【『都心大震災』発生から1日目】


 その後、美食探偵は救助を待つ上での三つの取り決めを設けた。


 一つは、各自の携帯電話を共有すること。

 どうせ電波など入るはずもないし、ライト機能を活かして、照明代わりに使おうというのだ。


 ライトをつけた状態でも三日は電源が持つので、携帯電話を二台ずつ使っていけば、少なくとも一週間は光源に困らない。


 円を描くようにして集まっている生存者たちの中心に、二台の携帯電話を光源として置くことで、ボンヤリとではあるが、常に互いの様子を確認し合えるようになった。


 何も見えない真っ暗な閉鎖空間では、そんな僅かな明かりがあるだけでも、随分と心が安らいでいく。


「ウキャウキャ、オレっちはパース。オレっちの携帯電話、やっと日本でも発売したアイポンで、充電があんまり持たないんだお~」


 しかし生主探偵だけは、携帯電話を差し出さなかった。

 珍しいタブレット型の携帯電話を見せびらかしながら、挑発的に語る生主探偵。

 その態度に、他の生存者たちはみな口には出さないものの、苛立ちを募らせていく。


 生主探偵以外が持つ携帯電話は現在主流の二つ折りのもので、充電が長持ちする分、光源としては頼りない。

 二台ずつ使ったところで、周囲にいる人たちの顔が見えるのがやっとだ。

 アイポンのライトの方が数段上等だろう。


 ただ、生主探偵にまともな話し合いなど通じるはずもないので、誰も何も言わなかった。


 二つ目の取り決めは、水分補給の分配について。

 トークショーは飲食物が持ち込み禁止だったので、観客は誰も飲料水を持ち合わせていなかったが、ショーの主役である美食探偵にはペットボトルのミネラルウォーターが用意されていた。


 美食探偵はその貴重な水を、十二時間に一度一口のみというルールで、生存者たち全員で分配することにしたのだ。


「ちょっと待ってください! そこのムカつくフード男にまで水をあげるんスか!?」


 色黒の男、ボーが美食探偵の取り決めに異議を唱えた。


「ソイツは携帯電話も貸さないカスじゃないスか! 水をあげる必要とか無いッスよ!」


「ウキャキャ! ヒドすぎワロタ! オレっちに『逝ってよし!』って言ってんのかお? 今の発言、バッチリ録画してあるけどおk?」


「さっきからお前、だおだおウザいんだよ! みんなの輪を乱すんじゃねぇよ!」


「みんなの輪(笑) クソワロ~♪ 結局オレっちがムカつくだけなんだお? そういうバカは、オレっち以外も好き嫌いで見殺しにするに決まってるお!」


「ンだとコラァ!」


「ボーさん、落ち着いて。腹立たしい気持ちは分かるけど、今の話は生主探偵が正しいわ」


 生主探偵に掴みかかろうとするボーを美食探偵が制して、諭すように語る。


「水の分配は生主探偵にも平等に行う。このルールは結果的に、全員を救う結果になるわ」


「どういう意味ッスか……?」


「ボーさん、一つ質問だ。アンタさっき先走って瓦礫を崩してたけど……それを理由に水の分配は無しって言われたら、納得できるかい?」


 群青寺が割って入り、ボーに問いかけた。

 ボーは困った様子で浅黒い指で鼻を搔きつつ、黙り込んでしまう。


「理由をつけて分配しないってのは、こういうことなんだよ。基準なんて匙加減でいくらでも変わる。生主探偵に分配しなかったら、必ず他のみんなも『次は自分ももらえないんじゃないか』って、疑心暗鬼になってしまうんだ」


