【『都心大震災』発生から10日目】~教団序列2位『女王』~

 光源が一切無い夜闇の中、鋼鉄の階段を始祖探偵ヴィドックと探偵紳士が二人並んで駆け上がっていく。


 しばらく進むと、開けた中間部へとたどり着いた。

 都心タワーの展望フロアのような場所で、東京の街を広く見渡せるが、明確な違いが一つある。


 この電波塔は都心タワーと違って観光スポットでは無いため、安全面への配慮は乏しいのだ。


 床は網状の鋼鉄で下が透けて見えており、あまりにも心許ない。

 周囲に手すりこそあるものの、安全柵などは皆無で、吹き荒ぶ風に飛ばされれば一巻の終わりだ。


 そんな危険な場所の手すりの上に立って、ローブの人物がヴィドックたちを待ち受けていた。


 ローブの上からでも細身だと分かるその人物は、細い手すりの上を、まるで地上のようにスラスラと歩いていく。


「何者だ……? 行く手を阻むなら容赦しないぞ」


 そう言ってヴィドックが拳銃を向けた瞬間――ヴィドックに向かってローブが投げつけられた。


 視界がローブで覆われて何も見えない中、ヴィドックはすかさず発砲。


 次の瞬間、弾丸が弾かれたような金属音が響いた。

 ヴィドックがローブを振り払うと、すぐ目の前で筋骨隆々の真っ赤なベリーショートヘアの女性が、右の拳を振りかぶっていた。


 その手は肘から先が漆黒の鋼鉄製で、握り込んだ拳がギチギチと音を立てている。


「消えろ……未覚醒者」


 女性の放った拳がヴィドックを捉え、ヴィドックは手すりの外へと投げ出された。



 高さはすでに約一〇〇メートル。そのまま落ちれば死を免れない。

 ――にも関わらず、ヴィドックは破顔して、探偵紳士に声をかける。


「その女を無力化して先へ進め、探偵紳士」


「了解、マスター。レディと戦うのは性分に合わないが、まぁ最善をつくそう」


 そんな普段通りのテンションで会話し、下に落ちて消えていったヴィドックを見送ると、探偵紳士はシルクハットを外して、中からワインレッドの棒を取り出した。


 棒を軽く振るうと、カシャカシャと音を立てながら棒が伸びて、先端が尖った長いステッキへと変形。


 鋭利な杖の先端をレディへと向けながら、シルクエットをかぶり直し、小さくお辞儀をする。


「こんばんは、マドモアゼル。私はジュン・ポアロ、業界内では『探偵紳士』と呼ばれているよ。七種競技ヘプタスロンの金メダリスト、カタリナ・ウェブスターさんとお会いできるなんて……実に光栄だ」


