五話、昼食と依頼(+デザート)。

 給金の少ない王都内巡回警備兵ではあるが、中には生活に余裕のある者もいる。


 例えば副業で稼いでいる者。(犯罪含む)

 例えば賄賂や着服で稼いでいる者。(犯罪)

 例えば実家が金持ちな者。(犯罪ではない)


 勘違いしてはいけないが、これらは皆王都警備隊に所属する者を指している。誇張ではなく現実に、それもそれぞれ複数人である。

 ちなみにラブリィは三つ目に当たる。


 王都警備兵の現状はさておき、貧民街から東大通り屯所に戻ったソウジンは異常報告と捕虜の引き渡しを行い、昼休憩と街中を歩いていた。


 武具は屯所に置いたまま、上着を脱いで適当なコートを羽織れば初見で警備兵と見抜ける者も少ない。


「ソウ先輩っ、きゃふふ、今日はですねー。ソウ先輩の好きなものを食べに行っちゃいまぁーす!」

「そうか。俺は何でも好きだが」

「はいぶー、そういうのだめでーす。結局先輩、私のことおんぶも抱っこもしてくれなかったじゃないですか。ちょこっとくらい私に付き合ってくれてもいいでしょ? ね、先輩?」

「それはそうだな……」


 隣を歩く元気な女。

 男と同じく警備兵の上着を脱いで、緩い白のコートを羽織った姿は兵士に見えない。どこにでもいる、可愛げな普通の街娘のようだ。

 身体を傾け少々上目遣いに、意図的な表情と意識的に見せてくる重そうな胸が普通とは違うか。


「あっ、せんぱーい♪ 私の胸、見てましたぁ? きゃふふ、もう、見たいなら見たいと言ってくれればいいのにぃ。せんぱいになら……♡ もーっとすごいところ、見せてあげますよ?」

「……」


 囁いてくる女に勢いで「それより飯を」と口走りそうになったのを抑える。

 貧民街から帰ってくる時、捕虜を四人も引き連れることになったせいでラブリィには魔法を持続してもらうしかなかった。ソウジンが持ち上げて連れてきてもよかったが、完全に手が塞がるのはリスキーだったためラブリィの魔法を活用した形だ。


 だがそれは、帰りにラブリィを背負うという約束を破ることでもあった。……いや、そもそもそんな約束したか。適当な会話をしていただけのような気もする……まあいいか。


「すごいところ、とはどこだ?」

「へ? え、ええっと……」

「目が泳いでいるぞ」

「せ、先輩か、顔近い、近いですよぉっ」

「お前から近づいて来たんだろう」

「あ、わっ、い、息がかかってますけど? だ、だめ。くちびる近いです……ぁぁ、うう、え、えっ、い、今ですか? ぁ、えっと……そ、その、お、おねがいします……」


 目を細める。

 ラブリィの熱が顔に伝わってくるようで、甘ったるい声に甘い香りが鼻をくすぐる。食後にフルーツも悪くないか。チップスも悪くないが生ものは生ものでうまいのだ。普段は高いから食わないが、考えていたら腹が減ってきた。フルーツデイ。良い日だ。


 頭の隅で別のことを考えつつ、気配を探り魔力を探る。


「――つけられているな」


 そっと女の耳に口元を寄せ囁く。


「ひみゅぅ」


 か細い妙な声が聞こえたが無視。

 せっかくの昼飯前だと言うのに、なかなか高度な隠密魔法使いに尾行されている。


 面白い、いや面白くはないが、興味深いのは高度な魔法と対照的に稚拙な隠密の技術だ。

 隠密と言うのは、ただ魔法で隠れればいいというわけではない。魔法で隠せるのは魔力や姿形、音や匂い、体温などの生物的なものが多い。逆に気配や空気の流れ、感情の発露などの超然的なものは隠せない。卓越した魔法使いなら話は変わるかもしれないが、そうそういるものでもない。


