【『都心大震災』発生から4日目】都心タワー地下殺人事件~前編~

 瓦礫をどけた際、下から血まみれの顔が露出して、ナージャはギョッとした。


 瓦礫に潰されて死んだ観客の一人だ。

 丸一日瓦礫の撤去作業を続けていて、遺体を発掘するのもこれで三度目。

 何度経験しても、人の死を目の当たりにするのは慣れず、どうしようもなく気分が落ち込んでしまう。


「……吐く胃の中身が無いのが救いね」


 だが、へこたれている暇など無い。

 ナージャは遺体の開き切った目を閉じさせると、瓦礫から慎重に掘り出して、遺体を並べている隅のスペースへと運んだ。


 この地下は閉鎖空間ながら空気がこもっておらず、室温も高くないからか、遺体の腐敗はそこまで進んでいない。


 とは言え、腐敗臭は当然するため、可能な限り生存者たちから遠ざけている。

 味覚と嗅覚は密接に関係しているため、人一倍味覚が優れたナージャは、腐敗臭が人一倍苦手だ。


 美食探偵のように味覚を活かして役に立ちたいところだが、まったくと言っていいほど、役に立てない。


 極度の空腹と水分不足も相まって、このまま倒れてしまいたい衝動に駆られてしまう。


「ナージャちゃん、大丈夫? 無理しちゃ駄目よン♪」


 その時、美食探偵が肩をそっと抱いてきた。

 柔らかな微笑を向けられ、張り詰めていた心がホッと和んでいく。


「私の味覚によれば、もう少し演壇への道が開くわ。そうすれば十分なお水を飲めるから、焦らず確実に進めていきましょうね」


「はい……この状況でも余裕があるなんて、美食探偵さんは流石ですね」


「うふふ、余裕なんて無い無い。ただの強がりよ。大人ってね、可愛い少年少女の前だとカッコつけたくなるものなの♪」


 そう言ってウインクする美食探偵は、やはり凛々しくて。

 遺体を見たのも、何も口にしていないのも同じはずなのに、当初の美しさを、強さをまるで失っていない。


 ナージャは改めて、凄い人だと思った。


「さあ、もう一踏ん張り頑張りましょうか」


「ええ。今ごろ灯里も、喉を渇かして待っているでしょうから」


 その時――瓦礫の方から「おっしゃぁぁぁぁぁ!」という雄叫びが轟いた。


 あまりの声量で、天井や床がブルブルと震える。

 その声は恐らく、地下全体に響き渡ったに違いない。

 少し目眩を覚えつつ、ナージャが美食探偵と共に雄叫びのした方へ向かうと、瓦礫の山に生まれた小さなトンネルの前で、ボーと群青寺が立っていた。


 ボーは傷だらけの両拳をグッと握りしめ、今にも泣き出しそうな顔で歓喜し、群青寺も嬉しそうに破顔している。


 どうやらナージャたちが遺体を置きに行っている間に、とうとう演壇へと続く道を開通させたようだ。


「美食探偵、やりましたよ。これでみんな助かりますね」


「そうね……ありがとう、みんな。リスク分散のためとは言え、メンバーを分けて行動するのは不安だったけれど、上手くいったようで良かったわ」


「うっしゃぁ! じゃあ早速、水を回収しに――」


「きゃあああああああああああああああああっ!?」


 突如、耳をつんざくような悲鳴が閉鎖空間に反響した。


 一瞬呆然としてしまったものの「まさか、クリコ……!?」とボーが呟いたのを耳にし、我に返る。


 ――クリコと灯里が危ない!

 思うが早いか、ナージャは携帯電話のライトを頼りに、前へと走り出した。


 クリコと灯里が待つはずの場所へ、暗闇の中を一直線に駆け抜けていく。

 そして、たどり着いた先で目に飛び込んできたのは、あまりにも意外な光景。


 口を大きく開いたまま床に仰向けに倒れ、喉を裂かれて絶命した生主探偵だった。


「生主、探偵……? どうして……」


「ナージャちゃん!」


 ナージャの胸の中に灯里が飛び込んできた。

 その後ろにはクリコもいて、二人とも酷く青ざめた顔で震えている。


「灯里、これは、どういうこと? なぜ彼が死んでいるの?」


「わ、わからないんです……私とクリコさんは少し離れた場所にいたんですけど、クリコさんが変な音がしたって言うから近寄ってみたら、生主探偵さんが死んでて……」


「アカリンの言う通りだよ! なんか、ガチャッていうか、バキッていうか、とにかく鈍い音がしたの!」


「慌てないで、クリコさん。一つずつ事実を確認していきましょう」


 そこで美食探偵と群青寺も追いついてきた。

 群青寺は生主探偵の遺体にハンドライトを当て、まじまじと観察を行う。


「……出血は頭部と喉から。喉の傷口は荒くて、深い。これが致命傷か……恐らく犯人は、鋭利な瓦礫で喉を割いたんでしょうね」


「かなり警戒心が強い生主探偵を一撃で殺すだなんて……よほどの手練れか、どうにもならない状態でやられたようね」


 美食探偵がギリッと歯ぎしりをし、アゴに手を当てる。

 それまでの余裕を残した様子から一転して、非常に鋭い顔つきとなった。


「クリコォーーーー! 無事かぁ!?」


「ボーちゃん! 怖かったよぉ! てか駆けつけるの遅すぎない!?」


「俺はガキの頃から足が遅いの知ってんだろぉ! 勘弁してくれよぉ!」


 そこでボーが駆けつけてきて、クリコと抱き合った。

 見ているだけで恥ずかしくなるような熱い抱擁を続ける九里夫妻を尻目に、美食探偵は推理を展開していく。


「遺体の状態を見る限り、殺されてからまだ一時間も経過していないようだわ。それぞれのアリバイを確認しましょう。誰か、ここに集まっていない志崎さんを呼んできてくれないかしら?」


