【『都心大震災』発生から8日目】
『都心大震災』発生から8日目の夜。
とうとう群青寺のハンドライトの電池も切れ、バッテリーが残る携帯電話も数が少なくなってきたことで、一台ずつの使用となった。
そんな光源が乏しい暗闇の中、ナージャは休むことも忘れて、瓦礫の撤去作業に没頭し続ける。
隣で同じ作業に励む群青寺や志崎よりも、動きが三倍は素早い。
一度にどかす瓦礫の量や大きさも、二人とは大違いだ。
それも全ては、瀕死の美食探偵を救うため。
生きて地上から出て、彼女に色々な教えを乞いたい一心で、瓦礫を撤去し続けていた。
「ナージャちゃん、そこの瓦礫だ。そこの瓦礫なら、強引にどかしても崩れはしない」
「ありがとう、群青寺くん。少し大きめだけど、この程度なら問題ないわ」
瓦礫の山の中に埋もれた、一際大きな瓦礫に両手で触れる。
かなり重量があり、持つ時に指が痛みはしたが、持てなくはない。。
力ずくで強引に掘り出したその時――生まれた穴の奥から強い地上の味を感じ取った。
三日間の努力の末にようやく見えた、脱出への希望の兆しだ。
「や、やった……! やったわ、美食探偵さん! きっともうすぐ、もうすぐ出口が見えてくるわよ!」
後方で横たわる美食探偵へと向き直り、喜びの報告をした。
ところが、美食探偵から返事は無い。
横向きに寝転んだまま、眼も開けようとしなかった。
――まさか。
ナージャの脳裏に嫌な想像がよぎる。
その想像を振り払うがごとく、美食探偵へと駆け寄った。
しかし、そこに待ち受けていたのは非情な現実。
美食探偵は息絶え、身体が冷たくなり始めているのだった。
それからナージャは、しばらく美食探偵の遺体の前で呆然としたあと、無言のまま作業を再開させた。
――美食探偵が最期に自分へ話しかけてくれたのは、あとを託すためだろう。いいや、そう思いたい。そう勝手に信じる。
どうせ今の身体では、どれほど悲しくても涙を流せない。
美食探偵の想いを蔑ろにしないためにも、落ち込んでいる暇があるなら、今を必死に生きるべきだ。
そう信じて、悲しむことすら忘れるくらい作業に没頭し、美食探偵の分まで頑張り続けていく――。
そして美食探偵の死から二日が経った頃、地上への脱出口を開く、最後の障害がナージャの眼の前に立ち塞がった。
「この瓦礫は……まさか、階段の一部?」
瓦礫の山を崩しながら進んだ先に現れたのは、通路を塞ぐほど大きなコンクリート
階段を横に倒したような見た目から察するに、恐らく階段の一部分がゴソッと落下してきたのだろう。
横幅はおよそ1.5メートル、高さは2メートルと言ったところか。
試しに押したり引いたりしてみても、びくともしない。
そのコンクリを避けて進もうにも、通路を完全に埋めてしまっているので難しい状態だ。
「やっと地上に近づいてきたのに……神はどこまで無情なの」
緊張の糸が切れかけ、ナージャはその場に倒れ込みそうになった。
そんな彼女に群青寺がそっと肩を貸して、首を横に振る。
「ナージャちゃん、諦めちゃ駄目だ。なんとかこの眼の前のデカブツを壊す方法を考えよう」
「ろくな道具も無い中で、破壊は難しいでしょう」
志崎が道を塞ぐコンクリへと触れながら、神妙な面持ちで冷静に語る。
「ですが、方法が無くもありません。私は少々特殊な体質でしてね、一度限り僅かな間だけ、筋力を高めることが出来ます。全力を振り絞れば、もしかしたら、あのコンクリの塊を動かせるかもしれません」
「……有名な『
「死裂? なに、それ……」
「んー、簡単に言い回すと、自分の血を操れる変わった一族のことですよ」
ナージャの疑問に志崎がニコニコとした顔で答える。
笑顔なまま非現実的を言うせいで、事実なのか冗談なのか、分からない。
しかし群青寺の険しい顔を見る限り、冗談を言っているような空気ではなかった。
