【『都心大震災』発生から10日目】~紫煙~

 七星寿一に手錠をかけたあと、ヴィドックは施設の外へ七星を連れ出した。

 しばらくすると、血だらけの博士探偵と、ベリーショートの女性を抱えた探偵紳士も施設から出てきて合流。


 騒ぎを聞きつけて集まってきた職員たちに探偵紳士が事情を説明し、なんとか事なきを得る。


 手錠をかけられた七星は地べたに座り込み、無表情でどこか遠くを見据えたまま、抵抗の素振りすら見せない。


「七星寿一、都心タワーの方をじっと見つめて、なんのつもりだ?」


 ヴィドックに問われると、七星は真顔のまま声だけで笑う。


「ハハッ、よく分かったね。僕のお気に入りの『群青ブルズアイ』くんは頑張っているかな~って気になってるんだよ」


「……群青寺か。あんな小僧を洗脳して手駒にするとは、どこまでも下衆な男だな」


「それ、君たちが言う? その小僧に脳手術を施すわ、潜入捜査までさせるわ、君たち探偵の方がよほど狂っているよ」


「――世界平和のためです」


 応急処置を受けて包帯と絆創膏まみれとなった博士探偵が、会話に割り込んだ。


「群青寺くんは自ら望んで『理想探偵』となったのですよ。彼の純然たる正義の心を凌辱したあなたの行動は、決して許されない」


「少なくとも……君の正義はヘドロより濁っていると思うけどね」


 七星が急に冷ややかな目となって、手錠をかけられたまま博士探偵を指さした。


「博士探偵、予言しよう……君のその正義とやらはいずれ必ず、僕以上の悲劇を生み出すよ。君のような弱者の気持ちも分からない奴に、世界を救うなんて無理なのさ」


「ならば、その新たに生まれた悲劇すら、僕の正義で終わらせるのみです。悪を貪るだけの犯罪者モルモットは黙っててください」


「――熱くなりすぎだ、博士くん。らしくないぞ」


 前のめりとなった博士探偵を探偵紳士が宥め、溜め息をつく。


「群青寺の坊やが洗脳されたのは嘆かわしいが、そう悲観することもあるまい。なんせ今ごろ都心タワーには、あの鬼畜探偵が向かっているのだからな」


 七星の眉がピクリと動く。

 その名前を聞けば、さしもの明王でも反応せざるを得ないようだ。


「鬼畜探偵……死裂一門の先代頭領『死裂葬夜』か」


「七星寿一、貴様の目的はこの国の象徴とも言うべき都心タワーを破壊して、国民の不安を煽り、自分の手駒を増やすことだろう。だが鬼畜探偵は、今この国で最も戦闘に長けた男……貴様の野望はここまでだ」


「イヒヒ……甘いなぁ。教団序列1位の称号を舐めない方が良いよ……ほら、華奢な僕だってご覧の通り」


 七星がヴィドックの言葉を嘲ったかと思うと、いきなり手錠がかかった両手を広げ始め、そのまま引き千切ってみせた。


 探偵紳士と博士探偵が素早くヴィドックの前に立って盾となるものの、七星はそれ以上、何もしようとしない。


 もう一度手錠をはめろと言わんばかりに、大人しく両手を差し出してみせる。


「僕の教団では色んな研究をしていてね、これもその成果の一つだよ。一時的に脳のリミッターを外して、身体能力を飛躍的に向上させることが出来るって寸法さ」


覚醒剤メタンフェタミンによる中枢神経系への刺激……それに昇圧薬エチレフリンの血圧上昇による身体能力の向上ですか。原理としては、死裂一門の血液を利用した身体強化に近いですね」


