六話、貧民街再訪と軛錠。
リリジン王国王都南部、貧民街付近。
大通りと比べずいぶん
男、ソウジンは午前中に往復した道を再び辿っていた。
時刻は十五時を回り、天頂に昇った日も陰りを見せ始めている。ちらほらと浮かぶ白雲に遮られ、地上に降ろされる光は減っていく。ただでさえ密集した建物の影響で薄暗い街並みが、より一層暗さを増す。
貧民街の近くともなると、狭まった路地裏から虎視眈々と金目の物を盗もうとする不埒者がいるので油断できない。これが貧民街中心部となれば地域ごとのルールが敷かれているため話は変わるのだが。
さておき、ソウジンの場合、特に何かを警戒する必要はなかった。
理由は単純、少々場所は離れているがこの男は似たような地域で暮らしており、それなりに顔を知られているからである。また、今に限って言えば警備兵の服を着ていることも大きい。
国の犬と揶揄され、別部署の警備兵に腰抜けと馬鹿にされようとも、それでも国に仕える兵士であることには変わらない。
貧民街という、平民以下の権利しか持たぬ人間が敵手ならば反撃どころか処刑すら許される。存在しないものを殺したとしてそこにいないならば殺したことにすらならない。
要するに、貧民街に住まう民の多くが人間として認められていないのだ。
そんな人権意識の薄い街を、ソウジンは女連れで歩いていた。
「今さらだがラブリー」
「はいはいっ、何ですか?」
「なぜお前は付いてきたんだ」
「ええー……私、付いてきちゃだめでした?」
うるうる上目遣い。
あざとい眼差しだが、男はそれを一顧だにせず答える。
「いや構わんが」
「じゃあいいじゃないですかー。まったくもう、私が一緒に来て嬉しいなら素直にそう言えばいいのに。ソウ先輩の恥ずかしがり屋さんっ」
気のない返事にもめげず延々とからかってくる姿には感心すら覚える。が、重ねて無視を決め込む。
女、ラブリィの話に付き合ってやってもいいが、今はそれより話したいことがあった。
「俺の予想が正しければ、今日の午後は午前よりも数倍危険だぞ」
単純な勘だけでなく、ソウジンが行おうとしていることから大体察せられる。
街を探索して魔物を討伐し、チンピラを捕縛した程度で済む話ではない。
「んふふ、ソウせんぱぁい♡ 私のこと、心配してくれるんですかぁ?」
甘ったるい声を振り撒き、にまにまと近寄ってくる。
「もうもう、先輩かーわいいっ。私のこと大好きじゃないですかぁ、もう。どれだけ私のこと大事に思っちゃってるんですか? 言ってみてくださいよ? ね?」
「ただの同僚だろ」
「えー、もうちょっとないんですかぁ?」
「後輩」
「それはそーかも。他には?」
「仲間」
「うーん、普通です。――あ、ふふふ」
くるくると表情を変え、くるくるとソウジンに纏わり付きながら「良いこと思いついちゃった」とでも言いたげに笑う。
ラブリィが面倒くさいのはいつも通りだが、こうして隣に立ったり前に来たりとされていると歩きにくくてたまらない。振り払うのはさすがに可哀想なので、しょうがなくされるがままでいる。心底楽しそうなラブリィとは対象的に、ソウジンは仏頂面だ。こういう時はおやつに限るが、まともに昼食を取ってデザートも食べたので間食の気分ではなかった。いくらソウジンでも、いつでもどこでも食べ続けているわけではないのだ。
「ソウ先輩ソウ先輩」
「ああ」
「私って先輩の後輩ですよね?」
「まあな」
「後輩、ですよね?」
「そうだな」
「私って先輩の何ですか?」
「後輩」
「先輩先輩」
「可愛いって言ってもらっていいですか?」
「可愛い」
「私は誰です?」
「ラブリー」
「あ、やばっ。ちょっと違ったけどこれはこれでアリかも……」
「可愛い後輩だよ、お前は……」
