九話、ダンジョン内にて、音越え。

「先輩先輩」

「なんだよ」

「先輩ちょっと性格変わってません?」

「魔力制限を取り払ったからだろ」

軛錠やくじょうって性格も変わるものなんですか?」

「知らん。興味ない。それよりさっきから身体押し付けすぎだ」

「えー♡ 先輩ってばもしかして私のこと意識しちゃってますぅ?」

「どうだろうな……確かに軛錠で欲望の制限もかけているが……解錠前からお前への興味はあったぞ」

「は、え、な、そ、そそうなんですか?」

「冗談だよ」

「は?」


 笑ったり照れたり怒ったりと忙しい女を背に乗せ、国支給の槍を失った男は無手でダンジョンを歩いていた。


「はぁ。……もー、せんぱいのせいで余計に疲れちゃいましたー」


 背中にべったりと密着し、大きな胸を押し付けぶつくさと文句を言ってくる。

 まともに話を聞くのも面倒なので、適当に相槌を打って周囲を見ておく。魔力制限を取り払ったため感知能力も大幅に向上した。ダンジョンの中がよく見える。


 数十分前の天井魔物掃討戦を終え、扉を抜けてエリア移動を果たしたソウジンとラブリィ。

 新エリアには旧エリアと同じ光景に加え、同種の魔物もしっかり配置されていた。実にダンジョンらしい悪辣さだった。


 槍は魔物駆除で失い、ラブリィも魔力を消耗し疲労気味だったため、ソウジンが魔力制限を取り払うことで魔物を殲滅することにした。

 天井への攻撃はラブリィの作った階段で空を駆け上り、空間の穴を掴んで引き延ばして無理やり侵入することで完遂した。今度は魔法ではなく、物理で滅殺である。槍がなくとも拳がある。それで充分だった。


 同じ手法でいくつかエリアを抜け、ラブリィもポケットに入れてあった魔力回復の飴を舐めて回復したはずだが……未だにソウジンの背から離れる気配がない。まあその方が安全だし構わないが。


 ダンジョン内の景色に大きな変化はなく、暗い通路と呑み込まれた貧民街の建物が壁と一体化している。

 既に複数のエリアで魔物を殲滅したため、ダンジョン主も警戒したのだろう。魔物の配置が天井一辺倒ではなくなっている。相変わらず地面と天井は空間的に断絶されているが、魔物を殺し切ると繋がりができる。いや、元通りになると言った方が正しいか。


「せんぱーい。そろそろこのエリア歩くのも飽きてきたんですけど」

「お前は歩いてねえだろ」

「そうですけどー。地面と空、まだ繋がってないからどこかに魔物いるんですよね?」

「だろうな」

「私の魔力感知に引っかからないんですけどー」

「俺もだ。……そうか、ダンジョンが俺たちの足止めをしている可能性もあるか」

「足止めされたらまずいですか?」

「腹が減る」

「あー……」


 死活問題である。

 ソウジンの動きを知り、ダンジョン内で迷わせて餓死させる手法を取ってきているのかもしれない。そうでなくとも、時間がかかればかかるほど体力も魔力も消耗していく。ダンジョンに食べ物なぞ持ち込んでいないのだ。


「先輩、食べるの好きですもんねー」

「ああ」


 どうするべきか。ひとまず海藻を食べておく。やはり持ち歩くべきは食べ物だ。

 考え考え、歩き歩き。暇潰しか、耳元でこしょこしょ楽しそうに喋る女は無視して考え続ける。魔力の回復したラブリィに感知魔法を使わせ、全力でダンジョンを踏破することも選択肢に上がる。だが、このダンジョンがどれほど深いのかがわからない。エリアがいくつあるのか。想定される時間はどれほどか。中ボス一体とすら遭遇していない現状を思うに、ある程度余力は残しておくべきだろう。


「ふむ……」

「ふふふ、せんぱぁい。さっき、欲望制限してるって言ってましたよねぇ? んふふ、ずっとずっと、私のこと食べちゃいたいって思ってたんじゃないですかぁ? もー、我慢してたなら言ってくれればいいのに……♡。いっぱい応援してあげましたよ? がーんばれ♡ がーんばれ♡ って。くふふ、我慢できないお子様な先輩にぃ、たぁっぷり私があまーい言葉あげたのになぁ……。それ、でぇ♡ 先輩我慢できなくなって、私に襲い掛かっちゃうんですよねぇっ。きゃーっ♡ けだものー♡ へんたーい♡ 性欲おばけーっ♡」


 ラブリィも今の状況がストレスなのか、いつにも増して……いつも通りか。いつも通りにはしゃいでいる。


「面倒だな」

「えー、何がですかぁ?」


 当然ラブリィが、ではない。


「我慢するのが、だ」

「えっ」


 何やら驚いた声が聞こえる。慌ててもぞもぞと身体の距離が離される。柔らかな感触がなくなり、人肌の熱から背中が解放される。涼しい。


「せ、先輩っ。べ、べつに私はいつでもいいんですよ? いいんですけど? でもほら、こんなところで本物のケダモノになっちゃったら――あぁでもそれはそれでアリかな。悪くないかも。うー、先輩のえっち! 変態過ぎますよ!」

「よし」


 慌てて言い募っていた女の話は何も聞いていなかった。

 決めた。我慢するのは止めだ。さっさと踏破してしまおう。最悪魔法の解禁も視野に入れればいい。余力とか、命とか。そんなものより目の前の飯だ。夕飯に間に合うようにダンジョンを潰すか、ダンジョンを出るかしないといけない。


