【『都心大震災』発生から10日目】~始祖探偵ヴィドック~
舞台は、群青寺が脱出に成功するより少し前の、夜の地上へと戻る。
東京のド真ん中に存在する、海上自衛隊の駐屯地『システム通信隊群司令部』。
自然公園のような美しい緑の中に、歴史を感じさせる建物に、殉職者慰霊碑や記念碑のある美しい広場、高さ二〇〇メートル以上の立派な鉄塔があるその場所に、ただならぬ雰囲気の三名が訪れた。
一人は、白い髪を腰まで伸ばしたロングコートの老父。
レトロな木目調のヘッドフォンを首に掛けていて、一見カジュアルな印象を受けるが、その眼光は猛禽類を思わせる鋭さで、近寄りがたい厳かな空気をまとっている。
――始祖探偵『ヴィドック』。
国内で最高峰の実力と知名度を誇り、国家に公認された唯一の探偵である。
「探偵紳士、博士探偵、心の準備は出来ているか?」
「ハハッ、出来てないって言ったら勘弁してくれるのかい?」
紳士服を着込み、シルクハットまでかぶった銀髪の美形――探偵紳士が、カイゼル髭を弄りながら訊ねた。
冗談っぽく訊ねた紳士に対して、ヴィドックは表情一つ変えずに淡々と答える。
「勘弁などしない。出来ていないなら、この場で済ませろ」
「はいはい、相変わらず弟子使いが荒いマスターだ。いつか私が弟子を持つ時は、もっと優しく接しようと思うよ」
「キミのことだから、弟子に無茶振りばかりをすると思いますけどね」
探偵紳士の隣に立つ薄汚れた白衣を着る男――博士探偵がからかうように言った。
鼻まで伸びた無造作なクセ毛に、恐らく数日は剃っていないであろう無精髭と、身嗜みが整った探偵紳士とは真逆の外見。
違うのは当然、外見だけではない。
「ちなみに先生、僕なら覚悟は出来ていますよ。世界平和のためなら、探偵として、いつでも命をなげうつ覚悟でいますからね」
髪をグシャグシャと掻きながら、博士探偵が朗らかに語った。
これだけ聞くと、ただの良心に満ちた探偵に思えるが、そう単純ではない。
「それにしても、まだ二十一時も回っていないというのに、一部の建物に灯りがついていないとは……この緊急事態にも関わらず、休んでいる職員がいるのでしょうか。不甲斐ない。実に不甲斐ないですね。国家組織に勤める以上、世界平和のために殉じるべきでしょう。そのような意識の低さだから探偵分野についても他国に遅れをとってしまうんですよ。そもそも私に通信システム構築を任せてくれれば――」
「博士くん、落ち着け。悪癖が出ているよ」
「おっと……ありがとう、探偵紳士。熱くなりすぎてはいけませんよね」
――自分が覚悟したのだから、周囲も覚悟して当然。
誰もが世界平和のための礎となるべき。
そんな過激な思想を持っているのが、優秀な博士探偵の欠点であった。
「ここは自衛隊の通信運営の要だ。博士探偵の言う通り、本来ならば職員が常駐し、銃器を携帯した警備員も見回るのが常となっている。今は震災の影響で人員不足だから、警備も職員も数が少なくなっているがな」
「おいおい、マスター……そんな重要な施設に私たちを招集して、今度は何をやらかすつもりだい?」
「そもそも、勝手に入って僕らは捕まらないのでしょうか?」
「防衛省には話をつけてあるから安心しろ。混乱を生まないために、表向きには『警備の協力』ということになっている。人員不足の状況だ、喜んで受け入れてくれたよ」
「表向きには、ね……相変わらず、目的のためなら手段を選ばない人だ」
「裏の目的はなんなんですか?」
「震災後から続く殺人事件『明けぬ夜事件』を解決することだよ」
ヴィドックの言葉で、探偵紳士と博士探偵が一気に真剣な面持ちとなる。
都心大震災のあと、この三人はそれぞれの得意分野を活かして、事件解決のために尽力し続けてきた。
探偵紳士が事件が起きた各地へ行って情報を収集し、博士探偵が証拠品を検証して、ヴィドックが国内随一の推理力で真実を導き出す。
昔から続けてきた
この三人で協力して解決出来なかった事件など、これまでに一つも無い。
「詳しくは、目的の場所へ向かいながら話す。付いてこい」
そう言ってヴィドックが、先導するように歩き出した。
美しい緑の中に伸びる白い道を進みながら、ヴィドックは淡々と推理を語っていく。
「震災のあとに発生した異様な事件は、一連の殺人事件だけではない。見逃せない事件が一つ起きている」
「タイミングが良すぎる都心タワーの爆破テロですよね? 調べようにも、タワーの周りには例の理性を失くした暴徒が多く集まっていて難しいし、頼りになる助手とも連絡が取れないし、困っていますよ」
「私も接近を試みたけれど流石に難しかったね。理性を失くしていては、いくら紳士の私でも口説き落とせない」
「警察も苦労しているらしい。ただでさえ人員不足の状況で、後手に回っている。もっとも、現状でも都心タワーは、電波塔として機能しているようだがな」
「都心タワーが担当しているこの辺り一帯でも、普通にテレビやラジオが流れていますもんね」
「ん? 都心タワーは電波塔だとは聞いたことがあるが、現役で使っていたのかい?」
首をかしげた探偵紳士に、博士探偵が軽蔑の視線を送る。
「探偵紳士……キミは相変わらず勉強不足ですね。普通に現役ですよ。将来的には、別の電波塔に役割を引き継ぐ予定ですけどね」
「ハハハッ、レディに関すること以外、私は勉強する気など無いさ」
カイゼル髭を弄りながら何故か自信満々に言う探偵紳士。
そんな相変わらずの弟子に呆れつつ、ヴィドックは話を再開する。
「博士探偵、都心タワーが使えない非常事態となった時に、国がどう対処するかは知っているか?」
「ええ、知っていますよ。この施設内に建てられた、防衛省が管理する電波塔が使用されるんですよね」
「正解だ。では、もう一つ質問をしよう。もし防衛省の内部に良からぬ思惑の者が入り込んでいて、この施設内の電波塔を利用したい場合はどうする?」
「……なるほど。そういうことですか」
「いやいや、どういうことなんだい?