「~~っ!」
悶える女を放置し、ソウジンは遠くを見つめる。
壁を越え、街を越え、国を越え。男が見つめるのは過去。遠く置きざりにした記憶の残滓。
後輩と呼べるような、そんな関係性を男は持っていなかった。
正確には持っていたが失ってしまった。当たり前にあったものが気づいた時には跡形もなく無くなっていて、喪失感を覚える暇すらなく時は過ぎてしまった。
今では思い出として、記憶の一つとしてしか残っていない。虚しさと寂しさに諦観が混じり、目の前にある"後輩"と言う関係性が胸を疼かせる。ほんの少しだけ頬が緩んだ。
自分が思っている以上に、どうも今の環境に愛着が湧いているらしい。
そっと笑って、男は顔を背け歩く女に目を向ける。横から見える頬が赤いのは照れか羞恥か。相変わらず少々の優しさに弱い女だ。
「ラブリー。お前は俺の同僚であり後輩であり、一応仲間でもある」
「い、一応ですかっ。あ、だめだめ。今ちょっとだめです。顔見ないでください」
「危険だとわかっている場所に飛び込みたくはないが、これも仕事だ。どんな子供だろうと、警備兵として約束をした。だから行く。俺一人ならどうとでもなるんだが……お前も来るんだろう?」
「当たり前です。拒否されても付いて行きますからねっ。――ちょ、だ、だから顔見ちゃだめって言ってるじゃないですか!」
「お前、顔真っ赤だな」
「わああああ! だからだめって言ってるのに! ソウ先輩のばか! 変態! えっち!」
どうでもいい罵倒は無視して。
「お前が来るなら話は変わる。今回は嫌な予感もするからな。少し保険をかけておこうと思う」
「え、嫌な予感とか言わないでくださいよ。ん、保険?」
「あぁ。お前には言っていなかったが、俺は
「約定?――ぇ、も、もしかして軛錠ですか!?」
それは枷であり、縛りであり、呪いであり、誓いである。
自らの行動に制限を設け、軛錠を解くときは宣誓を行わなければならない。
この宣誓を破った場合、術者は己の仕掛けた軛錠に永劫縛られることとなる。
「正気ですか!? 軛錠なんてしてる人見たことないですよ……えっと、ちなみに何を封じて?」
「魔力」
「わああ! わぁ……ソウ先輩、だから肉体強化全然しなかったんですか」
「ああ、微量の魔力なら使えるがな。肉体強化も魔法もほとんど使えん」
「あの、頭大丈夫ですか?」
真顔で心配されるとそれはそれで妙な感覚になる。ラブリィに心配されるほど柔なつもりはないが……。
「気にするな。俺が勝手に掛けた自己満足でしかない。それに今回は、その軛錠を解く宣誓をしておく」
「先輩が言うならいいですけど……。私、全然軛錠について知識ないですよ。誰でも使えるけど使ってる人めったにいない、みたいな?」
「お前の言う通りだな。宣誓については知っているか?」
「ぜーんぜん。教えてくださいな♪」
「構わんが――と」
歩き話もそこそこに、貧民街中部に差し掛かったところで軽く槍を振るう。
ぐしゃりと、重い物が壁にぶつかる音。
「宣誓は軛錠を解くのに必要なものだ。所詮軛錠なぞ自己暗示に過ぎないが、自己暗示だからこそ必要なんだ」
「ふんふん、なるほ、どぉ。魔法と一緒、ですね?」
会話は止めず、細やかに動く槍と飛び交う魔弾が景色を彩る。
「自己暗示をより確かな形とするため、軛錠を掛ける段階で言葉にする必要がある。解く時も同様だ。俺の場合、魔法制限の軛錠と魔力制限の軛錠を掛けてある」
「ちょっ!? え、に、二個ですか――わわ」
「油断するな」
「う、はぁーい……えへへ、守ってくれてありがとうございますっ」
照れりと笑うラブリィから目を逸らし、背後に一閃。
正面、背後、屋根上、稀に建物内。
警戒先は多く、意識と視野を広く持って槍を動かす。手加減はそれなりに。見極め自体は簡単なので、誤って殺さないよう注意する。