「うっ……た、確かに……」


 納得した顔でうなだれ、大人しく引き下がるボー。

 その様子を生主探偵が手を叩いて笑う。


「ウキャキャ! フォローありがとうだお、理想探偵! いけ好かないガキだと思ってたけど、今日ばかりは褒めてやるお!」


「探偵一本で食えない半端者がさえずんなよ」


 群青寺が懐から素早く手錠を取り出し、生主探偵の鼻先へと突きつける。


「本当ならお前みたいな奴は、とっとと眠らせた方が効率が良いんだ。俺は美食探偵ほど優しくねぇから、あまり態度が過ぎると眠らせるぞ」


「おー、こわっ(笑) まぁ水をもらえるんなら、オレっちは大人しくマターリしてまーす」


 生主探偵は演技がかった反応を返し、笑いながら引き下がっていった。


 そして最後に、三つ目の取り決めは、水の分配の際には全員で集まって簡単に会話すること。


 「不要に体力を消耗するだけでは?」とナージャは少し疑問を抱いていたが、地下に閉じ込められてから丸一日が経ち、会話を二度経験すると、その大切さがよくわかった。


「美食探偵ちゃん、質問いい?」


 三度目の会話の時間で真っ先に口を開いたのは、金髪の女性クリコだった。

 美食探偵がうなずくと、クリコは思わぬ質問を口にする。


「今、おトイレに行く時、男女それぞれ専用の場所でしてるじゃん? おしっこって貴重な水分なのに、保管しなくていいの?」


「おおっ、クリコ! お前、頭いいな! テレビのサバイバル特集でやってたし!」


 夫のボーに褒められて、クリコはフフーンと鼻高々といった顔となる。

 しかし美食探偵は迷わず「尿を飲むのはやめた方がいいわ」と即答した。


「尿には塩分が含まれるから、飲むと逆に喉が渇いてしまうの。濾過できたら飲めるけど、今ここにある道具では難しいしね」


「ウキャウキャ、クソワロ! 見た目通り、頭が悪い女だお!」


「でも、いい発想だわ」


 ナージャが生主探偵の言葉をさえぎった。

 それからクリコの方を向き、微笑をたたえて語る。


「そういったアイディアが浮かんだら、どんどん口にしていきましょう。何が生存に繋がるか、分からないからね」


「う、うん……! ありがとう、ナージャちゃん!」


 クリコからお礼を言われて、胸の奥がじんわりと温かくなる。

 ナージャは特に会話が好きではない。むしろ苦手な方だ。


 会話に横入りしてまで誰かをフォローしたことに、他ならぬナージャ自身が最も驚いていた。


「尿が駄目なら血はどうですか?」


 丸メガネの男――志崎の唐突な発言に、生存者たちが全員ギョッとする。


「不謹慎を承知で述べますが、ここには大量に死体があります。その体液を飲めば、水分不足は解消されるのでは?」


「ひぃ! ち、血を飲むなんて無理ですよぅ!」


 セーラー服の少女、灯里が震えた声で言った。

 よほどショックらしく、隣にいたナージャの肩に抱きついて離れない。


 その様子を見かねたのか、群青寺が志崎へと向き直って、説明を始めた。


「志崎さんのアイディアもいいけど、最終手段かな。血は鉄分が多すぎて体調を崩してしまうんだよ」


「ウキャキャ! 感染症のリスクもあるから、オレっちはごめんだお!」


「いや、まず何より倫理的に駄目でしょ……」


 ナージャは呆れて男たちにツッコミを入れた。


 結局いい打開策は出ないまま、会話時間は終了。

 ただ、閉鎖空間により込み上げた不安は、十分に解消されていった。


 人間は他者と会話することで自己覚知を行うものだ。

 誰とも会話しない時間が続くと、自分という存在が曖昧になってしまう。

 自分の姿を確認できない真っ暗な地下なら、尚更だろう。


 頑強なメンタルから『氷の女王』と称されるナージャでも、それは変わらない。

 普段ならあまり好まないはずの雑談が、今の彼女にとっては、必要不可欠な息抜きとなっていた。


 しかし、会話で解消できる不安にも限度はある。

 最初の兆候は閉じ込められてから三日後――六度目の会話時間を終えて少し経った頃に訪れた。

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