コロンを待ちながら:改稿

 5年ぐらい前。顔も名前もよく覚えてない親戚に、数合わせのため引きずられて行ったディズニーランド。

 せっかくの思い出なんだから、と雑に押し付けられたポップコーンケース。


 つい先ほど、フライパンで大量生産を強要されたアツアツ激甘のハニーバター味が、現在そこに詰め込まれている。

 あの時は、まさかこんな多用するようになるとは思ってもみなかった。


「ナイトメアー・ビフォア・クリスマスがいいわ!」

「またぁ?」

「映画は、何度見ても違う発見があるからいいのよ」


 そして、その甘すぎる芳香の元をしっかりテーブルに配置し、いつのまにかアイスティーまで用意して、金色の髪をした少女がふんぞりかえっている。


 彼女の名はコロン。


 11月の頭から1~2か月弱程度だけ俺の家を訪れるようになって、もう10年は経つだろうか。いつも赤い水玉のワンピースを着て、本当に非の打ち所がない美少女なのだが、とにかく驚くほどわがままなやつだ。やれカレーじゃなくてオムライスがいいだの、やれ掃除が足りないだの、ちゃんとメシを食えだの、寝ろだの、さんざん言ってくる。

 まあおかげで、冬の頭だけは人間じみた生活を送れている気もする。


 横からポップコーンをつまみ食いする。やはり歯が溶けそうなぐらい甘い。ネットのレシピ通りに作ったはいいけど、本当にこれが『正しいレシピ』なのか。


「コロン、本当にこの味で大丈夫なのか?」

「あら、これがちょうどいいのよ。大好きだわ!」


しぶしぶとナイトメアー・ビフォア・クリスマスのブルーレイディスクを再生機にいれて、表示されるロゴ、見慣れた注意事項。選択画面で「再生」を選び、本当に見るんだよな? と再確認する。コロンはふんわりとソファの上に立ち上がり、くるっと一回転した後にびしっ! と俺を指さした。どこからともなくキラキラ音が聞こえるような気がする。


「見るわよ。だいたいあなた、作家ならもっといろんな作品に、何度だって触れるべきよ。映画の日はとっくにすぎてしまったわ」

「作家つったって雑誌のライターだよ。その日もフツーに打ち合わせで……結局作家業的なのは……脚本とか小説とかなんて一生書かせてもらえないって」

「書こうと思わないから書けないだけよ」

「若い頃、新人賞全部落選してんの。そこを温情でギリ拾ってもらってんの。だから打ち合わせという名のアレコレとかは全部断れないの!」

「落選したってことは、ちゃんと書いてるんじゃない。ほら、ジャックだって一度は大失敗したけど、ちゃんとやり直したわ」

「でもサンタは怒ってたじゃん」

「怒ってたけど、それでもプレゼントをくれたのよ。あなたの人生だって一緒かもしれない」


 あー、と発声を伴う大きなため息が出る。正論が常に正しいとは限らない、ということを、彼女は覚えてくれない。むしろ理解して言っているのか。

 少女の考えることは、いつだってよくわからない。


 どれほどあがいてもかなわない夢はあり、どれほど苦しんでもそれで誰かに救ってもらえるわけじゃない。どっちかっていうと、そういうやつは嫌がられてドン引きされる。最近は映画の中でさえそうだ。デスゲームものや、不倫恋愛とかはまだしも、エンターテイメントの文脈で嫌悪感をあおるような表現が気軽に流行するようになってから、俺は映画館にぜんぜん行けなくなった。


 結局、俺は時代の流れについていけないハグレモノで、だから小説家にも脚本家にもなれなかった。単純なファンタジーに仕込まれたほんのひとさじの毒気にさえ吐き気がすることさえあって、俺は、雑誌の片隅につまらない事実と現実を書くことしかできない。


