三話、貧民街のチンピラと老人。

「? あれ先輩ついてきてない。……先輩? せんぱーい? どうかしました? きゃふふ、もしかして私に見惚れちゃいましたぁ?」


 前を行くラブリィが戻ってくる。可愛らしくからかってくるが、ソウジンには効かない。


「いや腹が減った」

「……さっきまで食べてませんでした?」

「そうだな。だが小腹がな」

「……お腹減ったならおやつつまんでてくださいよ。ほら行きますよー、食いしん坊せんぱい」

「ああ」


 言われた通りに、海藻をつまみながらラブリィの後ろについて走る。


 迷路のように複雑な路地裏は壁を蹴って屋根に上がり、トントンと跳ねて低い空を駆けていく。


 目立たないよう高さは抑えて前方に跳び進む。その分距離は稼げるが、屋根に激突しそうな危なっかしい状況も幾度か出てくる。

 フリフリと揺れる濃紺の尻尾が前に流れ、そういえばそうだったなと思うことがあった。


 ここ一年ほど、警備兵が関わる大捕物や大規模な戦闘はなかった。それこそ王都に紛れ込んだ賊の集団を捕らえた時以来だろう。あの時は帝国の間諜やら貴族の権力闘争やら、色々な問題が絡まる結構な事件だったと聞く。

 ソウジン自身は事件の中心に関わることはなく、逃げ出そうとする賊を捕らえて国に突き出して仕事を終えた。当時はまだラブリィと組む機会もなく――というより、ソウジンが完全なソロプレイヤーだったため誰かと組むことはなかった。


 兵士長のタイメイが先んじて事件の大きさを予見し、ラブリィとソウジンを組ませたことが発端だった。

 盗賊とはいえ相手も少しは知恵の回る賊で、中には兵士崩れや他国の特殊部隊もいたはず。ラブリィと言う女は、そんなそこそこ使える奴ら相手に善戦し、危なげなく動き回っていたのだ。


 揺れる尻尾のような髪を見て、ぼんやりとした記憶が甦る。

 大立ち回り、ソウジンを煽るラブリィ、爆炎、ソウジンを煽るラブリィ、悲鳴、叫喚、怒声、赤血、それと――――。


「――ソウ先輩?」

「あぁ」


 名前を呼ばれ意識が引き戻される。

 目の前の顔を見て、吸い込まれるような紫青の瞳を見つめ返す。潮の香がする。これは海藻の匂いか。


 思えばこの女は、別に守ってやらなければと思うほど弱い人間でもなかった。大抵の敵なら問題なく対処できるだろう。大抵じゃない敵が出た時はさっさと逃げるに限る。ラブリィ一人逃がす程度、自分ならば優に熟せるのだから。


「どうかしましたか?――あ、もしかして私に見惚れちゃってたり?」

「別にそれで構わんが……あのナイフ男、貧民街で相談事か?」


 ラブリィの発言は適当に流し、太陽の下、建物同士の隙間から地面を覗く。


「――聞いてねぇぞ! この辺の兵士は雑魚ばっかりじゃねえのかよ!?」

「俺に言うんじゃねえよ……その女の服装は?」

「あぁ!? 警備兵だよクソが……!」

「警備兵なら全滅してただろ?」

「警備兵一人ならてめぇでどうにかしろよ。今度は俺らが殺されるっつーの」

「ギャハハ、てめえが連れてきたんじゃねえの?女に逃げられただけだろ雑魚がよぉ!?」

「殺すぞてめぇ!?」


 わいわいがやがや、ずいぶんと楽しそうに殺伐としている。それにしても。


「……ラブリーの罵倒の方がよっぽどマシだな」

「アレと比べられるのはちょっと……あぁでもソウ先輩が私の方が好きって言ってくれるのは嬉しいかも。ね、ざぁこ♡ せんぱい♡」

「声が甘ったる過ぎて耳が悪くなりそうだ」

「急に辛辣過ぎません?!」


 声量を抑えるつもりのない荒くれ者共に比べ、ソウジンたちのなんと静かなことか。

 むくれるラブリィに頷きかけ、気の抜けている悪漢に奇襲をかける。


 駆け、飛び降り、着地ついでに一人の頭を地面に叩きつけた。

 「なっ」声の途中で二人目の顔を殴り壁に飛ばす。三人目は武器を構えようとする、より先に近づき股間を蹴る。悶絶する相手の顔に追撃をかけ、倒れたところで踏み潰す。四人目は逃げようとしていたので、地面の人間を拾って投げ飛ばし、同時に跳ねて倒れたところを蹴り飛ばす。人の頭蓋は蹴り飛ばすのに手頃で向いている。誰からも共感を得られないのは不思議なところだ。


 状況が落ち着き、屋根上から放り投げておいた槍を掴み、壁にめり込み呻く男を石突で突き飛ばして気絶させる。声がなくなり、同時に背後でスタリと地面を踏む音が聞こえてきた。


