七話、ダンジョンと犬型魔物。

 ――リリジン王国王都南貧民街ダンジョン、地上部。

 

 午前中と同じくダンジョンに呑まれたソウジンとラブリィの二人組は、横に並んでのんびりと歩みを進めていた。


「でもでもぉ、ここがダンジョンならどうしてソウ先輩わからなかったんですか? 今朝は一秒でわかっちゃってたじゃないですか」

「わからん。ダンジョンだとは思うんだが、ここには特有の違和感がない。空気中の魔力も街中と違いがないように感じる」

「んー……確かに?」


 首を傾げる女に頷き、ソウジンは思考を深める。

 ダンジョンに満ちる淀んだ、ダンジョン主の魔に染められた魔力の気配がない。


 確かに周囲の景色は異常だ。王都の貧民街を巨大な洞窟に放り込みでもしたかのような有り様になっている。歩けど歩けど変わらぬ景色。壁と同化した石造りのボロい建物と、ボロボロの石畳。石が剥げ露出した地面は赤みを帯び、逞しく生える雑草は明らかに外と植生が異なる。


 ここがダンジョンだとして、一体いつの間にここまで現実を侵食していたのか。

 午前中に貧民街を訪れた時はただ上位種の魔物がいただけで――。


「……そうか」


 そういうことか。

 一人頷く。


「え、先輩? 何かわかったんですか?」

「ああ」

「私にも教えてくださいよ」

「ああ」

「うん……うん? ソウ先輩?」

「ああ」

「ちょっとちょっとソウ先輩? 適当に返事してませんか?」

「ああ」

「あーもう。先輩のばーか。あーほ、えっちへんたーい。どへんたいの後輩大好きおとこー」

「しかしアレだな。俺がダンジョンの魔力を感じ取れなかったことは謎のままだな」

「ああー! もうもう!! どうしてそこで話し出すんですかぁ! 私の話絶対聞いてたでしょっ!」

「お前の話ならいつでも聞いているぞ――来たか」

「っ、も、もう! そんなこと言ったって誤魔化されませんから! "烈風烈刃"!」


 ラブリィの魔力が励起し、雑に見えて緻密な魔力コントロールにより極薄い風が前を走る。見覚えのある小型犬の魔物の姿が見えたかと思いきや、即座に真っ二つにされ地面に倒れ姿を消した。ダンジョン産の魔物らしい消え方だ。


 ここがダンジョンだと言うのは確定的だろう。


「悪くない魔法だ。魔力の残量には気をつけろよ」

「魔力使えないざこざこソウ先輩には言われたくありませーん」

「それよりラブリー。今朝俺が倒した魔物はダンジョン主じゃなかったようだ」

「へ? ん、え? えっと……どういうことです?」


 ぽけっとした顔で可愛らしく問いかけてくるラブリィに、男は淡々と説明していく。


 端的に、ソウジンが午前中にダンジョンボスだと勘違いした相手はただの中ボスその1でしかなかった。

 空間に満ちる魔力と集団を統率する知能、それなりに高い戦闘力を見て勘違いしてしまった。あの大型犬は、大ボスではなく中ボスだったのだ。


「んーと……私、あの魔物結構強かったと思うんですけど……」

「そうだな。近距離戦ならお前でも不利だろう」

「ですよね。ちょっとくらいは前衛もできる自信ありますが、さすがにあんな高速で走り回られると追い付けないです。あ、魔法でならぱぱっと片付けられますけど?」


 慌てて付け加える女に首を振る。そんなこと言わなくてもラブリィの実力はきちんとわかっている。

 伝えると、妙に大人しく満足気ににまにまし始めた。いつも通りの後輩で安心する。


「朝の犬がダンジョン主でもなんでもない、ただの魔物だったと考えると納得がいく。俺たちが迷い込んだダンジョンの主は別にいるんだよ」

「とすると……」


 唇の下に人差し指を当て、考え中なポーズで呟く。あざとい。あざといが、ラブリィがあざといのはいつもなのでソウジンは一切反応しない。


「ここのダンジョン主が別にいるとして、どうしていきなり王都に現れたんですかね? 外がどうなってるのか知りませんけど、貧民街だからって仮にも王都です。そのうち騎士団でも送り込まれてくるんじゃないですか?」