「ピンポーン♪ 僕の教団には、が原因で逃げ延びてきた死裂の子たちも少なくないからね。研究材料には困らなかったよ」


「……悪趣味極まるな。貴様の自信満々な様子から察するに、群青寺にもそのふざけた薬を仕込んでいるのだろう?」


 七星は悪意ある笑みを返して、無言で肯定する。


「この薬にはさ、ADHD持ちの子の集中力を向上させるメチルフェニデートも含まれていてね。未来を見通す群青ブルズアイが使えば、きっと相手が鬼畜探偵でも勝てるはずだ……程なくして都心タワーは破壊されるだろうね」


「鬼畜探偵を舐めるなよ、七星寿一。あの男の最大の武器は一族由来の身体能力に限った話では無い。己の一族を見限ろうとも正義を貫かんとする……信念だ」


「ハハッ、信念が武器ねぇ。ご立派ご立派。まぁ大地震が起きた時点でこの先の楽しみは十分に生まれたから、僕は高みの見物をさせてもらうよ」


 そこで警察の護送車が到着し、七星とカタリナを連行していった。

 職員たちもやるべき後始末を終えて、場にはヴィドック、探偵紳士、博士探偵の三人が残される。


「さて、本当に大変なのはここからだろうねぇ。国民に知らせるにはあまりにもヘビーな事件だけど、扱いをどうしたものか」


 探偵紳士がパイプを吹かしながら口火を切ると、博士探偵が早口で持論でまくし立てていく。


「当然、真実を伝えるべきでしょう。今回の事件の最も恐ろしい点は拡散性と隠密性の高さ……現状は誰が、いつ、どこで狂気にかられて暴走するか分からない状態です。一刻も早く国民たちに伝えて、互いに監視させた方が良い。いや監視させなければなりません」


「博士探偵、貴様は魔女狩りでも始めさせたいのか?」


 博士探偵の言葉をヴィドックがさえぎり、諭すような声音で語る。


「もし今回の事件の真相を明らかにすれば、人々は疑心暗鬼に駆られ、不要な争いを生む。世間には『毒物散布を企てた』などと伝え、真実は我々だけが知っていればいい」


「……本気ですか? 探偵が真実を秘匿しろ、と?」


 博士探偵が苛立った様子でボサボサのクセ毛を掻き乱し、ヴィドックに詰め寄る。


「真実を都合よく改変しては、犯罪者たちと変わりません。探偵とは、世界平和のために殉じるべき存在。真実を明らかにすべきでしょう……!」


「その結果、七星寿一の影響を受けたという疑いがかかった者はどうする? 確証を得るまで監禁しておくのか? 救えぬと分かった者は断罪するのか? 真実を知れば事態が好転するというのは、あまりにも浅い考えだ」


「必要ならば監禁すべきでしょう……断罪しなければならないでしょう……! 多少の犠牲が出ようとも、社会に不和が生じようとも、未来の世界平和のためならば些末な問題です!」


「それこそ犯罪者と同類ではないか。探偵とは、悲劇を終わらせるための存在だ。悲劇を生む芽を悪戯に広める行為など、看過できん」


「はい、そこまで。マスターも博士くんも、紳士になりたまえ」


 割って入った探偵紳士が、二人の顔に紫煙を吹きかけ、無理やり話を中断させた。

 それから、少し苦しそうに咳き込んだヴィドックに頭を下げ、胸に手を当てて問い掛ける。


「大変なご無礼すまなかったね、マスター・ヴィドック。あなたは恐らく、この世界で唯一の読心術の使い手だ。真実を知ることの重みを誰より理解しているだろう……だが少しは、心の裏に潜めた博士探偵の気持ちも考えてあげてくれ」


 それから探偵紳士は博士探偵へと向き直り、シワの寄った眉間にデコピンを一つした。


「君は君で言葉が過ぎるぞ、博士探偵。君がマスターに対して最も不満を抱いているのは、七星寿一の計画を異能で把握していたのに、私たち弟子にすら伝えていなかったことだろう?」