「その忌々しい名前で呼ぶな。今の私は、教団序列2位……『女王クイーン』だ」


 素っ気ない返事をしつつ、カタリナが手すりの上から床の上に降り立った。

 赤いタンクトップとハーフパンツから伸びた四肢は、よく鍛えられていながらも、細く引き締まっていて、スレンダーにすら感じられる。


 ただ先ほどヴィドックを殴り飛ばした右腕だけは、肘から先が漆黒の義手となっていて、鋼鉄の骨組みが剥き出しで、物々しげな雰囲気を放っている。


「不運な事故で利き腕を失った話までは聞いていたが、まさかカルト宗教にハマっているなんてね……私が目を覚まさせてあげるよ、ミス・ウェブスター」


「……『カルト』『目を覚まさせる』。未覚醒者どもは、決まって似たような言葉を口にする。そのようなたばかりに、私は惑わされたりしない」


 カタリナが淡々と語りながら、義手ですぐそばの手すりへと触れた。


 そのまま手すりを、パンでも千切るかのごとく簡単にもぎ取って、棒状の凶器を形成。

 生まれた凶器は、そのまま陸上競技の槍投げのごとく、大きく振りかぶられる。


「利き腕を失って絶望した私に、このような素敵な腕を与えてくれた明王様に仇なすものは……肉親であろうとも殺す」


 探偵紳士に向かって凶器が放たれた。

 その狙いは正確で、探偵紳士の胸に真っ直ぐ向かってくる。

 しかし探偵紳士は、悠然と杖を前に突き出すだけで、動こうとしない。


 凶器はその杖の先端に当たって軌道を大きく曲げ、夜の虚空へと消えていく。


「熱烈な矢文ラブレターだが、私のハートを射抜くには、いささか愛情不足だね。そんなレディに似合わない鉄屑よりも、たおやかな手で掴みかかってきてごらん」


「貴様……明王様より授かったこの聖なる手ゴッドハンドを、愚弄するな!」


 カタリナが力任せに、網目状の床の骨組みを引きちぎって放り投げていく。


 次々と自分に向かってくる金属の塊を、ギリギリで回避し、回避できぬものは杖で弾き、時には咄嗟に手で受け止める探偵紳士。


 その顔には余裕が満ちていて、カイゼル髭を弄りながら挑発的に笑い声をあげる。


「ハハハハッ、七種競技ヘプタスロンの金メダリストは『クイーン・オブ・アスリート』と呼ばれるというのに、どこまでも武器頼りとは寂しいね」


「黙れぇ……ッ!」


 カタリナが床を蹴って、探偵紳士に向かって跳躍。

 瞬く間に間合いを詰め、漆黒の義手で探偵紳士の胸ぐらを掴もうとする。

 しかし、その刹那――探偵紳士が義手の手首を杖の持ち手で引っ掛け、そのまま引っ張り込んだ。


 伸ばし切った腕を押さえられ、沈み込むように体勢を崩したカタリナに、探偵紳士は諭すように語りかける。


「分かりやすい挑発に乗るなんてらしくないよ、ミス・ウェブスター。金メダルを獲った頃の貴女なら、この程度で逸ることなど決してなかったはずだ。昔の自分を思い出して欲しい……輝いていた頃の貴女を」


「うるさい……失った輝きは……もう戻らない!」


 探偵紳士に押さえられた義手の手首を、カタリナがグルリと捻った。

 すると手首ごと骨組みの一部が外れ、その下から刃渡り五〇センチはあろうかという、巨大な蛮刀マチェーテが露出。更に間髪入れず、拘束を逃れたその刃が、探偵紳士へと襲いかかった。


