【『都心大震災』発生3時間前】

 東京都で最も有名な、日本一高い電波塔『都心タワー』。

 その展望フロア――夕日が差し込むメインデッキに、一際目立つ容姿の少女がいた。


 金色の髪に美しい碧眼、目元に二つの泣きぼくろ。

 着込んだ黒のスーツは身体にフィットし、豊満なバストと、鍛え上げられた肢体を浮き彫りにしている。


 彼女を知る者も知らない者も、その日本離れした容姿に目を引かれつつ、近寄りがたい雰囲気のため、自然と少女の周囲にはスペースが生まれていた。


 少女は遠巻きから自分を眺める人々を一瞥し、円状のメインデッキを囲う窓ガラスに触れ、ひとつ溜め息をつく。


「……早く祖国に帰りたいわ」


 昨日大会を終えて帰国予定は明日。

 一日くらいは観光を楽しみなさいと母に促されてホテルの外に出てみたが、早くも後悔し始めていた。


 この国の住民たちは少女を見ると決まって、「ガイジン」だの「氷の女王」だのと呼び、奇異の視線を向けてくるので煩わしい。


 「氷の女王」というのは少女――アマレスの女子中学生王者『ナージャ・ニクリン』の異名。

 どのような状況でも表情を変えず、淡々と対戦相手を絞め上げる彼女のスタイルが由来だそうだ。


 ナージャはどう呼ばれようとも気にしない質だが、ヒソヒソと遠目から囁いてくる人々の態度には、どうしても苛立ちを覚えた。


「どうしたんですか? せっかくの可愛い顔が台無しじゃないですか、ナージャ・ニクリンさん」


 祖国の言葉で声をかけられて振り返ると、前髪を左右非対称アシメに揃えた美青年が微笑んでいた。


 青年は学校の制服と思われるブレザー姿で、髪はうっすらと青みがかり、瞳も美しい群青色をしている。


 一見ただの中高生にしか見えない。

 だがナージャの勘とが、只者じゃないと告げている。


「ああ、急に話しかけてすみません。僕は群青寺ぐんじょうじ。以前からあなたのファンで……突然恐縮ですが、握手していただけませんか?」


「へえ、ありがとう。ところで……ずっと私の背後をこっそり付いてきていたのも、ファンだから?」


 意外な言葉を日本語で返され、群青寺と名乗った青年が目を丸くする。

 それから演技がかった所作で肩を落としてみせた。


「日本語、お上手なんですね。文武両道を極めるとは流石です」


「叔父が日本好きなの。それより、駅前から一定の距離を保って尾行してきた理由を述べてもらえるかしら?」


「そこまでバレてましたか……尾行については結構自信があるんですけど」


 ナージャは口から出した舌を指差しながら語る。


「私は特別味覚が優れていてね、舌に触れる空気の味で人の気配がわかるのよ。ずっと同じ味が続いていたら、変に思って当然だわ」


「まいりました。ウワサに違わぬ『超味覚』……お父上の教育の賜物ですね」


「やめてよ……子供の頃から虐待に近い味覚の訓練を受けてきて、もうウンザリ。あんな父親、顔も見たくないわ」


 露骨に嫌な表情を浮かべ、群青寺から目を逸らし、メインデッキの窓に向き直るナージャ。

 窓の外に広がるビル群を見下ろすその目は、どこか寂しげに見えた。


「……あなた、どうせ父から監視を頼まれた人なんでしょ?」


「答えられない約束です」


「それ、もはや肯定と同じじゃない」


 ナージャが小さく溜息をつき、言葉を続ける。


「あの人の過保護は昔からだけど、異国まで及ぶとは恐れ入ったわ。どこまで私を縛り付けたら気が済むって言う訳?」


「愛情の裏返しでは?」


「裏返ったものは愛とは呼ばない。ただのエゴよ」


「ははっ、それはごもっとも」


 わざとらしく笑ってみせた群青寺を、ナージャはギロリと睨みつけた。


「早くどこかへ行ってくれない? 素性が知られた時点で任務失敗でしょう? せいぜい、父と報酬の交渉でもするといいわ」


「言っている意味は分かりかねますが、できない相談ですね。こう見えても、自分の仕事には誇りを持っていますから」


「仕事……? あなたの仕事って、一体――」


 その時、ナージャと群青寺は二人同時に、同じ方向に視線を向けた。


 二人の視線の先には、窓のそばに設けられた望遠鏡を覗く母と子供と、その横を通り抜ける三十代ほどの角刈りの男。


 角刈りの男が羽織ったコートの中に何かを仕舞い込むのを、二人は確かに目撃した。

 群青寺が素早く望遠鏡を覗く母子に駆け寄り、話を聞くと、母親は自分の財布が無い事実に思い至る。


「チッ……! やっぱり、さっきの男か!」


 舌打ちした群青寺の後ろをナージャが駆け抜ける。

