十五話、学園生ラブリィ。

 リリジン王国王都より西の魔法都市には、王立の学園がある。

 王立リリララ魔法学園と称されるそこは、多くの著名な魔法使いを輩出してきた。学生含めた全員が多大な魔法の素養を秘め、一部の生徒は教師をも凌ぐと言われ、事実強大な魔法戦士として既に名を広めているものもいる。


 そんなリリララ魔法学園は、現在賊に襲われていた。


「ハハ、ハハハッ、やっぱ弱ェなお前らなァ!!」


 ドンと重い音を残して人が飛ぶ。学園の壁に叩き付けられた人間は小さく苦鳴をこぼし、壁の破片を落としながら地面に倒れる。

 金の長髪が血に濡れ、力なく投げ出された手足がその者の消耗を物語っていた。


「かい、ちょおぉっ!!」

「うるせェな! 黙れッ」

「げぐっ」


 何度も何度もと足蹴にされるのは白い髪の魔法剣士だった。


「ハァァァ……」


 生徒を黙らせ、ザラザラとした髪をかき上げるのは侵入者である賊の一人だ。

 泥色の髪に、沼のような目。剣呑な眼差しは苛立ちに満ちていた。


「お頼みの生徒会長サマもこの有り様だ。ピーピー騒ぎやがってよォ、ようやく静かになりやがったかガキ共が」


 周囲を睥睨する悪意の目を見つめ返す者はいなかった。

 場所はリリララ魔法学園、正門より内の大園庭である。


 普段は人工的な石道と自然美が調和した緑豊かな風景を見せているが、今日は違った。魔法の衝撃により草花は散らされ、捲れた大地がべったりと通りに塗りたくられている。

 噴水は壊されちょろちょろと水をこぼすばかり。粉砕された石礫が至る所に転がり、破壊された建物の一部が散乱している。


 倒れ伏した生徒や血を流す教師、息の無い多くの兵士に加え、鎧を砕かれ絶命した騎士まで。大園庭は、大小様々な怪我をした人間で溢れかえっていた。


 先ほど学舎に叩き付けられた者――生徒会長のヘルトリクスもまた、そのうちの一人だった。


「ケッ……ハァ、人質選ぶっつってもなァ、見分けつかねェよ。――なァ、副会長ちゃんよォ」

「ぐ、ごふ……わ、私たちは、負けない……!」

「あっそ、どうでもいいけどよ。頼みの会長くんはのんびりおねんねしてるみてェだけどなァ、ヒャヒャヒャ!」


 砕けた両盾を握りしめ、自らの無力さを呪う。

 高らかに笑う男に何もできない自分が、会長を守る盾で在れない自分が悔しかった。


 少女を嘲笑い蹴り飛ばした男は、コツコツとわざとらしく音を立てて静かな石畳を歩く。

 血に濡れた剣を両手で遊びながら人質探しを行う。第二王子であるヘルトリクスだけでもいいが、この際他にも数人家格のある生徒を連れた方がよいだろう。


「くひ……家格って、クヒャヒャ」


 我ながら考えて笑ってしまった。

 この男、リリララ学園には同輩の近接魔法使い、罠術師と共にやってきていた。前線国家にて戦場を共にし、敗色濃厚な戦より命からがら逃げだしてきたのだ。


 戦場の中心部にいたわけではないが、それでも肌がひりつくような命の奪い合いに深く身を置いていた。

 そんな生と死の狭間と比べれば、家格だ家柄だなんてものは心底下らなかった。


 くつくつと笑い、人間を足蹴にしながら歩いていく。


「おー、そうだったなァ。よォ、生徒会が割り込んできたせいで始末がまだだったなァ。お前らは……チッ、めんどくせェ。オイ!! おせェぞ!!!」

「――やれやれ、うるさいな。まだ見つからないんだよ。どいつもこいつもだんまりし腐れやがって。苛々するな。あぁ苛々する」

「ハァァ……遅かったな。殺し過ぎてねェよな?」

「君に言われたくはないな。僕は丁寧に治療しているからね。大丈夫さ。あぁ大丈夫」

「チッ。わァったよ」


 黒々とした髪と闇色の目を揺らして現れたのは細身の人間、近接魔法使いの男だった。

 闇のコートは黒々と濡れ、濃い鉄錆の香りを漂わせている。


「それより、コイツらだ」

「あぁ?……あぁ、なるほど。髪の長い方がラヴィリエッタ・ヴァレンティナ。格はそうでもないけど王国にとって価値のある伯爵家だね。国の裏方を担っている家さ。髪の短い方はカルフィナ・テルフ。男爵家、ほぼ価値はないよ。ただこっちは空間魔法使いだね。君も戦ったんじゃない?」