「話の続きだ。今回は魔力制限の軛錠を解く。俺の宣誓はそう大したものじゃない。ただ――――」
ソウジンの言葉は耳を寄せたラブリィにのみ届き、神妙な顔で彼女は頷く。
何か問おうとして口を開け、男の顔を見てすぐ閉ざす。
「ラブリー?」
「ふふ、いーえ。なんでもないですー。それより先輩、さすがにもう無視できないと思うんですよね、私」
「ふむ……」
頷き、槍を回す。
背後を打ち据え、石突は前で跳ね上げ浮いた肉体を蹴り飛ばす。前方を巻き込み倒れた集団を無視し、路地から飛び出てきた相手を穂に近い柄で弾いた。
叩き付け、弾き、打ち倒す。
作業のように襲い来る相手――貧民街の住民を処理していく。もちろん殺しはしない。
「死ねや犬ぅぅべば!!」
叫び突貫して来る相手は額に穴を開けさせてもらう。
一突一殺。効率良く進めよう。
「ラブリー」
「はいはーいっ、先輩愛しのラブリィちゃんです」
「住人の洗脳を解くことはできるか?」
「いつも通り右から左、と。魔法の解除は無理そうですねー。全体に満遍なく弱い魔法使っているっぽいので、一人二人解いても火魔石に水ってやつです」
「そうか。なら上書きはどうだ?」
「できそうですけど、魔法抵抗力低いと廃人になりますよ? ここの人は……割合聞きます?」
「いやいい。となると……」
どうするか。
考えつつ手は動かす。
住民に刃は立てず柄で弾くことを意識する。相対する敵の数が多い分、こちらは余計な動作を減らしワンアクションで二人以上を削らなければならない。
効率的なのは柄に引っ掛けた人体で周囲をまとめて薙ぎ倒すことだ。上手くやれば一振りで五人は倒せ、ついでに振り回していた武器(住民)を投げればプラス数人は対処できる。
投げ槍は強いが高確率で相手を即死させてしまうので、この場面では使えない。
面倒なのは殺していい相手と殺してはいけない相手が混じっていることだ。
貧民街の住民には不殺を心掛け、定期的に出没する身体が罅割れた人間――死霊術による産物――は確殺を心掛ける必要がある。
どんな理由でゾンビを生み出したのか知らないが、見た目と理性を生前のまま保ち、明確な意思を持って攻撃してくるとは結構な高位魔法を使っている。
「……違うか」
順番が逆だ。死者を素材にしたのではなく、生者をそのまま死霊魔法の贄にしたのだろう。それならば軽快に動く意志持つゾンビを作ることも容易い。ソウジン、というより国の犬(警備兵)に敵意を持つよう意識を誘導することもローコストで可能となる。
犬犬犬と叫び突貫してくるゾンビの首を刎ね、鈍く動く胴体と空中の頭部を串刺しにして振り捨てる。同時に地面を踏み、石突を前にして住民を散らす。
槍の使いやすいところはやはり攻撃範囲の広さだろう。
刃がなくとも棒として充分に役立つ。左右に振り払いながら進めば前方の人間は粗方片付けられた。少々乱雑だが死にはしないはず。大小の怪我なら許容範囲内だ。
「ラブリー、走るぞ」
「もう走ってるじゃないですか!」
「遅れた。俺の後ろから離れるなよ」
「きゃふふ、はぁーい。ぴったりくっついてまーすっ」
言葉通り男の背に温もりが広がる。
ソウジンが眉を寄せる中、ラブリィは魔法を使って男の背中にくっついていた。背中合わせに空気椅子、大きな背もたれに甘えて体重を掛け、ぷらぷらと足を揺らし流れる景色に魔法を込める。
詠唱はない。結局詠唱なんてものは、魔力を制御し魔法に変換するための安定剤みたいなものなのだ。自前の魔力制御力をたっぷり持っていれば長ったらしい詠唱など必要ない。さすがに魔法名は必要だけどねー、と思いながら女は呪文を呟く。
片手に魔導書を持ち、宙空に指を走らせ照準を定める。
