【『都心大震災』発生から5日目】都心タワー地下殺人事件~after~

 鬼畜探偵が捜査に動く一方、その知り合いである美食探偵は暗闇の中で、狂気に駆られた少女と対峙していた。


 クリコの頭を瓦礫で叩き割った灯里が、虚ろな眼をナージャたちに向ける。

 その眼に、先ほどまでの臆病で純粋そうな少女の面影は無い。

 まるで衝動のままに暴れ回る獣の眼だ。


 両手で持ち上げられた瓦礫は、人間の頭よりもずっと大きく、十キロはゆうに超える。

 少女の細腕で持ち上げられているのが不思議でならない。


「灯里ちゃん……私の言葉が分かる?」


 普段と変わらぬ声音で美食探偵が問い掛けた。

 しかし言葉は返ってこず――代わりに瓦礫が飛んできた。


 数メートル離れた場所へ的確に巨大な瓦礫を投げつけるなんて。

 たとえ成人男性でも、このような芸当が出来るものは少ないだろう。


「テメェ……! よくもクリコをぉ!」


 怒りのままにボーが殴りかかる。

 しかし灯里はボーの拳を顔面スレスレで回避し、無防備な腕を絡め取り、自分の肩とアゴでボーの肘関節を極めた。


 柔道系の関節技『腕固め』だ。

 灯里が体重をかけると、ボーは苦悶の声をあげながら身体を沈ませる。

 更にそれだけでは終わらず、ボキッと太い木の枝でも折れたような音がして、ボーの悲鳴が響き渡った。


 躊躇なくボーの肘関節を破壊したようだ。

 灯里から腕を離されたボーは、激痛で地面を転げ回る。

 そのような非道な真似をしながら、灯里の表情に変化は無い。


 感情の無い双眸を、ぼんやりとナージャたちに向け続けていた。


「おいおい……女子中学生の動きじゃないぜ。何か薬物でもやって、脳のリミッターでも外してるのかよ」


「世界大会でも、今の灯里ほど俊敏な動きを見せるレスリング選手はほとんどいないわ。さっきまでの灯里とはまるで別人……何かに取り憑かれたみたい」


「灯里ちゃんから恐怖の味がするわね」


 ナージャの隣の美食探偵が、訝しむような顔で灯里を見つめながら語る。


「灯里ちゃん本人の意思とは思えない。どうにかして、怪我をさせずに大人しくしてもらいましょう」


「いや美食探偵、さすがに無理じゃないッスか……? 相手は凶器で襲ってくるんですよ」


 そう話している間にも、灯里は鋭利な瓦礫を拾い上げ、両手に持った。

 先ほど見せた腕力を持ってすれば、瓦礫の切っ先でナイフのように容易く、人間の肉を割くことが出来るだろう。


「生主探偵には二つ傷痕があったけど、首の裂傷は灯里の仕業だったのね」


「だろうな。灯里ちゃんがお手洗いへ行ったのは、クリコさんが殴って気絶させたあと……わざわざトドメを刺しに行ったってワケだ」


 つまり、クリコが繰り返していた「殺していない」という言葉は真実だったのだ。


 心の中でクリコに詫びるが、もはや手遅れ。

 彼女は頭を叩き割られて、地面に倒れたまま、ピクリとも動いていない。