二人で納得してないで、紳士にも分かるように説明してくれよ」
探偵紳士に求められ、博士探偵がクセ毛をグシャグシャと掻きつつ説明を始めた。
「要するに……犯人たちは都心タワーを機能不全に追い込むことで、防衛省の電波塔を使用させようと企んでいるってことです。目的は十中八九、電波ジャックでしょう。電波を通して、何かしらの悪意を振りまこうとしているんですよ」
「今この施設は、自衛隊関係の通信システムを維持するので手一杯な状況だ……テレビの電波のことなど気にしている余裕は無い。悪意を仕込むには、絶好の機会だと言えるだろう」
電波塔の根本――管理施設も兼ねたビルの前に立って、電波塔を見上げたヴィドック。
その視線の先で、チカチカと何かが光っている。
ヴィドックの顔が怒りで歪んだ。
「各地で起きている殺人事件の元凶は、電波を通して振りまかれた悪意だ。犯人どもは長い時間をかけて少しずつ、この国の国民たちを洗脳し続けてきた。そして今、最後の詰めに入っている」
人気の無いビルの中へと入り、屋上へと続く階段をのぼっていくヴィドックたち。
電波塔の根本は、その十階建てのビルの屋上から繋がっている。
屋上にさえあげれば、電波塔に上がることができる……はずだった。
しかし、電波塔の上の階層へと続く階段の前に、何者かが立ち塞がっている。
それは、白いローブを目深にかぶった、見るからに異様な雰囲気の三人。
真ん中に立つ男は首から豪奢な星型の首飾りを下げていて、左手に立つ人物は少し細身で、女性的なシルエットをしている。対して右手に立つ人物は、ゴリラのように手足が太く、身の丈も2メートルに届きそうなほど大きい。
「ハハハッ、まさかもう気付かれてしまうなんて驚きです。あなたがウワサの始祖探偵ですよね? いや~、ずっと会いたかったんですよ~、感激だなぁ~」
中心に立つローブの男が軽薄な口調で、わざとらしい所作で拍手してみせた。
ヴィドックは無表情のまま懐から拳銃を取り出して、上空に一発発砲する。
「ああ……私が国家公認の探偵、ヴィドックだ。私には発砲の許可が許されている。威嚇射撃も済んだ。次は、必ず当てる。大人しく投降し、自首をしろ」
そう言ってヴィドックが、ローブの男へと銃口を向けた。
しかしローブの男は狼狽えるどころか、むしろに愉しげにおどけてみせて、ゲラゲラと声を出して笑う。
「おおっ、怖い怖い。まずは話を聞いてくださいよ。コミュニケーションの基本は、お互いのことを知ることじゃないですか」
「貴様のことなら知っているさ」
ヴィドックは躊躇せずローブの男へと発砲した。
左右二人が同時に腕を出し、弾丸を受け止める。
しかし、二人の腕の風圧で、ローブがふわりと捲れ上がり、男の素顔が露わとなった。
光を受けて妖しく輝く玉虫色のロングヘアに、生え際から右目を抜けて、稲妻のような軌跡を描いて首元まで続く、赤い線の入れ墨。その入れ墨には、線上に真っ赤な星が五つ刻まれている。
ライトグリーンの瞳にも、星型の紋様が入っていて、入れ墨も合わせれば、七つの星が顔面に輝いているように見える。
「『夜明けの明星会』教祖、
七星寿一は玉虫色の前髪を後ろへ掻き上げながら、白く輝く歯を見せて笑った。
「楽しい夜になりそうだね、探偵諸君」
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