檸檬

時輪めぐる

檸檬

 俺のあだ名は檸檬。

 オタク仲間のモトさんが付けてくれた。


 今日は、同人イベントの日。モトさんと会場で待ち合わせ中である。

「檸檬氏ーっ!」

 ちょっとゴリラっぽいモトさんが、人懐こい笑顔で手を振りながら近付いてくる。

「待ちました?」

 モトさんは、いつものリュック姿だ。

「いや、俺も今来たところです」

「先日、打ち合わせた計画通りの回り方で良いですか?」

 モトさんは、K大院生で頭が良い。無駄のないコースを考案してくれる。

「良いっすよ。モトさんのコースは、効率よく回れますから」

 俺とモトさんは、コミケで知り合った。

 同じ同人推しで、意気投合。連絡先を交換したのが、俺が高校二年の時だから、かれこれ五年来の友人だ。もっとも、モトさんの方が二つ年上だったけれど。

「じゃあ、行きましょうか」



 目的のサークルを巡り、推しの作家さんにスケブを頼んだ後に、モトさんは煙草休憩を取ると言って、喫煙所へ。

 俺は、飲み物を買いに自販機エリアにやって来た。そこで、頭に爆弾が落ちたような衝撃を味わうとは。

 自販機エリアのベンチに座って、友人らしい女子と『戦利品』を見せ合っている少女がいた。自販機で買ったレモネードを飲んでいる。


(な、何だ。この美しい生き物は)


 舶来品の様に洗練され、整った容姿。

 今まで、これほど美しい生き物に出会ったことが無い。アニメやコミックにのみ存在すると思い込んでいたが、実物に出会えるとは思わなかった。美少女、使い古されたその言葉以外に、彼女を表す言葉は無いだろう。


(瞬きした。笑った。髪を掻き上げた)


 一つ一つの動作に見惚れてしまう。

 俺は、買ったスポドリのペットボトルを両手に持ったまま、立ち尽くしていた。

「檸檬氏?」

 肩を軽く叩かれて、我に返った。

「モトさん、もう煙草終わったんすか?」

「混んでいたから、チャチャッとね」

「あ、これ、どうぞ」

 俺は、手に持っていたスポドリを手渡した。

 モトさんは、サンキューと言って、早速口を付けた。

ぬるいな」

「えっ? 買ったばかりなんすけど」

 自分の分を一口飲むと確かに温かった。

 買ったときは、冷たかったのだが。

 美少女に見惚れて、そんなに時間が経っていたのか。

「すんません」

「いやいや。あの子、気になるの?」 

 モトさんは、温いスポドリを飲みながら、俺の目線の先を追った。

「あ、ああ、い、いえ、いいえっ」

「綺麗な子だね」

「でしょ! でしょ!」

 気になっているのが丸分かりの反応をしてしまった。

「ああいう子は、どんなタイプの男が好きなのかねぇ」

 モトさんの言葉に、俺は自分を顧みた。

 体は寸詰まりの紡錘形。レモンイエローの黄色人種。ボツボツと柑橘系の表皮の様な顔には黒丸眼鏡。自分では分からないが、鼻をつ酸っぱい体臭がするらしい。そのお陰か、どんなに混んでいるイベントも、スイスイ回れる。俺が通る所に道が出来るからだ。

 暑苦しいと言われるが、心はカリフォルニアの青空の様に澄んでいる、はずなのだが。

「……」

 俺は言葉を失くし、がっくりと頭を垂れた。

 どう足掻いても、あの子の横に立てるような男じゃない。心は、どんよりと沈み込んだ。

「檸檬氏は、伸びしろ、有りまくりですよ」

 落ち込んだ俺を気遣うようにモトさんは言った。

「伸び代?」

「ほら、メンズエステとかチョコ〇ップとか。自分を向上させる伸び代ですよ」

 メンズエステ、チョコ〇ップ。名前は聞いた事があるが、俺の世界には存在しないものだ。なにそれ、おいしいの?