 やり場の無い怒りがフツフツと湧き上がり、ナージャの身体を熱くする。


「今の灯里の速度でも、組み技なら私に分がある。私がクリコの仇を取るわ」


「よせ、ナージャちゃん。いくら関節技を極めたところで、凶器で反撃されたら終わりだ」


「腕が千切れたって離さない。絶対に、灯里を落としてみせる」


「バカ、怪我前提で考えちゃ駄目だ……! 治療器具も、ろくな食糧もねぇこの状況で負傷したら、そのまま死んじまうぞ!」


 群青寺がナージャを怒鳴りつけ、懐から青い手錠取り出し、両手に一つずつ握った。

 握られていない方の輪っかが鎖の擦れる音を出しながら、ジャラジャラと揺れる。


「怪我させちまうことを覚悟して戦うしかねぇよ……俺の眼なら見極められるから、二人は下がっててくれ」


「ふふっ、無茶しちゃって。あなたの眼をもってしても、今の灯里ちゃんの動きを避けるのは命懸けでしょう?」


 美食探偵は前に出ようとした群青寺を引き下げ、代わりに自分が前に立った。


「私がなんとしてでも灯里ちゃんの動きを止めるわ。二人はその間に、凶器を取り上げてちょうだい」


「美食探偵、危ないですよ……あなたは武闘派じゃないでしょうに」


「群青寺ちゃん、大人を舐めちゃ駄目よン♪ お姉さんにだって、ちゃんと格闘術の心得はあるんだから」


 そう言うと、美食探偵が灯里へと向き直って、両腕を軽く前に出した。

 レスリングの構えに近いが、態勢は低くない。

 ボクシングのピーカブースタイルの、拳を作らずに手を軽く開いたような構えだ。


「ナージャちゃん、よーく観ててね。超味覚を使えば、相手の心の味だって、見極められちゃうの」


「心の味……?」


 美食探偵の言葉の意味が理解できず、ナージャは思わずオウム返しをした。


 だが返事を聞く間もなく、灯里が美食探偵に向かって飛び掛かる。

 まるで獣のごとく一瞬で距離を詰め、右手の瓦礫で一閃――ナージャに横斬りを仕掛けた。


「分かりやすいの味ね」


 灯里の手を美食探偵は軽々と打ち落とした。

 瓦礫の切っ先に触れないよう手首を狙って、素早く手の平で一撃。

 それだけで斬撃の軌道は大きく逸れて、美食探偵に掠りもしない。


「明けぬ夜……明けぬ夜……!」


 狂ったように同じ言葉を繰り返しながら、次々と瓦礫を振るう灯里。

 その斬撃をことごとく美食探偵が打ち落とし、空振りさせ、体力を削いでいく。


 ナージャは美食探偵の動きを観る内に、彼女が灯里の動き出しより、ほんの少し早く動いていることに気付いた。


 まるで群青寺の『前知全応オール・シーイング』と同じだ。


「灯里ちゃん、人間の体液はね、感情によって味が変化するの」


 灯里の斬撃を打ち落とし続けながら、美食探偵が優しく語りかけ始める。


「灯里ちゃんから感じるのは、さっきからずっと恐怖の味……それなのに、攻撃を仕掛ける瞬間だけ、わざとらしい殺意の味がする。まるでベットリと乱暴に、味の濃いソースを塗りたくられたみたいにね」