「よ、っと。お待たせしました先輩」

「もう終わったが」

「きゃはは、知ってますよぉ。私、ずっと見ていたので。そ、れ、よ、りぃ……♡」


 すすす、と悪戯でも思いついたような顔をしてラブリィが近寄ってくる。


「ソウ先輩。怪我してませんか? 私、頑張ってお手当♡しますよ? ちょぉーっとくらい手が滑って違うところ治療しちゃうかもしれませんけど……きゃふふ、せんぱい? どんな魔法、かけてほしいですかぁ?」


 訂正、この女は隙があろうとなかろうといつでも悪戯を考えしかけようとしてきていた。まともに相手をしてはいけない。適度に反撃しておこう。


「お前こそ足を挫いていないか?」

「へ? 私は大丈夫ですよー。ふふふー、ご心配ありがとうございます。ほらほら、私より先輩の方が」

「そうか。もし足を怪我でもしていたら俺が抱えて連れ歩いたんだがな」

「わぁぁ! 私急に足痛くなっちゃったかもっ。先輩、ソウせんぱーい。抱っこしてください。抱っこ抱っこ。お姫様抱っこでお願いします!」

「兵士長にラブリーが大怪我したと報告しないといけないか……」

「ぐっ……うぅ、ううう……あぁぁぁ、せんぱいのいじわるぅぅ」

「ふっ」


 鼻で笑い、悶えるラブリィを置いて足を動かす。無駄なじゃれ合いにいつまでも付き合っていられるほど暇ではないのだ。

 適当なロープで血塗れの悪漢四人を縛り、すぐさま追いついてきた女にロープの持ち手を渡す。


 これをどうしろと? 顔に困惑を広げて目で訴えかけてくるので、とりあえず魔法で固めてくれと伝えておいた。

 今さらだがラブリィという女、それなりに近接戦闘もできるがメイン武装は魔法だ。補助として小型の魔導書を持っていたりする。ちなみにソウジンは槍を普段使いしている。


 光の薄い開けた会議場を離れ、一つの気配を追う。

 追う相手はナイフ使いではない。ナイフ使いのチンピラならさっき最初に頭を叩きつけた。もしかすれば一番軽傷かもしれない。


 先のナイフ使いはラブリィにすら届かない雑魚であったが、それでもナイフ投げに関しては悪くない上手さだった。急所を狙う正確さに、遠くから勢いを落とさず投げるテクニック。魔法を使えないにしては上手いものだった。


 その辺の兵士と一対一なら距離次第で勝ち越せる程度には強かった。だが、他のチンピラ含めても警備兵の支部一つを潰せるほどじゃない。

 それに、奴らは警備兵を全滅してた・・・と言っていた。全滅させたでもなく、全滅したでもなく、全滅していた。さらに、「俺らが殺される」とも。つまり、奴ら自身が警備兵を殺し回ったわけではないと言える。誰か、チンピラ以外の誰かがいるのだと考えられる。


 ソウジンが追っている気配は十秒ほど逃げていたが、逃げられないのを悟ったのか今は立ち止まっている。

 ただ魔力を感知しているだけなので相手の姿形はわからない。行ってみればわかるのだからどうでもいいか。


 数歩、影を抜けて悪漢の群れていた広場よりも薄暗く広い場所に出る。円形で、出口は正面奥と今入ってきた場所の二つだけ。真ん中に水の出ていない噴水がある。

 貧民街はそれなりに知っているが、こんな場所は初めて見る。


 視界は悪いが何も見えないというほどでもない。

 微かに取り込まれた陽光が地面を照らし、それなりに手入れされた石畳を顕にしている。住宅街にしては高い建物に囲まれ、まるで囲いを作るために家々を並び建てたかのようだ。


「――お待ちしておりました」


 広場の中心、枯れた噴水の前でひっそりと佇んでいた男。背筋の伸びた白い髪の、仕立ての良い服を着た老人。


「あんた、最初に俺から逃げようとしただろう。なぜだ?」

「――申し訳ございません。本来ならばこうして余人と顔を合わせるべきではなかったのですが、私の力量不足により貴方様のお手を煩わせることとなってしまいました」

「逃げられると思ったが、俺が思っていたより速かったと。そういうことか」

「仰るとおりでございます」


 動揺なく言ってのける老人に男は無言を返す。

 隙はない。視線をこちらから外さず、態度には出さないが強く警戒されているとわかる。

 堂々とした立ち振る舞いだけでなく、単純に感じられる魔力も膨大だ。上手く隠してはいるがソウジンの魔力感知からは逃れられない。探知の幅を狭めれば隠蔽した魔力もしっかり感じ取れる。


「なぜ貧民街にいる?」

「主の命にございます」

「あんたの主の名は」

「申し訳ございません。お伝えすることはできかねます」


 眉をぴくりと動かし、改めて老人を見る。

 この老人は主と言った。格好や言葉遣いから察してもいたが、やはり誰かに仕える身らしい。これほどの男が仕える相手となると、ずいぶん身分も高そうだ。貴族、それも相当位の高い相手だろう。チンピラとの関連性は微妙か。