 彼女と同じだ。

 俺も彼女も、映画を見続けているのだ。

 俺と彼女の差があるとすれば、それは有限と無限の差。



 そう、だけど、俺の観る映画に、もしハプニングが起きるとすればコロンになにかしら突っつかれることだろう。


 その瞬間だけは、多分ちょっとだけ演出が変わる。部屋の外からカメラがズームしてきて、俺がコロンに小言を言われているシーンが可愛らしく映される。コロンのにんまりした顔と一緒にシャランシャランと効果音が鳴って、俺がため息をつく姿がアップになる。そして急に場面は転換し、またしょうもない日常が映る。


 そこまでテコ入れしたところで、それでもこんなの、前衛的風味を狙ったクソ映画だ。ありがちなキャッチコピーがでかでかと掲げられ、ダサいトレーラーではコロンの可愛いさと、俺の身に起きる様々な不幸が連続で映し出される。無駄にキラキラしたタイトルをおどけたナレーションが読み上げる。広告会社の策略でとりあえずアマプラに登録され、いずれ忘れ去られる物語。


「ホントにさ」

「何? 待って、今これからジャックが……あ、このシーン大好き! 何回見ても素敵!」

「いや。ホントに、何回見ても違う発見ってある?」

「正直無いこともある」

「やっぱそうだろ」

「でも、何回見てもいいシーンは、何度見ても素敵よ」

「素敵じゃないシーンを何回も見る時はどうする? グリーンマイルの例のシーンとか」

「あれは名シーンでしょ!」

「でも何度も見たくはないよ、俺……」


 俺がぼそぼそつぶやくと、コロンは、あなたって案外素直で優しい人よね、とだけ言って、またポップコーンを食べ始めた。


 わかっているのだ。ぜんぜん素敵じゃないシビアな映画を毎日毎日見続ける俺にとって、コロンの存在はとても大切なカットシーンだ。

 とんでもないクソ映画の、でもあのシーンだけよかったよね、ってサブスクのシークバーで何度も見返される程度のシーン。俺の存在は度外視で、コロンの可愛さと純粋さがピックアップされて、そのシーンを切り取った画像がネットでレスバに使われて、『尊い……』とか勝手に文字入れされる。


 彼女の本質は、俺にとってそうなんだ。


「あ、そうだわ! そういえば私ね」

「なに」

「もしかしたら今年は、12月末ぐらいまでは頑張れるかも」

「マジで? 今年もクリスマス頃には帰っちゃうのかと思ってた」

「最近、『思いとどまる』人が増えてきたから。だから、お仕事が少ないのよ」

「増えてるんだ、思いとどまる人」

「嬉しい?」

「割と」

「そうね。あなたって優しいものね」



 十年前。俺は、博士の愛した数式をビデオ屋で借りてきて見たあと、なんとなく死のうと思った。あれは神映画だ。マジで泣いたし、原作も名著だった。原作ありきの映画にしてはしっかり原作再現してたのもよかったと思う。


 けど、なんとなく死のうと思った。


 もうこの人生において、誰とも、誰の間でも、愛の話をしたくないような気分になってしまった。


 映画やドラマっていうのは超超超前衛的名作とかじゃない限り、恋愛要素やそれを想起する前提がないと売れないらしい。ハリウッドスタイルでさえそうだ。日本じゃガリレオも相棒の女が生えてきた。


 この世界が愛に支配されていることが、なんだかとてつもなく怖くて、いつか俺の手も放っておいたら流行に押し負けて愛を描き始めるのかと思うと、とめどなく反吐が出そうな気分になったのだ。この世は労働と資本で出来上がっているように見えて、その底に必ず愛がある。土台を引きずり、皮をむいたら、その内になにが満ちているというのか、誰にもわからないというのに。


 俺は絶対に、愛なんて書けない。わからないものはわからない。誰にも選ばれなかった人間が書く虚構の愛なんて、羞恥極まりなく、どこにも見せたくはない。


『ねえ。仕事が増えるからちょっと今はやめてくれない?』


 そんな時だった。鈴の鳴るような声が聞こえて、目の前に金髪の少女が立っていた。


 彼女は大小さまざまな蝋燭に囲まれ、そのうちのいくつかはすでに火が消えていた。そして、ひとつに俺の名前が書かれていて……それは、今にも燃え尽きようとしている……油に着火する力さえないぐらいに。