「檸檬氏は、よく見ると、地は良いので、少し磨いてみると良いかもですよ」

「よく見ると、地は良い?」

 モトさんは、頷いた。

 その言葉は、俺の心に火を点けた!

「ありがとうっす! 俺頑張ってみるっす」

 彼女の『戦利品』は、既に確認済だ。彼女の推しの作家が出展するイベントで再会できるかもしれない。

 兎に角、今のままでは駄目だ。

「俺は、俺を、磨くぞおおおお!」



 モトさんと別れ、家に戻ると、メンズエステとチョコ〇ップを検索した。幸い、一駅先の駅前にあるようだ。口コミを読み、料金を確認する。

 大学四年だが、実家暮らし。就職先は、地元の企業に決まっている。年末のコミケまであと二か月。なんとかなれー!

 チョコ〇ップでセルフ脱毛と、ちょっとしたエステは出来るようだ。が、自分は柑橘系様の皮膚を改善したかったので、別にメンズエステに行くことにした。

 メンズエステでは、塩をズリズリと擦り込まれ、顔を始め全身のマッサージを受けた。

 檸檬を皮ごと使用する時に、塩を擦り込んで洗うそうだが、人間も同じようなものだと思った。当初、エステシャンが、マスクした上で顔を背けていた体臭は、今や爽やかな柑橘系になっているらしい。「良い匂いね」と言われた。臭いは濃過ぎると臭く、適度に薄まれば、良い香りになるのだ。

 通う内に肌も段々改善され、メンズコスメなども紹介された。化粧のノリも良い。


 一方、チョコ〇ップでの筋トレの成果も上がり、寸詰まりの紡錘形体型は、逆三角形の細マッチョに変貌しつつあった。

「アンタ、この頃臭くないし、体型が檸檬じゃなくなったわね」

 母親が、俺の変わりように驚いて、若い頃の父親のようだと言った。父親は、現在、寸詰まりの紡錘形体型なのだが。

 つまり、俺は若返った。年齢相応の容姿を手に入れたのだ。後は、服装だな。

 嫁いで家を出た姉に連絡すると、えらく驚かれた。

「アンタの口から、ファッションという言葉が出るとは思わなかった。熱でもあるんかい」

「何をおっしゃる、お姉様。今の俺の写真送るから、よく見たまえ」

 自撮りして姉に送信する。

「うは! 誰かと思ったわ」

 姉は、アパレル関係の仕事をしているので、

 次の休日に、一緒に服を選んでもらう約束をした。

「何があったか知らないけれど、自分を磨くチャンスに出会えたのは良かったね。これは、私からのクリスマスプレゼントだよ」

 オサレなコーディネートの服一式をくれた。

 昔から俺に優しい姉だった。

 準備は出来た。

 後は、コミケを待つだけだ。



 コミケ前日。

 俺とモトさんは、前泊をする為、ビッグサイトになるべく近い安宿を予約していた。

「檸檬氏―っ!」

 二か月ぶりに会ったモトさんは、いつもの様に俺に呼び掛けたが、戸惑っているのか、上げた片手を曖昧にヒラヒラさせた。

 其処に居るのは、寸詰まり紡錘形体型の檸檬の様な俺ではなく、細マッチョのオサレ男子だったからだ。

「何かもう、檸檬氏って呼べないな」

 相変わらずゴリラっぽいモトさんは、まぶしそうに目を細めた。

「垢ぬけちゃって、レモネードって感じ」

「レモネードっすか。オサレですね」

「あの子に会えると良いね」


 翌日、コミケ会場。

 モトさん計画のコースを巡り、あの子の推しのサークルの横でスタンバっている。が、この人込みだし、自分達の推しを回っている間に、既に此処に来てしまったかもしれない。そもそも、コミケに来ているかどうかも分からない。