 色々と面倒な相手だ。ソウジンのような一般警備兵が絡めば木っ端のように首にされてもおかしくはない。低賃金とはいえ職を失うのは絶対に避けたい。ここは即座に引くべき……。


「……――」


 と、っと地面を蹴って前に飛び出す。手首を回し槍の穂先を前へ。

 空を裂き、一歩の踏込で老人の目前に迫る。逃げるそぶりは見せず、手足を動かしもしない。魔法かと思えば魔力の励起もない。ならば……。


「……避けないか」

「はい。避ける必要がございませんので」


 額の先に突き立てた槍を引き戻し、距離を取って地面に立てる。

 汗一つかかないとは結構な胆力だ。じっとソウジンの槍の動きを見ていた目も良い。老人にしてはよく視えている。


「あんた、どうせ名も言えないんだろう」

「はい。申し訳ございません」

「なぜ俺たちを――いや、あの男たちを見ていた?」


 屋根の上にいる段階から人間が五人いるとわかっていた。

 真面目に探知はしていなかったからただのチンピラと思っていたが、予想に反してソウジンたち同様別のところから来た人間だったようだ。それも相手は貴族。この件の厄介度がさらに上がった気がする。


「そちらの疑問にはお答えできます。こちらの南南東地区に異様な魔力反応を感知いたしましたため、私が調査に参った次第でございます」

「異様な魔力反応だと?」

「はい。貴方様――東警備隊支部のソウジン様と見受けられますが、ソウジン様が来られる前、南東警備隊支部が損壊する前のお話にございます」


 さらさら説明をしてくる老人によると、事の発端は貧民街で異様な魔力反応が断続的に感じられたからだった。

 その後様子を見に行こうと準備していた段階で南東支部が壊滅し、結果この老人が派遣されることになった。


 魔力反応自体は南東支部壊滅後途絶え、が最新だと言う。


「――私はこれにて失礼させていただきます。状況の把握は中途半端ですが、ソウジン様にならば主も問題なく任せるとおっしゃられるでしょう。よろしくお願いいたします」


 疑問はあるが、それを聞いている時間はないようだ。

 自身の名前が貴族に知られていることは驚いたが、それならもっと給料上げてくれとも思ってしまう。もしくは食堂の一年利用権でもいい。むしろそっちがいい。追加報酬はそれで……。


 思考は投げ捨て、老人から視線を逸らし広げた魔力感知で異様な魔力反応とやらを探る――暇もなく。


『ぎゃああああああ!』


 どこか遠くより響く悲鳴。同時に。


「はぁ……はぁぁ……せんぱーい。置いて行かないでくださいよぉー」


 聞き覚えのある声が近づいてくる。

 胸をなでおろし、悲鳴の下へと足を向ける。老人のことはもういい。まだ広場にいるようだが、どうせ何を聞いても答えてはくれないのだ。貴族が後ろにいるとなると無理に聞き出すこともできない。権力者に弱い一般公務員の性である。


「わ、先輩? え、そのご老人誰ですかって、ちょちょ、どこ行くんですか? え、戻るってなんで……えー、私急いで追いかけて来たんですけど」

「悲鳴は聞こえなかったのか?」

「んぅ? 聞こえましたよ? でもちゃんと防護魔法張っておきましたし大丈夫――あ、やば」


 目を白黒させるラブリィとすれ違い、追ってくる彼女と話しながら歩く。

 息を荒げていたのも束の間、怠くも余裕そうな面持ちが崩れ頬を引きつらせている。


「ラブリー」

「は、はーい」

「防護魔法は破られたか?」

「ま、まだ平気です。けどやばそうかも……」

「そうか。走るぞ」

「わぁぁ! やっぱりぃ! うぅ、私そんな体力ないんですから、帰る時お姫様抱っこしてもらいますからね!」

「背中なら貸してやる」

「お姫様抱っこが……いやでもでも、背中も捨てがたいっ。くぅ、どっちも良いなぁ。あぁもう、どっちにしろ走り終えてから!」


 ぶつぶつ独り言を漏らす女を置いて、ソウジンは駆ける。

 老人の視線を背に感じながらも、意識を切り替えて魔力反応の下へ向かう。


 薄給警備兵だとしても、やるべきことはやらなければならない。

 仕事は仕事、捕まえた証人チンピラをみすみす殺されただなんて警備兵の恥だ。給金が減らされるかもしれない。おやつが食べられなくなるかもしれない。それだけは許されない。絶対、絶対にだ!!


 強固な決意を胸に、ソウジンは魔力反応と老人のこと――ではなく、今日の昼飯をどうするか、ラブリィはもう決めたのかと頭の中を食事で埋めながら風のように走るのであった。

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