「理由はわからんが……俺がダンジョンの存在に気付けなかったことと繋がるかもしれないな」

「ふむーん?」

「ダンジョン主の特性だ。いくつか考えられるが」

「わ、ふふーん。待ってください、私も思いついちゃったので」

「……構わん。言ってみろ」

「えっとですねー。とりあえずそういう魔法を使えるとか。ほら、幻惑とか幻覚とか、あと隠蔽とか」

「そうだな」

「次はですね、単純にダンジョン主が魔力隠してるとか」

「そうだな」

「あとですね、協力者がいるとか」

「……それはあまり考えたくないが、線としてはあるか」

「そんなところですかねぇ。色々組み合わせれば結構予想できますけど……きゃふふ、どうです先輩? 私もなかなか冴えてるでしょおー?」


 目をキラキラさせてこちらを見てくる。言葉にしないがラブリィが求めていることはなんとなくわかった。別に無視してもいいんだが……あまり面倒を長引かせるのもよくない。いくらなんでも、ダンジョン内でふざけてばかりはいられない。


「ああ。お前は冴えている」

「えへへー、今の私、超頭いいですよねー?」

「ああ。超頭いい」

「えへ、えへへー。先輩先輩、ラブリィちゃん可愛い?」

「ああ。ラブリーちゃん可愛い」

「きゃー!! すっごく適当だってわかってるけど嬉しい! ふふふー、"滞留せし嵐鋭刃"っ」


 照れ照れしながら急に魔法を使い出す女に少々引き気味のソウジンである。

 大抵のことには動じないが、言動に対して行動が一致していないのは少し引く。魔物がいることを察知し対処した部分こそ褒めたいところでもあるのだが……なんとも奇特な女だ。ラブリィ。


 魔法使いラブリィの設置した自動微塵切りトラップにより、頭の足りない魔物はすべて除去されていく。

 大型犬より小さく小型犬より大きい、中型犬サイズの魔物は少しは頭が回ったようで風の刃を避けようと動いたが……。残念、正確無比な投槍が急所を貫いた。


 投げた槍は風で運ばれソウジンの手元に戻ってくる。ちらと横を見ると、微笑に重ねパチーンと華麗なウインクが飛ばされてきた。首肯し、中型犬には積極的に槍を投げつけていく。


 途中犬型以外の魔物には遭遇せず、火を吐いてきたり高速移動してきたり、魔法で遠距離攻撃してきたりといたがすべて投槍で刺殺した。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。

 長くとも一時間はいかない程度か。ダンジョン内は景色が変わらないため時間間隔が曖昧になっていく。


「ソウせんぱーい。私たち、永遠にここを彷徨うことになるんですかねぇ。私はそれでも構いませんけど……。先輩はどうです?」

「飯はどうなる」

「あー……」

「ありえねえ。俺の夕食はどうなる。晩餐は。それが奪われるなんて冗談じゃねえぞ。国を滅ぼしてでも俺は絶対に飯を食う」

「決意が固すぎて私ちょっぴり引いちゃったんですけど」

「そうか。じゃあな」

「ちょちょちょ! 急に方向転換しないでくれます!? 勝手に私を引き離すとかありえませんからね!」

「そうか。まあどっちでも構わんが……ラブリー」

「はぁーい?」

「このダンジョン、おかしいと思わないか?」


 歩きながら隣に問いかける。

 首を傾げ「おかしい?」と返してくる女に頷き、魔物を殲滅しながら考えていたことを話す。


「なぜ罠がない。ダンジョンと言えばトラップだろう」

「あー、言われてみれば? そういえば全然トラップないですね」

「ダンジョンの在り方がそういう形、魔物主体ならわからなくもない。だがここはどうだ。魔物に知能の差はあるが基本は変わらない。犬型で単調。そんなダンジョンに罠がない? なんだこのダンジョンは、おかしいだろう。ダンジョンにしては温すぎる」