 つまり今回の相手は、魔法に長けた尾行の素人となる。

 気配はだだ漏れ。空気を見ずに人にぶつかりそうになれば慌てて動いているのが丸わかりだ。特に殺意は感じられないが、尾行されて気分が良いものでもない。


 どうするか。


「ラブリー……ラブリー?」

「ひゃぃぃ」


 顔を見れば耳まで赤くして鳴き声をあげる女の姿が。


「……はぁ。もう行くぞ。お前の案内が必要なんだから頼むぞ」


 返事は言葉にならない言葉だけ。

 いつもあれだけからかってきておいてこの醜態はと問い質したくもなる。ソウジンにしては珍しく感情的に溜め息を吐いた。金がないこと、飯が食えない時以外の溜め息などそうそうない。


 背後の素人尾行は無視し、しょうがなくラブリィの手を引いて歩き出す。

 ふらふらと倒れそうな同僚を支え、彼女が冷静さを取り戻すまでしばらく。昼食の時間が遅くなったことは、言うまでもない。

 

 

 

「うぅ、先輩ごめんなさいぃー。そろそろ機嫌直してくださいよぉ」


 ちらり。


「ちゃんと美味しいご飯食べにきたじゃないですか。ね、美味しいですよね?」


 ちらり。


「ソウ先輩の好きなもの選んだんですよ? や、なんでも美味しい言いますけど、一番はスープじゃないですか。私、よく見てるんですからっ」


 ちらり。


「て、ていうか先輩もいけないんですよ?いきなり私に……その、ちゅー、してきたから……」

「それはしてないだろ」


 コトリと皿に匙を置き、鬱陶しく視線を投げてきていた女を見つめる。

 男、ソウジンの言葉を受けて女、ラブリィは目を逸らした。


「きゃ、きゃはは。先輩ったら嘘はよくないですよぉ?」

「嘘はお前だ。妄想は結構だが俺を巻き込むのはやめろ」

「うぐ、先輩めっちゃ辛辣……」


 しょんぼりと肩を落とす女に少々の罪悪感が湧く。

 目を落とし、手元の具沢山スープを匙でかき混ぜる。


 場所は王都東大通り大衆食堂の一つ。食堂の中でも少々値の張る、富裕層向けの食事処だ。客層もどことなく上品な人間が多く見える。


 ソウジンの頼んだ肉野菜スープは水を一切使っておらず、野菜の水分だけで肉と野菜を煮込んだ代物だった。ごろごろと大きな肉が入り、小ぶりな丸芋がそのまま入れられている。溶けた野菜のうま味が具材に染み込み、追加で頼んだ米によく合う。


 匙に米を載せスープに浸せばそれだけでうまい飯の出来上がりだ。普段のソウジンならこのスープと米で食事が完結している。


「……確かに、そうか」


 呟く。

 嫌いなものなどなく、ほとんどのものをうまいと感じるソウジンにとって食事は最低限調理さえされていればなんでもよかった。

 だが、ラブリィの言ったようにスープが好きであることもまた正しい。余すところなく食材を食べられ、無駄にせず栄養を取れる。それでいてうまい。自分一人ではそもそも多くの食材を取り扱う機会がないため、こうした具沢山うま味スープは御馳走であり、選択肢としては最上だった。


