志崎って人を見かけて……怪しいからつい追ってしまったんだよ。まぁその男はアンタが瞬殺した訳だけどな」


「あの男か。その身体で相変わらず無茶をする……まぁ無事で良かったぞ。ここは危険だから、あとはオレに任せて休んでおけ」


「お言葉に甘えさせてもらうよ。ただ、その前に……タワータウンの地下にまだ生存者がいるから、救助に向かってくれないか? 今から案内を――」


 そう言って歩き出そうとして、フラついたフリをする。

 案の定、鬼畜探偵が群青寺の身体を支えに入り、「そこで大人しくしてろ」と言った。


「地下の様子はオレ一人で観に行く……爆弾探しより人命救助の方が優先だからな。その代わり、怪しいヤツを見かけたら大声でオレを呼べよ?」


「了解。正直助かるぜ、鬼畜探偵。

 爆弾を探しているヤツがいたら、アンタを呼ぶようにするよ」


 それだけ言葉を交わすと、鬼畜探偵はコツコツと足音をたてながら階段を降りていった。


 足音が徐々に遠ざかり、完全に聞こえなくなる。

 喉元に刃を突きつけられたような緊張から解放され、ホッと息をついた。

 群青寺は静かに立ち上がって、志崎から受け取っていた水を飲みながら、階段を上がっていく。


 いつ鬼畜探偵が戻ってくるか分からない。

 一刻も早く爆弾の元へ行って、起爆装置を直接操作する必要がある。


 その後、爆発の影響で自分は死ぬだろうが、そのおかげで国が変わるというなら本望だ。


 そう――本望の、はず――。


「地下に残された……ナージャちゃん、たちは……?」


 またもや余計な感情が湧き上がり、足を止めた。

 なぜ自分が、ここまで命懸けで国を変えようとしているのか、分からなくなる。


 まるで自分の身体が、頭が、自分のものではないかのようだ。


「……迷う、な。もうサイは、振られちまっただろうが」


 そう声に出して自分に言い聞かせながら階段をのぼり続け、密かに爆弾が埋め込まれた鉄骨のすぐ下まで来た。


 ――早く使命を終えて楽になろう。

 そう頭の中の躊躇いを拭い去り、二段飛ばしで駆け上がる。


 ところが次の刹那――自分の全身から血が噴き出る光景が脳裏をよぎって、足を止めた。


 目を凝らすと分かる――悲劇の元凶。

 行く手を阻むように張り巡らされた、細いワイヤー。


 その攻撃手段が得意な者を、群青寺はよく知っている。


「お前の前知全応オール・シーイングの弱点は、少し先の未来しか見えないことだ。言い逃れが出来ない状況に足を踏み入れていても、すぐには知ることは出来ない」


 振り返ると、鬼畜探偵が足音を一切立てずに階段を上がってきていた。

 その手の名刺ケースからは、細いワイヤーが伸びていて、すでに攻撃の準備を終えていることは間違いない。


 特徴的な真紅の眼は先ほどと違って、明らかな敵意を孕んでいる。


「あの状況で出くわして、ただの偶然だなんてお気楽に考えるとでも……本気で思ったのか? 簡単に信用するなよ、この鬼畜探偵オレを」


「……ごもっともだな。そもそも物心つく頃には暗殺者だったアンタが、分かりやすい足音を出すはずがない」


「普段のお前なら気付けただろうな……相当に疲れてるんだろ? オレ以外の人間が爆弾を探しているとは一言言っていないのに、『爆弾を探しているヤツがいたら~』とか余計なことまで言っちまうし……ゆっくり休めよ」


 群青寺は静かに周囲を見渡して、逃げ場が無いかを探した。

 しかし、まったく見つからない。後方はワイヤーに、前方は鬼畜探偵に、完全に塞がれてしまっている。


 このままでは殺されるのを待つばかり。

 群青寺は覚悟を決めて、懐から自らの得物――手錠を両手に一つずつ持って、身構えた。


「相変わらず、性格も戦い方も陰湿だな……だから顔はいいのにモテねぇんだよ、アンタは」


「お前らしい遺言だな」


 群青寺の脳裏に、鬼畜探偵が名刺ケースを引っ張った途端、群青寺の後ろのワイヤーが迫ってきて斬り刻まれる光景がよぎった。


 未来は視えたが、逃げ場所も避ける方法も絶無。

 身体能力が並の群青寺では、鬼畜探偵への対抗手段が無い。


 だが群青寺は、自分の身体が普段より軽く、世界の流れがゆっくりに感じることに気付いた。


 まるで自分以外の時間が遅くなったかのようだ。

 ゆっくりと迫ってくるワイヤーにも、脅威を感じない。


 ――道をあけろ。

 身体の内から響く声に言われるがまま、後ろのワイヤーへと向き直って、思い切り手錠の輪を振り下ろしてみた。


 すると――数本のワイヤーを容易く両断。

 千切れたワイヤーがたわみ、前方に道が生まれる。


 ただ不思議なことに、視界の下側が妙に赤みがかかっていた。


「宗介……お前、何を仕込まれた?」


「仕込まれた……? どういう、ことだよ」


 しとしとと自分の顔から赤い液体がしたたっている事実に気付き、自分の顔に触れてみて、ようやく悟る。


 群青寺は今、真っ赤に充血した眼から、血涙を流しているのだ。

 壊れんばかりに高鳴る心臓と、全身にみなぎる力に気付くことで、自分がなんらかの薬品を投与され、身体能力が向上していることを自覚した。


 恐らくは志崎に渡された水が原因。

 間違いなく身体に悪影響だろうが、今はどうでもいい。

 眼の前の脅威を退けられるなら、毒でも薬でも、受け入れてやる。


「はは、は……身体が、熱い……なるほどなるほど、死裂の連中はこんな気分って訳か……そりゃあ強いはずだよな……三輪ミワが苦しむのも当然だよ」


「宗介、やめろ。すぐに病院へ行け……お前、それ以上無理すると死ぬぞ」


 鬼畜探偵が彼なりの優しさで諭すように言った。


 だが群青寺は首を縦に振らない。

 血涙も拭かないまま、左手・左足を前に出した空手の左構えとなって、鬼畜探偵と真っ向から相対する。


「俺には、死んでも成し遂げたい野望があるんだよ……邪魔をするってんなら、悪いがアンタでも容赦はしねぇ」


 そんな昔馴染みの破滅的な態度に鬼畜探偵は怒り、全身をかすかに震わせながら問い掛ける。


「気に入らねぇヤツだとは思っていたが、ここまで腐っていたとは思わなかったぞ……! 宗介、何がテメェの眼を濁らせた!? こんなふざけた行動で、本気で三輪が喜ぶと思ってんのかよ!?」


「うる、さい……! 国家の犬がキャンキャン吠えてんじゃねぇよ! アイツの仇がとれるなら、俺はどこまでも堕ちていけるんだッ!」

 

 群青寺がすべてを思い出し、残った力を振り絞る。


 何が自分を駆り立てたのか。

 なぜ自分が『夜明けの明星会』に加担することにしたのか。

 なんのために、この国の象徴を破壊したいと考え始めたのか。


 すべては十年前へと遡る――――

 

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