檸檬

鈴ノ木 鈴ノ子

檸檬

檸檬という果物がある。

 それは艶かしく淑やかな皮肌をもち、視界に映える黄色が印象的である。形状は花が咲く側を上とし枝側を下として両端が窄まり、可愛らしい唇のようでもあろうか。

 だが、その唇、もとい檸檬とは酸味が強く、それでいて食べた相手の口を窄ませることのできる奇妙な特性を持つ。甘酸っぱい恋ではなく、酸味強く真実の恋とでも言えば良いのかもしれない。

 だが、その果肉と皮、そして瑞々しい果汁や香りは、料理やカクテル、芳香剤や飴玉に至るまで幅広く使われており、その存在は淑女のように上品で、それでいて女豹のような獰猛さも兼ね備えている。

 果汁に備わるビタミンCやクエン酸は、体内を浄化し強化し、そしてリラクゼーション効果すらも与えてくれる。女性軍人のように力強く、女性看護師のように優しいとも言い表すことができるであろう。


 私は檸檬を愛してやまない1人でもあった。


「竹内くん、理科の実験中なんだけと…早く檸檬を切って電極差し込んでくれないかな?」


 担任の横田檸檬先生が困った顔をしながら、生徒であり風邪で休んだがために、補習授業のような理科実験をこなさなくてはならなくなったこの日、私は目の前に置かれた檸檬に対して甚だ遺憾ながら、その作業を行うことに際して激しい拒否の化学反応を示していたために、手を動かすことができずにいた。


「先生、これは檸檬ではありません」


 私は前に置かれた檸檬のような物を、檸檬とは到底認めることができず、烏滸がましい反論というなの指摘を飛ばしてみた。


「はぁ?檸檬よ、どう見ても檸檬じゃない」


 ジャージ姿の基本が体育会系の体育教師である檸檬先生は、豪快にそれを鷲掴みにして私の眼前へとしっかりと見なさいと言わんばかりに差し出してくる。


「いえ、これは檸檬に似ていますが、檸檬ではありません、何故なら緑色だからです」


 その回答に檸檬先生が呆れたように私見つめる、いや、残念そうと言ったほうが良いのかもしれない。だが、私も引くわけには行かなかった、

 冒頭長々と高説を垂れたように、私の中の檸檬と言うのは黄色なのだ、だから、この檸檬を使った実験と言う物を正しく行わなければならない場合、緑色ではなく黄色の檸檬を使うべきなのだ。


 檸檬先生の手に持つ檸檬のようなものは檸檬ではない。


「ふぅん…」


 呆れ顔から憤怒の形相に変化した檸檬先生は、私の前に置かれていた包丁を手に取ると、檸檬のようなものを机の上に置き、天高高くから刃を振り下ろして、それを真っ二つに切断した。


「うわ!」


 切れ味の悪い包丁と成人女性➕体育教師の腕力に物を言わせたためか、檸檬のような物は辺りに果汁を撒き散らしながら、切断されながらにグシャリと潰れる。


「これ、檸檬じゃないとして、黄色くなり熟れたとしたら、竹内くんは檸檬と認めてくれる?」


 背筋も凍るほどの素敵な笑顔に思わず怯んでしまったが、私の檸檬への情熱、いや、刻み込まれた愛情が、怯みを抑えて打ち勝つ勇気をくれる。


「はい、それなら檸檬と認めることができます」


「今のままでは実験はできない、と言うことね」


「はい、檸檬が檸檬でなけれは行うことなどできません」

 

 私は奮い立つ気持ちのありのままを、清く正しく美しくのままに、素直な気持ちで伝えた。男なら曲げてはならぬ時もあるのだ。今がその時ではないかと思い至った。


「分かりました、じゃあ、今は無理だから、あなたの家で実験しましょう。さぁ、ランドセル持って、早く来る!」

 

「はぁ!?」


 教材すべてをそのままに、私は横に置いていたランドセルを投げつけるようにして無理やり持たせると、檸檬先生は私の首根っこを掴んで引きずるように理科室を後にして、乱暴に車に投げ込まれ車は急発進をしたのであった。


 何故我が家か、それは檸檬農家であるからだ。そして檸檬先生は隣のアパートに住んでいた。

 結果として、私は自宅において、両親にしこたま怒られ、大袋に入った檸檬を手渡されて、隣のアパート、檸檬先生の部屋で実験の続きを行う羽目となったのだった。


「沢山貰っちゃって悪いわね〜、よし、もう先生はおしまい!」


 半分を実験に使って檸檬電池がLEDを灯すことに成功した頃、檸檬先生はもう半分をグラスに絞った後に、氷と焼酎を突っ込みかき混ぜた。一口にそのまま飲み干して、同じように顔を真っ赤に灯らせてから、私の灯りを嬉しそうに眺める。


「よし、皆んな実験できたね」


赤ら顔で笑ったその微笑みと、可愛らしい唇が檸檬のように可愛らしくて、私は思わず赤面してしまった。胸の辺りがキュッとしてその満足気な表情を見て、私も同じように頬を緩めた。

 

「あ、檸檬」


 そう口走っていた。

 檸檬先生は不思議そうに卓上で電極の刺さる檸檬と、自らを指差しながら、可愛らしく笑う。最高に美しい檸檬がそこにあった。


 初恋は檸檬、最愛も檸檬。


 大人になった私の隣に。


 檸檬があって。


 檸檬がいる。

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檸檬 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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