【『都心大震災』発生2時間前】

 その後、事前に通報しておいたためタワー下に来ていた警察官にスリの男を引き渡し、ナージャは再び暇となった。


 都心タワー内には、タワータウンと呼ばれるショッピング施設もあるようなので、取り敢えずそちらに足を運ぶこととした。


 一方、群青寺と名乗った探偵はナージャに対して、一定の距離を保って付かず離れずを繰り返している。


 恐らくナージャの観光を、遠くから見張っているのだろう。

 しかし味覚で追跡に気付けるナージャ当人からすれば、むしろ逆効果でしかない。


 タワータウンの入口前でナージャは足を止め、群青寺の味がする駐車場の方へと向き直って、堂々と出てくるよう呼びかけた。


「どうせ監視するなら見所の一つでも教えなさいよ」


「ヘイヘイ、承知しやしたよっと」


 駐車場に停めてある車の下からトカゲのごとくヌルリと這い出てきて、群青寺がナージャの隣へと駆け寄る。


 頭をボリボリと掻くだらしないその姿は、先ほどまでの礼儀正しい様子とは真逆だ。


「敬語をやめてとは言ったけど、品性まで失えとは言ってないわ」


「いやぁ、すみませんね。ちょっと気が抜けちゃって」


 ただ、ヘラヘラと笑う群青寺の顔はやはり美形なため、ある程度のだらしなさは中和されてしまう。


 それが余計にナージャの気にさわった。


「ハァ……あなたと話しているとイライラでお腹が空くわ。プロテインバー、どこかに売っているかしら?」


「えっ、ナージャちゃん、せっかくタワータウンへ来たのにプロテインバーで済ませちゃうのか? 2階のフードコートがオススメだから行ってみなよ」


「悪いけど私、食事へのこだわりが無いの。食事なんてカロリーと栄養を満たせれば十分だわ」


「超味覚の持ち主なのに勿体ないな」


「……超味覚の持ち主だからこそよ」


 ナージャの脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。

 世界的な食通にしてソムリエとして知られる彼女の父は、娘の味覚が優れている事実に気付くと、あらゆるものを試食させ、味を学ばせてきた。


 高級食材や珍味を始め、一般的には食用とされないグロテスクな虫や動物、果てにはワインの味に関わる樽やコルク、土の味まで、これまでナージャが口にしてきたものは数え切れない。