 そして展望台の中央に位置するエレベーターの前に飛び込み、閉じかけていた扉の隙間に指を突っ込んだ。


 指を感知して開くエレベーターの扉。

 エレベーターに乗っていた角刈りの男が、ギョッと目を見開く。


「あなた、財布を盗んだでしょう? コートの中から、大人しく財布を出しなさい」


「急になんだ……言ってる意味がわからんぞ」


 男がエレベーターの扉を閉じるべく、ナージャを蹴り飛ばそうとした。


 しかしアマレスの王者、ナージャに通じるはずもない。

 ナージャは自分に向けられた足先を脇で挟み込むと、素早く腰を切って男を床に倒し、そのまま自分も背中から床に倒れ込み、関節技を極める。


 それは相手のカカトを身体ごとひねり、膝を破壊する技『ヒールホールド』。

 一度キマってしまえば抵抗できないため、アマレスを始め、多くの格闘技ですら禁じ手とされる技だ。


 そんな恐ろしい技をアマレスのチャンプが行うのだから、当然、角刈りの男は悶絶。

 赤子のように泣き叫び、ナージャに許しを乞い、財布は返すと約束する。

 財布を返すことを条件に、ナージャはヒールホールドを弱めた。


 角刈りの男が足を極められたまま、約束通り大人しく、先ほど財布を仕舞ったコートの中に手を入れた。

 しかしコートから出てきたのは――財布ではなく刃渡り10cmのナイフ。


 その切っ先が真っ直ぐにナージャへと向けられる。

 男の足を極めているが故に、ナージャは避けられない。

 スーツに包まれた豊満な胸へと、容赦なくナイフが――


「――女に刃を向けてんじゃねぇよ」


 ナイフが男の手から弾け飛んだ。

 群青寺が男の手からナイフを蹴り飛ばしたのだ。


 そして無防備となった男の足を、ナージャが今度は容赦なく、全力で絞め上げ、膝の関節を外してみせる。


 苦悶の悲鳴をあげた男の懐から群青寺は財布を抜き取ると、呆然としていた母親へと返して、微笑みかけた。


「お見苦しいところを見せてしまって、ごめんなさい。このスリは私たちが警察に引き渡すので、そのまま親子水入らずで楽しんでくださいね」


「あ、ありがとう、ございます……」


 ポカンと口を開けたまままの親子をよそに、群青寺は懐から手錠を取り出して、角刈りの男を後ろ手に拘束した。


「よし、これで身動きがとれないだろ。ナージャさん、怪我はありませんか?」


「……ええ、怪我はないわ。早くエレベーターで男を下に連れて行きましょう」


 スリの男の背中を押し、エレベーターに向かって歩き出す群青寺を訝しみ、じっと見つめるナージャ。


 先ほど男が向けたナイフの一撃は彼女ですら反応が遅れた。

 ナージャよりも明らかに身体能力で劣る眼の前の青年では、対応できるはずがない。


 にも関わらず――男がナイフを取り出すのと、群青寺が対処したのは、ほぼ同時。

 どうしても違和感が拭えず、ナージャは群青寺の実力を推し量るべく、行動に出る。


 自分の前を歩く群青寺の無防備な脳天に向かって、できる限り気配を殺しつつ、チョップを放ったのだ。


 ただの好奇心からの行動。

 チョップは敢えなく群青寺に当たり、彼を困惑させて終わると思っていた。


 しかしナージャのチョップは空を切る。

 群青寺がタイミング良く歩みを早めたため、当たらなかった。

 チョップのタイミングを読んでいたとしか思えないが、故意だとも断言できない。


「立ち止まったりしてどうしたんですか、ナージャさん」


 足を止めて振り返り、不敵に笑う群青寺。

 その表情を見てナージャは、群青寺には何か秘密があることを確信した。


 だが肝心な証拠が無い。

 眼の前の青年がどんな秘密を持つのか、看破したい衝動に駆られてしまう。


「群青寺、あなたに興味が湧いたわ。条件を二つ呑むなら、尾行がバレたことは内緒にしてあげてもいいわよ」


「おおっ、それはありがたいですね。それで、その条件とは?」


「まず、そのうさん臭い敬語をやめてちょうだい。それと……あなたが誇りを持っているという、自分の仕事について教えてもらえるかしら?」


 ナージャの言葉を受けた群青寺は、ブレザーの内ポケットから小型のケースを取り出すと、ケースから一枚名刺を差し出した。


 名刺には――『海鳴うみなり探偵事務所 群青寺宗介ぐんじょうじ そうすけ』と書かれている。


「海鳴探偵事務所に所属する探偵、群青寺宗介だ。

 周囲からは『理想探偵』なんて呼ばれているよ。

 改めてよろしくな、ナージャちゃん♪」

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