 普段食べないせいで、贅沢品のありがたみを忘れてしまっていた。


 ラブリィに悪気はない。どれもこれも俺を楽しませようとしての行為だと思うと、ひどく悪い言葉を言ってしまったような気がしてくる。


 言葉を交わせるうちに、感謝は伝えておいた方が良い。

 王都内の警備兵とはいえ、俺も彼女も、いつ死ぬかわからないのだから。


 ソウジンは考えをまとめ、スープを一口飲み、その美味しさにうめぇと声を漏らす。


「ラブリー」

「は、い……」

「悪かった。少し言い過ぎた。スープ、うまいよ。連れてきてくれてありがとう」


 不器用な言葉で、たどたどしくも真正面からお礼を告げる。

 ラブリィは下向きにしていた顔を上げ、目を丸くして、それから元気よく華やかに笑い。


「ふふふ、きゃふふ、どういたしまして! ソウ先輩っ、私のスープもちょっと飲んでみます?」


 問いかけてくる同僚に、男は軽く頷いた。

 スープのうまさと、罪悪感と、感謝と。色々あったが何よりこの食事、ラブリィの奢りなのだ。人の金で食う飯以上にうまいものはない。普段食わない飯を、後輩の金で食う。あぁ、王都の平和のなんと尊いことか。


 素晴らしき我が警備兵生活。これでいい。これがいい。


「――――ぁ、あの」


 楽し気な会話(ソウジンの食歴)をしていた二人に、控えめな声がかけられる。

 幼く、躊躇いがちな声。


 ラブリィと目線を交わし、どちらが対応するか決める。ソウジンはスープを食べていたかったのでパスだ。ラブリィも本音では一緒に食事を楽しみたくパスしたかったが、ここには二人しかいない。しょうがなく顔を横に向け、そわそわした様子の少女を見つける。


 肩までの茶髪に黒の瞳、砂色のコートで隠してはいるが制服を着ている。ラブリィは微かに目を細め、見知った服に疑問と納得を覚える。


 背は低く、体形もちんまい。

 見た目通りなら年齢は十二か十三か。学園の小等部、中等部に通っている年頃だろう。見た目通りなら。


「お嬢ちゃん、お姉さんたちは幸せ家族計画のお話をしていたの」

「えっ」

「ね。わかったならどこか行きなさい。ばいばーい」

「あの……えと……」


 にこやかに微笑む女と困った顔の少女と。

 一人スープを食べていた男は空気を察し、仕方なく口を開ける。


「ラブリー。周囲に音消しの魔法を」

「む、なんんんむ!?……んふ、んふふー、せんぱーい、間接ちゅーですね?」

「わかったから早くしてくれ」

「きゃは、はぁーいっ」


 文句を言いそうな口には芋を載せた匙を突っ込んでおく。

 きゃぴきゃぴニコニコな女に魔法を任せ、ソウジンは立ったままの少女に意識を向ける。


「座るといい。立ったままでいられるとこちらの居心地が悪い」

「ぁ、す、すみません……」


 少女を座らせ、「止める風の昇り風」と聞こえてきた段階で話を始める。


「ずっと俺たちをつけていただろう」

「それは……はい。気づいていたん、ですね」

「ああ。ラブリーも気づいていただろう?」

「えっ? あ、ええはい。もちろんですよぉ。やだなぁソウ先輩ったら、ふふふー」


 聞かなかったことにして。


「何故俺たちをつけていた?」


 ソウジンとラブリィのやり取りに目を白黒させつつも、少女はこくりと頷く。


「えっと……順番に、お話させてください」

 

 

 一つずつと、少女がゆっくり話をしていく。


 曰く、事の発端はリリジン王国王都より西に川を越え、南北に長い山脈の手前に築かれた魔法都市にある。


 少女、カルフィナは魔法都市に建てられた王立リリララ魔法学園の生徒だ。

 どうしてそんな、魔法学園の生徒が王都まで来ているのかというと、学園所属の教師の一人が魔法の実験に失敗したことから始まる。


 魔法実験の失敗も問題だが、それ以上に教師の取り組んでいた研究が問題だった。


 魔人族の魔法。

 人間と敵対している種族である魔人族の魔法を研究し、改良再現を試みた結果失敗した。それも周囲の空間に歪みを与えての大失敗だ。


 魔人族の魔法が残す影響はもちろん、強引に改良したものが何を引き起こすかなぞ誰も知るはずがない。結果、生まれたのはダンジョンであった。


 ダンジョンというのは魔力が溜まり生じたコアから自然発生するものもあれば、人間や魔人による恣意的なものも存在する。どちらにせよ生物に有害な魔物を生み出すことが多いので、見つけ次第踏破破壊するのが基本だ。