 モトさんも隣で確認してくれている。

 よく考えてみると、随分、無謀な計画だった。会えるかどうかも分からない、名前も連絡先も分からない女の子にアタックしようだなんて。

 俺が諦めかけて溜息を吐き、俯いた時だった。

「あの、先程スケブお願いした者ですが」

 若い女性の声で顔を上げると、あの子がいた。先日、一緒だった友人らしい子もいる。

「お名前は?」

 同人サークルの人が訊ねる。

「宇野です」


(宇野さんっていうのか)


「では、こちらになります」

「わぁ、素敵! ありがとうございます」

 スケブを受け取って、宇野さんは嬉しそうに礼を言い、側に立っている俺とモトさんを見た。関係者だと思ったのか、軽く会釈して通り過ぎようとする。

「あ、あのっ」

 俺は、勇気を振り絞って声を掛けた。

「はい? 私ですか?」

 宇野さんは、辺りを見回した。

「ええ、貴女です」

「何か?」

 宇野さんの顔から笑みは消えていた。

 知らない男から声を掛けられたのだから、当然だ。

「あ、あの、よろしかったら、この後、お茶しませんか?」

 一生分の勇気を振り絞った。この瞬間の為に、俺は二か月間、頑張って来たのだから。

 宇野さんは、俺とモトさんを、値定めするようにジロジロと見た。隣の友人と小声で何か言い合って、クスクス笑う。

「お茶って?」

「レ、レモネードでも、一緒に如何ですか」

「あー、ごめんなさい。私、檸檬苦手なんです」


(チョイスを間違えた? この間レモネードを飲んでいたが)


 俺は焦る。

「じ、じゃあ、レモネードじゃなくても……」

「いえ、結構です」

 宇野さんは、「失礼します」と言い残すと、友人と去って行く。「ダサい」とか「ゴリラ」という単語が笑い声と一緒に遠ざかって行った。


(オワタ)


 後姿を見送った俺は、脱力してしゃがみ込んでしまった。

「檸檬、いや、レモネード氏、ごめんな」

「何でモトさんが謝るんすか」

 モトさんの顔を仰ぎ見た。

「ゴリラって聞こえた。僕が一緒だったのが不味かったのかも」

「そんなことないっす。俺のドリンクのチョイスが悪かったんです」

 俺は、立ち上がったが、その拍子に涙が目から零れた。

「あ、あれ?」

 モトさんが、俺の肩をポンッと叩いた。

「ドンマイ! 次、行こう、次! あの子だけが女の子じゃないさ」

「そ、そうすね。そうすね、そう……」

 俺は、モトさんが差し出したタオルに顔を埋めた。



 あれから八か月余、俺とモトさんは、夏のコミケに来ている。俺は、この春から社会人になった。モトさんは、K大院の博士課程に進んでいた。

「檸檬氏―っ!」

 ゴリラっぽいモトさんは、リュックを背負って、麦わら帽子を被っている。

「モトさん、暑いっすね」

 俺は、再び寸詰まりの紡錘形体型に戻っていた。レモンイエローのキャップを被っている。

「檸檬氏に戻ったって、SNSに書いてあったから、そう呼んだけど」

「ええ、もうすっかり、元の檸檬です」

「あのまま、レモネード氏でも良かったんじゃないの?」

「いえいえ、メンズエステ代も馬鹿になりませんし、無駄になった努力を思い出すのが辛くて」

「檸檬氏、人生に無駄は無いのだよ」

「そうですか?」

「そうに決まっている」

 モトさんは、真直ぐ俺を見た。

「まぁ、失ったものもあるし、得たものもありますね」

 俺は、しんみりと呟く。

「初恋は実らないっていうよね。皆で失恋すれば、怖くない」

「そうっすね。ところで、モトさんの初恋はどうでした?」

「僕の初恋は、××先生の描く女の子だったな」

 モトさんは、根っからのオタク。俺と一緒だ。やっぱり、女の子は二次元に限る。


 見上げた空は雲一つなく晴れ渡り、真夏の太陽が容赦なく降り注いでいた。今日も殺人的に暑くなりそうだ。俺達の夏が始まる!





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