 その反動からか、はたまた父に対する無意識の当てつけか、父の束縛から逃れた今、ナージャは食事に一切気を使っていなかった。


「キミが父親を憎んでいるのは知ってる。その上で、勿体ないって言ってるのさ」


 群青寺が施設の入口へと入り、すぐ前に設けられた施設案内のパネルを指さした。

 群青寺の指した先には、料理店の名前がズラリと並んでいる。


「この国でしか味わえない料理店がこれだけあるのに、本当に楽しまなくていいのかよ?」


「父のような美食狂いになるのは嫌なのよ……想像しただけで、嫌悪してしまうわ」


「つまりナージャちゃんは、未だに父親に縛られてしまってるって訳だ」


「……ッ!」


 ナージャがキッと群青寺を睨みつけ、詰め寄る。

 それから胸ぐらを掴んで言葉を続ける。


「知ったような口をきかないで。

 死なない程度に、床へ叩きつけてやりましょうか?」


 その脅しに群青寺はまるで動じず、薄ら笑いを浮かべたまま語る。


「いいね……一つ賭けをしよう。

 キミが俺を床に投げられたら、土下座で謝るよ。

 逆に投げられなかったら、フードコートで食事をするのはどうかな?」


「願ってもない申し出だわ……この国の伝統的謝罪『土下座』、一度生で観てみたかったのよ」


 言うが早いか、ナージャは群青寺の胸ぐらを掴み上げ、投げ飛ばそうとした。


 ナージャがアマレスで最も得意とするのは投技だ。

 成人男性すら軽々と投げ飛ばす腕力と、絶妙な力の加え方により、一度相手に組み付いてしまえば、すぐさまマットへと叩き付けてしまう。


 当然、胸ぐらを掴んだ状態の群青寺など、即座に投げ飛ばせる――と考えていた。


 しかし群青寺の身体は動かない。

 いくら力を込めても、群青寺にまで伝わっていないと感じる。

 今までゆうに千人以上を投げ飛ばしてきた中で味わう初めての感触に、ナージャは動揺を隠せなかった。


「どうしたの、ナージャちゃん。もう終わり?」


「――ッ! 舐め……! ないでぇッ!!」


 ナージャが全力で腕に力を込めると、遂に群青寺の身体がぐらついた。


 小さく「嘘……」と声を漏らす群青寺。

 余裕ぶっていた表情に、初めて驚きの感情が滲む。


 その隙を逃さず、ナージャは全力で腰を切って、群青寺を投げ飛ばした、

 しかし、群青寺は投げられはしたものの、宙でくるりと回転し、そのまま床へと見事に着地。


 ただ、顔には苦笑いを浮かべ、大粒の汗が頬に伝っていた。


「ふぅ……あっぶねぇ。凄いね、ナージャちゃん。

 誰かに投げ飛ばされるなんて、逮捕術の先生か、友達の従兄弟のヤバいヤツ以来だよ」


 語りながら群青寺は床に正座し、そのまま額を床につけようとした。

 その行動は素早くナージャが止める。


「やめてよ。勝利条件は床に投げること……私の負けだわ」


「えっ? じゃあフードコートで食べてくれるの?」


「その代わり、ちゃんと美味しいものを紹介してよね」


「その点はお任せあれ。俺、ここのフードコートには人一倍詳しいからさ」


 群青寺が立ち上がって、二階へと続く階段へと案内を始める。

 溜息を漏らしつつも、大人しくあとに続いていくナージャ。

 その顔には無意識の内に微笑が浮かんでいた。


 階段を上がると、数十ものテーブルと椅子を多種多様な店々が囲んだフードコートに到着。


 際立った特徴こそないものの、手入れが行き届いていて、清潔感があって美しい。

 女性客やファミリー客が多く見えるのも、この美しさが一因だろう。


「ナージャちゃん、何が食べたい? 個人的には、そこのバーガー屋のタワーバーガーがボリューミーでオススメかな」


「え、あ、そ、そうなの」


 ナージャは上手く言葉を返せず、しどろもどろとなった。


 それも当然。

 実は、フードコートでの食事に慣れていないのだ。

 この状況でどうすればいいかわからず、立ち尽くすことしかできない。


 そんなナージャの様子を見て事態を察したのか、群青寺は「そこの席に座ってて」と言うと、一人で店に注文に向かった。


 そして都心タワーのように大きなハンバーガーや都心タワーのごとく真っ赤な色のスープのラーメンに、タワー状に盛られたタコ焼きなど、次々と料理を購入して、テーブルの上に並べていく。


「取り敢えず、ここの限定メニューをあらかた買ってきたから、好きなものを好きなだけ食べてみなよ。好みじゃなかったら俺が食べるし」


「……ありがとう、群青寺くん」


 群青寺の言葉に甘えて、ナージャは大きなハンバーガーを手に取った。

 具材は、分厚いパティが二枚に、レタスにチーズ、アボカド、更にはオニオンリングまで、オールスターが勢揃い。


 それらをバンズでギュッと押し潰しながら、一口頬張る。

 次の瞬間――手作りと思われるミートソースの力強い味わいに、数々の具材が手を取り合うように奇跡的なほど調和した見事なハーモニーが口いっぱいに広がり、思わず涙が出そうになった。


「美味しい……」


 思わずナージャの口から感想が漏れる。

 これほど強い感動を覚えたのは、彼女が普段から食事も栄養も疎かにしがちで、無自覚な飢餓状態に陥っていたからだ。


 その状態で栄養も味わいも強烈なハンバーガーを口にすれば、衝撃を受けるのも無理はない。


 一度食べ始めると、もうナージャは席を切ったように、ラーメンにタコ焼きにピザにパスタにと、料理を次々と食べ始め、ゆうに三人前はあろうかという料理をすべて完食してしまった。


 思わぬ展開に、群青寺はポカンと口を開けたまま呆然とする。


「ごちそうさま、どの料理も美味しかったわ。デザートはどの店がオススメ?」


「ま、まだ喰うのかよ……? アンタの胃袋、どうなってんだ?」


「私の胃は鉄だって食べれてしまう特製なの。私の食欲を目覚めさせた責任を取って、支払いはお願いね」


「んへぇ……これ、経費で落ちっかなぁ」


 困り顔で自分の財布の中身を確認する群青寺を見て、ナージャが笑顔となる。


「知らない味を知るって、楽しいことなのね……」


 ――またフードコートで知らない料理をたくさん食べてみたい。

 渇いた喉を紙コップの水で潤しつつ、ナージャは初めて、観光の目標を得るのだった。


 その時、どこかのスピーカーから、フロア内にアナウンスが鳴り響く。


〈――地下フロアにて19時から開始の『美食探偵』トークショーが、間もなく、入場開始となります。当日券も若干数ございますので、参加をご希望の方は地下フロア入口までいらしてくださいませ〉


「美食探偵のトークショー?」


 ナージャの呟きを聞いて、群青寺が自分たちに座るすぐ横の柱に貼られたポスターを指差した。


 ポスタ―には、センター分けの長い黒髪が美女の写真と「『美食探偵』根室漆ねむろうるしが語る、超味覚の世界」という文字と、が載っている。


 ――超味覚。

 馴染み深い単語が目に入って、ナージャはますます興味が引かれた。


「この美食探偵さんって有名なの?」


「探偵業界じゃ超有名人だよ。ナージャちゃんと同じ超味覚の持ち主でね、その味覚を活かした推理でたくさんの難事件を解決に導いてるんだよ」


「超味覚を活かした推理……」


 これまでこの味覚を何かに活かそうだなんて考えたことがなかった。

 せいぜい、先ほどのように追跡に気付いたり、汗の匂いの変化で対戦相手の感情が少し読めたりする程度だ。


 過敏すぎて気分が悪くなるなど、むしろ足枷でしかない。


「私の味覚も、誰かの役に立つのかな……」


 今日こうしてフードコートを利用して、料理を味わう楽しさがわかった。

 超味覚の活かし方も知ることができれば、本当の意味で、父の呪縛から逃れられるかもしれない。


 思うが早いか、ナージャは美食探偵のトークショーへの参加を決め、テーブルから立ち上がる――


「その前にデザートは食べておかなきゃね」


 そして色とりどりのアイスが売られた店へと向かい、『都心タワー盛り』という十段重ねのアイスを購入。


 アイスをタコ焼き感覚で一段ずつ食べ始め、群青寺を呆れさせるのだった。

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