 何がどうなったのか、現在学園付近ではそのダンジョンが散発的に生じる事件が起きているらしい。

 教師や優秀な生徒が積極的にダンジョン破壊へ動いているも、発生したダンジョンすべてに対処できているわけではない。


 ダンジョンそのものの種類が豊富で、中には異次元空間型や空間分離型も存在する。それらのダンジョンは、ざっくり特別な手順を踏まなければ攻略し切れない代物を指す。


 対処の遅れも問題ではあるが、それ以上にカルフィナにとって大きな問題があった。


 それこそが、彼女の兄、ガフィンに関わるもの。

 ガフィンとカルフィナはそれぞれ次元魔法、空間魔法の使い手としてダンジョン捜索に加わっていた。次元魔法と空間魔法の差は、大雑把に遠い場所を次元、近い場所を空間と捉えれば良い。

 ダンジョン捜索の最中、突発的に生じたダンジョンに巻き込まれカルフィナが取り込まれそうになる。そこをガフィンが救い、代わりに取り込まれてしまった。


 現在ガフィンは行方不明で、学園の教師や実働隊として動いている生徒の面々にも捜索を掛け合ったが芳しい返事は得られなかったと言う。

 とりわけ並みの教師以上に優秀な生徒の集まり、生徒会には何度も頭を下げたが、あまり教師たちと反応は変わらなかった。


 カルフィナは空間魔法の他に占星術も学んでおり、一縷の望みを懸けて占いを頼りに王都へやって来た。そこで占い通りに、東大通り警備隊屯所を出る"朝焼けと夜空"の二人――ソウジンとラブリィを見つけたのだ。

 

 

「――これが……私がここにいる理由、です……」


 ソウジンは短く瞑目し、自身の短い髪を触る。

 顎を撫で、小さく「朝焼けか」と呟いた。


 この男、くすんだ金髪を額が出るほどに短く切っている。

 瞳は暗い砂の色。背は平均的で痩せ型。限界まで絞られた肉体は頑丈だが、服の上からだと一般人より遥かに痩せて見える。というか貧乏生活のせいで普通に痩せている。鍛えているから脂肪がなくやたら細く見えるだけである。髪の毛と目の色を合わせ、かろうじて「朝焼け」と呼べるかどうかといったところだ。


 薄い眉を寄せ髪を撫で朝焼け、と再度呟く。ついでに前を見てラブリィの髪を見、胸中で夜空と呟く。そちらには納得がいった。だが朝焼けには納得がいかない。


「きゃふふ、先輩朝焼けですってっ。夜空と朝焼けだなんて、私たち相性良さそうですねー」

「俺が朝焼けに見えるのか?」

「もちろんですよぉ。ソウ先輩は完璧に朝焼けです! 夜空な私とぴったり! 相性もこれ以上ないほどぴったりで……あ、せんぱーいっ♡ きゃはっ、先輩今、私とのどんな相性想像しましたぁ?」


 ニコニコにやにやと笑いながら聞いてくるラブリィに、男は短く答える。


「何も」

「きゃふふ、ナニ・・も、だなんてえっちな先輩なんだからぁもう♡ 想像じゃなくたって、いくらでも私にえっちなこと頼んだっていいんですよぉ? んふふ、お願い聞いてあげるかどうかは別ですけどねー?」