幅は広く、ソウジンの後ろを走って追いかけてくる人間をまとめて捕まえられるように円を描く。
指先に魔力を込め、狙った位置に。
「竜巻注意ぃ、なんちゃって♪」
ひゅるりと音が鳴り、貧民街に風が吹き荒れる。
足を奪い、ぐるぐるとその場に集め留め巻き込むような強い風。肉体強化の使えない住民は風に煽られ地に倒れ伏し、宙を舞って風で作られたクッションに落ちていった。怪我は少なめにと意識したラブリィだが、通り過ぎ際の人々が結構なボロボロ具合で苦笑してしまう。
先輩やり過ぎかも、と思うが仕方ない。見たところ命に別条は無さそうだし、打撲くらいなら我慢してもらうしかない。魔法で操られた自分自身を恨んでもらおう。
「ラブリー? 後ろは大丈夫か?」
「きゃはは、大丈夫ですよぉ。ソウ先輩は真っ直ぐ走ってください」
「そうか。なら速度上げるぞ」
「え、ちょちょ、わわっ。わ、せんぱぁい、すっごくはっやぁ……きゃふふ、早過ぎませんかぁ? ふふ、んふふ♡」
「余裕だな、お前」
少々脱力しそうになるが、後ろの心配はいらないかと前だけに注力する。
かなり速度を出せるようになったため、槍を振るうのはやめて前方上空に投げる。軛錠の宣誓は行ったが解錠キーワードは発していない今、まだ魔力を潤沢に使うことはできない。
しかし、セーブしていた脚力を全開にすることはできる。
「犬うううぅぅぅぅ――ぅ――」
「俺が先にぃぃぃ――ぃ――」
「負けねぇぇぇ――ぇ――」
すれ違ったゾンビの声が薄れ、途中から断末魔に切り替わった。何やら競争しているようにも聞こえたが気のせいだろう。
洗脳された住民はちょうどいい踏台にさせてもらい、建物の壁を蹴って縦横無尽に前を目指す。一度屋根上にも登ったが、より多くのゾンビが待ち構えていたので即座に断念した。
壁と地面(人の頭)を交互に走り抜け、風を切って風に押され街を行く。
「きゃはっ! きゃはは! せんぱーい! これちょー楽しいかもっ!!」
騒がしさは普段の数割増し。
さすがにこの移動で背中合わせはきつかったのか、途中から首に両腕が回され背中の体温も数割増しになっていた。暑苦し鬱陶しい。やたら柔らかな胸が背中で潰れて酷い密着感だ。この国が温暖な気候であることを嫌に思ったのはこれが初めてだった。いや嘘だ。既に数十回は思っている。
「ラブリー。住民は殺すなよ」
「ええー、それ私の台詞なんですけどぉ」
抗議は無視。
足を止めず街を駆ける。向かう先は……向かう先は?
「せ、ん、ぱぁい♡……きゃふふ、ソウせんぱぁい。ね、こうやって密着されて……耳元で私の声聞くの、好きですよね?……ふふふ、ふぅぅぅー……って息吹きかけられるのも……ソウせんぱい♡ ソウせんぱい♡ って甘えた声で名前呼ばれるのも……あっ♡ もしかしてぇ……ソウジンさん♡ って呼んだ方がよかったですかぁ? きゃふふ――んきゅ」
「ふむ……」
「いひゃぁい。もぉー、舌噛んじゃったんですけどー。急停止するのやめてもらえますぅ?」
「なあラブリー」
「んぅー、はいはぁい。可愛い可愛い後輩のラブリィちゃんですよぉ?」
「小声にしなくていいんだが……それより」
「はぁーい」
周囲を見渡し、削れた石壁や石畳が摩耗し雑草の生えた地面を見る。
あれほどいたゾンビは消え、貧民街の住民も鳴りを潜め姿を隠した。前方に広がるのは薄暗い石の通路。首を回し、顔がラブリィの髪に引っかかったのでやんわり払いのけ、背後に前方と同様の景色が広がるのを確認する。
見上げ……薄闇に満ちた高い
「――ここは、どこだ?」
男の呟きは、暗がりに溶けて消えていった。
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