【『都心大震災』発生から7日目】

 暴走した灯里を止めてから二日が経った。

 ナージャは空腹を紛らわせるため、よく消毒した布切れを噛みながら、瓦礫の撤去作業を続けている。


 ろくな道具は無く、油断すれば一瞬で瓦礫が崩れて下敷きになるため、慎重に、ゆっくりと少しずつ作業していく他無い。


 地面に敷いたポンチョコートの上に横たわる美食探偵が、そんなナージャの様子を見つめながら、時おり「次は右……右からの味がするわ」と声を掛ける。


「右……確かに、少し味を感じる」


 ナージャは素直に美食探偵の指示に従って、撤去する瓦礫を変えた。


 二日かけて、地震前に通った扉の残骸までたどり着けたが、まだまだ瓦礫は山のように多く、出口など影も形も見えない。


 その事実を目視すると心が折れそうになるので、目を背ける。今は一心不乱に、瓦礫の撤去に集中するのがベスト。そう信じる他無い。


「ナージャちゃん、ストップ。その瓦礫の抜き方はマズい」


「あっ――ごめんなさい」


 後ろから群青寺に声をかけられて、ハッと我に返った。

 つい集中が途切れた状態で、ぼんやりとしたまま瓦礫に触れかけてしまった。


 いくら栄養不足で頭がハッキリしないとは言え、細心の注意が必要な状況だと言うのに、あまりにも迂闊すぎる。


「ナージャさんはずいぶんお疲れのご様子。そろそろ休憩にして、水を飲みましょうか」


 そこで丸メガネの男、志崎が休憩を提案した。

 提案に従って、美食探偵を囲むようにして、ナージャ、群青寺、志崎が地面へと座る。


 四人のすぐそばにいるのは、先ほどからずっと眠ったままの灯里と、腕を押さえたまま塞ぎ込むボー。


 二人とも、とてもじゃないが話せるような状態ではない。

 特に家族をいきなり二人奪われたボーは、後追い自殺をしてしまいかねない状態だ。


「本当に、脱出口なんて作れるのかしら……」


 つい弱音がナージャの口から漏れ出た。


 ろくな道具も無い中で瓦礫を撤去し続け、もはや手は傷だらけ。

 一週間以上水しか飲んでないせいで、ろくに頭は働かず、身体の動きも鈍い。

 頼りの美食探偵も衰弱する一方で、タイムリミットは刻一刻と近づいてきている。


 にも関わらず、未だ助けが来る兆しはゼロ。

 その無情な現実が、どうしようもなく不安を掻き立てた。


「大丈夫よ、ナージャちゃん。少しずつ、外に続く味が強まっているわ」


 美食探偵が横たわったまま、普段通りの穏やかな声音で語りかけてきた。


 最も危ない状態なのは自分だというのに、他者への思いやりを欠かさず、どこまでも優しい。


 その優しさに触れるだけで、ナージャの荒み切った心に、じんわりと潤いが戻っていく。


「ここから出たら、みんなでお腹いっぱいご飯を食べましょうね。大丈夫……人生は、苦しいことも、悲しいこともたくさんあるけれど、ご飯を力に換えて、前に進み続ければ、きっと乗り越えられるものよ」