 雑な言葉に対する返事が強力になっている。

 煽りが低レベルなのはいつも通りだが、適当な返事を勝手に解釈して放り返してくるのは予想外だ。まあこれ以上相手にはしないが。


「俺とラブリーがお前……カルフィナだったか。カルフィナの占術に近しいことはわかった。確かに俺たちは午前の内に貧民街でダンジョン産の魔物に遭遇し討伐した」

「じゃ、じゃあやっぱりっ!」


 ぱぁっと表情を明るくする少女に、男は首を振って伝える。


「俺たちは所詮ただの警備兵でしかない。学園の教師や戦闘技能に優れた生徒には敵うまい。ましてや行方不明のダンジョンなぞ見つけられるわけがない」

「そん、な……」


 悲しげに顔を俯ける少女の肩に、男はそっと手を置く。潤んだ瞳がソウジンを見上げた。


「――昼過ぎに、俺たちはもう一度貧民街に行く予定だ」

「……それは」

「見つかるかどうかはわからない。期待はするな。仕事のついでだからな」

「え……っと……」


 なんとなく男の言っていることはわかったが、ぶっきらぼうな口調と敢えて明言しない言葉選びに確信が持てなくて、少女は困りがちに視線を彷徨わせる。


「にひひ、カルフィナちゃん。この人ほんとに不器用なんだよねぇー。探してあげるなら探してあげるって言えばいいのにね。でもそういうところがソウ先輩の良いところでもあるの。……だからね、お兄ちゃんのこと、私たちに任せなさい」

「ぁ……えと……えっと、あの……ありがとう、ございます!」

「うんうんっ、明日の……んー、先輩、いつがいいですか?」

「昼だ」

「りょーかいです。カルフィナちゃん、明日のお昼にまたここで会いましょう? それでいいかな?」

「は、はいっ」


 少女カルフィナと約束を交わし、その後昼食も共にして一時別れることとなった。

 再会は明日。振り返り振り返り歩く少女からは、出会った当初よりも元気が出ているように感じられた。


「ソウ先輩ソウ先輩」

「何だ」

「前から思ってましたけど、先輩子供には優しいですよね?」

「ああ」

「わ、珍しく断言。なんでですか? 私にはきつく当たるのに?」

「子は宝だ。俺たちを超える可能性を持った宝物なんだ。カルフィナが子供である限り、俺が大事にするのは当たり前だろう」

「……先輩を超えるのはたぶん普通に無理だと思うんですけど」

「可能性は無限大だ。それと、お前にきつく当たるのはお前が特別だからだよ、ラブリー」

「えっ」


 カルフィナを見送り、他人の金でうまい飯を食べた今のソウジンはとても機嫌がよかった。当然カルフィナの食事代もラブリィ持ちである。


 珍しく心上向きな男のセリフに、女は目を見開き立ち止まる。


「ラブリー、どうした?」


 振り返る男の目を見て、若干緩んだ口元を見て、嘘偽りなく冗談の欠片も感じさせない表情を見て。


「な、なんでもないですっ」


 ラブリィは、自身の顔が急速に熱くなっていくのを感じてしまう。


 別にきっとたぶん、ていうか絶対ソウ先輩そんなつもりで言ってないだろうけど、でも「特別」はずるいと思う。ずるいずるい本当にずるい。いつも適当にあしらってまともに話聞いてくれないのに、不意打ちみたいにそんな顔でそんなこと言うなんて……本当、ずるい人。


 まとまらない思考を強引に振り払い、高鳴る胸を無理矢理に抑えつけ小走りで男の隣に戻る。

 顔が熱いのはしょうがないし、それより何より今はすっごくソウ先輩の隣に居たい気分だった。


 だらしなく緩む頬をそのままに、ラブリィは男の名前を呼ぶ。


「ソウ先輩ソウ先輩っ」

「あぁ」


 今はこの人の、自分に向けられた表情一つ声一つでさえ嬉しくなってしまう。

 私ってだめだなー、なんて思いながら、女は笑っていつものように、いつも通りに話を始める。


「さっき話の続きですけど――」


 二人の会話は雑踏に紛れ消えていく。

 毎日繰り返してきた、いつもと変わらない日常の一幕。


 訪れた波は未ださざ波のごとく、足元を掬うことさえない。だが誰一人――――否、ただ一人。


「――……まあいいか」


 たった一人、既に足元の小波が大きなうねりになりつつあると予感していた男、ソウジンを除いた誰一人が、到来する脅威の一切を理解していないのであった。


「先輩? どうかしましたか? きゃふふ、もしかして私に見惚れちゃってたりぃ? ふふふー、今の私は機嫌が良いので、見るくらいならいくらでも許してあげちゃいますよぉ?」

