【『都心大震災』発生から4日目】都心タワー地下殺人事件~後編~

 美食探偵はデジカメを手に取り、映像を再生させた。

 その画面端には先ほどと同様、撮影日時がしっかりと表示されている。


「まず、この撮影日時の情報だけど、まったく当てにならないわ。これは撮影機器の設定時刻だから、撮影する機器の設定を調整してしまえば、どうとでもなるからね」


 ナージャはうなずき、納得する。

 ここまではナージャでも予想がついていた。


 撮影機器の設定時刻さえイジれば、いくらでも灯里に不利な時刻を記録できる。

 ただ問題はだ。


「美食探偵さん、設定時刻をイジればいいとは言いますが、そんな簡単な話ではないのでは?」


 志崎が美食探偵の推理に割り込み、丸メガネを指で押し上げた。


「犯人が時刻の設定を調整したとして、一体いつ、どのように設定時刻を調整したというのですか? 生主探偵は常にハンディカメラを手にしていました。彼にバレずに設定を調整するなんて、不可能でしょう」


「生主探偵を殺したあとなら、どうとでもなるわ」


「えっ!? ちょっ、待ってくださいよ! さっきの映像に、カメラが壊される瞬間が映ってたじゃないッスか!?」


「ボーさん、映像が途絶えたからってカメラが壊れたとは限らねぇだろ? ただ録画を止めただけって可能性もある」


 困惑したボーを宥めて、群青寺が壊れたカメラの部品に触れながら語る。


「ブッ壊れたカメラの中に入っていたからって、カードの映像のすべてが、このカメラで撮られたモノとは限らない。でしょう、美食探偵?」


「ふふっ、群青寺ちゃんも気付いていたみたいね。そう、犯人は生主探偵のカメラからカードだけを抜き取って、自分のカメラで撮影をしたの。それから、遺体発見時のいざこざに乗じて、そっとカードを差し込んだってワケね」


 美食探偵は生存者たちを全員見渡したかと思うと、ある人物に向かって、真っ直ぐに指差した。


「この事件の犯人は、壊れたカメラの中からカードを取り出して、中身を確認することを予想していたのでしょうね。そして、そんな真似ができたのは第一発見者だけ――」


 美食探偵の指の先にいたのは、ボーの陰に隠れるクリコ。

 

「あなたにしかできないトリックなのよ、クリコちゃん」


「え……? ア、アハハ、どういうこと? 意味がわかんないんだけど」


 クリコは引きつった顔で笑い、目をそらして、指で前髪を弄りだす。


「つーかさ、アタシ女だよ? 成人した男を殺すとか、普通に考えて無理じゃない?」


「暗闇にまぎれて背後から瓦礫で殴れば、男も女も関係無いわ。生主探偵のことだから、どうせいつでもカメラをつけていて、どこにいるか位置が分かりやすかったでしょうしね」


「私ではなく生主探偵が狙われたのは、そういう理由ですか」


 志崎がホッとするように胸を撫で下ろした。

 美食探偵の追及は終わらず、クリコを真っ直ぐに見つめながら、推理の続きを語る。


「あなたはお手洗いへ行く時に生主探偵を襲ったんでしょう? その際にハンディカメラのカードを抜き取って、灯里ちゃんのもとへ戻ったあと、何食わぬ顔で自分のデジカメで件の映像を撮影した。そして遺体を発見したフリをして、悲鳴をあげる前に、カードを生主探偵のカメラに入れ直したの」