「志崎さんが死裂の血を扱えるなら、確かにあのバカデカい塊を動かすことも可能かもな」
「ただ、もしそれで力が及ばなければ、ジ・エンド……一度のチャンスで、なんとしてでも、どかさなくてはなりませんね」
――チャンスはたった一度きり。
その現実を前にしてナージャは、ある決意を固めた。
必ず無事に外へと出て、美食探偵の意志を受け継ぎ、この先も生きていくために。
「二人とも、少し待っていてちょうだい。お腹を満たしてくるわ」
ナージャがおもむろに歩き出し、近くに落ちていた瓦礫の中から、適当な物を拾い上げる。
そしてあろうことか、その瓦礫を口に入れ、ガリガリと食べ始めた。
「ナージャちゃん……!? 何を喰ってんだよ!? どうかしちまったのか!?」
群青寺が困惑して止めようとした。
自棄になったと思われるのも、当然の行動だ。
しかし、ナージャが瓦礫を食べ始めたのには、きちんと意図がある。
「大丈夫。私は子供の頃から父親の命令で、土でも石でも試食してきたの。瓦礫をどかしつつ食べられそうな物を見繕っていたから、何も問題ないわ」
「いや、そもそも食べる必要が無いだろ!」
「空腹を誤魔化さないと……十分な力が出せないからね」
ナージャの意図を察して、群青寺が大きく目を見開いた。
「まさか、ナージャちゃん……あの瓦礫を力ずくでどかす気かよ」
「ええ。志崎さんの力でも無理かもしれないし、私が全力を注ぐ必要があるでしょう?」
「でも、石を喰うなんて……」
石にはほとんど栄養が無いから、腹に入れたところで、別に活力を得る訳では無い。
それでも、胃に何かが入ったという事実だけで、身体を誤魔化せる。
ナージャの鍛えられた胃袋なら問題なく消化も出来るし、仮に腹をくだすとしても、その頃には自分は脱出しているか、すでに餓死しているかだ。
訪れるかどうかも分からない未来より、今の自分に出来ることを考えるべきだろう。
「どちらにせよ、あの瓦礫をどかせなければ、脱出出来ずに全員死ぬだけ。ここが踏ん張りどころよ……何をしてでも、命を懸けてでも、道を切り開いてみせるわ」
群青寺はしばらく苦々しげな表情を浮かべていたが、ナージャの覚悟を感じ取ったのか、最終的には作戦に了承した。
「……分かった。瓦礫をどかす時の影響は俺の眼で見極めるから、ナージャちゃんは力を振り絞ることに集中してくれ」
「ええ、信頼しているわ。よろしく頼んだわよ、理想探偵」
それからナージャは、仮初の満腹感で活力を得た状態となり、志崎と共に、例の階段状の巨大なコンクリと相対した。
階段でいう所の上側――奥側に志崎が立って両手をコンクリに着け、階段の下側――手前側にナージャが立って、壁とコンクリの僅かな隙間へと指を挿入。
合図と同時に、志崎が奥へ押し込み、ナージャが手前に引っ張り込むことで、志崎を支点としたテコの原理でコンクリをズラそうという作戦だ。
志崎が出すという取り決めの合図を待つべくして、ナージャは眼をつむる。
「では、行きましょう。スリー……ツー……ワン――」
志崎とナージャが一斉に動いた。
作戦通り、ナージャが全力で手前にコンクリを引っ張り込んでいく。
別にコンクリを大きく動かす必要は無い。
壁とコンクリの間に、人が通れるだけの隙間さえ作れれば十分だ。
少しでもコンクリを引っ張ろうと、全力で、思いっ切り、持てるエネルギーの全てを注いで、ナージャは引っ張り続ける。
にも関わらず、階段は無情なまでにビクともしなかった。
見えていないだけで、奥まで延々と広がっているのかもしれない。
押し込み続けていた志崎の身体が、グラグラと揺れ動き始める。
もう限界が近いのだろう。このままでは、作戦が失敗して、みんな死んでしまう。
「美食探偵さん……私に、力を、貸して……!」
縋る気持ちでそう叫ぶと――不意にナージャの身体が軽くなった。