 探偵紳士は素早く身を引いたものの、間に合わず、右の肩口から血が噴出した。


「その傷では、もうワタシを押さえられまい。先ほど押さえ込んだ時点でトドメを刺しておけば、反撃を受けなかったものを……」


「ハハハッ、この程度の傷は構わないさ。自らの信念ポリシーに背くくらいならば、私は潔く死を選ぶ」


 嘲笑うカタリナにキザな笑みを返し、杖を右手から左手に持ち替え、先端を真っ直ぐ前に突き出してみせる探偵紳士。


 その佇まいはどこか気品に満ちていて、余裕が崩れていない。



「私は紳士だからね、女性は傷つけない主義なんだよ。だから貴女のことも必ず、傷つけずに、優しく止めてみせよう」


「どこまでも不愉快な未覚醒者だ……」


 カタリナがまるで中距離走のスタート前のように、腰を落として、前傾姿勢となって、義手マチェーテを奥に引き込んだ。


 これは彼女が最も得意とする走り出しスタートの姿勢。

 この姿勢から一気に加速する様から、現役時代のカタリナを『最速女王スピードクイーン』と称する者も少なくない。


「ワタシは『女王クイーン……ワタシを憐れむ者は誰であろうと許さないッ!」


 そして探偵紳士に向かって突進。

 網目状の床を踏み抜く勢いで間合いを詰め、蛮刀を前に振り抜く。


 探偵紳士は慌てず、ワインレッドの杖を蛮刀へと向け、応戦しようとした。

 その様子を見て、カタリナの口角が不気味にツリ上がる。


「――死ね、未覚醒者ッ!」


 次の瞬間――義手の刃が弾丸のごとく発射された。


 刃は探偵紳士の胸元に直撃。

 苦悶の声と共に、その身体が大きく沈み込む。

 銀色の頭から落ち葉のごとく、シルクハットが落ちていった。


 カタリナの義手は刃を飛ばせる凶器『スペツナズ・ナイフ』を元にした、刀身を飛ばして不意打ちが可能な構造だったのだ。


「処理完了……『少し時間を稼いだら通しても構わない』と明王様はおっしゃられていたが、処理してしまっても問題は無いでしょう」


 探偵紳士の胸に蛮刀が刺さっていることを確認したカタリナは、懐からペン型のライトを取り出し、頭上を見上げたままライトを点滅させる。


 その僅かな隙が――彼女の敗因となった。


「――デート中の余所見は禁物だよ?」


 上を向いていたカタリナの首に、探偵紳士の腕がグルリと回り込んだ。


 そのままチョークスリーパーへと移行。

 唯一鍛えられていないカタリナの首を、一気に絞め上げていく。


 カタリナは必死に義手を振り回すものの、刃も手も失った今、なんの抵抗にもならない。


「な、なぜ……胸を刺されて、生きている……?」


「女性への観察眼には自信があってね、その義手の仕掛けは見抜いていたのさ。だから、対策を講じさせてもらったよ」


 そう語る探偵紳士の胸元から、蛮刀の刃と共に、鋼鉄の塊がゴロゴロとこぼれ落ちた。


 それは、先ほどカタリナが引き千切って、投げつけていた床の骨組み。

 あの時に掴んだ骨組みを、いざという時の盾として、服の下に仕込んでいたのだ。


「私のハートを射抜きたいなら、無粋な刃よりもキスの方がずっと効果的だったよ、ミス・ウェブスター」


 そう優しく囁きかけながら、探偵紳士が両腕へと一層の力を込めた。


 カタリナが自分の首を絞める腕をライトで殴りつけるが、意味が無い。

 カタリナの抵抗が徐々に弱まって、両腕がダラリと、力無く垂れ下がる。


「……ふぅ。かつて恋い焦がれたレディの首を絞めるなんて、今日は厄日かな。あとでマスターに追加報酬を依頼しておこう」


 意識の無いカタリナを床の上にそっと優しく寝かせ、足に手錠をはめたあと、探偵紳士は再び上階へと進み始めるのだった。


    ◆


 電波塔の最上階。

 都心タワーの特別展望フロアと同等の高度に位置しながらも、手すりがある程度で、安全柵も何も無い空間。


 東京の街並みを三六〇度すべて見渡せるその場所で、白いローブに身を包んだ玉虫色の髪の男『七星寿一』が、下の様子を眺めている。


 遙か下でライトが何度か点滅し、パッと消えた。


「今のライトは、カタリナちゃんが敗れた時の合図……やっぱりカタリナちゃんは負けてしまったみたいだねぇ。ここまで予想通りだと拍子抜けしてしまうなぁ」


 七星は中央に設けられた白いドーム状の建物に入って、入口近くに設けられたエレベーターへと向かった。


 エレベーターは奇妙なことに、開閉を繰り返している。

 その原因は扉の開閉を妨げている分厚いハードカバーの本だ。


 邪魔となっていた本を拾い上げ、懐へと仕舞うと、七星はエレベーターに乗り込んで『1F』のボタンを押した。


「さて、十分愉しんだし、今宵は退却して作戦の練り直しかなぁ」


 エレベーターが閉じて、一気に一階へと向かっていく。

 この電波塔のエレベーターは、下の建物にまで直通している。

 その他のフロアで止められなければ、逃走は成功したも同然。


 エレベーターのフロアを示すランプが、下の階層へと向かっていくが、止める者は現れない。


「イヒヒ、探偵も意外と遊び相手として物足りないねぇ、残念だよ」


 とうとうエレベーターが一階にたどり着き、七星は意気揚々と外に出ようとした。


 だが扉が開いた途端、視界に飛び込んできたのは、自分に向けられた銃口。

 白髪を腰まで伸ばしたロングコートの男――始祖探偵『ヴィドック』が立っていた。


「お遊びはここまでだ、七星寿一。貴様を逮捕する」

 

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