「知らねェよ。罠野郎の魔法阻害越えられなかったんじゃねェの」

「あぁ。そうだね。うん。あの程度も越えられないか。落胆だよ。あぁ落胆だ」


 二人から冷めた目を向けられたカルフィナは、痛む身体を震わせて恐怖を堪える。

 ダンジョンで決死の戦いを繰り広げ、ようやく地上に戻ったと思ったらこれだ。

学園が賊に襲われ、しかもその賊は異様な強さだった。魔法も使えず、反抗する者は即座に鎮圧されてしまった。この男たちに殺意があれば、既にカルフィナの命はなかっただろう。実際に教師の多くは殺されてしまっている。


「まあ空間魔法使いなわけさ。兄は次元魔法使いのようだね。うん。逃亡には役立ちそうだ。価値はある。あぁ価値はある」

「ふん、そうかよ。だが家としての価値はねェんだろ? 生徒会の奴らと一緒だったからな。空間魔法使いなんざ敵にいたら鬱陶しいし、コイツは殺してもう片方を生かそうぜ」

「どちらでもいいよ。君の好きなようにするといい。僕は興味ないからね。あぁ興味ない」

「ヒャヒャヒャ! なら好きにさせてもらうぜ」


 言って、男はカルフィナの髪を掴み引っ張っていく。

 弱い悲鳴を上げる少女の声は殴打一つで封殺され、引きずられた跡に血が伸びる。


「クヒャヒャ、残念だったなァカルフィナちゃんよォ。俺たちのために死んでくれや。あぁ聞こえてねェか。ヒャヒャヒャ」


 大きく笑う男の声に意識のある者は唇を噛み、拳を握り締め動かない、動けない自分を憎む。

 気絶したカルフィナは崩れた噴水の前に投げ出され、傷だらけの身体が衆目に晒される。


「さっさと殺すかァ」


 相手が子供であろうと特に思うことはなく、作業のように剣を振り上げる。躊躇なく、準備も猶予もなく簡単に刃は落とされる。

 

 ――キィィィン!!

 

 瞬間、甲高い音が響いた。


「――ふぃぃ、間一髪っ!」


 割り込んだのは一人の生徒。


 制服は汚れ、ところどころ裂け、露出した白い肌には赤い線が走り止まらぬ血が流れ出している。

 紺の髪を頭の横で結び、紫青の瞳を決意に固めた少女。ある場所ではラブリィとも呼ばれる少女――ラヴィリエッタ・ヴァレンティナが障壁を展開していた。


「チッ、面倒くせェな。お前は生かしてやるんだから黙って倒れてろ、よッ」

「にひひ、甘い甘ぁーい。私のこと舐め過ぎでしょ。ていうかおじさんちょっと臭うんですけどー? 心が汚れていると身体まで汚れるんですねー! きゃはは!」

「あ"あ"!?」


 怒る男に対し、ラブリィはカルフィナを抱えて素早く下がる。直後、地面を抉る男の足。


「ばーんっ!」

「ぐっ!?」


 同時に炸裂する爆風。攻撃力はない、ただの風だ。それ故に風圧は強く男を押し退けるほどに強烈だった。

 退いて、手早くカルフィナへ防護を施し、「ごめんね!」と謝りながら遠くへ投げ捨てる。これで足手纏いはいなくなった。


「クソガキが……。いいぜェ、望み通り殺してやるよ!」

「きゃふふ、おじさんには無理でーす。弱い子供にイキって調子乗ってるおじさんとか、自分は強い人に勝てませーんって言ってるようなものですし?」

「死ね!」

「きゃは、はいそこトラップ!」

「チィ!?」


 煽り、無数に仕掛けたトラップへ誘導する。

 大した威力はない。でも姿勢を崩せる程度には鬱陶しく厄介な魔法だ。ラブリィの本来の実力であれば真っ当に戦うこともできたが……今は既に負ったダメージと消耗した魔力せいで分が悪い。


「……」


 ちらと自身の足を見て、流れる血と、普段より重い足に口元を歪める。笑みを作り誤魔化した。


「罠なんざくだらねェ!」

「それは罠士の彼を侮辱しているのかな? あぁしているね」

「黙れ!!」


 問題はそれだけではない。当たり前に強化した肉体で罠を踏み砕き、真っ向から破壊して突き進んでくる賊。真下からではなく左右、さらには空中にトラップを設置していなければ既に死んでいるところだ。


 この賊、思ったよりもちゃんと強い。例のピンクロリ魔人よりは全然弱いが、今のラブリィにとって十二分以上に強敵だった。


「どうしたよォ! ご自慢の魔法はこの程度かァ!?」

「言うだけは楽ですよねー! 剣しか取り柄が無いから賊になってるの、ほんとダサいですよぉ? きゃふふ、その剣でさえダメダメだから賊になんかなってるんですよね! ダメ人間の末路って感じぃ!」