まるで誰かが手を添えて、一緒に引っ張ってくれているかのように、手に頼もしい力強さと、優しい温もりを感じる。
この感触を誰かと間違えるはずも無い。
「美食、探偵さん……?」
それは確実に、先ほど死んだ美食探偵の手の感触だった。
きっと過度の空腹による幻覚だ。勘違いに決まっている。
ただ、それでも今のナージャにとって、これほど心の支えになる物は無い。
すでに枯渇していたと思っていた身体に、生きようという強い意志と、燃えるような活力が巡り渡った。
「動いて……! 動けぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
なりふり構わず叫び、頭を振り、思いっ切りコンクリを引っ張り込む。
そして遂に――巨大なコンクリが地響きを立てて少しずつ動き出した。
完全に塞がれていた道に、人間一人ならギリギリ通れそうなほどの隙間が、生み出されていく――。
「ナージャちゃん、危ない!」
だがその時、ナージャの頭上から瓦礫が落ちてきた。
つい先ほどの地響きが原因なのは明確。
いつもなら簡単に避けられただろうが、今の状態では対処が難しい。
――と思った矢先、奥から群青寺が飛び掛かり、手にした手錠で瓦礫を殴り飛ばした。
それと同時に、ちょうど緊張の糸が切れたのか、ナージャは地面に崩れ落ちた。
完全に疲れ切っていて、今にも倒れそうではあるが、その表情は晴れやか。
やり遂げた者の顔をしている。
「ハァ……ハァ……あり、がとう、群青寺、くん……」
「それは、こっちの台詞だ……まさか本当にあのコンクリを動かしちまうなんてな。本当にお疲れ様だよ、ナージャちゃん」
「そこの隙間、から……今までにないほどハッキリと、外の味がするわ……きっと、助けを呼びに、行けるはず……」
「お疲れ様でした、ナージャさん」
志崎がコンクリと壁の隙間へと近づき、隙間を覗き込んだあと、アゴに手にそえて一人考え込む。
「私もナージャさんもガス欠状態。これ以上、隙間を広げるのは難しそうですね」
「……だな。でも俺たちの体格じゃ、この隙間は通れねぇ……なんとかこの隙間を通る方法を考えねぇと」
「ああ、大丈夫。方法ならすでに考えています」
「は……?」
そう言って深呼吸を始める志崎。
その両肩が関節の可動範囲を超え、身体の内側へと折り畳まれていく。
最終的に、両肩同士をくっつけられるほど、異常な関節の動きを見せつけた。
「私は関節が他の人より少し柔軟でしてね。関節も自由に外せるので、この程度の隙間を通るなど容易いことです」
志崎が説明しながら、実際に手足の関節を外し、ゴム人形のごとくグニャグニャと動いてみせる。
その常識外れの機会な動きを観ていると、感心よりも不気味さが上回ってしまう。
共に窮地を脱した仲間だからと、ナージャは必死で平静を保とうとしたが、どうしても顔が引きつってしまった。
「す、凄いわね、志崎さん……それもさっき言っていた『死裂』の力ってヤツ?」
「え? ああ、フフフ……いえいえ。これは、もっと素晴らしい組織の力ですよ。私たちのような、日陰者に光を差し込んでくださる組織の、ね」
よく分からないことを語りつつ、志崎が自身の身体を折りたたみ、隙間に突入。
心配になったナージャが、群青寺の肩を借りて隙間の奥を携帯電話の光で照らすと、奥へと伸びる狭く細い道を、蛇のようにスルスルと抜けていく志崎の姿が見えた。
「凄いわ、志崎さん……! あと少し、その先に地上へと続く道があるはずよ!」
ナージャの応援に、グッと親指を立ててみせながら、志崎は更に奥へ奥へと進む。
そしてとうとう、狭い道を抜けたのか、姿が見えなくなった。
恐らく、奥に広がっているであろう開けた空間にたどり着いたのだ。
それはつまり、この地下からの脱出したということ。
群青寺とナージャは笑顔で互いの拳をぶつけ合った。
