【『都心大震災』発生から3日目】
「もう……! イヤ! ここから出して! 出してよぉ!」
金髪の女性クリコの悲痛な叫び声が閉鎖空間に響く。
ナージャが携帯電話のライトを頼りに暗がりの中を進み、クリコの元へたどり着くと、膝を抱えた状態で座り込み、夫のボーに抱き寄せられていた。
目からは涙を流し、唇を噛んで、ガタガタと震えている。
一日前に見せた元気さはまるで見られない。
「もうヤだ……おうちに帰りたい……帰して……帰してよぅ」
「大丈夫だって、クリコ。お前のことは俺が必ず守り抜くし、美食探偵さんだっているだろ? 絶対に生きて帰れるよ」
「ウソ……! 助けが来る気配なんて全然無いじゃん! もう水だって無くなったし、ここでみんな死んじゃうんだよ!」
周囲に集まった美食探偵やナージャ、群青寺、それに灯里は何も言葉を返せない。
クリコの言う通り、美食探偵の水も先ほどの分配で底をついた。
誰も言葉にはしないが、もう三日も何も食べていないので、空腹で動くのもやっとの状態だ。
『死』の気配がどんどん色濃くなっていくのを、否応なく感じてしまう。
「クリコ、ほら。二人で撮った写真、見ろよ。絶対に生き残って、また二人で……いや家族みんなで、旅行しような」
「ボーちゃん……」
ボーが小型のデジカメを取り出して、二人のツーショット写真を見せた。
撮影したのは、都心タワーの展望フロアのようで、ボーは両手でピースをし、クリコは片手でピースしている。
実に幸せそうな写真で、ナージャはほっこりすると同時に、地震が起こる僅か数時間前まで幸せな日常を過ごしていたことを思い出し、悲しくなった。
「九里ご夫婦、安心して。水の問題なら解決手段を思いついたわ」
そこで美食探偵が思わぬ言葉を口にした。
ナージャが詳細を訊ねると、美食探偵はその手段について語る。
「私がトークショーの時に使った三種類の水は覚えてる? 演壇の裏にはあの水の予備が残っているから、演壇までたどり着ければ、水分不足は解決するわ」
「待ってくださいよ、美食探偵。演壇までたどり着ければって言っても……あの周囲は瓦礫に埋もれてるだろ?」
「ええ、群青寺ちゃん。誰かが瓦礫を撤去しなければならないわ。協力してくれる?」
「……ハァ。大先輩がやるっていうのに、野次馬は決め込めないっしょ」
「私にも手伝わせてください」
そこでナージャが割って入り、瓦礫を撤去する役割を願い出た。
「私の方が群青寺くんよりずっと腕力が上です。きっと役立てると思います」
「間接的に俺を傷つけないでくれよ……」
「ふふっ、頼もしいわ。私も腕力には自信が無いから、手伝ってくれる?」
「はい、任せてください」
美食探偵から頼られることが嬉しくて、ナージャは笑顔で答えた。
それから、「クリコのために俺もやるぜ!」と言って色黒の男ボーも協力を申し出て、セーラー服の少女、灯里もおずおずと震えた声で「な、何か、手伝わせてください」と語ってきた。
しかし美食探偵はそんな灯里の申し出を拒絶する。
「瓦礫の撤去作業は危険が伴うから、一部だけで行いたいの。それに、精神的に不安定なクリコさんを一人にはできないわ。女性同士、クリコさんのそばにいてあげてちょうだい」
その言葉に灯里はもどかしそうにしながらも納得し、ナージャの方に向き直って、「絶対に、無理をしないでくださいね……!」と今にも泣きそうな顔で言った。
正直タイプの子なので、普段は仏頂面が多いナージャも、頬が緩んでしまう。
「日本の女の子って本当に可愛いわ……祖国に連れて帰りたいくらい」
「ナージャちゃん、今とてつもなくヤバい顔してるぞ。写メって送ろうか?」
「撮ったらネジるわよ」
「いや、どこを……!?」
姿を見せなかった志崎と生主探偵のことは少し気がかりだったが、あまり気にせず、四人で瓦礫の撤去を始めることにした。