「――殺す!!」


 これまでより数段踏み込みが早い。直線的で、だからこそトラップの準備も容易かった。

 隠蔽を重ね、相手の力を利用した反転攻勢の障壁。壊れた瞬間にエネルギーを跳ね返すラブリィお手製闇魔法だ。


「――まったく面倒だね。あぁ面倒だ」

「っ」


 その時、今まで控えていた闇色の男が気づいたら障壁に拳を叩き込んでいた。軽い音を立て崩れる攻勢障壁。立ち止まった剣士は舌打ちをして黒の男を一瞥する。


「ハッ、てめェが来なくても気づいてたっつーの」

「そうかい。ならさっさと終わらせてくれ。遅いよ遅い、あぁ遅い」

「チッ、わァったよ」


 一人で限界だったのに、二人はちょっとまずいかなと少女は苦笑する。


「ちょっと二人はずるじゃないですかぁー? いい大人が寄ってたかって女の子一人攻撃するとかプライドないんですかぁ? 見た目も悪いし性根も腐ってるし、ほんっと汚いですね!」

「ハッ、もうどうでもいい。おらよォ」

「っぅくぅ!!」


 多重展開した障壁は剣士の一蹴りで割られ、もう片方の足がラブリィの脇腹を穿つ。

 風の魔法で横に飛んだが、ダメージは流し切れなかった。皮膚が抉れ、深い傷痕から赤い血がこぼれ出す。


「けほ……」


 ごろごろと噴水で濡れた地面を転がる。擦れた肌が痛む。咳き込みながらも懸命に立ち上がり、強引に組み立てた複合魔法を放つ。


「ハッ」


 複合魔法は剣の一振りで掻き消され、続けての魔法は無音で近づいてきた男にキャンセルされた。髪を掴まれ、強い力で遠くへ投げ飛ばされる。大きな石片にぶつかり小さく吐血する。


「……ほんと、私……」


 面倒くさそうな顔をした男が近づいてくる。もう言葉を発するつもりもないようだ。

 先の魔法を警戒してなのか、コートの男に文句を言われたからなのか。理由はわからないし、どうでもいい。


 ラブリィの身体はもう動かなかった。

 限界を超えた魔力の消費。蓄積したダメージ、流した血液。意識はまだはっきりしているが、身体は言うことを聞いてくれない。


「……ばか、だなぁ……」


 呟く。

 こんなつもりではなかった。本当は、カルフィナを助けるつもりなどなかった。


 自分のことは自分が一番知っている。弱っている状態で賊と相対して勝てるわけがない。ソウジンならすぐやってきてくれるとわかっているのだから、大人しく待っていればよかった。


 でも……でも、動いてしまったのだから仕方がない。気づいたら賊の攻撃を受け止めてしまっていた。その後は見ての通り、ちょっとは頑張ったが想像通りに負けて死にかけている。


 男は怠そうに、淡々とした動きで剣を振りかぶる。


「……せ……ぃ」


 ゆっくりと動く景色の中、少女は一人想っていた。 


 約束、守れなかった。

 あんな微妙なお別れは嫌だった。もっと先輩のこと知りたかったし、もっと先輩に悪戯したかった。口では色々言いつつも、なんでも受け入れてくれるソウ先輩。本当に、お互いまだまだ知らないことだらけだった。


 先輩のことをもっとたくさん知りたかったし、私のことも知ってほしかった。お喋りだってし足りない。言いたいことだってあった。一緒にご飯も食べたかった。まだまだ、やりたいことならいくらでもあった。

 二つの身体で二つの記憶。摩訶不思議な魔法のことも、できればちゃんと伝えたかったし、二人の私を見てどんな顔をするのかも見たかった。


 あぁでも、やっぱり。

 一緒に晩ご飯、食べたかったなぁ。


「――――」


 走馬灯のように流れる思いがあふれ、喉を震わせない声が言葉を紡ぐ。"ごめんなさい"と、"ありがとう"と。

 

 

「――――言っただろうが」

 

 

 声が、響く。聞き覚えのある、よく聞いていた、聞きたかった声。

 目元が熱くなる。

 

 それは、光だった。

 目が眩むほどの光。不思議と音は小さく、衝撃もなく、ただただ眩しい光がジリジリと重低音を伴い鳴っていた。

 

 それは、人間だった。

 青と、赤と、紫と、黄と。そして白。

 多種の色が細い飛沫となって周囲に飛び散り、そのたびにバチバチと微かな音を立てる。

 

 それは、男だった。

 光を纏って煌めく金の髪は、雲一つない夕暮れの空に伸びる朝焼けのようで。不規則に折れ曲がった光が瞳孔に薄く広がり、爛々と輝く瞳は天を貫く稲妻の色。

 

 光を――絶えぬ雷光を纏った男は、片手で雷槍を、もう片方の手で少女を支える。

 眩い光の中に浮かぶ、一対の優しい雷が少女を見つめる。

 

 

「――――命懸けで守ってやると」

 

 

 それは、王都警備隊東大通り支部所属の男、ソウジンであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る