『探偵撲滅』前日譚Ⅱ-明けぬ夜事件-
日本一ソフトウェア
『明けぬ夜事件』悲劇の一幕
木目調のフローリングが美しいリビングで、男の子が父親と共にソファに並んで座り、テレビゲームに夢中となっている。
当時、絶大な人気を誇っていた、モーションセンサー搭載のリモコン型コントローラーが特徴のゲーム機だ。
短パンにTシャツ姿の男の子と、白いツナギを着た父親の手には、リモコン型コントローラーが握られ、二人の動きに合わせて、テレビの中のキャラクターも連動。
有名なシャーロック・ホームズに似たキャラクターが、古めかしい洋風の室内を、虫眼鏡を片手に調べ回っていく。
リビングと繋がるキッチンでは、三十代半ばと思しきエプロン姿の母親が、コンロの前に立ちつつ、テレビゲームで遊ぶ二人を見つめていた。
トン、トンと小気味のいい音を立てながら、まな板の上の沢庵を包丁で切り分けると、母親はコンロに置かれた鍋の中身を味見し、リビングの二人に「もうご飯できるよー」と声をかける。
不満げな表情の男の子を「またジイジが来てからな」と父親が諭して、テレビの画面表示をゲームの出力画面からアナログ放送に切り替えた。
画面に映るのは、最近よく話題にあがる人気の新興宗教団体のCM。
ファミリー層に向けているのか、耳に残る特徴的なテーマソングが使われていて、世間からの評判も上々だ。
男の子がゲームのコントローラーをマイク代わりにして、CMを真似て「今宵はアゲ~♪ アゲアゲ♪ アゲる夜~♪」と歌うのを、父親と母親は微笑ましく見守った。
夕飯が出来上がったのを見て、男の子がコントローラーをソファの上に置く。
同時に――コントローラーが震えだした。
振動機能による揺れではない。コントローラーそのものではなくソファが――いや部屋全体が揺れているのだ。
それは、のちに『都心大震災』と呼ばれる大地震。
異常事態に気付いた父親が、男の子を抱き寄せ、リビングのテーブルの下に向かって駆け出した。
一足先にテーブルの下に潜り込んでいた母親と合流して、三人で固まって身体を小さくする。
周囲の揺れはどんどん大きくなり、まな板の上の包丁が床に転がり落ち、鍋の中身が盛大にこぼれていく。母親が素早くコンロの火を止めていなければ、火災が発生していたかもしれない。
男の子が放心した目で、隣の母親の身体に強く抱きつき、何やら同じ言葉を繰り返す。周囲の音がうるさすぎて、母親はその言葉を聞き取ることができない。それでも我が子を安心させたいがために、うんうんとうなずき続ける。そんな二人をかばうように、父親が上に覆いかぶさる。
正常な思考など許さない苛烈な揺れの中で、母親も父親も、大切な家族を守ることだけを考えていた――。
永遠にも感じられた数十秒が経過し、ようやく揺れが収まり始めた。
緊張の糸がほどけ、母親と息子に覆いかぶさっていた父親の身体から力が抜ける。
二人を抱き寄せていた腕が滑り落ち、そのまま父親は、ごろんと床を転がった。
こんな時におどけるなんて……と、母親が夫の行動に呆れる。
しかし次の瞬間、その表情が凍りついた。
父親の白いツナギの胸が、真っ赤に染まっていたからだ。
鉄くさい血液の匂いが鼻をつき、ツナギを染めるものの正体について、疑問を挟む余地も与えられない。
間違いなく血だ。誰かが彼を刺したんだ。
咄嗟に息子を抱き寄せて、未知の脅威から守ろうとした。
しかし、手に強烈な痛みを感じ、息子へと視線を落とす。
息子の手には――血まみれの包丁が握られていた。
目には生気がなく、口元は緩んで笑みを形作っており、母親の知る我が子とはかけ離れている。
男の子が自分に向かって、静かに、大きく包丁を振り上げる中、母親の理解は追いつかない。追いつくわけもない。身動き一つとれやしない。
ただ最期に――先ほどから男の子が繰り返していた言葉の正体は理解することができた。
「明けぬ夜……明けぬ夜……明けぬ夜……」
これは都心大震災の際に、被災地の至るところで起こった無数の殺傷事件の一つ。
これら一連の事件と、首謀者自らが指揮したテロ事件を総称して『明けぬ夜事件』と呼ぶ。
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