「灯里と常に行動を一緒にしていたクリコなら、こっそり灯里の様子を撮るのも可能でしょうね」


「ハァ!? ナージャちゃん、変なことを言わないでくれる!? アタシはずっとアカリンの隣にいたんだよ!? いくら暗いからって、カメラを持ってたらバレちゃうって!」


 クリコが鼻息荒く反論してきた。

 今にも泣き出しそうな顔だが、その剣幕には鬼気迫る物がある。


 実際、隣の人物がカメラを手にしていたり、カメラを向けてきたりすれば、気付かない方が難しい。

 一体どのような方法で、クリコは灯里の姿を撮ったというのか。


「クリコちゃんとボーちゃんが展望フロアで撮った写真、キレイだったわね」


 そこで美食探偵が突如、突拍子もない話題を口にした。

 困惑したのも束の間、ナージャはすぐにその意図を察することになる。


「夫婦で一緒にしっかりと映っていたけれど、アレはどのように撮ったのかしら? 誰かに撮ってもらったの? いえ、そんな雰囲気の写真では無いわね? だとしたら……自分を撮影するための三脚かしら?」


「うっ……!」


 クリコの顔色がサッと青ざめた。


 あまり普及していないが、自分で自分を撮影するための、手で持つタイプの棒状の三脚が存在している。


 名付けるなら『自撮り棒』とも言うべきその三脚を使えば、自分の手元から離れた距離から撮影可能だ。


 ナージャの記憶では、九里夫妻の写真はボーが両手でピースをし、クリコが片手でピースしていて、もう片方の腕の行方はわからない。


 仲良し夫婦が同じポーズをしていないことにナージャは若干の違和感を覚えていたが、記念撮影用の三脚を手にしていたなら納得だった。


 何も反論できずにいるクリコに、美食探偵は更に追及を続ける。


「真っ黒なタイプの三脚に装着して、手元から離れた位置にカメラを置いて撮影すれば、この暗闇の中だとまず気付かれないわ。クリコちゃんはこうして、灯里ちゃんの写真を撮ったんでしょうね」


「無理だ!!!!」


 クリコではなく、その夫ボーが美食探偵の推理をさえぎった。

 冷や汗をダラダラと流した余裕のない顔で、ボーは反論を始める。


「美食探偵さん、アンタの推理は間違ってるよ! ウチのデジカメは、その……アレだ! 録画中に赤いランプや画面が光るんだよ! こっそり撮るとか無理だって!」


 そう反論しながら、ボーは美食探偵からデジカメを受け取り、録画ボタンを押してみせた。


 するとボーの説明通り、カメラの上部に赤いランプが灯り、カメラの裏側がぼんやりと発光を開始。


 これでは確かに、すぐそばにいながら隠れて撮影するなど不可能だろう。


「ほら、光って目立つだろ!? いくら手元から離れてたって、これじゃあすぐにバレるって! クリコは無実だ……! 誰かがクリコをハメようとしてんだよ!」


「……ボーちゃん、よくわかったわ。確かめたいことがあるから、ちょっとデジカメを貸してもらえる?」


 美食探偵はボーからデジカメを受け取ると「緊急時だから容赦してね」と呟き、デジカメの画面や、上部のランプを舌で舐めた。


 不可解な行動にギョッとしたナージャに微苦笑を見せつつ、美食探偵は推理の続きを語っていく。


「やっぱりね……このデジカメからは絆創膏の味がするわ。絆創膏を貼ることで、撮影時のランプや画面の光を隠したのね」


「あっ、それは、その――」


 ボーが反論しようとするが、言葉が続かず、膝から崩れ落ちた。

 そんな夫を心配するように、クリコが慌てて駆け寄る。


 二人とも表情に力がなく、観念したような顔だ。


「そう言えばクリコは自己紹介の時に、絆創膏をたくさん持ってるって言っていたわ」


「ふふっ、よく覚えていたわね。私もその話を覚えていたから、絆創膏を利用したんだろうと思ったの。辺りを探せばきっと、使い終えた絆創膏を見つけられるでしょうね」


「クリコさん、美食探偵がいたのが不運だったな。罪を認めて、どうして生主探偵を殺したのか、教えてくれないか?」


 群青寺に詰め寄られ、クリコがビクリと身体を震わし、床に膝を着いたままのボーへと抱き着いた。


 そして酷く震えた声を漏らす。


「ア、アタ、アタシは、ちが、違う……殺して、ない……!」


「ああ、クリコは悪くない……悪いのは俺だ」


 言いつつボーが立ち上がり、深々と頭を下げた。


「認めるよ。生主探偵の殺害は俺が計画した。全部、俺が悪いんだ。瓦礫を撤去しながら、俺はよく大声をあげてたろ? あの声でクリコに合図を送って、実行のタイミングを伝えてたんだよ」