「…………」


 博士探偵が苦々しげに唇を噛んで、ゆっくりとうなずいた。

 探偵紳士はフッと笑って、もう一度ヴィドックの方を向き、自らの胸に手を当てながら訊ねかける。


「マスター、我々の付き合いもそろそろ二十年近くになる。まだ貴方が、思想しそう探偵と呼ばれていた頃からの付き合いだ。一緒に解決した事件は四桁をくだらない。それでも貴方は、一人で秘密を抱えることしか出来なかったのかな? 私たちを信頼してくれないのかい?」


 探偵紳士と博士探偵、自分の探偵稼業を支え続けてくれた二人から視線を向けられ、ヴィドックは目を伏せた。


 しばらくの沈黙のあと――重い口が開く。


「……私は始祖探偵だ。確証を得られるまでは自分一人で調べるべきだと判断し、実行をした。それだけだよ」


「ヴィドック先生の気持ちがよく分かりましたよ」


 冷たい声で博士探偵は言い、懐から『ヴィドック探偵事務所』と書かれた手帳を取り出すと、眼の前で破り捨てた。


 散りゆく紙片の中で何かが輝いている。

 それは――博士探偵の頬を伝った涙の飛沫。


「結局あなたにとって、仲間も弟子も、自分の捜査のためのツールでしかないんですね……あなたには付き合いきれません。私は私の手で今度こそ、あなたを超えた理想の探偵を生み出してみせる」


 それだけ冷たく言い放ち、どこかへ歩き出す博士探偵。

 その背中を探偵紳士が追いかけようとしたが、ヴィドックが肩を掴んで、首を横に振る。


「よせ、止めても無駄だ……昔から鏡月きょうげつのヤツは、誰よりも頑固者だからな」


「そこまで分かっているのに止められない貴方の不器用さが、この擦れ違いの原因でしょうに」


 探偵紳士はパイプを一際深く吸い込んで、宙に紫煙を吐き出した。


「マスターの考えは理解しているよ。マスターの聴力は、ともすれば誤解を招きかねない力だ。確証を得られない限り、推定無罪で慎重に動くのは当然だろうね」


「……確証が無い状態で動くと、予期せぬ事態も招きやすい。探偵として長生きするコツは、『臆病』であることなんだよ」


「昔から言っているものねぇ……実際、博士くんは独断専行で群青寺くんに潜入捜査を命じた結果、敵に洗脳されてしまっているんだから、マスターの言葉も一理あると思う」


 それだけ言うと、探偵紳士はパイプを口から離した。

 ヴィドックが鉄製のポケット灰皿を差し出したのを見て、探偵紳士は軽く会釈をし、パイプの中の灰を落としていく。


 その灰は、完全に燃え尽きていて、白くなっている。

 だが、それでも熱は失っていない。


「親友と師匠、過激な二人に挟まれた私は、常に中立でいるつもりだが……一つだけ言わせてくれ。貴方の異能は、一人では十二分に威力を発揮出来ない。指示に従って動く探偵たちが必要だと思うよ」


「指示に従って動く探偵たち、か……教団とは違うんだ。プライドが高い探偵たちを取りまとめるのは骨が折れるぞ」


「ハハッ、簡単じゃないからこそ面白いんじゃないか。個では始祖探偵に届かずとも、数が集まれば超えられるかもしれない。もし本気で組織作りを行う気なら私も手を貸すよ、マイ・マスター」


 それだけ言うと、探偵紳士もヴィドックの元から去っていった。

 残されたヴィドックは、ロングコートの内ポケットから煙草を取り出し、一本吸い始める。

 

 孫娘と約束で禁煙を始めて以来、しばらくぶりに吸う煙草の味は、酷く苦い。


 月に向かって紫煙を吐き出しながら、目を閉じて、一人考えていく。


 この先のこと、夜明けの明星会のこと、博士探偵のこと。

 そして、今ごろ戦っているであろう男のこと。


「この国の未来を頼むぞ……鬼畜探偵」


 空へと向かう煙は、夜風に撫でつけられ、夜闇に交じって消えた。

 

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