「明けぬ、夜……!」


 美食探偵の言葉を拒むように、一際大きく振りかぶる灯里。

 その刹那――美食探偵が距離を詰めて、灯里の両手を掴み、そのまま押し倒した。


「灯里ちゃん、今のあなたは本当の灯里ちゃんじゃないんでしょう? そんな感情に負けないで……! 自分を取り戻してちょうだい!」


 美食探偵の懸命な呼び掛けも虚しく、灯里が落ち着く様子は無い。

 美食探偵の手を振り払おうと、瓦礫を握った両手をジタバタさせる。


「ナージャちゃん、瓦礫を狙おう!」


「分かってるわ!」


 ナージャと群青寺が床に倒れた美食探偵と灯里に駆け寄って、灯里の手から瓦礫を蹴り飛ばした。


 瓦礫が勢い良く飛んでいき、遠くの方で砕ける音が響く。

 もう見つけることは不可能だろう。


「やったわ……これで、灯里も大人しく――」


「美食探偵、離れてください! ソイツにはまだ歯が!」


 群青寺が叫ぶと同時に、灯里が美食探偵の首筋に噛みついた。

 よほどアゴの力が強いのか、噛まれた箇所から血が噴出。

 致命的な傷なのは明らかだ。


 ナージャは灯里を引き剥がそうとしたが、美食探偵がその動きを制する。


「……落ち着いて。これくらいの怪我、どうってこと、無いわ」


 脂汗を滲ませながら、美食探偵は少しぎこちない微笑を浮かべた。

 それから、自分に噛みつき続ける灯里の首に腕を回して、穏やかな声で語りかける。


「灯里ちゃん、大丈夫……大丈夫よ。もう、怖くないわ。私たちはあなたたちを傷つけたりしない……だから、本当の優しい灯里ちゃんに戻しましょ?」


「明け……明、け…………」


 絡まった糸をほどくように優しく、美食探偵の指が灯里の後ろ髪を撫でていく。

 すると徐々に、無感情だった灯里の眼に、光が差し始めた。


「あ……あ……わ、わた……わた、し…………」


 噛みつき続けていた灯里の口が開き、美食探偵から離れ、呆然とする。

 それから今にも泣き出しそうな顔になって、自分が傷つけた美食探偵の前で、手をワタワタと動かした。


「私、どうして、こんな酷いことを……ごめんなさい……どうしたら、私、どうしたら……」


「……大丈夫、あなたが普通の状態じゃなかったことは、きちんと分かっているわ。そんな中で本当の自分を取り戻せたのは……優しい心を、持っているからこそね」


 美食探偵が灯里の両手を手に取ると、自分の胸へと引き寄せ、微笑みかける。


 かなりの深手を負っているにも関わらず、一切曇りが無い美食探偵の笑顔。

 ナージャにはその顔が、真っ暗な闇を裂く、暖かな日差しに思えた。


「あなたの一番の罪滅ぼしは……生きて地上へ出て、どうして自分が暴走してしまったのか、原因解明に協力することよ。だから自暴自棄になったり、生きることを諦めたりしないでね?」


「は、はい……ありがとう、ございます」


「ふふっ……それで、いい、のよ――」


 そこまで語ったところで、美食探偵は灯里の胸に倒れ込んだ。


「美食探偵!」


 群青寺が素早く美食探偵の肩を抱き止め、首の傷口にハンカチを当てる。

 白いハンカチは一瞬で真っ赤に染まり、付け焼き刃にもならない。

 傷口が深く、出血は一向に止まる様子が無かった。


「群青寺くん! なんでもいいから、とにかく血を止めましょう!」


「ああ、そこのクリコさんのカバンからガーゼを取ってくれ!」


 ナージャがクリコの所持品からありったけのガーゼを取り出して、群青寺へと手渡す。群青寺が間髪を入れず、ハンカチの下にガーゼを敷き、強く圧迫する。首の出血を止めるための応急処置『直接圧迫止血法』だ。


 しかし傷口が酷すぎて、この方法で止まるかは分からない。

 見ていることしかできないナージャは、せめて両手を合わせて、世界大会の舞台でもしない神頼みをする。


「お願い、止まって……! 止まって! 止まって!」


「止まれ……! 止まれ! 止まれ! 止まれ! 止まれぇ!!」


 群青寺とナージャの切実な叫び声が響き続ける。


 それから数分後……出血がなんとか止まった。


 しかし美食探偵は目も口も閉じたまま、動く気配が無い。


「美食探偵さん……? 嘘、でしょ……?」


 ナージャは膝を着き、美食探偵の血の気が引いた白い頬に、恐る恐る触れた。


 ――まだ温かい。


「ありがとう……二人のおかげで、助かったみたい」


 美食探偵が眼を開けて、ナージャと群青寺に感謝の言葉を口にした。


「美食探偵さん……!」


 ナージャは安堵のあまり泣き出しそうになった。


 しかし水分不足のせいか、涙が出ない。

 それは美食探偵も同じなようで、お互いにクシャクシャな顔で笑い合う。


「クリコ……! 目を開けてくれよ、クリコォ……!」


 一方で、灯里に頭を叩き割られたクリコは、即死していたようだ。

 異様な筋力を発揮していた灯里に、巨大な瓦礫で殴られたのだから、無理も無い。


 当の灯里はというと、美食探偵の無事が分かった途端に、眼を開いたまま意識を失っていた。


「灯里……あなたの身に何が起きたの?」


 繰り返し発する『明けぬ夜』という謎のワード。

 失われた理性に、限界を超えた身体能力。

 そして異様なまでの殺人衝動。


 何かとてつもなく恐ろしい事態が起きていることを、ナージャは感じ取っていた。


「灯里ちゃんの件も大事だが……まずこの先のことを考えないとな」


 群青寺が深い溜め息をつき、苦々しげな顔で語る。


「二人死んで、生き残りは六人。そのうち二人は重傷、一人は錯乱状態と来た。もはや悠長に助けを待っていられる状態じゃあねぇ」


「特に美食探偵さんは、一刻も早く輸血をしてあげたいわ……だけど、今の状況から、何か出来ることがあるの?」


「助けを呼びに行きましょう」


 そこで、ずっと姿が見えなかった丸メガネの男――志崎が話に割って入ってきた。

 丸メガネを指で押し上げながら、不敵な微笑を浮かべ、主張を続ける。


「演壇への道を開いた時のように、リスクを承知で出入り口の扉を撤去すればいいんです。

 そう……群青寺さんと、美食探偵さんに頑張っていただくことでね」

 

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