「ラブリー、広域に感知魔法を頼む」

「え? はい? え、はい。別に構いませんけど……魔力に余裕持たせるとかお話しませんでしたっけ」


 さっきまでやんやんと首を振り、ふぁさふぁさと髪を振り回していたというのに……。変わり身の早さが異常な女だ。ソウジンとしてはありがたいが、気の入れ替えが早すぎて少々心配にもなる。何も言わないが。

 鬱陶しく顔にぶつかってきていた髪の毛がなくなり、再びぎゅっと、背中がむにゅぅっと温かくなる。暑苦しいが、文句は言わない。今からはよりくっついてもらわないと困るからだ。


「その話はすべてなかったことにする。飯のためだ。早急にダンジョンを出るぞ」

「あー……はーい。ダンジョン攻略じゃないんですね」

「どちらでもいい。とりあえず夕飯前にダンジョンから出る。絶対にだ」

「はいはーい。わかりましたー」


 ゆるっと答えたラブリィは、ソウジンの背に揺られたまま魔法を使う。広く広くとただ感知範囲を伸ばすためだけの風の魔法。


「"風地図"」


 使用者に大まかな地図を見せるような魔法として名付けられた風魔法だ。王都に暮らしているとあまり使う機会はないが、ダンジョンや未開の地の探索では重宝される。


 魔力に反応した魔物は一匹。これのために時間を使わされたと思うと脱力感もすごいが、今はとラブリィは口を開く。


「先輩、見つけましたよ。結構な速足で逃げてますね。どうします?」

「逃がさねえ。ラブリー、しっかり掴まっておけよ。魔法も使っておけ」

「はいっ♡」


 いつもより乱暴な物言いに、つい言葉尻が甘ったるくなってしまう女であった。

 温かく大きな背中に身体を押し付け、簡単な闇魔法で離れないようにしておく。


「できました」


 呟き、すぐ傍の首筋に頬を寄せたところでソウジンが頷く。


「なら、行くぞ」


 短い一言の後、音が消えた。


「――!!」


 "音越え"、と呼ばれる技術がある。

 肉体のみで行う場合もあれば、魔法の補助を必要とする場合もある。

 共通するのは、使用者が音速を越えて移動するということ。


「ラブリー、何か言ったか?」

「っ!! っ!?」


 ソウジンの音越えは魔力による肉体強化を主とするものであり、脚力のみならず視力や聴力も強化されているため走行中に会話をすることも容易い。


 音速と言えば衝撃波、ソニックブームが出ると思われるが、手慣れた者は空気との摩擦により生じるエネルギーすら自身の動きに利用することが可能なため、移動中に衝撃波どころか音すらしない。

 音越えの上位互換としてある、このような技術を"音消し"と呼ぶ。


 現状のソウジンは中途半端な音消ししかできないため、周囲に騒音を垂れ流し、人が倒れる程度の衝撃波を放ちながら移動していた。


「何言っているのかわからねえな……。俺の魔力操作がお前の防護にもなっているんだから、あとは頑張ってくれ」

「~~!!!」


 文句を言っている気配はあるが、負ぶっている体勢上顔は見えない。何を言っているかわからなければジェスチャー一つないので、こちらからこれ以上何かを言うことはできない。頑張れラブリィ。


 己のことは己にと任せ、ソウジンは走る。が、よく考えればラブリィの案内がないと魔物を見つけられないので急停止した。


「ぴぅ」


 背中から妙な鳴き声が聞こえた。


「ラブリー?」

「うぅ…………先輩、私の髪、ちゃんとくっついてますかぁ」

「見えないぞ」


 後ろで呻いているので、しょうがなく女を降ろして確認する。

 怠そうに地面に降り立ち、じとっとした眼差しで見てくる。


「大丈夫そうだな」

「全然大丈夫じゃないですけどー!」


 むがーっと迫ってくる女を避け、元気な姿に頷く。


「悪かったな。今度は風除けと音消しの魔法も使ってくれ」

「使いますよ! ていうか先輩は風も音もなかったんですか? 意味わかんないんですけど」

「俺自身への影響はあまりないが、俺もまだ未熟だからな。音消しは中途半端にしかできないんだよ。肉体強化や魔力操作でお前への影響は減らせているが、完全にとはいかねえ。魔法使いらしく魔法でどうにかしてくれ」

「……はぁ。わかりましたぁ。さっきのくらいなら私でもどうにかできるので自分でどうにかします。移動は全部任せちゃいますからね」

「あぁ。任せろ」


 ラブリィのご機嫌取りを終え、先ほどと同じく背負って魔法を待つ。ぶつぶつといくつかの魔法っぽい名前が聞こえ、とんとんと肩が叩かれたのでソウジンも全身に魔力を通す。


「いいですよ」

「わかった。――行くぞ」


 と、っと地面を抉る。

 一歩で音速を越え、ダンジョンの床を破壊しながら疾走する。


「魔物はどこにいる」

「そろそろ左です――あ! 早すぎます! もう一個後の通路ですよ!」

「なら戻るぞ」


 景色なんてものはあってないようなもので、ソウジンたちの動きとダンジョンの規模が見合っていなかった。

 逃げ足の速い魔物も数秒で床の染みになり、次のエリアへの壁はソウジンの右拳で粉砕された。


 ダンジョンを破壊しながらエリアを移動すること三回。ソウジンとラブリィは見覚えのないエリアへと突入した。

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