 犬型魔物の強弱はさておき、数十分一時間と歩いていて中ボスもいなければ上位種もいないダンジョンなどありえない。まして罠もないなんて、ダンジョンとして破綻している。

 ダンジョンとは、容易く踏破できず等しく人間を死に追いやる場所だからダンジョンと呼ばれるのだ。そうでなければここはただの洞窟、洞穴である。


「だがここはダンジョンだ。死んだ魔物の消え方、異常な空間、閉じられた世界、どれもダンジョンと呼ぶにふさわしい。それならばだ、ラブリー」

「はい」

「このダンジョンにはなぜ罠がない」

「えー、なぜって言われても……」


 困ったなーと眉尻を下げる女。

 会話の最中も「滞留せし嵐鋭刃」は稼働していることから、魔力コントロール力の高さが伺える。ソウジンの顔を見て悩んでいる間も、後方の犬型が一匹血霧と消えた。


「油断させて最後にすっごいトラップ来るとかですか?」

「近いが遠い。正解は――見ろ」


 す、っと天井を――鮮明な通路・・を指差す。

 釣られて顔を上げたラブリィは表情を怪訝に――驚愕一色に染める。


「来るぞ」

「だ、だからいきなりすぎるんですよおーー!」


 落ちる。いや降りる。

 天井を闊歩していた魔物たちが当たり前のように身体を回転させ降りてくる。


 槍の攻撃範囲まで未だ遠く、上空とも天の回廊ともわからない場所から遠距離攻撃を仕掛けてくる魔物を打ち払うことはできない。


「"荒れ狂え風の刃"!!!――って届いてない!? なんでですか!!?」

「俺に聞くな。それより……はぁ、ちゃんと避けろ」

「あ、ありがとございます……ぇ、か、肩抱かれちゃってる? え、え?……ぁぅ」


 向こうに魔法は届かず、逆に魔物のあらゆる攻撃はこちらに届く。

 魔法も、何やら吐き出した酸のようなものも、やたら伸びる火のブレスも、尖った羽や針も。


 ダンジョン内で討伐してきた魔物の姿もあれば、見覚えのない魔物もまたいる。共通しているのは犬型という点だけで、攻撃手段は実に多彩だ。犬という一種の魔物からよくもここまでバリエーションを広げたものだと感心する。


 どんな原理か、こちらから天井への攻撃は威力が減衰するらしい。腕の中で身動きを止め放心状態のラブリィが試してわかった。顔が真っ赤になっているところを見るに、いつも通り照れに照れているようだ。相変わらず肉体的接触への耐性が無さすぎる。


 それはそれとして上空の魔物は、どうもソウジンの攻撃範囲を把握して動いていそうなのが嫌らしい。ここまでの行軍はこちらの戦力を分析するためと、探索に時間を掛けさせ体力を奪うためと、いくつか理由がありそうだ。


「……」


 平坦な通路で隠れられる場所がないことからも、ダンジョンの悪辣さが見て取れる。

 トリガーはおそらくダンジョンの違和感に気づいた時、もしくは時間経過。ソウジンがダンジョンに入った時点で既にトラップには引っかかっていたというわけだ。のんきにラブリィとダンジョンのトラップ話なんてしているんじゃなかった。


 身を翻し、荷物はしっかりと抱えて駆け出す。


「きゃぅっ」


 可愛らしい悲鳴を上げた荷は無視し、魔物の攻撃はすべて避けていく。

 槍を投げれば魔物を消し飛ばせるだろうが、天井に刺さってしまったら目も当てられない。ラブリィに回収を願おうにも魔法の効果減少を考えると頼みにはできない。


 反撃のできない逃走劇は続く。

 前後左右に避けるだけでは足りず、三次元機動を織り交ぜて前へ前へと逃げ走る。住居は洞窟の壁に貼り付き同化しているせいで逃げ込めない。複雑な路地裏もなく、時折見える曲がり道はどれも同じ幅の広い通路だ。天井も同じ形状の一本道ではあるが、そもそもの通路幅が広く攻撃を遮る物が無さすぎる。


 上空からの魔法を避け、壁を蹴って地面を蹴ってステップを踏み躍るように跳ねていく。地面と接地しているよりも滞空時間の方が長いほどだ。そうでもしないと怒涛の火力からは逃れられない。


「……どうするか」


 呟く。破壊の雨をひらひら舞い逃げ駆けながら考えても明確な答えは出てこない。ぼんやりし過ぎたせいか、火焔のブレスを突き破ってきた光の玉にぶつかってしまう。弾ける光玉、閃光、そして――――。

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