「悪いな。デザートについて考えていた」

「はぁ、またご飯ですか。さっきいっぱい食べたじゃないですか。私のお金で」

「ラブリー」

「はぁい――ち、ちかいちかい! ソウ先輩近いですっ! ななな、急になんですか!?」

「ラブリー」

「はぅ、は、はい……」

「頼むよラブリー、デザートを奢ってくれ」

「……」

「食後のデザートは大事だ。俺は果物が食べたい。果物の気分なんだ」

「…………」

「一緒に食おう。二人で食べればうまさも二人分だ。だろ?」

「……なにが――」

「待て。言いたいことはわかる」


 頬を膨らませて声を荒げようとするラブリーを制止し、ソウジンは深く頷く。無駄に真剣な面持ちを見た女は、一時怯んで言葉を止めてしまった。


「先に俺の言葉を聞いてから文句を言ってくれ」

「……わかりました。はやく言ってください」

「――デザートを奢ってくれたら、お前の願いを一つ聞こう」

「!?!?」

「さあ、食べに行こう」


 目の色を変える後輩に、先輩の男はニヤリと笑った。


「ど、どんなお願いでもですか!?」

「無論だ」

「嘘じゃないですよね!」

「当然だ」

「……でも先輩、似たようなこと言って何度も誤魔化してきたような」

「今回は本当さ。俺を信じろ。お前の先輩である、この俺を」

「……わ、わかりました! きゃふふー、デザートですねー! ふふふ、おいしいの二人で食べますよー!」

「ああ」


 この後輩やっぱちょろいなぁと思いながら、ソウジンは警鐘を鳴らす直感を無視する。

 どうせ自分一人動いた程度で変わることなど何もないのだ。


 場当たりで良い。多くを抱えてすべて取りこぼすのは御免だ。助けたいと、守りたいと思ったものだけ救えればそれでいい。

 そのためにソウジンはここ・・を選び、貧乏警備兵なんてものをやっているのだ。まあ楽だからというのも理由の大部分ではあるが。


 これから何が起こるのか、明日がどうなるのか、既に何か起きているのか。

 

 わからないことだらけの状況で、男は覚悟とも言えない適当な決意を固める。


「とりあえず、首にならない範囲で頑張るか……」

「んー、何か言いましたー?」

「いや何も。二人でデザート食って二人で頑張るか、とな。ラブリーがいた方が飯はうまいからな」

「せ、先輩っ」

「飯も無料になるしな」

「ぜっっったいそっちが本音!!」


 ぷりぷり怒るラブリィをなだめながら、ソウジンは軽く笑う。


 日は未だ高く、空には薄雲一つかかっていない。

 リリジン王国王都に流れ込む人波は途絶えることなく、計五つの門から延々と吐き出され続けている。


 太陽の眩しさに目を細め、長い人混みに怠さを覚えながらも二人は器用に並んで歩いていく。人とぶつからず、人にぶつかられず速くも遅くもない足取りで。


 無愛想なソウジンと並び歩くため、こっそり人除けの魔法を使ったラブリィが悪戯っぽく笑みを浮かべてこちらを見ていた。首を振り、どうでもいいと思いつつも歩調は女に合わせる。


 ご機嫌ニコニコ顔の女と、眉間に皺を寄せた男と。 

 晴天に浮かぶ日に見送られながら、朝焼けと夜空の二人はデザート求めて飲食店に入って行った。

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