 しかし、いかにも面倒そうな表情で、彼女はそれをぐいっとむりやり引き伸ばした。俺の蝋燭が、他のどれよりも、ものすごく長くなってしまったのが見えた。

 同時に、自分の足元に広がる液体からぶっ倒れそうな気分の悪い臭いが消え、そこにはただの水でびしょぬれのおっさんと、美少女が取り残されたのだ。


 ああ、もしかしたら、あれは名シーンだったかもしれない。

 柄にもなく思い出に浸っていたのが悪かったのか、コロンのはしゃぐ声で現実に引き戻される。


「ねえちょっと! 今サイコーのシーンなんだから集中して見なさいよ、ここの動き……本当にティム・バートンはすごいわ、これ見終わったらチャリチョコ見ましょ」

「ティム・バートン祭りかよ……いいよ、じゃあコープスブライドもいこう」

「スウィーニー・トッドと、あとシザーハンズも持ってたわよね」

「新しいものに触れろといいつつ結局昔の名作ばっか見ちゃうやつな~」

「そんな日があってもいいじゃない。名作はいつ見ても名作だもの」

「ポップコーン足すか。もう俺は体重を無視する、チョコレートかけようぜ」

「コロンのチョコレート工場だわ!」

「作るの俺なんだけどな」


 コロンのありがたいご指示によって妙にきれいに片づけられているキッチンに向かいながら、もしも1月1日までこっちに居られたら、初詣とか行ってみる? と聞いたら、コロンはぱあっと笑顔になった。おお、多分今のは、かなりいいカットだ。

 そうして、フライパンでぱちぱち弾けるポップコーンと、湯煎されたチョコレートの甘い香りを浴びていたら、まあなんというか、こんなチマチマしたこと考えて、それははじけたコーンのひとさじにもかなわない愚劣かつありきたりな苦痛で、それならもうなんでもいっか、と思う。

 苦しんでいるのは自分だけじゃないという後ろ向きの諦めではなく、強いて言うなら、俺は現実と向き合うことができるという希望だ。


「あと、年末はRTA in Japanが見たいわ!!」

「もう映画でさえないじゃん」

「一度も見れたことないのよ。ホットプレートとか使うんでしょ?」

「それはだいぶ前のやつだから」

「あっそうだ、たしか家にホットプレートあったわよね、明日たこ焼き食べたい」

「聞いてんのか人の話……」


 こんなご時世じゃあ、どこまでも腐ったタマゴを投げられそうだが、自分で死のうとするヤツの数なんて、俺はほんとうにどうでもいいんだけど、それが減ることで彼女が長く居てくれるのなら、多分あんまり悪くない。いいことだ。


 ポップコーンから香ばしい香りが立ち上る。こんなに夜更かしするなら、総菜パンでも買っておけばよかったかもしれない。


「なんか……もうちょい仕事、頑張ってみようかな」

「やだわ、休みの日ぐらい仕事の事忘れさせてよ!」

「思い出させたのお前だからな!?」


 だけど、そう、文字と数字と言葉と人間関係に押しつぶされそうな日々を、もう少しだけ生きてあげようかな。もう少し、もう少しだけ、文章を書いてみようか。俺がおもうままの言葉を。愛なんてものが全然わからなくても、誰かが信じてくれる祈りを、誰一人信じてくれなくても。


 あの日、死なずに済んでよかったと思えるぐらいには。


「さあ、映画を見ましょ」


 シャランと音が鳴る。カットが変わる。虚空が少女の色に染まる。

 ほんの一瞬コロンで区切られただけの、イコール同士の世界が、少しだけ香りを変える。




 まあどんなことを心がけても結局、年が明けたらきっと俺は来年もコロンを待ちながら、

 たった一瞬の美しいカットのために、惰性のクソ映画を見続けている、

 そうさ、死神を待ちながら。

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コロンを待ちながら ハユキマコト @hayukimakoto

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