「美食探偵、それだとメシが喰えない今の状況は乗り越えられないってことになりますよ」


「群青寺くん、揚げ足を取らないで」


 群青寺をナージャがたしなめるのを見て、志崎がくっくと笑う。


「皆さんタフですね。私の教え子たちにも紹介したいくらいですよ」


「教え子……? 志崎さんは教師か何かなの?」


「その派手なチェック柄のスーツでよく勤まるな」


「ハハハッ、学校の教師ではありませんからね。大切な教え子たちにもう一度会うためにも、私はなんとしてでも無事に外へ出なくてはなりません」


 そう語る志崎の手はすでに血と砂でドロドロで、彼がどれほど本気で瓦礫の撤去をしていたかを物語っている。


 瀕死の美食探偵に無理を強いたため最初は悪印象を抱いていたナージャも、彼がただ生き残るのに必死なだけなのだと悟って、今はフラットな気持ちでいる。


「ナージャさんと群青寺さんはいかがです? 外へ出たら、何かしたいことはありますか?」


「美食探偵さんの言う通り、美味しい料理をお腹いっぱい食べたいわね」


 自然と自分の口から出た言葉に、ナージャは驚いた。


 それは、地震が起きる前の彼女なら、絶対に言わない言葉。

 これまでずっと、食事には一切こだわらず、栄養を摂るための行為として処理してきた。


 しかし群青寺にフードコートで料理の美味しさを教えられ、何も食べられない絶望を味わい、ようやく食事の尊さに気付いたのだ。


「お腹いっぱい食べられないって、本当にツラいことなのね……今まで何も考えず、食事をおざなりにしてきた自分が腹立たしいわ」


「気付けて良かったな、ナージャちゃん。過去は変えられないけど、未来はこれからの自分次第だ。どれだけキツい過去があっても……前に進むしかねぇんだよ」


 そうナージャを励ます群青寺の表情は、余裕のある普段の彼とは対照的なほど、暗く、険しい。


「群青寺くん……あなたは――」


「群青寺さんにも、過去に何か悲しい出来事がありそうですね」


 ナージャが群青寺に事情を訊ねようとするより早く、志崎が言葉をかけた。


「もし悩みごとがあるなら、私が話を聞きますよ? その未来を見通すような力を得るまでには、相当な苦労があったのでは無いですか?」


「……さぁね。ただ、この都心タワーにはちょっとした因縁がある。外に出て何かやりたいことがあるって訳じゃねぇが、ここで死ぬのだけはごめんだよ」


「因縁、ですか。興味深い話ですね、詳しく聞かせてくださいよ」


「また今度な。ほら、ボケっとしてたら美食探偵が危ねぇ。とっとと地上への道を切り開いて、脱出しちまおう」


 やや強引に話題を締めて立ち上がり、一人で瓦礫の元に向かっていく群青寺。

 その背中はどこか寂しげで、普段の気安い空気を感じられなかった。


「話をはぐらかすのが下手な男……」


 群青寺はかたくなまでに、自分のことを語ろうとはしない。

 よほど語りたくない過去でもあるのだろうか。


 飄々としていながらも、他者を救うために本気になれる、根は正義感が強い男。

 それが約一週間、閉鎖空間で共に過ごした現在の、ナージャが下した群青寺への評価だ。


 しかしナージャはまだまだ、群青寺のことを知らない。


 なぜ超能力じみた眼を持つのか。

 なぜ若くして、探偵稼業を始めたのか。

 訊ねてみたい話が、あまりにも多すぎる。


「ナージャちゃん、群青寺ちゃんを支えてあげて」


 そんなナージャの心の内を読むように、美食探偵が声をかけた。

 驚いて振り向くと、弱々しい微笑をたたえて語る。


「人づてに聞いた話だけれど……群青寺ちゃんは昔、この都心タワーの中で幼馴染を亡くしているそうなの」


「え……?」


 思わず声をあげてしまったが、冷静に考えれば腑に落ちる。


 この建物のフードコートに、群青寺はとても慣れた様子だった。

 都心タワーのフードコートに頻繁に訪れるなど、普通は無い。

 よほど因縁のある建物でない限りは。


「ここは彼にとって、大切な人の墓標も同然。平静を装っているけれど、地震や爆発で荒らされて、心穏やかなはずがないわ」


「このタワーで幼馴染が亡くなるって……何があったというの?」


「それは、私にも分からないわ。分かるのは……亡くなった女の子が『紫崎三輪しざき みわ』という名前だってことくらいね」


「シザキ……」


 志崎と同じ読み方の名字。

 ただの偶然というには、あまりにも作為的な一致だ。

 まだこの地下に広がる不穏な影が消えていないことを、ナージャは予感した。


「ナージャちゃんなら、きっと群青寺ちゃんの心を救えると思うの。だから彼のこと……よろしくね?」


 そう語る美食探偵の顔はまったく血の気が感じられないほど真っ白で。

 手に触れると、まるで無機物のように、ほとんど体温を感じられない。

 彼女が確実に死へ近づいていることを、否応なく実感させる。


「弱気な発言をしないで、美食探偵さん。私が……私が必ず、脱出口を切り拓いてみせるわ。だから生きて地上に出て、私に色んなことを教えてちょうだい」


「ふふっ、それくらい……なんだか初めて、お弟子ちゃんができたみたいで、嬉しいわ。じゃあ、そろそろ瓦礫の撤去を、再開しましょうか」


「……無理しないで。美食探偵さんは寝ていて大丈夫よ。あなたのおかげで、もう十分、“味”は分かったから」


 そう言ってナージャは立ち上がり、瓦礫の元へと向かう。


 この二日間、瓦礫の隙間からほんの僅かに感じられる、空気の味の違いを識別し続けてきた。


 それは恐らく、地上から入ってくる空気の味のはず。

 空気が入ってくるということは、空気の通り道があるということだ。


 これまでは美食探偵に頼らなければその通り道を識別できなかったが、美食探偵に二日間ずっと識別のコツを教えられ、味覚に集中し続けたことで、二日かけてようやっと識別が完了した。


「待っていて、美食探偵さん。

 この私の『超味覚』で、あなたを必ず救ってみせるわ……!」


 ずっと憎らしく思えていた自分の味覚が、今はとても頼もしい。

 生まれて初めて自分の舌に感謝をしながら、ナージャは瓦礫の撤去作業を再開する。


 美食探偵の教えを受けた味覚で、彼女への恩返しを果たすために――。


「ふふっ……誰かに、味覚について教える日が、来るなんて、ね……」


 ナージャの頼もしい背中を見つめながら、美食探偵はそっと目を閉じる。

 その顔は飢餓状態で頬がこけていながらも、幸せな食事を終えたあとのように、穏やかで、安らかで、満たされていた。


 美食探偵がトークショーで語っていた話によれば、彼女は高校生の頃に両親を火事で亡くしている。


 火事で肉親も、実家も、両親の遺品も、大切な思い出も、すべてを焼かれた彼女に唯一残されたのは、美食家の母親に教わった『超味覚』のみ。


 その特異な能力を周囲から嘲笑されたり、嫌な想いをしたりすることもあったが、母の遺産とも言うべき自分の能力を役立てることが、彼女にとって何より嬉しかったという。


 ――自分の中で今でも母は生きている。

 そう思うことが出来たから。


「頑張って、ナージャちゃん……あなたなら必ず、私以上の美食探偵に、なれるわ……」


 そして美食探偵は、まるで眠りへ落ちるかのように――静かにその生涯を終えた。

 

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