流石に瓦礫の撤去は携帯電話のライトだけでは光源が頼りないので、温存していた群青寺のハンドライトを点灯。
演壇の周囲に積み上がった、大量の瓦礫の山を照らし出す。
ライトが無ければ何も見えない暗闇の中、この瓦礫を撤去するのは至難の業だろう。
「気をつけろよ、ナージャちゃん。瓦礫と言っても、鉄の資材が大量に混じってる。崩れた瓦礫に巻き込まれたら、初日に死んだ人みたいにあの世行きだぜ?」
「ありがとう、気を付けるわ。……でも、あなたが後ろから見守っていたら、大丈夫でしょう?」
いい機会だからと、ナージャは群青寺にずっと気になっていたことを追及する。
「スリをやっつけた時といい、地震の時といい、群青寺くんは勘が良すぎるわ。あなたは一体何者なの? これから命を預けるのだから、そろそろ秘密を教えてよ」
「……そう、だな」
群青寺は少し逡巡した様子を見せたのち、横目でチラリと美食探偵の方を見た。
美食探偵が無言でうなずくと、観念したように溜息をつき、説明を始める。
「誰にも言わないでくれよ? 俺はちょっとした特異体質でね、ほんの少し先の未来が見えるんだよ」
「え……? み、未来が見えるって……超能力ってこと?」
「いいや違う。美食探偵と同様、身体能力の一部さ」
言いつつ、群青寺はこめかみの部分を指でトントンと叩き、少し苦々しげな表情を浮かべた。
「感覚情報を送る脳の『視床』にちょっとした手術を加えると、通常の数十倍の情報を送れるんだとさ。結果、視覚から入ってきた情報を元に、起こるべき未来を脳が自動で算出してくれるんだよ」
信じられない話だが、今の説明で少しナージャは納得する。
母から教わった運動理論の中で『視床』の説明を受けたことがあった。
少しおぼろげな記憶ではあるが、視床は嗅覚以外の感覚情報を大脳へ送る役割があったはずだ。
もし手術によって、大脳へ送れる感覚情報の量や質を向上させたなら、常人より情報の処理速度が格段に向上してもおかしくない。
もっとも、だからと言って未来視ができるだなんて話は、あまりにも眉唾なのだが。
「まだ研究の途中だが、俺のお師匠はこの現象を『
「
最初に瓦礫をどかした時に、崩れそうな瓦礫を美食探偵に教えていたのも、能力の一端だったのだろう。
突拍子もない話だが、これまでの群青寺の行動を振り返れば納得できた。
それに何より、今この状況において、これほど頼れる能力はない。
「気になることはたくさんあるけど、詳しくはここから出てから聞かせてもらうわ。少しずつ瓦礫をどかしていくから、危険な瓦礫があれば教えてちょうだい」
「ああ、任せてくれ。ただ、流石に手を瓦礫で切ったりする程度の未来はカバーし切れないから、瓦礫を持つ時は気をつけろよ」
「ナージャさん、ボーさん、鑑識用のゴム手袋が余っていたから、手に三重くらいはめてちょうだい。気休めだけど、無いよりはマシだわ」
「あざっす! うおおおぉぉぉ……! 待っててくれよ、クリコ! 俺が必ず水を持ち帰ってやるからな!」
そしてナージャたちは協力して瓦礫の撤去を始めた。
崩落の危険が高いので、協力しながら慎重に瓦礫をどかしていき、時間こそかかるものの、少しずつ演壇に続くトンネルが出来上がっていく。
あまりにも順調に事が進むので、作業を続けながらナージャにふと「なぜ美食探偵さんは、初めからこの作業に入らなかったのだろう」という考えが浮かんだが、いくら考えても答えは出なかった。
しかし丸一日かけて瓦礫の撤去作業の終わりが見えかけた時――その理由を思い知ることとなる。
クリコたちが待つ方角から、女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。
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