「そう言えば、演壇への道が通った時も一際大きな声をあげてたな……アレが遺体を発見するタイミングの合図だったワケかよ。ただの騒がしい人なんだと、完全に騙されたぜ」


「ほぼ素だよ……俺は頭が悪いからさ、違う自分を上手く演じたりとか無理だし」


 申し訳無さそうに肩を落とすボー。

 とても嘘を言っているようにも、人を殺すような人にも見えない。


 ナージャは初めて目の当たりにする殺人犯の姿に困惑していた。


 殺人犯と言えば、倫理観の欠けた異常者というイメージだ。

 しかし、今ナージャの眼の前にいる男は、どう見ても妻を愛する良き夫。


 殺人計画を考案して、実行に移すような人物には思えない。


「なぜ生主探偵を殺す必要があったの? いくら露悪的な人物とは言っても、殺すほどじゃ――」


「ナージャちゃん、よく匂いを味わってみて。きっとボーちゃんの動機がわかるはずよ」


 隣に歩み寄ってきた美食探偵に促されるまま、ナージャは味覚に集中した。

 するとボーの懐から、味わった覚えのある味を感知。


 それは間違いなく、トークショー中に味わった水の味だった。


「ボーから水の味がする……まさか、水を独り占めにしたの?」


「そう言えばボーさんだけ、現場に駆けつけるのが遅かったな。俺たちが去ったあと一人だけ残って、演壇から水をパクったんだろ? その隙を作るために、クリコさんに悲鳴をあげさせたってワケか」


「……ああ。どうしても喉が渇いて仕方なくてさ、魔が差しちゃったんだよ。注意を引き付けられれば、なんでも良かったけど、生主探偵なら襲われても不思議じゃないし、ちょうどいいなって」


「いいえ、違うわ。あなたが水を欲しがった理由は別にあるのでしょう?」


 美食探偵がボーの自白に割り込み、語りかけながら歩み寄っていく。


「美食探偵さん、どういうことですか? 喉の渇き以外でどんな理由があるんです?」


「確証は無いわ。でもボーちゃんは以前、クリコちゃんにこう語りかけていたの。『絶対に生き残って、また二人で……いや家族みんなで旅行しよう』ってね」


「『二人で』を『家族みんなで』と言い換えてる? それにどんな意味が――」


 そこでナージャも意味に気付いた。

 夫婦二人ではなく、家族みんなで旅行へ行くようになる理由。


 それは――夫婦の間に新たな生命が生まれるからだろう。


「まさかクリコは、妊娠しているの……?」


 ナージャの言葉にボーはうなずき、重い口を開いた。


「……ああ。お腹はまだ出てないけど、五週目に入ってる。本当なら、もっと栄養も水分も摂らせてあげたいんだ」


「閉じ込められて真っ先にボーちゃんが瓦礫をどかそうとしたのも、クリコちゃんを想うがゆえだったのね」


「はい……ずっと子供が欲しくて、やっと妊娠してるのが分かったってのに……俺が東京旅行を提案したばっかりに、こんな……こんな……」


 ボーが膝と手を地面に着き、額を擦りつけながら語る。


「皆さん、後生ッスから……! 水はもちろん返しますから! 生主探偵は事故で死んだことにしてくれませんか!? 子供が生まれるのに、牢屋に入るワケにはいかないんスよ! お願いします! お願いします!」