「志崎さん、俺とナージャちゃんは通れないだろうから、ここで待っておくよ。頼むから救助を呼んできてくれ」
そう隙間の先にいる志崎へと群青寺は呼び掛けた。
ところが、返ってきたのは、意外な言葉。
「――お断りですねぇ。私たちには、成すべき使命がありますから、救助を呼ぶ時間などありませんよ」
「え……? 何を、言っているの、志崎さん……?」
理解が追いつかず、ナージャは真意を問い掛けた。
すると隙間の先から、ゲラゲラと悪意に満ちた笑い声が聞こえてくる。
「どうせ、あなたたちは死ぬのですし、教えてあげましょう。いやぁ、地震で地下に閉じ込められるなんて災難でしたよ。早く脱出したかったのに、大人しく待つ流れになってしまって……罪無き少女を殺意に駆り立てる必要が出てきました」
「罪無き少女を殺意に、って……まさか、あなたが……灯里をおかしくしたの!?」
「んー、少し違いますかね。素養は元々ありましたし、我が教祖の計画の影響も多分にあるでしょう。私はただ『
「ふざけんじゃねぇぞッ! テメェッ!!」
今までになく群青寺が怒声をあげた。
しかし志崎の笑い声は止まらず、ますますボリュームが上がり続ける。
「お二人共、私が使命を果たすためのお手伝いをしてくださり、ありがとうございます。また私が天国へとのぼり、再会を果たすことが出来たら、仲良くしてくださいね。アデュー♪」
足音が遠くへ離れていく。
いくら怒ろうとも、叫ぼうとも、どうにもならない。
ナージャと群青寺は、自分たちが通れない隙間の前で、ただただ立ち尽くした。
「ナージャちゃん……女の子のキミなら通れないか?」
「無理よ……私は身体を鍛えていて、肩幅からして志崎さんより広いし、自分で言うのは恥ずかしいけれど、胸も大きい方だわ」
細身の志崎が関節を外してまで通った道を、二人の身体で通るのは不可能だ。
なんとかして体型をすぐさま変える以外に方法は無い。
――ただ、一つの方法を除いて。
「ナージャちゃん、頼みがある。俺の肩の関節を、外してくれないか?」
「ぐ、群青寺くん、あなた……本気で言っているの?」
ナージャの問い掛けに、群青寺は力強いうなずきを返した。
「本気も本気さ。それ以外に、この地下から脱出する方法はねぇだろ? 志崎の野郎より細身の俺なら、片方の肩を外すだけでイケるはずだ」
「……死ぬほど痛いわよ?
それに、クセになって、この先関節が外れやすくなるわ」
「それは嫌だな……考えただけで嫌になる。
でも、この先のことを考えていられる状況じゃねぇ以上、仕方ねぇ」
群青寺の覚悟に満ちた顔つきを見て、ナージャは観念した。
群青寺の言う通り、現状、この方法以外に助かる術は無い。
ずっと肩を貸してくれていた群青寺から距離を取って、群青寺が差し出してくれた左手首を、ナージャは震える手で握る。
「……痛い想いをさせてごめんね、群青寺くん。救助要請、よろしく頼むわ」
「任せといてくれ。一緒に外へ出て、また美味いメシを食べに行こうな?」
そして、なるべく痛がらないよう丁寧に、群青寺の左腕を捻り上げた――。
◆
なんとか瓦礫の隙間を通り抜けた群青寺は、外れたまま左肩をかばいつつ、完全に崩れて面影が無い階段やショッピングスペースを抜けた。
それから、約束した使命をまっとうすべく、タワータウンの外へ。
ガラスが砕け散り、電源も切られた自動扉の残骸をくぐり抜けて、ずっと気になっていた都心タワーの現状を確認する。
しかし視界に映り込んだのは、あまりに予想外で、受け入れがたい光景だった。
「嘘、だろ……? 一体どうなってやがる……どうして、どうして、こんな……」
想像を絶する現実を前にして、頭の中が真っ白になる。
群青寺は、ただ呆然と、その場に膝を着くことしか出来ないのであった。
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