「……すみません、遅れました」


 丸メガネの男、志崎がさえない顔つきで現れ、小さく頭を下げた。


「少し眠っていたもので、先ほどの悲鳴で目が覚めました。どうやら生主探偵くんが亡くなったみたいですね」


「……ええ、その通りよ。志崎さん、あなたが眠っていた事実を証明できる人はいるかしら?」


「いえ、自分は基本的に一人で行動していたので。体力を消耗したくないですし、ずっと眠っていましたよ」


「説明ありがとう。それじゃあ他のみんなも、この一時間の行動を教えてくれるかしら?」


 美食探偵に促されて、生存者たちはそれぞれの行動について語っていく。


「俺は群青寺と一緒にずっと瓦礫の撤去を続けてたぜ。あと少しで道が開きそうだったから、休憩なんてしてられなかったんだ!」


「ボーさんの証言は事実だよ。お互い目を離した隙も無かったから、犯行は無理だったろうな」


「私が美食探偵さんのそばで瓦礫の撤去をしていたけれど、発見した時に遺体を運んでいた時間があるから、五分ほどアリバイが無いわ」


「ナージャちゃんは嘘を言っていないわ。つまり私も同じだけ、アリバイが無い時間があるということね」


「え、えっと……私とクリコさんはずっと一緒にいました。でも、その……私は二十分くらい前にお手洗いへ行ったので、その時はアリバイがありません」


「アカリン、それを言うならアタシもでしょ? アタシもアカリンが行く少し前にお手洗いへ行ったよ」


 全員が話し合えたところで、美食探偵は礼儀正しくお辞儀を一つした。

 それからアゴに手を当て、真剣な面持ちで思案する。


「みんな、ありがとう。群青寺ちゃんとボーちゃん以外、完璧なアリバイは持っていないようね……何か手がかりは無いかしら?」


「美食探偵、生主探偵の野郎はよくカメラ撮影をしてましたよね。何か手がかりの映像が残ってるんじゃないですか?」


「お、おい、美食探偵さん! だおだお男の横、カメラがブッ壊されてるぜ!?」


 ボーが指差した先――生主探偵の遺体の横に、大破したハンディカメラが置かれていた。


 全員でそのカメラに近づき、群青寺がカメラを操作してみたが、電源はつかない。

 どうやら完全に壊れているようだ。


 その事実を知って、クリコは深く肩を落としてみせた。


「ちぇっ……絶対に犯人が映ってると思うのに、観られなかったら意味無いじゃん」


「観る方法ならありますよ」


 丸メガネの男、志崎がハンディカメラの上部を指差して、「その中に写真保管用のカードが入っているはずです。そのカードを再生できる別のデバイスに挿せば確認できるでしょう」と指摘。


 側面の蓋を取ると、確かに無傷の小さなカードが出てきた。

 ハンディカメラ自体は故障したが、中の記録媒体は無事だったらしい。


「ボーちゃん、さっき使っていたデジカメを貸してもらえるかしら? あのデジカメなら、このカードに対応していると思うわ」


「うっす、美食探偵さん。好きに使ってください」


 九里夫妻が持っていたデジカメにカードを差し込み、起動させると、撮影した映像ファイルの一覧が表示。


 その中で、最も新しい映像を再生開始する。

 デジカメの小さな画面に、真っ暗な闇を撮影し続ける様子が映し出された。


 画面の端には『2008年8月28日20時32分』という撮影日時の情報。

 しばらくの間は、暗闇ばかりが続いていたが――思わぬ人物が映り込み、ナージャは息を呑んだ。


「灯里……?」


「ひっ!? な、なんで私が!」


 暗闇の中から灯里の顔が現れたあと、間髪を入れず映像が終了。

 映像を観る限り、灯里が暗闇に乗じて生主探偵の元を訪れ、襲いかかってカメラが壊れたように思えない。


 生存者たちの目が一斉に灯里に向けられた。

 灯里は今にも泣き出しそうな顔で、震えた声で弁解する。


「ち、ちがっ……! 違います! 私、私、殺してません! 生主探偵さんのところになんて行ってません!」


「現在の時刻は21時ジャスト……」


 志崎は光源の携帯電話の一つを拾い上げ、表示されている時刻を読み上げた。

 その読み上げが何を意味するかは嫌でもわかる。


「皆さん、先ほど灯里さんは二十分ほど前にお手洗いへ行ったと言いましたよね? ここまでの会話で五分ほど経過したことも考えれば、お手洗いへ行った時刻は二十時三十五分です。これは、デジカメに表示されている時刻とほぼ一致します……偶然と言うには出来過ぎじゃないでしょうか?」


「それは……! それ、は……」


 懸命に反論しようとするものの、言葉が続かない灯里。

 力になってあげたいと考えるナージャも、何も言えずにいた。


 灯里がウソを言っているとは思えないし、思いたくもない。

 ただ、状況証拠があまりにも揃い過ぎている。


 この疑心暗鬼の状況の中、どうすれば灯里の力になることができるのか――。


「ふふっ、わざとらし過ぎる味つけね」


 美食探偵がかばうように灯里の前に立って、クスクスと笑った。

 周りの生存者たちの強張った顔を見渡してから、穏やかなトーンで言葉を続ける。


「みんな、お顔と頭が硬いわよ? もっと焼きたてのパンみたいに、フカフカにして考えてみて。犯人はとっても簡単なトリックで、灯里ちゃんに罪をなすりつけたの」


 そして美食探偵は語り始めた。


 この暗闇の中で突如起きた、殺人事件の真相を――。

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