 地下に反響するボーの哀願。

 その悲鳴に近い叫びは、ナージャの心を激しく揺れ動かした。


 短い付き合いではあるが、九里夫妻が好人物なのはよく伝わってくる。

 対して生主探偵は、とてもじゃないが、性格がよい人物とは言いがたい。

 殺人が悪なのは間違いないが、九里夫妻をかばいたい気持ちが強まっていく。


「そのお願いは聞けないわ」

 だが美食探偵は、ボーの願いを一言で一蹴した。


「ボーちゃん、クリコちゃん、この動画に残っている声をよく聞いてちょうだい。これは他の動画を確認している時に見つけた、生主探偵の最期の言葉よ」


 美食探偵が手に持っていたデジカメを操作し、動画を再生させた。

 するとデジカメから聞き覚えのある男性の声――生主探偵の声が流れ出す。


「ウキャキャキャ…………ハァ、このキャラ続けるの、しんどいねぇ……でもこのキャラのおかげで喰えてるんだし、頑張んないとなぁ……」


 その声は、生前ずっとハイテンションだった生主探偵とは、別人のようにローテンション。


 自信無さげにボソボソと、弱々しく、生主探偵の独白は続く。


「どこで間違えちゃったかなぁ……たまたま外での配信中に出くわした事件を解決して、名探偵って言われたまでは良かったのに……いや、それがそもそも間違いだったのか……僕なんて『探偵』を名乗れるような能力無いんだし……美食探偵の話を聴いて、改めて、自分の凡人っぷりを思い知らされたよ……アハハ、ハハハハ……」


 普段の挑発的なものではない、自嘲的な笑い声がしばらく続いたあと、「絶対にここから生きて帰って、一発逆転してやる」という言葉を最期に声は途絶えた。


 露悪的で理解しがたいと思っていた生主探偵の、垣間見えた素顔。

 彼なりに苦しみながら、生きて帰りたいと願っていた切実な本音。


 自分たちの殺した人物が遺した言葉を耳にし、九里夫妻は二人揃って顔面蒼白となる。


「ボーちゃん、クリコちゃん、あなたたちの事情も気持ちも理解できるわ。でも……罪は償わなくちゃ駄目。生主探偵にも事情があったの。生きたいって本気で願っていたの。その想いを踏みにじった事実を、しっかりと噛み締めてちょうだい」


「――違う、の」


 ずっと何も言えずにいたクリコが口を開いた。

 何か怯えた眼をして、全身を震わせながら、たどたどしく言葉を紡いでいく。


「わ、私は、殺してない……後ろから頭を殴っただけなの……それで気絶したから、首なんて斬ってない……斬ってないの!」


「クリコ、もういいんだ……諦めようぜ。生主探偵が声をあげそうになったから、咄嗟に瓦礫で喉を斬っちゃったんだろ? 分かってる」


「違う……! やってない! 私は本当に、やってないのぉ!」


 クリコが鬼気迫る勢いで叫び続ける。

 ボーが懸命に宥めようとするが、全然言うことを聞かない。


 そこでナージャは、先ほどから灯里の姿が見えないことに気付いた。

 この推理の間に、どこかへ姿を消してしまったようだ。


 一体どこへ――


「――クリコさん、避けろ! 後ろだ!」


 ごしゃっ、と。


 まるで果物を握り潰したような音がした。


 群青寺がハンドライトをクリコの方に向けると、額から大量の血を流し、金色だったはずの髪が半分ほど赤く染まっている。


 糸が切れた操り人形マリオネットのようにクリコがその場に崩れ落ちると、背後に立っていた少女の姿が露わとなった。


 それは、血に染まったセーラー服の少女、灯里。

 つい先ほどまで怯え切っていた眼には光がなく、瞳の焦点が合っていない。

 その両手には、少女の細腕に似つかわしくないほど大きな瓦礫が抱えられている。


「灯里……? あ、あなた、急に何を……」


 ナージャが問いかけると、灯里の口がニヤッとツリ上がり、言葉を漏らした。


「……明けぬ夜」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る